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Vampire Serenade 謀略のブリジット  作者: 湊 奏
第四章 ブリテン交響曲
15/26

第三楽章 覚醒

落ち行く意識の中…


ただひたすらに沈んでいく…



深く…深く…




何も考えられない…考える必要もない…



ただ、泥に沈んで堕ちていく…



終わりはあるのだろうか…



水底はあるのだろうか…




ただ、ヒカリが遠くなる…




止まらない躯を止めたかったのか、彼はヒカリに手を伸ばした。



掴み取れる筈もなく、ただ堕ちるのに。尚も抗いたかったのか…



だから、彼は驚いた。その腕を掴み引き上げてくれる者がいるなんて、思わなかったから。



「ゲホッゲホッ…うぅ、ガハッ…ん…」


意識の湖から引き上げられたそこは、湖畔の芝生。空は闇なのに、何もかもがくっきりしていた。


「よかったわぁ、手を伸ばしてくれて。アレ以上はわたしもいけなかったしねぇ」


芝生に倒れているステラの横に、彼女はいた。

ステラの手は未だ、しっかりと彼女の腕を握ってる。


薄くほほ笑む彼女は、とても美しかった。ここがどこだか、疑問にも思わないほど見惚れてしまう。

しかしその面立ちもさることながら、更に目を惹くのはその出で立ちだった。


写真でしか見たことのないその服装。紅と橙を基調にした羽織に染め抜きであしらった花模様、浅葱色の袴は膝丈で錦紗によって鳥が描かれている。


日本ヤーパンの大正期から昭和初期に流行した、いわゆる『ハイカラ』と呼ばれる衣装そのものだった。極めつけはやはり履物で、もちろんレザーの編み上げブーツだ。


ステラを覗き込む彼女の長い白髪は水が滴っていたが、濡れてる箇所はそこだけだった。肌も、着ているものさえも一切が濡れていない。


そして、妖しく微笑む彼女はとても綺麗だった。



「ホント心配したんだからぁ。そのまま埋もれちゃうのかなぁって」


どうも彼女の言っていることが理解出来ない。

埋もれるとは…沈むじゃないのか…いや溺れるか。


「何ぃ? わたしに興味出ちゃったかしら?」


見つめていたらしい。そうなことを彼女の言って、コロコロと笑った。


「此処は…」


やっとそれだけ言った。


「ステラベステートの深層意識。だからこれ以上先に行ったら、きえちゃうんだよ」


彼女は愉しげに話す。ステラはゆっくりと体を起こした。


「わたしはあなた、あなたは私。陰と陽。多くを内包する二つの領域はいつも隣り合わせ、背中合わせ。もう思い出したでしょう。自分がどんな存在か、わたしが生まれたワケ。今、どんなことになってるか」



聞いてもいないのに喋る彼女。


自分の事…そう、言われなくても全部思い出した。

彼女のことも…


「君が…俺の中にいた別感情だね」


「そう。別人格だけどねぇ」


本当に愉しそうに笑う。ステラもつられて微笑んだ。


「こうして逢えて良かったのよ。本当はお互い、顔を合わせることもなく食い潰す仲なんだから…。あのコのお陰でチャンスを手にしたのよ。貴方」


「姉さんの?」


「そうよ。本当は問答無用でわたしが貴方を食い潰すはずだったの。でも、無理矢理こうして引き合わせてくれたのよ」


「今は?」


「そうねぇ… 三つくらい選択肢あるかなぁ?」


人指し指を顎に当てる彼女が妙に可愛らしいと思うステラ。実際かなり美人だ。しかし、その面立ちもその仕草も、ステラとどことなく似通っている。それを目の当たりにして、ステラはようやく彼女が自分と別の存在ではないということに思い至った。



「わたしと協定して二重人格者として生きるかぁ… わたしと一つになるかぁ、殺し合うか」


そんなステラの逡巡をよそに、彼女は笑顔で、楽しそうに物騒なことを言う。


「えっ…と…」


「あなたはどうしたいのかな?」


終始楽しそうな彼女は、この言葉を発する一瞬だけ、瞳の奥が確かに揺らいだ。


凍り付くような、哀しいココロ…


「あー、とりあえず殺しあうっていうのはなしで」


それにあえて反応せず、ステラは務めて軽い口調で言った。



「そう、よかったぁ…殺し合うとか言われたら、どうしようかと思ったわよ」


彼女は心底安堵して、ステラに微笑みを向けた。本当に知り合ったばかりなのに、彼女といるととても落ち着く。


笑顔がとても綺麗で、優しくて…どこか、包み込むような暖かさを持っていて…


子供のように、彼女の温もり中で泣きたくなった…


本当にそんなことはしないけれど…



「で、一つになるって、どうなるの?」


ステラは努めて平静を保った。


「…―――――」


彼女は黙ってステラを見つめる…


「あの…」


ステラが手を伸ばした瞬間、



カァアアアアっ!!っと一気に紅潮した。



そして、顔を反らし絶対に表情を見えなくしてしまった…


「あっと…」


「バカ… 恥ずかしいじゃない…」


その言葉で全てを悟った。


「もしかして…伝わっちゃった…?」


ステラも言いながら真っ赤になる。


「心の世界で心に思うなんて、世界全部から伝えられるようなものよ。しかも強く……」


「ごめん…」


と言っても本心だし、不可抗力だ。


「帰って…」


彼女はステラに背を向け、立ち上がった。そして歩き出す。


「いやいや待ってよ! まだどうするか決めてない! それに帰ってって、帰り方なんて知らないよ!」


ステラは去り行くその手を取った。


「もう決まったのよ。お互いの好意が相手の存在を認めるの…共存することになったのよ。帰り方は、目覚めたいって願うだけ… ここに来るには、わたしに逢いたいって、想うだけ… それじゃあね…」


彼女はステラの手を振り解き、小走りで湖畔の森に消えていった。


ステラはその背を見つめて、見えなくなっても固まっていた。




しばらくして、ステラは芝生に仰向けに寝転がった。

空は漆黒の闇…観るものなどないけれど…



「名前… 聞けなかった…」


独りぼやくステラ。

いつまでも此処にいても仕方がない。彼女も戻ってくることはないだろう。


「帰ろ…」



そして、ステラもソコから消え、湖畔には誰もいなくなった。












「ただいまぁ…」


疲れた声で部屋に帰ってきたアポロを迎えた光景は、予想に反した状態だった。


「アポロ…ステラが……」


ブリジットは今にも泣きそうな表情で、ステラの横に座っていた。


アポロは見しらぬ一名を無視して、ステラに駆け寄る。

額に手を当て、脈もとった。


「異常ないじゃない」


「そうだ…躯に異常はない。精神も安定した…なのに目を覚まさない!!」


こんなに取り乱すブリジットは初めて見るアポロ。

大声出すのでビクッと体をすくめた。猫の聴力は人間の20倍だ…


「あ…すまない…」


「大丈夫。これ、単に寝てるだけだから。心配ないよ」


アポロはステラの髪をかきわけ、頬を撫でた。本当にただ寝てるだけ。

安らかに、少し微笑んでいる。良い夢でも見ているのか…


「寝てるだけ…?」


ブリジットが呆然と聞き返した。


「うん」


アポロはしごく当然と頷いた。



しばし沈黙…




「そうか…私をこんなに心配させておきながら、当の本人はただ寝ているだけと… いい度胸だ起きたら容赦はせん」


黒いオーラが…

ブリジットのあくまのような笑みは、本気を物語っていた。


アポロは苦笑しながら、呆然とブリジットを見る。何故かブリジットから強めの風が吹き出していた…



「ところで、わたしはいつ紹介してもらえるんですの?」


見しらぬ一名がドアの方からツカツカと来た。

おかげでブリジットの黒オーラは収まった…


「ん? あぁ、すまん。こっちはアポロ。ステラの仕え魔…で良いんだよな?」


「うん。間違ってないよ」


アポロは静かに答えた。


「で、彼女はレラィエ。苗字は長いが、エルウェンだったかな」


「えぇ、よろしくお願いしますね、アポロさん」


レラィエはアポロに手を差し出した。

だが、アポロは恐ろしいモノでも見るような目をレラィエに向けていた。


手を握り返すこともなく、身を強張らせながら小さく後退る。


「どうした」


ブリジットの声にも答えず、しばしうつ向き、そして呟いた。


「帰って…。エルウェンの後継者がなんでここに…。貴女達は調停者でしょう!?」


アポロはステラをかばうように、立ちはだかった。敵意と恐怖が入り混じった表情で、レラィエを睨む。



エルウェンの一族…


古代種の中でも血脈が濃く、後天的に呪われる一族。


彼等の長が悪と定めた者の下へ後継者を遣わし、問答無用で断罪する。

それが国なら滅亡させる。それが一種族なら絶滅させる…


其はただ人類の存続と調和を願う。故に調停者。


裏の歴史、闇の歴史で幾度となく国を破滅させ、多くの幻想種を屠ってきた。



ブリジットが知らないのは無理ない。彼等は紀元が始まる前に、姿をくらましたのだから。




後継者の身に刻まれた刺青は、この世のあらゆる祈りの詞。世界の安寧と世の繁栄を願い、悪を憎み正義の鉄槌を望んだ、霊長絶対正義の呪い。





「何か勘違いをしていらっしゃるようですわね。私は調停者としてここに来たのではありませんわ」


レラィエはサラッと髪をなびかせた。


「じゃあ、なんでここにいるのよ。人目に触れることを厭うあなたたちは、めったに人里に下りない掟でしょう」


「そのとおり。でもそれが何だというのです? その一族はもう私一人になってしまったというのに」


室内に、一瞬の静寂が降りた。当然だ。絶対正義の化身でありそれゆえに無類の強さを誇る古代種が、滅びるなど…


しかしアポロは弱くつぶやき、沈黙を破った。


「そんなこと、あり得ない…」


「有り得たのだから仕方ありませんわ」


レラィエはベッドに座った。敵意どころか殺意を向けるアポロに溜め息を吐き、語りだした。


「今のわたしは調停者である必要も義務もない。わたしはわたしのためだけに力を使う。わが一族は、あの蒼く紅い女に滅ぼされた。フラリと隠れ里にやってきて、一夜で全てを壊した。わたしは一人逃れ、彼女に復讐を誓った…理解していただけまして?」


まわりは閉口していた。嘘ではない、と分かったのだろう。

そう、表面を冷静に見せても敏感な二人には分かってしまう。


あんな辛そうに嘘は吐けない…


「あ…ご…」


「謝罪は必要ありません」


レラィエの視線にアポロは口を慌ててつぐんだ。


「つまり、お前はあの女を殺すために此処に来たのか」


ブリジットが話を続けさせ、場を変えた。


「えぇ、ですからその少年が何者であろうと、関係ありませんわ」


「例えば、弟、でもか?」


うめくような声がそれに答えた。


「ステラっ!?」


アポロとブリジットは突然目を覚ましたステラに、おもいっきり叫んでしまった。


二人ぶんの声量は半端ない…


「ブリジット…耳元で叫ばないで…鼓膜が」


キーンッてな状態に陥っている。


「いつから聞いてたの!?」


アポロが詰め寄ったが、いつもの身を引く反応はなかった。


「あの女にそこの人の故郷が滅ぼされたってくだりから」


にべもなく笑うステラ。それが、少し不気味だった。



「弟、とはどういうことですの?」


レラィエの声はとたんに緊張を孕んだ。当然だ。目の前にいるのは自分の里を滅ぼした女の弟を名乗る者、もっと言えば同種である可能性があるのだから。


「そのままだよ。あの女は俺の姉だ」


ステラは体を起こし、レラィエと対面に座った。


「俺は姉さんにもう一度会う。現段階で言えるのはこれだけ…もし、姉さんが姉さんでなくなったら…俺はアレを殺すよ。そのときは、えーと…」


ステラが途端に言葉を濁した、というわけではなかった。言葉を探すような躊躇の意味をほどなくしてレラィエは理解した。


「申し遅れました。レラィエと申します」


「あ、うん。そのときはレラィエに任せる。でも…」


「彼女が彼女で有る限り、守る、と?」


自己紹介をしてなお、レラィエから剣呑さは消える気配がない。


「一応家族だからね。まぁ、もう彼氏いるみたいだから守る必要はないかもしれないけど、それでも姉さんは俺の姉さんであることには変わりない。それにひとつ言わせて、姉さんは二重人格者だ。姉さんは普段、表に出てない」


「おい…」


ブリジットが声を発したが、ステラは手のひらで静かに制した。


レラィエはしばらく黙り込んだ。うつ向いて、ギリと奥歯がなっていた。


「それを…それを信用しろと? 別人格がやったから貴女の姉には罪はないと…?」


「罪がないとは言わない。でも、人が創り出した法では多重人格者は精神異常であり、それの犯した過ちに責任能力はないとしている。でも、『あの女』は確かにあんたの故郷を滅ぼしたよ。体を共有している以上、死なば諸共だ。あんたが罪なき人格を巻き添えにしてまで復讐を果たしたいのなら、もう言葉はないよ」


ステラは終始無表情で話した。微動だにせず、真っ直ぐに見つめて。


「貴方は…わたしに惑わせたいのですか? 私にどうしろというのですか!」


敵意のない怒りに身を震わせるレラィエ。割りきれない自分が悔しくてたまらない…


「頼み一つと提案一つがある」



「………聞きましょう」


未だ怒りは収まらないが、努めて冷静に切り返した。


「頼みは、姉さんの人格が消える、もしくは手の付けようがなくなるまで、殺すの待ってくれないかってこと」


「……断れる筈もないですわね。見事な策ですこと」


レラィエは皮肉った。だが本心でもあった。完全にこっちの思考を見透かされている。この場で提案を断るなどまっとうな人間にはできない。


復讐者となるうえで、すべてに優先して復讐を成し遂げると決めていたはずなのに、レラィエは悲しいほどに真っ当であった。


「ありがとう。で、提案。これはブリジットの許可が下りればだけど…」


「その前に、一つ条件がありますわ」


「なに?」


「貴方達に同行させること。ひいては貴方の監視ですわ。最終的に情に流されたらたまりませんもの」


髪をなびかせ、脚を組む。

不敵に挑戦的に睨んでいるが、この条件には中身がまるでない。


ステラの頼みを断れない状況下で、条件をだすのは無意味だ。

相手にのませることは出来ない。


だが、

「あ、うん。それ、俺の提案なんだ。でも、俺はブリジットの旅の同行者。権限は彼女にある。で、どうだろう、ブリジット。ブリジット?」


ステラはブリジットを振り返った。


「…………」


ブリジットはステラを見ない。


「あの…」


「勝手にすれば良いじゃないか…。私を蚊帳の外にして…」


面白いくらいにいじけていた。アポロは気不味そうに顔を背けているだけだが、ブリジットはキャラが変わっている…。何か言いたげだったのは、説明を求めるためだったのだろう。それをステラが制してしまったので完全に会話に入れなくなってしまったのだ。



「いいわよ……どうせわたしなんて、何もしら、な…くないな…」


「はぁ?」


ぶつぶつ言っていたのに、途端に言葉に覇気が戻り、神妙な顔つきになる。


「レラィエの同行だったな。別に構わん。ただ、ある程度私の指示にしたがってもらうがな。

あとステラ、このあと話がある。ロビーに来い」


ブリジットは言いたいこと言って、さっさと部屋を出ていった。


一体なんだったんだ…



「わたしも帰りますわ。明日、また来ます」


レラィエもブリジットを追うように出ていった。




ステラはすぐにロビーに行く気にはなれず、まだ身体も気怠いのでベッドにしばらく横になっていた。


部屋にはステラとアポロに二人だけだ。だが、おかしなことに全く会話が起きない。

こんなことは日常茶飯事だ。一緒に部屋にいても会話がないなんてことは家族であれば当たり前のことだ。


でも、とステラは思う。


沈黙がこんなに重いことがあるだろうか。


アポロはただ窓の外を見つめていた。いや、あれは見ているとは言わない。ただ視線をステラに合わせないようにしているだけだ。

話しかけるのは憚られた。だって、全部思い出してしまったのだから…



「…もう、戦わないで」


蚊の鳴くような声。その呟きは、やけにはっきりとステラの耳に届いた。


「アポロ…」


「全部思い出したんでしょう。なのにどうして…どうして彼女を追うの。あなた達が再び相対すれば、殺し合うことになるってわかってるんでしょう…? それだけじゃない、ブリジットに着いていけば、これからも死ぬような目に合う。ううん、本当に今度こそ死んじゃうかもしれない…」


背中越しに届くアポロの呟き。それは問の形をとった哀願だった。思わず手を伸ばし、その肩に触れてしまう。それは何のためかステラにははっきりとわからなかった。説得したかったのか、ただ顔を見たかっただけなのか。


振り返ったアポロは顔をくしゃくしゃにして泣いていた。そして、叫ぶように言い放つ。


「…――――っ! 少しは私のことも考えて、心配する方の身にもなってよ! 貴方がそんなんじゃ、守るに守れない。大好きな人が死ぬところなんて二度と見たくないのに、どうして生き急ぐの!」


「お、おい、アポロ急にどうしたって…」


「急じゃない! ねぇ、もう帰ろう? あの家に帰ろうよ! もう十分でしょう?」


そんなアポロの言葉にステラは大きく目を見開いた。


意外だったのか、予想だにしなかったのか。その姿は、『女』だった。師であり、母であり、姉である。そんなアポロに対する認識をすべてぶち壊す、女の顔。


「わたっ、私は…っ。あなたと静かに暮らしたい、ただそれだけなの。特別なんて望まない。ただ一緒にいられればそれでいいのに… どうしてあなたは戦うことをやめないの…?」


「それは…」


瞬間言葉に詰まった。自分を顧みた瞬間、何もなかった。旅を続ける理由も、戦い続ける理由も、自分の中のどこにも見つからない。


ブリジットのように確固たる信念があるわけでもない。かといってこの旅にステラ自身が目的を見出しているわけでもない。


何のために。初めはただの好奇心と反抗心だった。ただ街を出たかった。ただ非日常に憧れていた。


自分にはついていけるだけの技能があったから着いていった。旅は楽しく、いつも新たな出会いがあり新鮮味に満ち溢れていた。



だが、どれもこれも、ここまで事態が悪化してまで付き合うべきことではない。誰だって、命は惜しい。


「わからない…」


見上げるアポロと見下ろすステラ。

アポロの涙も、いつの間にか枯れていた。


そのまっすぐな瞳を、ステラもまたまっすぐに受け止めた。


「でも、姉さんが生きていた。もう楽しいだけじゃすまないってわかっているけど、今ここから逃げたらいけない気がするんだ」


それは周囲を取り巻く環境のためか、内なるものとの邂逅のためか。


ただ、ステラは直感していた。何か大きなうねりが起き上がり、動き出しているのだと。


「そっか…」


呼ばれてる、のかな。


「え…?」


「なんでもない…もう大丈夫」


その声は毅然としていて、いつものアポロだった。だからこそ、ステラはとっさに彼女の手を取った。


華奢な腕だ。柔らかく細い。少し力を入れたら折れてしまいそうだ。


ああ、


「もう、ダメね本当に。もう無理だわ」


涙の最後の一雫が目尻から流れ落ち、彼女はとても愛らしく、柔和に、微笑んだ。

それは外見に似合わず、とても大人びていた。


そして、飛びつくように抱き付いて、その勢いで彼をベッドに押し倒した。


「ステラ、貴方を愛しています…」


言ってそのまま、唇を重ねた。



ステラは目を見開き、動揺していた。もうどうしていいか分からない。

言葉の出ないステラに、アポロは呆れるでもなく優しく言葉をかける。



「ステラは自身の道を進んで。でも、私と共に生きてくれるなら、ウィーンの、あの邸に一人で帰ってきて……。いまの貴方なら私と同じ年月を生きられる…」


それに対して、ステラは答える事が出来なかった。月明りに照らされた部屋は青白く浮彫りになっていた。


沈黙の帳は、そのままステラの思考の混乱を具現させたようなものだ。


その様にアポロは苦笑してそっと離れた。もとより答えがほしかったわけではない。ただもう自分の気持ちが止められなかっただけだ。


一方的な感情の押し付けとわかっていながらも抑えられない。それが恋焦がれるというものだろう。


ステラのほうも嬉しくないわけではない。ただ、やはりアポロは家族で…


かつて、アポロよりもずっと小さなころ、ステラは彼女に恋をした。いや、それがこいと呼べるものだったのかは今となってはわからない。

ただ、あのころは本気でアポロと結婚する、と思っていた。


(だから、もしもブリジットに出会ってなかったら…)


「あ――――っ!!ブリジット!!」


自分の思考で、アポロのことで吹っ飛んでいた記憶がステラの脳に戻ってくる。


「ど、どうしたの…」


「俺、呼ばれてるじゃん!」


「あ―――…」


「行かなきゃ!!」


ステラは慌ててベッドから下り、なくしたコートのスペアを羽織る。


「また、後でね」


ステラは部屋をでて、静かに扉を閉じた。







この、アポロの行動全てが…ステラにとって、後に最悪の呪いとなって降りかかる…



だが、そんなことをだれが知れようか…




そう…


遠くない未来…



呪いの呪縛は、ステラのココロを苛むことになる







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