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Vampire Serenade 謀略のブリジット  作者: 湊 奏
第三章 平穏 激動
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第三楽章 燃え散るは華の都


「くそっ、しつけぇ!」


長身痩躯の赤髪の男は、肩から血を流しいきも切れ切れ逃げていた。


追いかけてくるのは刑事…もう発砲はない…



弾は抜けたか…でも、巻けなきゃどうしようもねぇ…



「いつまでも逃げ切れると思うな! 止まれ!」


デカが叫んでくる。


止まれと言われて、止まった奴が今までにいたかよ!


声を出すのも疲れるので、内心で毒づいた。


高架下。真っ直ぐに走っていれば街に入れて巻けたかもしれない…


だが男は無理に巻こうとして、コンテナ群に入ってしまった。




これが…始まりだった…




「ハァ…ハァ…行き…止まり…」


後ろを気にして走っていたので、前方が疎かになっていたのかもしれない。


コンテナに囲まれていた。

そして後ろには…


「ハァ…観念しろ、アサシン…年貢の納め時だ…」


デカは二人だった。両者、黒のスーツに身を包み、片方は銃を、もう一方は手錠を手にしていた。


相手も体力の限界…なら…いける…


「誰が…観念するってよ!」


アサシンと呼ばれた男は、刃渡り20cmほどの軍用ナイフを左手に疾走した。


デカは一瞬ギクリと身を引いた…


ナイフがギラリと光り、手錠のデカの首を確実に捉えている。



ダァアア…ン…


アサシンの動きが止まった…


あと一歩、あと一瞬だったのに…


「…カ…ハ…」


口の中に鉄の味が充満する…死の匂いが鼻をつく…


ドサリと地面に崩れた。それでも愛刀は決して離さない。


右胸…か…心臓じゃねぇけど…肺がやられたな…


死にかけているというのに、冷静に自己分析をする。


4cmの小さな穴が右胸に開いていて、そこから鮮血が脈打つたびに夥しく流れ出す…


助からねぇか…まぁ置いていく奴も居ねぇけどよ…


呆れるようにアサシンは笑った。


デカ達は放心したように、ただ見つめているだけで動かない。


意識は徐々に薄れていく…脳に血液が行っていないのが分かる…



「な…にも……でき…ずに。終わる…んだ…な…」


誰に言うでもなく、ただ夜空に向かって…


――いいえ…――


な…んだ…?


いいえ、と聞こえた気がした…何を否定してるんだろう…



「ギャァアアアア!」


突然の断末魔の叫び。

アサシンは沈んでいく意識を無理やり引っ張り上げて、目を開けた。


そこにあった光景は…


手錠デカの最期だった… 上半身が吹き飛び、内蔵が飛び散ってきた。


鮮血が舞踊る。


それは、さながら紅き蝶…



生き残りのデカは必死に発砲する。


しかし、一発としてソレには届かない…



プラチナブロンドの長髪を綺麗に結い上げ、有り得ないくらい艶めかしい格好の女がそこにはいた。


殆ど下着も同然だ…


水着のような蒼いボンテージスーツを着て、金属のリングが両手両足に浮かぶように身に着けられている。


そんな妖艶な姿でも、そう思えない…



それは…眼のせいだろう。


紅い眼…それには全く感情と言うものが見受けられなかった。


無表情…これでは事足りない。

アサシンは感じた。本当に感情が無いのでは、と。


アサシンは自身が死に瀕しているのも忘れて、彼女に魅入っていた。



拳銃デカも弾が切れた。

彼女はゆっくりとした足取りで、デカに近付いていく。


「く…くるなぁ!!」


必死の叫び。だが…もう遅い…


女は右手を薙いだ。そこに紅き閃光が走る。


「アァアアア!!」


デカの右腕が落ち、紅き蝶が舞踊る。


デカは地に跪いた。立っていられない…


女は何の躊躇もなく、そうすることが当たり前かのように、デカの左胸に手を突っ込んだ。


そしてもう一方の手も…



女の躯が紅きオーラを纏う。高まっていくのがわかる…


そして…



ビキビキビキッ…バリッ


ものすごい力で引き裂かれた音。骨が砕ける音。彼は左と右は別れ別れとなった…


噴き上げる鮮血を浴び、月光に照らされる彼女…


それは…なんと美しかっただろう。



だが、鑑賞できるのは此処までだった。

女はアサシンの方へ向かってくる…


カツン…カツン…


とヒールの音が静寂の夜に響き渡る…

アサシンはただ、彼女を見つめている…



女はアサシンの前に膝を突き、彼の顎を持ち上げた。


無感情の顔がアサシンを見つめる…




それは突然の事だった。


何がどうしたのか…二人は濃厚な口付けを交わしていた…


いや、一方的に女がしていたのだ。

アサシンは驚きに目を見開いていた。



紅き光が二人を包み込む…

アサシンの鳶色の眼が紅に変わった瞬間だった…


何が起こっているかわからないまま、彼は意識を手放し、彼女の胸へと落ちた。









高架下のフェンスにアサシンは寄りかかっていた。


その隣に寄り添うように女がちょこんと座っている。



サァ…



河から風が吹いた。優しく、柔らかく…


女はそれをより感じるためか、眼を閉じ、身を任せる。


そのとき…


アサシンの意識が戻った。


意識が…戻った…?


「な…んで…」


俺は…死んだはずだ…あれで助かるわけが…



アサシンは躯を見る。

右胸と右肩…そこに有るはずの傷がキレイに消えていた。


それだけではない、全身に感じる…

生きている実感を…生命を…


「幽霊になった…わけないよなぁ…」


草を触れる、フェンスも通り抜けられない…

取り敢えず生きている…


ふと横を見ると、例の女がじっとこちらを見つめていた。


やはり全くの無表情…


「あ…お前が…助けてくれたのか?」


戸惑いながらも話しかけてみる。


しばし間が空き…


コク。


頷いた。僅かだけ頷いた。

本当に注意して見ていなければわからないほどの浅さで。


「そうか…ありがとな…」


アサシンは照れながら言った。これ以外に言葉が見つからないのだ。


まだ生きていられる…

感謝してもしきれないのに、これしか言葉が出て来なかった。


女は女性と言うより少女だった。

見た目たが、歳は18くらいだろう。アサシンの中では、自分より二つ下はガキらしい。


今のところは…



因みにアサシンは25歳。だが、普通の25の若者より、考え方も生き方も違いすぎ、それが外見にも影響を与えているのか、より年上に見える。


デカに追われるくらいだから、そうでなければ今まで逃げてこれないだろう。




また沈黙…






これに耐えかね、アサシンは口を開いた。


「俺は、アサシン、て呼ばれてる。もちろん暗殺者って意味だ。あんたは?」


少女は視線を逸らし、俯いてしまった…


「ぁ…」


ボリボリと頭を掻くアサシン。

これには困ってしまう…女の扱いなどわかりゃしない…


またしばらく沈黙する事になった。







結局口を開くのはアサシン。


「なぁ…」


と話しかけると、取り敢えずはこちらを向いてくれる。


「フィリスって呼んで良いか?」


「ふぃ…りす…?」


少女が喋った…とても澄んだ、綺麗な声で…

思わずドキッとしてしまうアサシン。慌てて頭を振り、質問に答える。


「北欧神話に出てくる、戦乙女ヴァルキュリアの一人の名前だ。こっちだとヴァルキリーだっけか? まぁいい。その女神はヴァルキリーの中でも、孤高にして高潔。そしてプラチナブロンドの髪ときてる。あんたのイメージそのままなんだよ。なぁ、どうだ?」


少しの間。



コク。


頷いた。

此処に、この少女の仮名をフィリス・ヴァルキュリアとする。


このとき、本当にほんの少しだけ微笑んだ気がした…


フィリスの名前を付けたのには、もう一つだけ理由があった。


それは、アサシン自身の女神だからだ。

運命の女神か、幸運の女神か…


しかし、そんな良さげな神に縁がないということくらい、アサシンにもわかっている。


だから、戦乙女。戦いの女神。


ヴァルキュリアは『死者の選別者』とも言われている。

強き魂を選び、英霊として神の世界に連れて行く、と。


別に選ばれたとは思わない。だが、死に瀕している自分を助けてくれた。


それだけで、フィリスはもう彼のヴァルキリーなのだった。





なぜ、アサシンがこんな北欧神話などを持ち出したかというと…


たんに彼の祖国がデンマークだからである。



「よろしくな。フィリス。俺はあんたに着いていく。あんたに助けられた命だ。あんたのために使いたい」


アサシンは手を差し出した。


それをどう解釈したのか、手を握らずにピタリと密着してきた。


「なっ…おい…」


今度は反応すらしてくれない。


「…―――――」


アサシンは、困ると頭を掻く癖があるらしい。また掻いてる。


そして何故か、本当に理由もなく、フィリスの肩を片腕で包み込んだ。

胸に寄りかかるフィリス肩は、とても小さく、儚げだった。



しばらく離したくないね。と密かに思うアサシンだったが、フィリスの方も抵抗することなく、アサシンのうでの中に収まっていた。





そして…


「スゥ…スゥ…」


「あ?」


腕の中の少女は綺麗な寝顔を見せてくれていた。


全く…警戒心のかけらもないのか…襲うぞ… 思ってみても、行動には移さない。ただ、顔を指で撫でてやった。









ここにまた一組


宿命に動かされし男女が



オーケストラの楽器たちは


一つ また一つと


加わり


奏で出す













喫茶店の扉がカランカランと単調な音を立てて開く。


駆け寄ってくる店員を諫めて、奥の席にいる仏頂面の金髪美女のもとへ急いだ。


時刻は21:05


軽く遅刻したステラに対して、心が狭いと言おうか…とにかく怒っていた。



「遅い」


「ごめん。色々とやってたら間に合わなかった」


ステラは何ともなしに言って、向かいの席に座った。


その対応の浅さが気に食わなかったのか更に眉をひそめる。



「あぁ、色々とトラップ仕掛けてたんだ。あと結界ね」


ステラもヤバいと思ったのか、簡単に内容を説明した。

それでブリジットが納得するはずはないのだが、鼻を鳴らされたただけで済んだ。


「全く…約束の時間に来ないなんて…」


何かブツブツ言っているが、ステラは無視して話を進めた。


「催眠結界のほうは?」


「……万端だ。21:30にヴェルサイユと大聖堂を中心に半径1㎞で展開する」


これでその範囲内には誰もいなくなる。ある程度の建造物破壊も大丈夫だ。


流石に世界遺産を破壊はしたくないけど…

復元できる自信がない…


ブリジットなら出来るんだろうけど…



「お前は何の結界を張ったんだ?」


語彙がかなりつっけんどん…まだ機嫌は直らないらしい…


「俺は封鎖結界と不可視結界」


「封鎖結界って…何のために…」


封鎖結界は外敵の侵入を拒む結界だ。

だが、ヴァンパイアにその手の魔法は全く意味を成さない。


簡単に破れるからだ。


だがステラはこの反応にニヤリと笑った。


「良い質問。この封鎖結界は特殊でね、外敵の侵入を拒むものじゃないんだ」


「は?」


「分かんないかぁ…ちょっと意外。今回のは侵入した敵を閉じ込める結界なんだ」


楽しそうなステラとは逆に、ブリジットはさっぱり理解できていなかった。


内側だろうが外側だろうが、破れることには変わりない。


だが、ステラのこの自信は一体何だというのか…


「俺の封鎖結界は、ちゃんとした手順を踏まないと解除出来ないんだ。この辺は諸々のトラップが影響してるわけ。でも、結構ヤバいんだぁ。発動直前に逃げないと、俺らも巻き込まれるし」



たいそうな罠を仕掛け、自らも危険になるというのに、ステラはとにかく楽しそうだった。


ブリジットも此処まで言われれば解る。


「なるほど、そうか…では私達も敵を倒すまで出られない、と言うことか?」


「いや別に? でも、解除して離脱しても追いかけて来るだろうし。どの道倒す必要はあるね」


「それもそうか。つまらん質問だったな。さて…そろそろ時間だ。行くとしよう」


「だね」


ブリジットは飲み物の残りを飲み干し、ステラは夜用のコートを羽織り、店を出た。




ステラの結界発動は22:00。


ブリジットの催眠結界による人々の避難に合わせてのことだ。


別に手動発動も可能なのだが…

自動の方がその間に動ける。



二人はパリを一望出来るエッフェル塔の文字通りてっぺんにいた。


「そろそろだ…」


ブリジットが呟く…



直後、範囲内を何かが満たしていく…

蛍火のようなキレイな光…そしてそれはすぐに消えた…




全ての人間は無意識に結界の外に出ていく。入ろうとしても、どうでもいい用事を無理矢理思い出して引き返していく。





大体避難は終わった。

ステラの結界発動まではまだ時間がある。


だが、敵は待ってはくれない。


「来たな…」


ステラの霊力探査網に二人、引っかかった。


まだこちらの位置までは掴めていないのか、上空に停滞している。


「この魔力の質は…シトリィとオセか」


ブリジットは敵を特定する。これで戦い方の方針が決まるのだ。


「どんなの?」


「これはまともな戦いにはならんな…二人とも戦闘要員ではない。今更か、私達を分析でもするのだろう。特にお前をな」


相手はこちらに多々の技を出させるように動くだろう。

だから早急に片付けなければならない。


今まで報告されるのが嫌だから、来る奴全員殺してきた様なものだ。


ステラは単に楽しんでいただけだが…


ブリジットとしては、やはり血族であり仲間なのだ。今はただ、互いに分かり合えないだけ。でも、いつかきっと…



そう言う思いはある。

だが、それはただの私情。目的のためにも流される訳にはいかない。


襲ってくるなら応戦するし、必要とあらば殺す。


ステラが同行してからは、逃がしたことはない。

ステラの事を知られると厄介だからだ。それは、本人すらも気付いていない事実…


「何? 何か寂しげに見てきて…」


ステラに声を掛けられ、我に返った。


どうやら凝視していたようだ。


「いや、何でもない」


取り敢えず誤魔化しておく。


――ステラ、昨日みたいに遊んではダメですよ。最初から本気で――


紅胡蝶が言っても説得力がない。滅茶苦茶寂しそうに言うものだから、ステラは同意しながらも、苦笑した。


「一人一殺だ。いくぞ!」


ブリジットが飛んだ。ステラも持ち場に行く。

大聖堂だ。


相手を位置を知らせるために、魔力を放出する。


探査網に反応があった。

真っ直ぐ向かってくる。二人とも…



うわっ…2対1はないでしょう…


そろそろ封鎖結界が発動する。敵はすでに範囲内だが、ブリジットは…



「本当にお前だけが狙いらしいな…」


「うわっ!? ブリジット!?」


いつの間にか横にブリジットがいた。


「驚く事もないだろう。一人一殺と言ったはずだ」


「はぁ…まぁ、そうだけど…」


「お喋りは終わりだ、集中しろ」


まだ機嫌は直らないのか、語彙がキツい。


大聖堂の鐘楼の上、2つの影が降り立った。

突っ込んだ方が良いのか考えていたら…


キラっ…


「っ!?」


赤い閃光がステラに襲いかかってきた。

とっさに身をかわすも、爆風に吹き飛ばされた。


炎の元素か…


ステラは抉れた地面を見て絶句した。

まるで隕石が堕ちたあとだった。


こりゃ…直撃はヤバいな…


それでも微笑を絶やさない。久しぶりの手応えのある相手だ。


「行くか?」


ブリジットが伺いをたてる。無論…


「あぁ!!」


ステラは魔力を全身へと駆け巡らせ、動いた。

瞬間、とてつもない衝撃が地を揺るがす。

ステラ既に大聖堂の下だ。そこから鐘楼へと跳ぶ…

この間約2秒。



「張り切るなぁ…」


ブリジットは苦笑した。


「さて…私も挨拶はしなければな」


夜風に髪を靡かせ、不敵に笑う美女。その眼には一切の迷いがなかった。





「うるぁ!!」


ステラはいきなり片方に斬りかかる。

だが、やけに大振りだ。


当てる気のない、正に挨拶代わりだ。


屋根の上で対峙する。

両方ともフードを被っていて、顔がわからない。


ただ、女なのは確かだ。

肌がやけに綺麗で、手足がスラリとしている。

まぁ、結局は胸の起伏だが…


どちらにせよ、ブリジットより小さい…


ステラは一通り観察を済ますと刀を担いだ。


「自己紹介しとくか?」


「っ…!」


二人が二人とも、ギリ…と歯を噛む。

莫迦にされていると取ったのか、殺気が増した。


しかしステラはそれも流す。

炯眼は輝き、表情は常に微笑…

それは…端から見れば不気味でしかない。


「知ってるだろうけど、俺はステラ・フロストハート。ブリジットの協力者だ」


爽やかに言う。

夜風に髪が靡き、なお一層美化される。

本当に…見とれてしまうほど…


一人がフードをシュルっと下ろした。


活発そうなブロンド、セミショートの女だった。

片耳ピアスで、装飾品がバランスよく着けられている。


それが全く自然体で、本当によく似合っていた。


「あたしはシトリィ。シトリィ・ヘルウィス。これで良い?」


半ば投げやりだが、礼儀正しいというか律儀と言うか…


隣の一人もため息を吐きながらフードをおろした。


深緑髪のロングでポニーテール、眼鏡で厳格そうな女性だった。


凜としている様は気品が漂い、落ち着いた雰囲気を纏っている。


「オセリア・ティナです。オセと呼んでください」


オセが会釈すると、ステラもつられて会釈。


「これはご丁寧に…」


「自己紹介は済んだようだな」


ステラの背後から声がする。


「ブリジット様…」


「姫…」


暗がりからブリジットが出てきた途端、二人は跪いた。


「な、何で、何で??」


今までの刺客(?)とやらは、こんな事はしなかった。


しかしブリジットは、ステラの疑問に答えることはしなかった。


「久しいな。もう、そういう立場でもない。そんな事をする必要はない」


ブリジットが珍しく相手に敵意以外の感情を見せていた。

いったい何がどうなっているのか…


しかし二人は顔を上げただけで、立たない。


「先に言っておくが、私の考えは変わらん」


「さようですか…」


オセは残念そうに顔を伏せた。

しかしシトリィは、言葉を紡ぐ。


「姫…我らはあなたとは戦いに来たわけではありません…話し合いもせぬまま袂を分かった事を皆悔やんでおります。こちらに戻れとは言いません。ですがどうか、話し合いを…」


「どこでだ? まさか私がのこのこ着いて行くとでも?」


ブリジットは嘲笑った。莫迦莫迦しいにも程がある。


「それにな…もう話し合いとかいう段階ではないんだ。この連れもいる。今更己を翻す訳にもいかないんだよ…悪いな…」


寂しそうに笑うブリジット…

それはブリジットだけではない。シトリィとオセも似たような表情をしていた。




「わかりました…今日は引き下がりましょう…シトリィ」


「そうだね…」


二人は立ち上がり、一礼した。


ブリジットはただ、寂しそうに見つめるのみだった。

だが、この空気を壊す最悪の者が近くに居ることを全員忘れていた。


「まてよ…このまま帰すと思ってんの?」


歪んだ笑顔をたたえ、紅胡蝶を横に持つ。


「おいステラ…今回は…」


「ブリジット…此処で帰したら、俺じゃないよな!!」


ステラはシトリィ達との距離を一足でゼロにした。

完全に懐だ…


「っ!?」


二人がたじろいたが…


「遅ぇよ…」


二人の顎を思い切り蹴り上げ、体が宙に浮いた瞬間、オセの腹部を蹴り飛ばした。


オセは一気に向かいの建物に激突する。


「一つ目ぇ!!」


オセが魔力の流れを感じたが、動くには時間が足りなかった。




ガシャァン!!


一帯の建物という建物から、一斉にガラスの刃が襲いかかってくる。




「ぅ…っ!!」


魔力で防御しながら上昇して回避したものの、全てを避けきる事はかなわなかった。


左腿と背中に大きなガラスが突き刺さっていた。


それを抜くと直ぐに回復が始まる。

だが、ステラは待つなどしない。


「休む隙はないぞ!」


驚喜をたたえ、突っ込んでくる。しかし今度はオセも準備が出来ていた。


ガキンッ!!


受け止めることができた。

しかし、ナイフ二本では力負けしてしまう。


「ぐ…」


ステラはクスクスと笑いながら徐々に力を入れて押していく。


「てめぇも背中ががら空きだ!」


シトリィを忘れていた…


長槍がステラの心臓を後から狙って放たれた。


一瞬、ステラに恐怖の表情が浮かぶのをオセは見た。

しかし、直ぐに不敵の笑みに変わる。


「誰のことかな?」


「かはっ…」


鮮血が舞踊った…

噴き出す元はシトリィの背中…


紅胡蝶にはまだ新しい血液…


「な…んで…」


オセの目の前に居たはずだ…シトリィが斬られるまで、その存在を目の前に感じていた…


いったい何が起きたのか…


「まだだよ…」


ステラは体勢の崩れたシトリィを背中から蹴り落とした。


45°の角度で地に向かって落ちていく。


だが、今回は距離がある。激突する前に体勢は立て直せる…


既に再生も大方出来ている。


「逃がさない」


≪冥界より出でし紫青の炎 罪ある者を焼き尽くせ≫



詠唱!? 音系統の遣い手が…何故…



激突は防げても、この落ちる勢いは止められない…

あまりに桁外れな力なのだ。


シトリィはオセの方を見る…しかし、彼女には何も望めなかった。


未だ、起きた事実が受け入れられず、放心している。


学術士はこれだから困る…



今更恐怖もないものだ。シトリィは覚悟を決めた。

当たったところで死にゃしない。


地獄の火焔(ヘルフレア)


毒々しい色の火炎が渦を巻き、シトリィに真っ直ぐ向かってきた。


そして、一瞬にして包み込む。




ボンッとくぐもった爆発音と共に炎は弾け、シトリィは地に結局激突した。


「二つ目だ」


この声でオセは我を取り戻し、一瞬で状況判断をした。


ステラの視線の先に目を向ける。



街の地面が隆起し、瓦礫が巨大な龍を象っていく…


地面から龍が生え、もたげた鎌首が地に向かって行く…

その先には…


「シトリィ!!」


痛みにより動けないシトリィが横たわっていた。


オセは急降下してシトリィを助けに向かい、それをステラも追いかける。


食べる、という雰囲気ではない…自らの重圧で押し潰す気だ…


間に合うか…



オセの額に嫌な汗が流れた。緊張が走る。


全速力で飛んでいるが…ギリギリ間に合うかどうか、といったところだ。


龍がシトリィを潰すまであと1mもない…


「くっ」


オセは背中で魔力を爆発させ、加速を図った。


「手を!!」



シトリィは慌てて手を伸ばした。その手を取り、抱き抱えるようにして離脱した。



直後、瓦礫やら何やらの龍は地面に顔から突っ込み、自らの重さで崩れ去った。


「ゲホッ…ごめん、助かった」


せき込みながらも礼を言うシトリィ。

オセはただ首を振り、笑うだけだった。



「だから、休む隙はないって。はい、三つ目」


ステラの言葉に気を取られ、反応が遅れた。


巨大な鎖が二人の腹を穿ち拘束する。


内臓は完全に潰れた。所々腸がはみ出ている。


そのまま引っ張られ、近くのビルに拘束された。

また、幾本ものふつうサイズの鎖に縛り付けられ、完全に動きを封じられた。



「いくら何でも学習能力無さ過ぎ。アレ、全部避けられるのが前提だよ? なのに殆どく喰らうし、本当にヴァンパイア?」


呆れでヘラヘラしているステラを目の前に、二人は怒りよりも、焦燥を感じる。


どうにも動けない…

体に貫通して拘束されているので、再生もしないし、脱出もできない。


「ステラ…」


ブリジットが横に来た。哀願するような表情で。


「ブリジット。どうよ、この稼動式魔法!」


子供のようにはしゃぐステラを悲しげに見つめ、また言った。


「ステラ…」


「ダメだよ」


「なっ」


ステラの表情が一変して無表情になる。


「俺のこと報告されたくないし、敵をみすみす逃がすなんて無理。まぁ、充分楽しんだけどさ」


「ステラ…頼む…コイツ等はだけは…」


ブリジットが哀願するなんて、どういう事だろう。



「何か…訳でもあるの?」


「彼女達は…私の、唯一の友人だったんだ。今でも、それは変わらない…」




しばらくステラはブリジットを見つめ、やがて溜め息混じりに言った。


「わかったよ…これで戦いにくくなったらブリジットのせいだからね」


「すまない。ありがとう…」


ブリジットは涙を浮かべ、頭を下げた。


「ちょっ頭さげないでよ!?」


ブンブン手を振るステラ。どうも調子狂うし、恐縮する。


ステラはシトリィ達の腹部を貫通している巨大な鎖だけは消した。


まだ、拘束しておく必要がある。


二人に近づき、真剣に言った。


「ブリジットに感謝してくれよ。あんた達を逃がしてくれるのは彼女なんだから」


微妙にだが、二人に安堵感が広がったのが分かった。

腹部もだいたい回復したようだ。


本当に無敵っぽいよなぁ…と改めて思うステラ。


「で、逃がすにあたってこれだけは約束して。今日の事は報告しないこと。報告が必須なら適当に嘘ついて。

それと、もうあんたらは俺らに関わらないこと。これ以上ブリジットを悲しませないでよ…本当に…」


二人は顔を見合わせた。もっとヤバいことを要求されると思っていたのだ。


「…わかった…」


「…約束します…」


二人の眼には偽りは無かった。

ステラは拘束する鎖を緩めた。


その瞬間、二人は一気に上昇した。


「おい焦んな!! 上は…っ!!」


封鎖結界が切れかけてる…このままでは最後のトラップが発動してしまう…


本当の…真打ちが…



「ヤバいってっ!!」


「ステラ、どういう…」


「話しかけないで!」


ステラの気迫に思わずびくつくブリジット。

鬼気迫るそれは、とても邪魔できるものではない。


魔力を全開にし、結界維持に全てをかける。


シトリィ達が結界に近づいた瞬間だった。


強力な光が不可視結界と封鎖結界の間だに弾けた。


物凄い破壊力が封鎖結界にかかる。


頼む…保ってくれ…


雷の元素上級魔法の約10倍の威力のそれ。

はっきり言ってかなりヤバい…



そうだ…不可視結界の一部に穴を開ければ…


ステラは直ぐに実行した。

封鎖結界を維持しつつ、不可視結界の上部に数ヶ所の穴を開ける。


そこから魔法は飛び出していき、やっと負荷がなくなった。


不可視結界を元に戻し、空に向かってステラは叫ぶ。


「降りてこーーーーーーい!!!」


軽く怒りを込めて。


シトリィ達は素直に、恐怖を表情に携え降りてきた。


「待てっていったろうが! 何焦ってんだよ! 死ぬとこだったんだぞ!」


二人は俯いていたが、学習、という単語がかろうじて聞き取れた…


「使いどころ間違い過ぎ…信用しろよ。ブリジットがせっかく…」


「ステラ、いい」


ブリジットがステラを諫めた。


「私を信用出来なかったか?」


二人はブンブン首を横に振る。


「どうやらステラが言いに行ったことが問題らしいぞ?」


ブリジットは悪戯っぽく笑って言った。

ステラはそっぽを向いて反応しない。


ブリジットは苦笑して、二人に向き直り言った。


「ステラとの約束を守って。帰りなさい」


「はい…」


「すみません…」




今度は二人とも焦らず、ステラの開けた穴を通って、結界を出ていった。




「本当に…ありがとう…ステラ」


「じゃぁ、これ何とかしてよ」


「は?」


ステラの指の先を見る。と言っても嫌でも目にはいる…


ボロボロの街…修復しなければ…



「はぁ…見るだけで嫌になるが仕方がない…任せろ」







結果を言えば、修復は完璧に上手くいった。

さすがブリジットだ。範囲をものともしない。



「さて、やっと本題だな…」


「ブリジットはヴェルサイユだよね」


『世界の意志の力』の解放だ。


「ちゃんと通信機使用してよ」


「分かっている。では、後でな」


ブリジットは、トンっと地を蹴って闇の空に消えた。











やはり誰一人として気が付いた者はいなかったのだ。

まぁ、催眠結界は健在だから誰もいないのは当然だ。



ステラは礼拝堂に忍び込み、例の台座に近づく。


星明かりが入り込み、妙に幻想的な空間と化していた。

それでも、あの陽光が射したときのように力を感じることはなかった。



「此処の筈だよね…」


丹念に調べてみるが、どうも仕掛けがわからない…


台座の下に絶対何かあるのに、この台座を動かすための仕掛けがが見当たらない。



別にぶっ壊せば良いのだが…流石に不良信者と言えども信者なので、キリスト像を壊すのは気が引ける…


物心ついたときからミサだからな…



「どうしよう…」


台座を最近動かした跡もない。結構お手上げだ…壊すしかないのだろうか。



――ジジ…ジ……ジ…――


ステラの耳元でノイズがなる。そう言えば受信をONにしてなかった。



「はい。首尾はどう?」


――それはこっちのセリフだ。こっちはもうたどり着いたが、どうなんだ?――


もう!? ヴェルサイユもそんなに単純な隠し方はしないと思うのだが…


ステラは不自然さが取り払えなかった。

そして参考にブリジットの話を聞いてみた。



「ヴェルサイユはさ。何処にあった?」


――鏡の間だ。星明かりの反射が巧くてな。一つに集約して仕掛けを示してくれた。その様子だと、見つかってないようだな――



「お察しの通りですよ」


軽くため息をついてやる。自慢げなブリジットの声が何だがムカついたステラだった。



「じゃ」


ステラは一方的に通信を切った。

しばらくノイズがなっていたので、再度通信を試みていたのだろうが、ステラはとにかく無視した。



「集約…ね…」


この礼拝堂はシャングリラのおかげで光が乱反射し、溢れかえってるくらいだ。


集約のしようがない。


――ステラ。思考は柔らかく、ですよ。時には逆説的なのも必要です――


紅胡蝶がさりげなくアドバイスしてくれる。


逆説的か…


光が乱反射して溢れてる…光が満ちている…

ヴェルサイユは集約して、一点をてらしたとなると…暗かったのか?


「あ~…そうか…」


――わかりましたか?――


紅胡蝶は上機嫌に微笑んだ。


椅子の下は多分関係ない…

溢れる光の中に不自然に暗い、光の当たらない場所を見つければ良いのだ。



そして其処は意外にも簡単に見つかった。一点だけ黒いシミのようになっている場所。


天井絵の天使の羽の一部…


また面倒な所に…



「やらなきゃ…駄目だよねぇ…」


誰に言うでもなく言ったつもりだったが、紅胡蝶が反応した。


――当然です。疲れているのはわかりますが、たかが浮遊には差し支えないでしょう――



ため息をついて、ステラは天井絵まで浮遊した。

魔力を温存しなければいけないが、この程度で風の元素を使うでもないだろう。



黒くなっている部分…一見なにもなさそうだが、よく見ると羽の一枚が浮き彫りになっている。



押せばいいのかな…?



変なことして誤作動やら壊れるやらされたらたまらない…


「……まいっか」


ゴリっ…


半ば無理やり押し込んだ。大丈夫なのか。


…――――



なにも起こらない。全く何も起こらなかった。本当に。


「何なんだよ…」


ふてくされて、着地するステラ。

かなりムカついているのが態度にモロ出ている。

早足で台座に近づき…


「ふん!!」


思いっきり蹴り飛ばした。

実際、勢いはそれなりにあった。壊すつもりだったし…


しかし、ステラは台座を壊す事はなかった。


ガコンっ!!


「わっ!?」


ドテッ…


ステラの脚が触れるか触れないかの所で、突然台座が奥にスライドしたのだ。


おかげで蹴りの勢いは、受けどころをなくし、結果ステラはすっ転ぶこととなったわけだ。


しかし、結果オーライ。

台座は移動し、地下への階段が開いたのだから文句はない。


多少は悪態をついたが、ステラは階段を下っていく。


とにかく下るだけなので、退屈だ。暗いので足元を気にしなければいけない。

おかげでなかなか進めなかった。



何度も踏み外しそうになりながらも、やっと階段がなくなったのは、10分後のこだった。



帰りは登るのかと思うと憂鬱になってしまう。



しかし最下部は階段にも増して暗い。これでは作業のしようがないが…


ステラは日用魔法が使えないのだ。ブリジットから習ったのは戦闘に役立つものだけ。


光を手に持ってどうこう…なんて無理…

こういうのはアポロが得意なのだ。


ん? アポロ?


「そう言えば…」


とか言ってゴソゴソとリュックを漁ると、出てきた出てきた…


さすがはアポロ。気が回っている。


ステラはペンライトのスイッチを入れた。範囲は狭いものの、幾分かマシになった。


取り扱い周囲を照らしてみると…



「スイッチ…だよね? 電気?」


とステラは興味本位で考えなしにスイッチを押してしまった…



バッと電灯が灯る。

突然の光の介入にステラはクラクラした。目が開けられない…




やっと目が慣れてくると…

ステラはその空間、そこにある物をみて驚愕した。


「何だ…コレ…こんなの…見たこと無い…」



いつも力の封印地には、十字架ではない十字碑が建てられていて、それを壊せば力は解放される…


しかし、此処にはそんなものが見当たらない…


変わりにあるのは、巨大な祭壇といびつに積み上げられた筐体。


ブロックの中には赤く光り脈動する何か…



「あ…れは…マリ…ス……っ!!」


認識してしまった直後だった。激しい頭痛に襲われる。


そして次に押し寄せてきたのは、有り得ないほどの高揚感、抗い難い性欲にも似た恍惚感、歓喜…


全て自ら湧き出る物であって、自らのモノではない…



「あ…ぁああああっ」


――ステラっダメです!! 気をしっかりもって! 呑み込まれてはいけません!!――


紅胡蝶の声に答える余裕など、既に無かった。

頭を抱え、跪く…しかし、どうしても脈動する、膨大で純粋すぎるマリスから目を反らせない…


そしてステラはこの時、無意識下で感じていた…自分の中にある、自分意外の存在を…


紅胡蝶は今手に握っている… なら、一体…



ヤバい…持っていかれるっ!!


マリスが脈打つ度にステラの中の何かが殻を破ろうとする。

まるで、片翼を失った天使と失われた片翼が共鳴するかのように…



出て…くる…な…



ステラは口元に手が触れ、またしても愕然とした…


笑っている…歓喜している…


押し寄せてきた感情は抑え込んでいる…なのに表情という感情の表層に現れていた。


それを認知した途端、殻を破ろうとする勢いが一気に増した。


「あ…かはっ…ぁ…ァアアアアっ!!」


ステラから…共鳴する『力』が溢れるだした。

既にステラの意識は無いに等しかった。


――っ…全く…世話の焼ける…――


軽く舌打ちをする紅胡蝶…


その時、紅胡蝶から力が弾け、爆発し、ステラの手に握られていた刀は消え去った。



最後に朦朧する意識の中でステラが見たものは、流れるような銀髪の妙に落ち着いた女だった。


その後から、目覚めるまで記憶がない。










「…きろ…お…す…ら…起きろ…」


何だか変にくぐもった声が響く…女の…声…?


ステラはまだ頭がはっきりしない中、目を開けた。


視界や聴覚、全ての感覚が鈍化している。

視界がぼやけて目の前に居る人すら輪郭しかわからない…

目を擦ろうにも、全く力が入らない。



「だ…れ…?」


やっとの思いでコレだけいった。


「見え…ないの…? …いじょ…か?」


聴覚は途切れ途切れにしか使えない。ノイズみたいなのがしきりに走っていた。


ステラは全身に魔力を通してみた。


「い゛っ!?」


強烈な痛み…


おかげで筋力が戻って視覚も改善、聴覚も戻りつつあるが…


「ブリジット…? どうして…」


「どうしてもクソもあるか! 紅胡蝶が騒ぎまくるから何かと思って来てみれば…マリスに当てられたって…

私は呆れたね…それでも遣い手か!!」



糞味噌に言う割には、表情が綻んでいる。

と言うか…ここは外らしい。夜空が見える。


ステラは体を起こした。取り敢えず支障はないが、魔力を使おうとするととにかく痛い…


「で…そっちは終わったの?」


終わられてたら色々と困るのだけど…


「すまんが…終わった。あと数分で噴き出すぞ」


ブリジットはばつが悪そうに横を向いた。

別にブリジットが悪いわけじゃないんだが…


「マジで?」


コクと頷くブリジット。


「…―――」


「…―――」


「はぁ…」


「何だ…何故ため息を付く」


「いや、魔力使うと全身激痛に襲われるんだよね…アレ、集中力いるじゃない? 大丈夫かなって…」


ヘラヘラ笑っているが、かなり深刻な問題だった。

しかし、そんな問題は紅胡蝶が一蹴してくれた。


――さっき全身に魔力を通しましたよね。なら大丈夫です。魔力の道は開通してますから――


柔らかい声だが、何故だが悪寒が…ゾクゾクとする何かが…


ステラは恐る恐る魔力を流してみる…痛くない…


「大丈夫…みたいだね…」


「ほぅ。なかなか丈夫にできているな」


ブリジットが茶化した。何なんだ…

ステラがムッとすると、くったいなく笑うので、どうしようもない…



その時だった。

辺りがまるで昼間のように明るくなる。


「また豪勢に噴き出したね…」


「抑制…頼むぞ」


ブリジットはまだ笑っていた。どうもネジが外れたらしい。


ステラはため息を吐き、ヴェルサイユの近くまで飛んだ。

何だが先ほどより体が軽い。



予め決めたポイントより大きくヴェルサイユよりの上空。


ステラはヴァイオリンを手に、魔力を高めた。


全てを静寂に…研ぎ澄ます…



『バーバー 弦楽のためのアダージョ』


とても落ち着いていて、哀愁を誘う。


全てを哀しみと慈愛で受け入れてしまわんとばかりに、包み込むような包容感…



悲しみが徐々に増していき、泣き叫ぶように盛り上がっていく。


そして泣きつかれ、全てを静寂へと誘っていく…


悲痛が…その曲だった。



音楽に魔力を乗せ、存在しない楽器までもが奏で出す。


結界を飛び出し街中にステラの音楽は広がっていった。

誰もが耳を傾け、雑踏は静寂していく。


街中がコンサート会場となり、観客は音楽だけを耳にする。


美しくも哀しみに満ちたアダージョを…




『世界の意志の力』は広がる事なく、最小限の噴き出しを維持し、固定化された。


宮殿への影響は事前にブリジットが何とかしたはずだ。


しかし疲れた…今日は魔力を使いすぎた…


ステラは手頃なビルの屋上に降り、ゴロンと夜空を見上げた。


そろそろ夜明けだ。少しずつ空の黒が青に近づいていってる。



「お疲れ様」


「ブリジット…」


ブリジットが何処からか来て、横に腰を下ろした。


「お前の見た祭壇…あれは忘れておけ。私にも全くわからん…今まで見たことがないからな」


ステラはガバッと起き上がりブリジットを見た。

まさにステラが考えていたことに釘を刺したからだ。


「…調べられないの…?」


「わからん…だが、今は無理だ…知ってそうな奴は二百年以上前に謎の死を遂げている。私には既に伝がない…」


二百年以上前…第一次世界大戦終結より前に、か。



「誰それ」


「聞いてどうする」


ブリジットは視線を合わせず、抑揚なく言った。

しかし、ステラの無言の圧力に負け、言ってくれた。


「……全く…ニコラス・フラメルだ」


ため息と共に言った後、チラリとステラの方を見ると…


「な…何だ…」


何かとても不快な視線を向けていた…


「あの~…もう一度言っていただけません?」


「ニコラス・フラメル」


「………マジで言ってる?」


「あ゛?」


ブリジットは軽くドスを利かせる。

それで怯むステラではないが、ちゃんと説明を付け足した。


「フラメル氏は14世紀に死んでるんだよ? なんで19世紀にいるのさ…」


ステラのその言葉で、ブリジットは稀にしかでない呆然顔が出てしまった。


そして頭を抱える。


失念していた…いつも一緒だったから忘れていた。ステラは知識面では常人なんだ…


「お前…もういい。少しは思考を柔軟にしてから聞け…」


ステラはキョトンとする他ない。


「とにかく! しばらくは忘れておけ!! 必要な事なら嫌でもわかるさ」


最後はステラに、というよりは自分にむけてだった。

本当に…知りたくなくても知ってしまうのだから…


そんな想いを読み取ったのか、その後ステラはその話題には触れなかった。


陽は東の空に顔をだした。

闇の静寂から世界を解き放つ光の祝福…



俺は明け方の静寂が一番好きだけどね。


ビルの上から夜明けを体験する二人。

決してロマンチックではない。でも、温かい何かが二人の間にはあった。



「行こうか…」


「そうだな…」


二人はビルから飛び出し、朝焼けの空を駆けていった。

冷たく、澄んだ空気が気持ちいい。ステラはなんだが笑いたい気分だった。






だが、事はこれで終わらなかった。





二人は郊外の人通りのない高台に降り立った。

パリの街が夜明けが一望できる。


しばらく風を感じながら、憂愁に耽るステラだった。

何だかんだ言っても、パリは楽しかった。


トラップ仕掛けながら観光もできたし、滞在中に色んな人と出会い、話し、笑った。


パリジェンヌともお近づきになれたし、ギャンブルも含めて楽しめた。


その街とこれでお別れと思うと、少しだけ…ほんの少しだけ寂しいと思った。


でも、これくらいが丁度良い。これ以上滞在してたら、楽しさに慣れてしまって普通になって退屈になってしまう。


短いからこそ輝くときもある…


「ステラ、行くぞ」


ブリジットの声で唐突に現実へと引き戻された。


「行くって…どこに?」


「ん? あぁ、まだ言ってなかったか。イギリスだ。ウェールズ地方のアバースワースへな」


「ふぅん…そう。飛行機?」


別段興味もなさそうな反応をするステラ。


「いや、船で行こうと思う。上空より海上の方がまだ戦い易いだろう?」


ブリジットもよく考えてる。飛行機で襲われたら乗客全員が犠牲になる…



それに不自然な点があっても、不慮の事故で片付く可能性が高い。


比べて海上なら、何もない海峡で船が爆破されるなどまず有り得ない。


テロ対策は万全だからね。


第一、人が持ち込める程度の爆薬では船は沈まない。

それが沈んだとなれば、国家総動員で原因解明にあたるだろう。


恐らく、ヴァンパイアに行き着いてしまう。

それを敵は良しとしない筈だ。


「そうだね。じゃぁ、港はどこにする? カレー?」


「カレーに行くならユーロトンネルを使うさ。ルアーヴルからジブラルタル海峡まわりでいく。そろそろ電車もでるだろう。いい加減行くぞ」


「はいはい」


ステラは背を向けて歩き出すブリジットを小走りで追った。その顔に微笑をたたえて。


そう。ここがステラの居場所なのだ。どこでもない、彼女のいるところが。





突然、背後で強力なフラッシュのようなものが焚かれた。


直後、爆音と爆風…

風にのって悲鳴や断末魔の叫び声が流れてくる…


破壊音、銃声、崩壊音…

悲鳴、怒号、混乱…


「え…?」


二人はわけがわからないまま、振り向いた。

眼に飛び込んできた光景は、理解することを拒絶したくなるものだった。

実際、飲み込めていない…


「パリが…燃えてる…」


「いったい誰が…何のために…」


飲み込めてからも動くこと叶わず…


シャンゼリゼ通りが、凱旋門が…壊れ、混乱と怒号に包まれる…


ビル群は次々と崩壊していく…

セーヌ川は血で赤黒く染められていく…



ブリジットは恐怖と驚愕を表情にだしていた。ここまではっきりと出たのは、出会った頃以来だ。


ブリジットの催眠結界が切れ、街が少しずつ賑わってきた直後の出来事だった。


こう遠くては、何が起こっているのかステラにはわからない。


ステラは請うような視線でブリジットを見た…


「僅かだが…魔力を感じた…」


その言葉で頭にチラついたのは、先ほど戦った二人のヴァンパイアだった。


「アイツらが…」


裏切られた失望感と憎しみがこみ上げてくる。


「それはない。私が保証する。しかし…ステラ、私の魔力に同調しながら街を見てみろ」


こみ上げてきた感情は引いたものの、いまだ収まらない感情があった。


しかし、ステラは素直にブリジットの魔力と同調する。


するとまるで千里眼を手に入れたように、街の細かな所までが見えてきた。


「まだ、私の監視網は生きている。何か解るか?」


ステラの炯眼を期待しての言葉だった。


「ごちゃごちゃしてて見ずらいけど…兵士…? 戦争なのか?…これ…」


「何だと!?」


「いや、違う… プロイセン軍の軍服だ。いくら何でも旧すぎる」


ステラの炯眼が煌めいた。


「兵士は全て幻影だ…戦車とか、兵器も軍隊も全部。これだけ大規模の幻影を生み出すなんて…」


ブリジットは何かを思考し、視点を変えた。

そこに映ったものは、空に浮かぶ黒い陰…


「やはり奴か…とうとう痺れを切らしたな…」


「コイツが元凶か…っ!!」


ステラは同調を解除して、今にも飛び出しそうだったが、ブリジットがグッと腕を掴んだ。


「お前のやれる相手じゃない…此処は退くしかない…」


「ふざけるなよ…ほっとけってか… 何も関係のない人を巻き込んでる奴を放っておくのかよ! 俺は別に正義の味方じゃない。だけど、故郷と…あの街だけは…っ」


ステラは物凄い剣幕でブリジットを怒鳴った。

しかし、すぐに憤りは引いてしまった。


「ステラ…」


ブリジットが必死に涙を堪えるのを見てしまったら、冷静になった。


ステラだけではない…


ブリジットだって、パリが楽しかったのだ。

それはステラと一緒だったのが大きかっただろう。それでもだ。


ステラは何度も見た。ブリジットが見た目同年代の人と楽しそうに話しているのを…


ギャンブルでも、あんな笑顔を見せてくれた…


ステラだけが殺意をおぼえてる訳じゃなかった。


「ごめん…」


「いい…わかってくれれば…行こう」



二人は高台を後にした。

憎しみと殺意、自らへの憤りを胸に…









「ふん…来なかったか、姫君」


パリの街は何ら変わらない姿をしていた。破壊の傷跡などどこにも見当たらない。


そんななか、ビルの屋上に一人の男が佇んでいた。

静か過ぎる街を眺めて、ひとりほくそ笑む。


若白髪の男は、次の瞬間には消えていた。




パリの街は何も変わってはいなかった。

街だけは…


もう、どんなに陽が高くなろうとも活気に満ちる事はない。

人の姿を見ることはない…


猫一匹いない…死都だ。

建物は修繕できても人はできない。


この不自然さ…これで逆に世界は彼らにたどり着けない。

街を棄てたようにしか見えないからだ。


誰一人として生き残りはいないからだ。


真実にたどり着ける者などいはしない…


餌に使われ、誰に知られるでもなく滅んだ首都…いや廃都だ。


時は流れ、また活気を取り戻すまでさほど時間はかかるまい。

なんせ建物は全て残っているから、人さえ住めば復活する。



全てを見越しての破壊だったのだ。







指揮は躍る


楽器は跳ねる


破壊と崩壊を奏で


悲しみと憎しみを奏する



一つの都が滅びゆき


二人の心を深く抉る


されど小夜曲は奏でられる


物語を綴るために



一つの都が滅びたとき


一つの都から



白い少女が飛び出した


楽器を片手に


演奏に加わるために…




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