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馬と結婚はできません

飼われるのも楽じゃない

作者: 田中週伍

 私が犬であった頃、――と言っても比喩的な意味ではなく、その名の通り四足のイヌ科の犬であった頃、飼い主である若き青年はのたまった。

「出来ることならお前と結婚したい」

 当世、異類婚は無理ですぜ。なんて、知る由もない当時の私は、実のところ結婚なるものが何を指しているのかも理解していなかった。まあ、ただの犬であるのだし知らなくても支障はない。

 とにかく、のたまった後、飼い主は大型犬とはいえ人よりは小さき私の体を拘束し、あまつさえ、私の頭に頬ずりをかましてきたのである。


 ここで一つ、重大なお知らせがある。

 犬が、落ち込んだ飼い主を慰めるというのは人間の思い込みである。

 言い過ぎた。なかには、そっと寄り添い慰めてくれる奴もいるだろう。しかし、少なからず慰めない奴もいるのだ。遠巻きにして、飼い主の負のオーラから己の平穏な世界を守ろうとする奴もいるのだ。

 私は無論、慰めない方だ。犬だというだけで慰めを強要・あるいは期待されるのは迷惑である。犬とて様々なものがいるのだと、人間は理解するべきである。

 負のオーラ全開の飼い主に、抱え込むように後ろから抱きつかれて頬ずりされた私は、だから、本来ならば拘束を嫌がり暴れて逃れるなりしていた。

 それでも、慰めをしないという信念を持ちながらも、その時は耐えた。耐えたのである。あまりにも、死にそうな声であったから。

 本来、死という概念は人間しか持たないのだそうだ。確かにそうであろう。一度体験した覚えがあるから、今の私は死を理解している。犬の頃は、死など考えたことが無い。だが、だからといって生きとし生けるもの死の概念はなくとも、命の危機はさすがに分かる。

 飼い主の声に、犬の私でさえビビっとくる危うさを感じたのである。頬ずりは煩わしいが、多少は優しくしてもいいかなって気にさせたのだ。本当はぬいぐるみをあむあむしたかったのに、日頃お世話になっていることだしと殊勝な心持で我慢したのだ。とても飼い主への思いやりに満ちている。が、慣れないことはするものではない。30秒が限界だった。いや、30秒はむしろよく持った方なのか?

 とにかくそれ以上は耐えられず、前足で飼い主の足の甲を踏みつけて抗議してみた。抗議の仕方も、優しくだ。まさに一生に一度の優しさ祭りだったが、やはり常にない事をするものではない。更にぎゅうぎゅう抱きしめられ苦しめられたのだった。

 犬の心、飼い主知らず。言葉が通じないということは、大方不便である。

 

 あの時のことで思うのは、飼い主は女性関係で何某かの悩みがあり、それの逃避の結果があのような言葉として出たのではあるまいかということである。

 犬であった頃、私の興味の幅は限られていて、「食う・寝る・縄張りの警備」が三大関心事項だった。その為、飼い主が落ち込んでいるのは気付いてはいたが、食べるに困らず睡眠も邪魔されず、朝晩の縄張りの警備にも支障が出ないとくれば、重要度は低かった。

 その上更に悩みを犬に吐き出すような人物でもなかったので、当時は何で落ち込んでいたのかさっぱり分からなかったのである。

 けれども、飼い主の落ち込んでいた時期に盛った雌のにおいが複数、当の飼い主の体からしていたことを鑑みれば、私の推測はあながち外れてはいまい。飼い主は、本人の望まぬモテ期とやらだったのだろう。

 

 その後、すぐに私は死んでしまったので飼い主の若き青年がどうなったのか、知らない。盛った雌が複数いたのだから、どうにかならないはずもないが、あまり想像したくない。

 幸多かれ、前飼い主よ。しみじみと願ってしまうのは、現飼い主もまたそうであるからなのか。


「出来ることなら――いや、お前とじゃなきゃ結婚しない」

 当世、異類婚は無理ですぜ。社会的にも宗教的にも禁忌だ禁忌、変態のそしりを受けたいのかこの変態め!と、すでに知っている(当然、結婚がなんであるかも知っている)私は、現飼い主である青年に向かって「ヒヒン」と鳴いて、冗談もほどほどになと鼻水を胸元につけてやった。

 馬の前足を足の甲に乗せれば、たちまち飼い主の青年の足が潰れてしまうから、抗議の仕方も昔とは変えてみたのである。

 そんな飼い馬の誉れともいうべき配慮をした私を飼い主は、あろうことかぎゅうぎゅう抱きしめてきやがった。我慢できないほどではないけども、首が締まって少々苦しい。馬は人間よりも力があって頑丈だから、この程度で窒息はしないのである。犬の時は苦しめられたので、今生は馬になってよかったなとつくづく思う。

 けれどもやっぱり、息苦しいから勘弁してほしいし、何気に飼い主の服に付けた鼻水がべちょりと自分に戻ってきてしまっている。本当に勘弁してくれ、私は綺麗好きなんだ。

 

 飼い主の足を砕く覚悟で、踏んづけてやろうかなと2・3度足踏みしていると、私の考えていることを察しでもしたのか涙目で離れていった。

「そんなつれないお前も好きだ。やっぱりお前とじゃなきゃ俺は結婚しないぞ!」

 初めからおかしかったが、最早馬に吐く台詞じゃない。

 一体何があったんだ。まあ、干し草ほどの興味もないけど、その柔い髪を一房むしり取ってもいいなら、聞いてやらないこともない。

 例えば、なんで髪だけから、いつもはしない馬の鼻にはきつい香水のにおいがするのかとか、むしった髪を吐き捨てて、地に落ちた髪を蹄で土に埋まるほど踏みつけてもいいなら聞いてもいい。

 クサイ髪の毛って、苛々する!

 寧ろ全部、むしろうか?冗談でなく。

 

「ベス、ベス、エリザベス。どうした、目が怖いぞ。まるで、嫉妬に狂った女のようだ。ま、まさか、あの女俺の愛しのベスにまで何か……?ベ、ベス!何をされた!あの女、俺のベスに何しやがった!」

 特に何もされていない。あの女ってどの女?である。もし、飼い主の頭の香水のにおいが「あの女」のものだとしたら、確かにクサさに苛々はさせられている。

 まあ、それ以上に飼い主の言動の方がウザくて、苛々が限界を突破したがな。たった今。

 どうすれば、私の気持ちに気付いてくれるのだろう。

 やっぱり、髪を全部むしるか。

 

 私の飼い主になる者は、女で悩む運命でもあるのだろうか。

 悩ましいことである。おもに、私が。


誰も納得してくれなくても、ジャンルは恋愛と言い張る。

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