ひねくれ者
お題は『飴あげるからさぁ、え?チョコがいい?・ひとりじめ・あともう一歩・でたらめな恋患い・夕陽の色に寂しくなった』です http://shindanmaker.com/35731
わたしは知っている。
公民科準備室は常勤の先生二人しか使っていないこと。片方の先生は職員室にばかりいて、基本的に政経の先生しか使っていないこと。
「あ、お前また勝手に入って……」
パイプ椅子に座ってココアを飲んでいると、この部屋――準備室の主が帰ってきた。
「職員会議お疲れさまでーす」
三十路の政経担当の先生。歳の割にくたびれた雰囲気がするのは、いつも少し曲がっているネクタイのせいだろうか。
先生は私の前を通り過ぎ、手に持っていた書類をデスクの上に置いた。そこに積み重なっていた紙の山が少し高くなる。
「一応ここには生徒が見ちゃいけない書類とかもあるんだぞ」
「鍵閉めない先生が悪い。それに書類に触れたりしてないし」
一人で使っているからか、単に性格のせいか、この部屋は散らかっている。目に余るので教科書を本棚に戻したりはするけれど、書類には触れないように気を遣っていたりする。だれかの成績とか見たら悪いし。
「ああ言えばこう言う。ココアも勝手に飲んでるし」
先生は恨めし気にわたしの手元を見る。
缶のココアではなく、カップに入ったココア。粉末タイプの水に溶けるココア。粉末ココアもカップもこの部屋にあったものだ。
「すねないでよ、先生。飴あげるからさぁ」
「話そらすな」
「え、チョコがいい?」
「……両方くれ」
先生は甘党だ。でも、最近は甘いものを買っていなくて、甘いものに飢えている。たぶん節約のため。
差し出したお菓子を受け取る先生の、左手の薬指には、指輪がはまっている。
「代わりにこれをやろう」
ポケットから干し梅の小さな袋を取り出して、わたしに渡してくる。すっぱいものを持っているところは初めて見た。というか、物々交換したいわけじゃないんだけど。
「節約のためにお菓子断ちしたのかと思ってた」
「それは追々。とりあえず甘いものを控えようと思って。糖分取りすぎってうるさくてさ」
誰が、と聞こうとしてやめた。わかりきっている。
まだ籍は入れてないらしいけれど、早くも尻にしかれてるんだな。干し梅のパッケージを見つめながら、そんなことを思った。
「部活はどうした」
ココアでも飲むのか、先生は準備室に備え付けられた流し台に立つ。
「行きたくない」
「なんで」
ひとりじめできるのはいまだけだから。
「一年生の指導ばっかりで練習できないんだよね」
「先輩失格だぞ、それ」
きっと生徒としてすら失格だから、いいんだ。
音をたてずに、先生の後ろに立ってみた。夕陽が差し込んでできた先生の影を踏む。
先生は気づいていない。わたしが何を考えているかなんて知らない。そうわたしが振舞ったから。
適当なことを言ってこの部屋に通うくせに、気づかれないようにしていた。近づきたくて仕方なかったはずなのに、あともう一歩の距離を縮められないでいる。指輪の気配だって、前から知っていたのに。
ひとりじめできるのはいまだけなんて嘘だ。もうひとりじめなんて叶わない。
「ん、どうした?」
おもむろに先生が振り返る。
きっと先生は、私が何を言っても受け止めてくれるのだろう。受け入れることがなくても。あともう一歩をつめる最後の機会だと、そう思いながら、わたしは口を開く。
「……影ふみ?」
足元を示すと呆れた顔で見下ろされる。そんな顔ばかり見てきたな、と思う。そしてなぜだか、先生の肩越しに見える夕陽の色に寂しくなった。
「わたし、部活行くよ」
「え?」
ココアを一気に飲み干して、先生に押し付ける。ついでに干し梅も。
「わたし梅好きじゃないんだ。じゃあね!」
言い捨てて、部屋を飛び出す。
適当なことばかり言った。適当なことばかりした。自分でめちゃくちゃにした、でたらめな恋わずらいだ。
茜色に染まる廊下を歩きながら、唇をかむ。カップの底に沈んでいた、溶けきらなかったココアの甘さがいつまでも残っていた。