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05 結婚はわた……王太子の夢

 秀麗なる笑顔を保ったまま、王太子は続ける。


「乳母の第一条件とはなんだ?」

「乳母の、第一条件でございますか……?」


(これは、一般的な乳母のこと? それとも王族の乳母ってこと? まずは御子にそぐう身分の出なきゃダメよね)


 乳母は使用人の一人とはいえ、ご母堂に代わって一手に御子の世話を引き受けるのだ、御子に与える影響は計り知れない。

 通常、王族の乳母になる女性は、侯爵や公爵などかなり身分の高い人物の細君が選ばれる。


(地位があること――いや、それは『第一条件』ではないかも)


 しばらく様々な点を考慮に入れて考えてみたものの、王太子の求める答えかと聞かれれば、自信はない。


「考え込むな。文字通りの『第一条件』だ」


 本人からフォローを受け、エリリアナは諦めたように口を開く。


「母であること……でしょうか」


 結局、王族という囲いを捨て、一般論で考えることにした。

 恐る恐るそう言えば、エーベルハルドは褒めるように笑みを深めた。


「そうだ。地位や教養、人柄は勿論重視すべき点だが、まずは母親でなければ話にすらならぬ」


 どうやら、彼女の答えは間違っていなかったらしい。

 しかし、どんどん酷くなる悪寒は何故だ。エリリアナはこの場から逃げたくなった。


「だからエルルゥ」


 エーベルハルド王太子が浮かべた、絢爛なる、それこそ詩人が見れば一首詠みそうな程完璧な微笑みに、彼女に泣きたくなった。



「結婚しろ」



 さらりと漏れた言葉に、エリリアナは固まった。


「で、殿下……?」


 かすれた声で、目の前の王子に尋ねる。


「恐れ入りますが、もう一度、おっしゃっては下さいませんか?」


 聞き間違いだろうという望みにかけて、エリリアナはエーベルハルドにすがるような視線を送る。

 彼はそれを愉快そうに受け止めると、きらきらと輝く黄金色の瞳を細め、口を開く。


「結婚だ、結婚。候補はこちらで既に選んでおいた」


 そう言って、その男らしく節ばってはいるが、長く整った指を彼女に渡した紙に向ける。

 男性の名が五名分書かれた紙。

 どうやらこれが、旦那候補のリストらしい。

 恐ろしい物にでも触れるように、エリリアナは紙をテーブルの上に乗せて身を離す。

 カールハイツがそれを覗き込み、「ほう」と呟いた。

 いや、助けて下さいよと、エリリアナは上司を仰ぎ見た。口を出してくれそうには見えない。


「……エーベルハルド様、了承致しかねます。確かに私は嫁き遅れの部類に入りますけれど、女官としてはまだようやく新人を抜けたばかりです。エーベルハルド様を含めた王族の方々や国に仕えるためにも、ここで身を引きたくはございません」


 貴族の女性は、嫁に行けば間違いなく家に縛られる。

 一番重要な仕事が、後継者を生み育てることなのだから、仕方ないかもしれない。

 子がそこそこの年になれば、希望次第で勤めに出ることは可能だが、現実としてはやはり厳しい。

 一応、名目上は伯爵令嬢であるエリリアナも、数年は間違いなく出仕できないだろう。


 だからご不興を買う覚悟で反論したのだが、エーベルハルドは嗤うだけだった。


「だからこそだ、エルルゥ」

「?」


 眉をひそめて彼を見る。もはや不敬とか関係ない。第一、六年の付き合いで今更だ。


「私は誰だ」


 顎を上げ、王者の風格でエーベルハルドは問う。


「エーベルハルド・フォイル・アセルナード王太子殿下でございます」


 何を突然と思いつつも答えると、エーベルハルドは満足気に頷く。


「そう、王太子だ。陛下も御年五十を越え、来年にはマルヴィータ姫のお輿入れもある。私が王位に就けば、我が子は世継ぎだ。優秀な乳母を付けたいと思うのは当然だろう」


 目を瞬かせ、エリリアナは王太子を見つめた。

 国王陛下に対する、通常なら暴言とも取れるセリフが放たれたが、エーベルハルドが数年以内に王位を引き継ぐのは、王城ならば誰もが知るところなので、問題はない。

 問題なのは、その次だ。


「ええと……エーベルハルド様。そのお話と私の結婚に、何の関係がございましょう……?」


 ひしひしと嫌な予感を覚えつつ、エリリアナは王太子に問う。


「決まっている。私はエルルゥを我が子の乳母にしたい」

「エ、エーベルハルド様……!」


 身に余る光栄なのだが、身に余りすぎて恐ろしい。


「イシュワルトの侍女になってから六年。この間ずっと、何処ぞの貴族といい仲にでもならぬかと待っていたものの、聞こえてくるのは男共を引かせる程の活躍ばかり」

「う」


 貴族の男性はやはり、たおやかで守りたくなるような女性が好みだ。

 いくら言葉遣いが丁寧でも、エリリアナには異世界に渡ろうが若返ろうが、真似出来ない性質。

 貴族令嬢らしからぬ貪欲さで、勉学や土いじり、護衛術に魔術まで手を伸ばした彼女は、確実に貴婦人とは言えない。


「下手すれば私にはあと数年で子が出来るであろうに、貴女には男の影すらない。いい加減この辺りで決めてもらわねば、我が息子に乳兄弟を与えてやれぬではないか」


 彼女の能力を買ってくれているのはありがたいが、結局は自分の為というエーベルハルドの発言に、彼女は疲労感を覚えた。


「安心しろ、エルルゥ」


 そんな彼女に、エーベルハルドはにたりと笑いかける。


「王家に忠誠が厚く、乳母として働くことに理解のありそうな、身分の高い男を選んでおいた。エルルゥの子が我が子の伴侶になる可能性も踏まえ、見た目もきちんと考慮に入れておいたから、楽しみにするがいい」

「楽しみになんて出来ませんよ!」


 思わず悲鳴を上げれば、エーベルハルドが立ち上がる。

 さすがに図に乗りすぎたかと一瞬頭を下げかけたが、今まさに彼女の人生を左右させようとしている相手に、下手なことはできない。心を抑え、間近までやって来たエーベルハルドを真っ直ぐ見つめる。


「これは次期国王としての命令だ。別にそれ以外の男とくっついても良いが、今年中に結婚はしてもらうぞ」

「エーベルハルド様!」


 横暴だという批判を込めて睨みつけたが、王太子はそれに全く怯むことなく、彼女の手を取った。


「先ほど、『何でもする』と言ったではないか」

「そ、それは……!」


 こんな話が飛び出してくるなんて思わなかったからだ。だが、それを言える状況でも立場でもない。


「男慣れしていないエルルゥには酷だろう。しかし貴女を乳母とする我が夢が破れたら、私はそのショックでエルルゥを何処か遠方に追いやってしまうかもしれん。そうなったらイシュワルトはどう思うだろうな? ただ一文のカードを渡すだけの交流を楽しみにする、貴女を母とも姉とも慕う我が弟は」

「っ!!」


 美麗な微笑みをたたえた相手から放たれた、ド直球の脅し文句に、エリリアナは言葉にならない声をぱくぱくと漏らした。

 後ろで、「下郎も驚く悪党ぶりですね」と、カールハイツが呟いている。


「あくまで仮定の話だ」


 肩をすくめる相手に、エリリアナが怒りを覚えたのを誰が責めよう。


「まあ、気を張るな、エルルゥ。後見は私だ、へたな男に貴女はやらん」


 エーベルハルドはそう言ってエリリアナの手に貴公子の口付けを落とすと、そのまま部屋を後にした。


「詳しい話は、追って使いを出す」


 そんな言葉を最後に残して。

 王太子と護衛騎士の背中を呆然と見送ったエリリアナは、その後もしばらく、カールハイツに声をかけられるまでその場を動けなかった。


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