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04 誉め殺しの殺意

「イシュワルトが国を出てから半年だな、エルルゥ」


 彼――イシュワルトによく似た面立ちから放たれた名前に、エリリアナの胸がちくりと痛む。

 イシュワルト・フォイル・アセルナード第三王子。

 彼女の天使。

 彼は半年前、第一皇女の婿として隣国に向かったばかりだ。

 今もなお、別れる際の彼の顔を思い出すと、胸が痛くなる。たった一人、添い臥しを終えたばかりの十二の身で他国に行ったかつての主人は、どんな想いでいるのだろうか。


「そんな顔をするな。あやつは貴女のおかげで、立派な為政者になるだろうよ」

「ありがとうございます……」


 どんな顔を彼女が見せたかは自分では分からないが、気を遣われたくらいなのだから、情けない姿だったには違いない。


「そんなエルルゥに、イシュワルトから書簡が届いている」

「イシュワルト様から!?」


 エーベルハルドの手のひらでゆらゆらと揺れる、メッセージカード。

 それに飛びつかんばかりに手をのばしたエリリアナの指先が触れるよりも早く、エーベルハルドはそれを再び懐に仕舞い込んだ。


「殿下!」


 思わず、貴族の礼儀も忘れ抗議する。

 にやーっと、どんなときでも美しさを翳らせない顔が、悪魔のように微笑んだ。


「これを渡すには条件がある」

「条件?」


 待てと言われた犬の気持ちがとてもよく分かったと、エリリアナは唇を噛み締めた。


「何でも致しますから、そちらをお渡し下さいませ……っ」


 そう言うと、エーベルハルドは彼女にカードを手渡す。

 国外の、しかも皇家からの書簡だ。内容はいたってシンプルだった。


『月夜は此方も変わらない』


 取り上げるように受け取ったカードには、その一文のみ。

 しかし、それはイシュワルトがまだ幼い頃に彼女に告げた言葉を知っていれば、違う意味になる。


 真っ黒な髪に、薄茶の瞳をしたエリリアナ。

 光のような金色の髪に、蜂蜜色の瞳をしたイシュワルト。


 イシュワルトとこっそり行っていた夜のお茶会で、彼はよく言っていた。


『エルルゥの髪は夜みたい。ボクの髪は金色だから、お月様でしょ? 二人合わせれば夜空の月。どこに行っても、この空みたいにいつも一緒だよ』


 そう、六つから十二になるまで一緒にいた、子供のような弟のような彼女の天使――イシュワルトは、ふわふわの砂糖菓子のように微笑んだのだ。

 六歳になる頃には既に隣国に行くことが決まっていたから、離れていてもと、そう言ったのだろう。


 エリリアナは、受け取ったカードを宝物のように、きゅっと胸の前で抱きしめた。


「……エルルゥの廷臣ぶりにはまことに感心する」


 その様子を見て、エーベルハルドはため息のような音と共に言葉を吐いた。


「国を離れてなお、そこまで主を想う者は少ない。あやつは幸せだ」

「勿体ないお言葉でございます。……私こそが、イシュワルト様の成長を御傍で見ることが出来た幸せ者なのですから」


 やんちゃな、弟のような息子のようなイシュワルト。

 母も乳兄弟もいない彼が頼れる人間でいようと、必死に努力した六年間。彼女を慕うイシュワルトがいなければ、言葉も文化もまるで違うこの異世界で、この王城で、心折れずにやっていくことは出来なかったと、彼女は思う。


 小さな王子に想いを馳せていると、エーベルハルドが声に出して笑う音が耳に飛び込んできた。


「貴女は相変わらず面白いな。侍女時代の破天荒ぶりを散々見てきた私としては、目の前にいる淑女と本当に同一人物なのか、記憶に自信をなくす」

「で、でんか……」


 一気に顔が羞恥で熱くなった。

 確かに、現代人としては普通でも、この世界の貴族令嬢としては相当型破りな事をしてきた自覚はある。調理や薬草栽培や護衛術は、淑女は普通やらない。


「有能さには変わりありません。それで良いのでは?」


 恥ずかしさで消えてしまえたらとエリリアナが考えていると、カールハイツから助け舟が出た。「師匠ー!」と気分的には飛びつきたいところだが、さすがに止めておく。


 エーベルハルドが、猫のように目を細めて、身を乗り出す。


「そうだな。なにせ当代一の『暴君』を、未来の女帝陛下に相応しい婿に育て上げたのだからな」


 人の悪い――多くのご婦人方は反対意見だろうが――笑みを浮かべながら、エーベルハルドはそう言い放つ。


「エーベルハルド様」


 羞恥心を吹き飛ばし、ねめつける様に王太子を見れば、彼はくっくと、声を漏らした。


「ああ、エルルゥはその呼び方が嫌いだったな」

「イシュワルト様は暴君などではございませんから」


 エーベルハルドは、からかいを含めてよくイシュワルトを『可愛らしい暴君』と呼んでいた。

 確かに、護衛は撒く、勉学は抜け出す、悪戯は度が過ぎる、物は壊す、侍女を次々と首にするといった事をしょっちゅうやらかしていた六歳のイシュワルトは、小さな台風だった。


「そうだな、貴女が根気よく直してやったのだから」


 エーベルハルドが肘掛に片腕を置き、頬杖をつく。長い指が、面白いものを見るような顔に添えられる。


「護衛を撒けば、貴女を姉とも母とも慕うイシュワルトから同じだけ身を隠し、勉学が嫌だと言えば、『では一緒に学びましょう』と隣で教えを受け、物を壊せば欠片まで自分で直させる」


 思い出したかのように、エーベルハルドは笑い出す。

 そして、「他に何があった、クラエス?」と可笑しそうに背後の騎士に声をかける。


「毒見が倒れたと聞き、『私が最後の砦に』と薬師に頼み込み薬学を学んでいらっしゃいましたね。魔術による襲撃では、ご自分の身体でイシュワルト殿下を庇われたこともあったかと」


 クラエスが、少し考えた後に、そう付け加える。


「ああ、毒見のせいで冷めた食事のみ取られていた殿下に温かい食事をと、自ら料理したこともありましたね。食材の入手経路から調理器具の洗浄方法、第三者による調理中の監視まで、各責任者の署名まで入った企画書を提出された時には、さすがに驚いたものです」


 カールハイツが、さりげなく話を引き受ける。窓の方を見やり、「そう言われると最近テンプラを食べていませんね……」と哀愁のようなものを漂わせて呟いた。

 これは、かつて振るった手料理第一号の天ぷらを用意しろという命令なのだろうか。

 日本料理はその後も何度も作ったが、カールハイツは、イシュワルトを除けばおそらく一番それらを好んで食べてくれた人間だ。この国の人からしてみれば珍妙な物ばかりだと言うのに、ありがたいことだと思う。


「――とにかく、あの問題児をあそこまで変えてくれた事に、王太子として、兄として、私は賞賛を惜しまぬ」

「殿下……」


 じんと、エリリアナは感動のあまり胸がいっぱいになる。

 まさか、王太子殿下から、それほどのお言葉を頂くとは。


(苦節七年。アリナーデのスパルタ教育から始まったこの生活も、無駄じゃなかったのね……!)


 エーベルハルドが、優しく包むような笑みを、エリリアナに向ける。


「エルルゥが侍女として、いや乳母として、これ以上ないほどの働きを見せてくれたことに、異論を唱える者はいまい」


 そう言って、視線をクラエスに向ける。


「ええ、エリリアナ殿はどの乳母と比べても、遜色ございません」


 あっさりと無骨なクラエスに同意され、エリリアナの頬にさっと朱が走る。

 正しくは侍女なのだが、付き従うだけでなく教育にも口を出していた手前、乳母という認識は間違いではないかもしれない。

 全くされたことのない誉め殺しに、一人感動していると、さらにエーベルハルドから声がかかる。


「まこと、『乳母』として、期待以上によくやってくれた」


 美しい艶を含んだ微笑みに、エリリアナは何故か肌が粟立つのを感じた。

 あれ? 身に余る賞賛のお言葉なのに、何故だろうと、エリリアナは先ほどまでの笑みを引き攣らせた。

 美麗の王子は、さらに続ける。


「さて、エルルゥ」


 射抜かれるような視線に、エリリアナは本格的に身を縮める。恐れることなど何一つないはずなのに、この謎の悪寒はなんなのだろう。



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