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27 晩餐の次は

 図書館から出て、カールハイツに移動陣で中央まで送ってもらったエリリアナは、急ぎ足で自室に戻った。

 カールハイツは一度執務室に魔術書を置いてくると言うので、彼女も一度自室に下がらせてもらうことにしたのだ。

 彼に告げた目的は荷物を置くことだが、本音は別にあった。


(ああもう、宮廷マナーの覚書、どこに仕舞ったっけ!?)


 自室の机を漁りながら、エリリアナは心の中で悪態をついた。

 彼女の自室は、中央寄りの左翼部にある。女性には色々準備もあるだろうからとのカールハイツの気遣いで、彼とは宰相執務室前で待ち合わせることになった。とは言っても、あまり捜索に時間はかけられないだろう。


(色々準備って、むしろ何をすればいいの)


 さすがに晩餐用のドレスは求められないと思うので、靴を履きかえて服や化粧の乱れを直すくらいがせいぜいである。カールハイツの発言に、深い意図はないのだろうが、言われたエリリアナとしては何かしら『準備』をした方がいいのではないかと思えてしまう。

 彼女はため息をつくと、覚書の捜索を諦めた。よく忘れがちな礼儀作法だけをメモしたものとはいえ、今更確認したところで遅すぎるだろう。

 とりあえず、小さなハンドバッグに扇子とハンカチを入れ、普段ほとんど身に付けない首飾りと髪飾りを付けることにした。レース飾りのついた手袋をはめて、いつもよりヒールの高い靴を履く。


「アンヌ=マリー、変なところはないかしら?」


 同室の伯爵令嬢に尋ねれば、彼女はクリーム色の長い髪を編み込みにしながら、首を振った。


「ございませんわ、エリリアナ」


 王城で働く貴族子女は、殆どが伯爵家までだ。侯爵家はめったにおらず、いても一年程度の行儀見習いで終わる。公爵家に関しては、さすがに外聞の方が重要になる為ゼロ。伯爵家の子女ですら、基本は二、三年で勤め終えるのだから、七年目のエリリアナも、四年目に入るアンヌ=マリーも、城内では非常に稀な存在だった。

 おっとりとしたアンヌ=マリーは今年で二十歳になるせいで、最近実家が色々うるさいらしい。四女だというのに大変なことだと、エリリアナはつい他人事のように思ってしまう。


「珍しいことですのね、エリリアナが晩餐の準備をなさるだなんて」


 言われて、エリリアナはぎくりと身を震わせた。

 城内にいる婚約者と日常的に晩餐を共にするアンヌ=マリーと違って、滅多に上食堂には寄りつかないエリリアナが、こうして服装を整えているのが珍しいのだろう。


「季節外れの雪だって、たまには降るでしょう?」


 多感な年ごろの女性に外れることなく、アンヌ=マリーは恋愛話が大好きだ。二人きりの男女を見ただけで、あの二人は怪しいと、侍女仲間と話に花を咲かせている。御年七十の老子爵だって、その対象から外れることはない。


(カールハイツ様とご一緒するなんて知れれば、一体どんな邪推をされることか)


 エリリアナは、アンヌ=マリーには相手の事は黙っておこうと決意した。もっとも、上食堂で一緒になってしまえばその意味もないのだが、この後のことで頭が埋め尽くされていたエリリアナが気付くことはなかった。


「まあ、エリリアナはお料理がお好きですものね」


 まるで食い意地が張っているように聞こえるじゃないかと反論したくなったが、藪をつつきたくはないので堪えることにする。


「そういうこと。そのついでにアンヌ=マリー。久方ぶり過ぎて心配なのだけれど、あの場での礼儀作法で特に注意すべきことって何かしら」

「随分と難しいことを聞かれますのね」


 アンヌ=マリーは手を髪から離すと、可愛らしく小首を傾げた。


「エリリアナの場合は、作法ではなく心構えだと思いますの」

「心構え?」

「ええ。失敗しない、隙を見せない……そういう姿勢は大切ですけれど、エリリアナはもう少し力を抜いた方がよろしいと思いますわ」


 力を抜けと言われても、それが難しい。エリリアナは困ったように、眉を寄せてアンヌ=マリーを見つめる。彼女はエリリアナを安心させるようにふわりと微笑むと、頬に片手を当てて続けた。


「エスコートする立場の男性よりも、女性は楽なものです。失敗しても、隙を見せても、それを『儚げ』やら『私の前だから』と好意的に曲解してくださるのですから」

「アンヌ=マリー……」


 のほほんとしているように見えて、彼女は充分したたかだ。そこがエリリアナが好きなところでもあるのだが、婚約者のこの先の苦労が推し量られる。

 エリリアナは苦笑を浮かべると、アンヌ=マリーに礼を述べてバッグを手に取った。マナーについて言われなかったということは、自分のマナーは見られないレベルではないのだろうと判断する。

 部屋を出る前に振り返って手を振ると、アンヌ=マリーは「後でお相手の事聞かせてくださいな」と微笑んだ。 エリリアナはさも聞こえなかったという素振りで、そそくさと部屋を後にした。



 * * *



 執務室の前で、エリリアナは二、三度深呼吸してから手を上げる。今ならノルディの気持ちが分かる、とエリリアナはこぶしを握りしめた。

 軽く二度扉をノックすれば、返事もなく扉が内側に開く。


「お待たせ致しました、ドナウアー宰相」


 扉を開けたカールハイツに、エリリアナは声をかける。


「いえ、こんなもの待ったうちに入らないでしょう」


 カールハイツは執務室の扉を閉めると、佇むエリリアナに手袋に包まれた片手を差し出した。

 先ほど見た服装と同じかと思いきや、金古美(アンティークゴールド)調の縁取りがなされた黒の上着に変わっている。侯爵家の紋章を模った同色の襟飾りから、ポケットに向かって繊細な鎖が伸びており、見慣れたはずの漆黒色の上着を違った印象にしていた。

 年を経た静かな表情に、常に乱れぬ姿勢と長身、そこに僅かな華やかさが加わって、慣れ親しんだ上司が目の前に立っているだけだというのに、何故かエリリアナは圧倒された。


「どうしました」

「っ」


 表情の変わらぬカールハイツに声をかけられ、エリリアナは我に返る。先ほどから差し出されていた手を初めて視界に入れて、エリリアナは縮こまった。


「も、申し訳ございません。いつもと勝手が違うものですから、何だか戸惑ってしまって」


 おずおずと手を持ち上げ、僅かに触れる程度にカールハイツの手に乗せる。半年の間で慣れてきたはずの、カールハイツ・ルノ・ドナウアーの隣がやけに緊張したものに感じられる。

 彼女のヒールを気にしてか、常よりもゆっくりとしたペースで進みながら、カールハイツが「ふむ」と呟いた。


「言われてみれば、確かに貴女と公式の場で顔を合わせたことは殆どありませんでしたね」

「お恥ずかしながら、そうした場は極力避けておりましたので……。イシュワルト殿下の練習相手としてならば、幾度か参加したこともございますけれど」


 何が悲しくて、パートナー同伴が基本の公式の場に一人で参加しなければいけないのか。勿論、一人で参加がいけないわけではないし、会場に入ってから相手を探すことも可能だ。しかしエリリアナは、そこまでして夜会や舞踏会に参加する利点を見いだせなかった。

 確かに人脈づくりには役立つのかもしれないが、それだけが目的ならば、王城で出会う人々や彼女らに誘われる茶会で充分だと思っている。


「貴女は本当に、華やかな場が苦手なようだ」

「……あまり性に合わないのです。ドナウアー宰相は、度々お出でなのですよね?」

「立場というものがありますからね。仕方がありません」


 その声は『仕方がない』というには僅かに苦いものが含まれており、エリリアナは少しだけ緊張がほぐれる思いだった。

 いつも見ているのとは異なるカールハイツに妙に力が入ってしまったけれど、彼女よりも頭一つ分背の高い隣の男性は、よく見知った相手なのだと思うことが出来た。


「それで、エリリアナ」

「はい、いかがなされましたか?」


 だから、カールハイツに呼びかけられても、エリリアナは特に身構えることなく聞き返した。


「貴女は一体、何を持ち出したのです」


 目だけで彼女を見下ろすカールハイツに、エリリアナは「うげ」と言わなかった自分を褒めたいと思った。表情が変わらないだけに、その視線が恐ろしい。無意識に身を引こうとしてしまった彼女の手を、カールハイツの指が包みこんだ。


「ええと、ですね」


 言い淀むエリリアナだったが、さすがに逃げようもないと観念した。


「魔術陣の基礎教本をお借り致しました……」

「貴女の利用は制限してあったはずですが、どのように」

「その、他の方に協力して頂きまして、その方から……。で、でもですね、その方には私の方から無理を言ったのです。ですからどうかその方には何も……っ」


 彼女がか細い声でそう告げれば、カールハイツは形の良い眉を僅かに寄せる。その視線にエリリアナが情けない顔を見せると、カールハイツは息を吐いて前を向いた。


「――誰に協力してもらったのかは大体予想がつきますし、基礎教本に関してもこれ以上文句を言うつもりはありません。侍女の頃を思えば、貴女があの程度で大人しく諦めるなどと判断した私の方が間違いだったのです」

「ドナウアー宰相……」


 信頼が痛い。

 エリリアナは上司が抱いている自分へのイメージに、改めて軽くショックを受けた。もっとも、呆れたような、脱力したような音を滲ませるカールハイツの方が被害者だろう。

 申し訳なくカールハイツを見上げれば、彼の藍色の瞳と視線がかちあう。カールハイツは彼女の目に視線を合わせたまま、目を細めた。


「図書館への立ち入りと魔術陣の研究。違反は二つですか」

「え」


 びくりと身体を震わせるエリリアナに、彼はゆるやかに口の端を上げ、刑を宣告する。


「今度は夜会にでも付き合ってもらいましょうかね」

「カ、カールハイツ様、それだけは……それだけはどうか……!」

「近々開かれる夜会はどの屋敷だったか」

「カールハイツ様……!」


 誰も周囲にいないせいか、エリリアナは再度役職名ではなくカールハイツの名を呼んでしまった。それほどまでに、告げられた言葉が重い。

 窒息しそうな程きついコルセット。筋トレかと疑いたくなるような重いドレス。常にキープしなくてはいけない微笑に、皮膚呼吸を妨げる濃い化粧。さらにはちくちく、ちくちくと、結婚していない彼女に注がれる皮肉の嵐。そこに何十分も続くダンスとか、完全に拷問だと彼女は思う。

 必死に続けるエリリアナの懇願をカールハイツは華麗に聞き流しながら、二人はいつの間にか上食堂へと辿りついた。

 

(結局否定して頂けなかった……)


 まだマナーを終始気にしなければいけない食事の前だというのに、エリリアナは既に疲労感で座り込みたくなっている。

 どちらからともなく手を離した二人は、大きく開かれる扉の前で立ち止まる。カールハイツは腰に手を当てるような姿勢を取り、エリリアナはそんな彼に腕を絡めた。

 儀礼的な行為だというのに、硬く引き締まった腕に預けるように手を乗せ距離を縮めると、嫌でも変な力が入ってしまう。


 彼の秘書官として働いて半年程経つが、アクシデント以外でこれほど密着するのは初めてだ。口紅のせいでもなく、妙に唇が渇いた。


(カールハイツ様は、もう慣れてるとかいうレベルじゃないんだろうけど)


 宰相で侯爵ともなれば、断れない式典や夜会など数多くある。貴族子息としての義務が発生してから三十年以上経っているのだから、踏んだ場数はもはや数えきれないはずだ。

 まして、ここにいるのはエスコート相手というより食事相手。余計に気を張る必要がないのだろう。

 案の定カールハイツは平素の様子を全く崩さないまま、給仕と二、三言、言葉を交わしている。


「行きますか、エリリアナ」

「はい、ドナウアー宰相」


 食堂にいる人間は、宰相の連れている相手が秘書官だと知っているから何の邪推もしないだろうが、エリリアナはそれでも妙に思われまいと背筋を伸ばした。顎を引いて、微笑みを唇に乗せる。

 カールハイツの歩みにつかず離れず、エリリアナは高位貴族たちが食事を続ける広間へと入って行った。



 そして食事は意外にも問題なく進み、仕事の話やら時事問題、はたまた社交界の噂話などで会話も途切れることなく続いた。

 担当者が気を利かせてくれたのか、それともカールハイツの固定席なのか、他のテーブルから充分に離れていることもエリリアナを安心させた。少なくとも、彼女たちについて噂する話し声が、他の席から聞こえてくることはない。視線は時折突き刺さるけれど、無視出来ないほどではなかった。

 至って普段通りのカールハイツが正面にいたのも、彼女が怯えなくて済んだ一因だろう。


「あと一品ですが……問題ありませんか」


 食が細いどころか、二十代男性と同じくらいよく食べるカールハイツは、普段の涼しげな表情を崩さないまま殆どの料理を平らげていた。

 一方エリリアナは、普段よりきつめに締めているコルセットのせいもあり、満腹どころではない。


「問題は、ないわけではありませんけれど……ケーキは逃したくありません」


 食事の前にコースを説明された限りでは、今日のデザートは三種苺のミルフィーユだ。今にもコルセットが弾けるんじゃないかと言うほど苦しくても、それだけは外せない。

 きりりと表情を引き締めて宣言すれば、カールハイツは僅かに苦笑めいた表情を浮かべて息を吐く。


「貴女は本当に甘い物が好きですね」

「食後の甘い物は何物にも代えがたいですから。今後の参考にもなりますし」

「参考?」

「美味しいお茶請けが作れたら、カールハイツ様にも差し入れ出来ますでしょう?」


 彼女がそう言えば、カールハイツは今度は間違えようもなく苦笑に近い微笑を浮かべる。

 ここで、貴族令嬢が調理など、と小言を言わない上司が有難いと彼女は思う。


「……それでは、期待して待つことにしましょう」

「はい、あまりお待たせしないように努めます」


 そんな話をしているうちに、給仕がデザートを持ってくる。

 テーブルに置かれたのは、ケーキ自体からソースまで綺麗にデコレーションがされた一品で、手元にカメラでもあればなあと思わせる程美しかった。


 エリリアナは満面の笑みで銀器を手に取り、それを眺めていたカールハイツが僅かに目を細めた時、誰かが慌てて駆け寄ってくる気配がした。


「ドナウアー様、お食事中大変失礼申し上げます……!」


 それはローブを着た魔術師で、エリリアナも見知った相手だ。宮廷魔術師の副長を務める彼が、ここまで慌てることは珍しい。エリリアナは首を傾げて、ケーキに振り下ろそうとしていたフォークを置いた。

 副長がカールハイツの耳元で何事か囁くと、カールハイツがはっきりと顔を顰める。


「――分かりました。会議室の手配を」

「畏まりました!」


 副長はカールハイツに頭を下げ、知り合いであるエリリアナにもすまなそうに会釈をして、その場を立ち去った。

 その直後、カールハイツはナプキンをテーブルの上に置き、エリリアナに声をかける。


「エリリアナ、少々用事が出来ました。貴女はゆっくりしていきなさい」

「カ――ドナウアー宰相、しかし……」


 慌てて共に席を立とうとしたエリリアナを手で制し、カールハイツは席を立つ。彼女の隣までやって来ると、腰を屈め、エリリアナの耳元で囁いた。



「王都内に、魔物が現れました」



 ありえない、あってはいけないことを告げ、カールハイツは「最後までエスコート出来ずに申し訳ありません」と付け加えて広間を去って行った。



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