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19 あなたとランチを

 部屋から出たエリリアナは、未練がましくゆっくりと廊下に出てきたリンクスことノルディにそっと視線を送る。


「……何だよ」


 ここまで態度が変わるかと言いたいほど、今のノルディは不機嫌そのものだ。

 しかしエリリアナは彼の鬼面に負けることなく微笑みを浮かべ、ノルディに声をかける。


「未熟者ですけれど、私、いつでもノルディ様のご相談にのりますから」

「はあ?」


 優しく言ったエリリアナに、ノルディは顔を顰めて聞き返した。


「大丈夫です、口の堅さには自信があります。誰にも言えないのは、苦しいでしょう。私のことは案山子だと思って、胸の内を話して下されば、きっと心の病も少しは――」

「勝手に人を病人にするなよ!」

「ご安心ください。多重人格も時と適切な療法により、人格は問題なく統合されると聞き――」

「だ・れ・がっ、多重人格者だ!!」


 今にも憤死しそうなノルディに、さすがにからかい過ぎたかとエリリアナは反省した。後悔はしていない。


「失礼致しました。ただドナウアー様がお好きなだけですよね?」

「……」


 顔を怒りの赤から羞恥の赤に染め、そっぽを向いたノルディが整った外見も加わって可愛らしく、考え足らずにエリリアナは付け加えた。


「私は同性愛も立派な愛情の一つだと理解して――」

「君、頭沸いてんの!? ただの尊敬に決まってるだろ!」


 エリリアナを殺しかねない表情で告げるノルディに、さすがにエリリアナも口を閉じる。ここで「皆様最初はそう言うのですよ」とか言ったら、間違いなく魔法で消滅させられる気がした。

 蛇足だが、この国において同性間の婚礼は認められていない。だが王城には、そうした嗜好の人々も少なからず存在するし、圧倒的に少数ではあっても黙認されているカップルもいる。


「冗談です。ドナウアー様が名で呼び合う方は珍しいですから、よほど親しい間柄だとは思いましたけれど」


 そう言えば、憤怒の表情だったノルディが、目に見えて大人しくなった。彼の頭に獣耳がついていたなら、一瞬で垂れ下がったに違いない。カールハイツと『親しい』と見なされたのが嬉しいのだろう。


(……かわいいな、このカールハイツ様関係限定ワンコ)


 軽口を叩きたくなったが、命が惜しいので止めておく。

 彼はそっと視線をずらして、呟いた。


「別に……『イオの内襲』のせいで気にかけてくださるだけで……」

「『イオの内襲』?」


 尋ね返した途端、ノルディが表情を失った。

 王城という貴族社会では稀有な、豊かな反応が一瞬で失われるその様は、浮ついていたエリリアナに冷水を浴びせるには充分だった。

 踏み込んでいい領域を見極めるのは、貴族社会における処世術の基礎中の基礎。相手の事情に踏み込みすぎて、機嫌を損ねるだけなら良し。下手をすれば冗談抜きで命に関わる。


「ええと……」


 瞬時に、話を変えようと脳内データベースから適切な話題を検索する。が、ノルディが何に興味を持っているかなど勿論知らない為、場を和ます話題など見つからない。


「私はこれから食堂に向かいますけれど、ノルディ様はいかがされます?」


 結局出てきたのは、女官としてはベテランという評価の後ろに笑いが付きそうな言葉だけ。


「棟に帰る」

「そう、ですよね」


 当然ノルディからは、魔術師棟に戻るという選択が告げられた。

 ノルディとは業務の関係上一緒にいただけだ。どうやらカールハイツを“尊敬”しているらしいノルディは、宰相に会うダシとして此処まで彼女に同行していたのだろうが、それが済んだ今留まる理由は何もない。

 エリリアナにとっては至極予想通りの答えだから特に反応することでもなかったのだが、思わず出た声はノルディにどう取られたのだろうか。彼は蝋人形のごとく冷たく整った表情を僅かに顰めて、彼女に視線を戻した。


「……」


 しかしノルディは別に何も言うことはない様子なので、エリリアナは最後に軽く頭を下げ、再度助けてもらった点と、これから彼の指揮下に加わる点に言及する。


「今日はまことに有難うございました、ノルディ様。これからも宜しくお願い申し上げます」


 それだけ告げ、踵を返して右翼部にある食堂へ向かおうとする。

 昼時は過ぎてしまっているが、早いところ食べて執務室に戻り、カールハイツがまだ昼食を終えていないのならその準備をしなければいけない。


「トゥルク」


 次の業務について考え始めたエリリアナが数歩進んだところで、ノルディの声がかかった。

 普段呼ばれない姓を呼ばれたために若干反応が遅れたが、立ち止まって振り返る。先ほどと全く同じ位置に佇むノルディが、顔を険しくして廊下の床に視線を落としていた。

 エリリアナが振り返ったのは気付いているはずなのに、中々言葉を紡ごうとしないノルディに、エリリアナは無言のまま一歩近寄った。


「……朝から何も食べてないし、もう昼過ぎてさすがに空腹は感じてるし、糖分は頭脳作業には不可欠だし……」


 ぶつぶつと口の中で呟く彼の声は、正直かなり聞き取りづらいのだが、かろうじて内容を理解すると共に、大量の疑問符が彼女に浮かぶ。

 「で?」と思ったが、何も聞かずに待っていると、ノルディが顔を上げた。


「――上司として、君がちゃんと食堂に辿り着けるか確認する」


 噴出さなかった自分を誉めてやりたい。

 咄嗟に口元に手を当て、エリリアナは横を向いた。


(つまり……一緒に食堂に行くって言うのに、こんなに言い訳が必要なの?)


 なんて素直じゃない! でもちゃんと言えたのね、偉いぞ! ……そんな言葉を心の中に浮かべつつ、思わず駆け寄って某動物王国の方のように撫で回したくなったが、痴女扱いされかねないので、必死で堪えた。

 ノルディに聞こえないように、大きく息を吐く。


(気位の高い人って、基本ツンデレなのかね)


 下は七歳位の子供から、上は七十程の老貴族まで、素直じゃない人間が王城には多すぎるのだ。いつか誰かに『貴族言葉翻訳事典』とか出版して欲しいと、エリリアナは心の底から願っている。もっとも、裏読みがデフォルトの貴族社会では、素直に物申したところで曲解される可能性が高いけれど。

 脱線しかけた思考を現実に戻し、笑顔を押さえ込みながら顔を正面に向けたエリリアナの目に、ノルディの姿が映る。


「……」


 僅かに耳が赤くなっており、自分でも無理があったと自覚しているのだろう。このまま間を空けては、前言を撤回されそうだ。


「――そうですよね。黒穴などに出会ったのは初めてで、自分でも思ったより動揺しているようです。ノルディ様がご一緒なら安心できますわ」


 自分で言っておきながら、はたと疑問に思う。

 そうだ、初めて魔物らしい魔物の襲撃を受け、実際ノルディがいなければ怪我を負っていたかもしれない。それなのに、エリリアナは自分がほぼ普段どおりと言っていいほど落ち着いている不自然さに気が付いた。


(魔物――ネズミだけど、それに突然襲われて、パニックになって……そっか、その後はノルディ様とエランディア様があまりにも愉快なやり取りをしてたから、気がそっちに向いてばかりで)


 怯える暇もなかったのだと、思い当たる。


(……まさか、それも計算済み?)


 よく考えれば、エランディアはやけに冗談めいた物言いをしていた。尤も、よく読めない性格の彼だから、ただの地なのかもしれない。ノルディに関しては、素で感情的な性格っぽいが、こちらもまだ正確な判断は出来ない。

 しかし、彼女が存外に“普通”でいられたのは、少なからず彼らのおかげであると言えよう。


「――有難うございます、ノルディ様」

「大げさ過ぎ。……行くよ」

「はいっ」


 二重の意味で礼を言ったのだが、ノルディには通じたのか否か。歩き出したノルディに置いていかれないようにと、エリリアナは自分より少し大きな後姿を追いかけた。




 そして、歩くことしばらく。


 意外に付き合いやすそうだと、食堂に着いた瞬間から辺りをきょろきょろと見回すノルディを見て、エリリアナは思った。


「こっちに来たのは初めてだ」

「こちらに魔術師や高位貴族の方はいらっしゃいませんからね」


 二階分の大きな吹き抜けを持つこの食堂は、一般職の者の専用食堂だ。魔術師や高等書記官、高位貴族達はさらに上階にある食堂へ集まるから、魔術師であるノルディはこちらに来たことはないのだろう。

 実際、見るからに魔術師と分かるローブを着た彼は、食堂に来た人々から様々な視線を送られていた。


(ノルディ様の場合は、魔術師ってことより見た目の問題な気もするけど)


 口調や性格はともかく、ノルディの外見は美人を集めた王城ですらかなり目立つ。すれ違う人どころか、食堂にいる殆どが一度は視線を向けたのではと言いたいほどの、目立ちっぷりだった。しかし当の本人はそんなこと気にすることなく、城下と変わらぬ雰囲気の食堂を興味深げに眺めている。

 昼を過ぎた食堂は人もかなり減っており、ノルディが誰かにぶつかることもないが、エリリアナは少しだけハラハラしながら見守っていた。


「そういえば……君は高位貴族だろ? 何で上食堂に行かないのさ」


 所々に置かれた観葉植物を避けながら、エリリアナは一瞬言葉に詰まる。

 伯爵位以上の家の当主かその子女は、上階の食堂――かみ食堂を利用する。エリリアナの実家であるトゥルク家は伯爵位を賜っている為、上食堂を利用できる身分ではある。


「……私は、『行儀見習い』ではありませんし」


 城にいるメイドや侍女の中には、行儀見習いとして働く高位貴族の娘が含まれる。だが、彼女達は使用人というより、『社会経験』として二、三年程城を訪れているだけの『貴族様』なのだ。

 でも、エリリアナは行儀見習いに訪れているわけではない。他のメイドや侍女達と同じく、この城で働く使用人の一人。女官としては高等書記官程の役職に就いていないのだから、この一般食堂を使うのが妥当だと、彼女は思っている。


「それに、こちらで食べる温かい食事の方が、好みに合っていますから」


 エリリアナがそう言えば、ノルディは意外そうに片眉を上げた。

 上食堂は、高位貴族や重要な役職に就く者が利用する為、毒見を通してからコース式で各テーブルに配膳される。当然、時間をかけて運ばれる料理は冷めていることが多い。

 この制度に異を唱えるのは貴族令嬢として異端かもしれないが、熱いものは熱いうちに食べるのが一番美味しいと彼女は思う。


「……ふーん」


 ノルディは、彼女を嗜めるでもなく、そのまま大人しくなった。


「ノルディ様は、本当にこちらで宜しかったんですか?」


 しかし、ノルディは魔術師であり、爵位持ちだ。彼女に付き合う必要はない。


「忘れたの? 僕は君が食事にありつくのを監視しに来たんだよ。それとも君、食べ終わるまで僕に待ってろって言うつもり?」

「いえ、まさか」


 首を振りながら、エリリアナは思った。


(ここで『食堂に辿り着くまでじゃなかったんですか?』って言ったら怒るよね)


 とりあえず、ノルディも一般食堂で食べていくらしいので、彼を注文口へと案内する。


「此処でまず主菜を注文します。次にお盆を取り、列に沿って主食、副菜、汁物を受け取ってください。主菜の受取りは一番奥です。お茶等はまた別のテーブルで取る形になります」


 『凹む』という漢字の上半分に似た形に作られたカウンターは、両端で主菜以外の引渡し、中央の出島で主菜の引渡しが行えるようになっている。大人数を二箇所だけで捌くのは非効率的ではと思うが、対面式になっている厨房の様子からして、この形が一番働きやすいのだろう。

 一通り説明した後、ノルディに本日選べる料理が書かれた黒板を見せる。一般食堂では、料理は肉・魚・野菜の日替わり三種類と、定番六種類の計九種類が注文可能だ。


「へえ……いいな。上食堂は基本選べないからね」


 ノルディの言うとおり、毒見が必要な上食堂は料理を選ぶことは出来ない。魚も肉もメインとして出てくるから、食べられないならば残せというスタイルらしい。なんてもったいないと、エリリアナはいつも思っている。

 なお、彼女の脳内で上食堂は高級料亭、一般食堂は大衆食堂というイメージだ。出てくる料理も、洋食という差異はあれど、そのイメージに似たようなレベルの物が出てくる。


 説明の後、意外にも主菜を即決したノルディの後に続き、エリリアナも魚を注文して列に並ぶ。毎日恐ろしい位の人数を捌いている料理人たちは非常に手際がよく、見ているだけで空腹が増す。


「エリリアナ様、今日は随分とお綺麗な方をお連れですね。弟君ですか?」


 変な時間に食堂に来る事が多いエリリアナは、こうして話が出来るくらい親しい料理人もいる。恰幅の良い中年の男性は、ノルディをちらちらと見ながら、彼女に尋ねた。食堂全体が注目する少年の正体を知りたいのだろう、明らかな好奇心が瞳に浮かんでいる。


「上司ですよ」


 端的に言えば、彼は大きな身体を分かりやすく震わせ、引きつった笑みを浮かべた。


「あー……そりゃ失礼致しました。お詫びに山盛りにしますんで、たらふく食ってください」

「別に気にしないよ、その程度」


 現実には気にする貴族が多いのだが、ノルディはしめたとばかりに顔を輝かせ、本日の日替わりメニュー『カリカリ揚げ鶏肉の香草詰め・メロの実ソースがけ』を受け取っている。


(食べ物に関しては、見た目どおり子供っぽいところもあるのね)


 エリリアナは年相応の表情を見せたノルディの後ろで、こっそり笑った。


 料理を受け取り、席に着けば、正面に嬉しそうな顔のノルディが座る。


「お好きなんですね、そちら」


 主菜がそんなにお気に召したのだろうか。少年特有の愛らしい表情で料理を眺める彼に、周囲の人々が顔を赤らめている。空席なんて他に幾らでもあるのに、気のせいか二人が座った周辺だけ、席の占有率が異様に高い。


「まあね。メロの実のソースは、僕の地方では一般的だけど、王都周辺では全く見かけないから」

「なるほど……故郷の味なんですね」


 それなら愛想が十倍増しになるのもよく分かる。今エリリアナの目の前に手打ち蕎麦があったら、でっぷりと脂ぎったすけべオヤジとも宮廷ダンスができるかもしれない……いや、多分無理だ。


 ノルディは旺盛な食欲を見せ、がっついているわけではないのに、手馴れた美しい所作で料理がどんどん消えていく。

 口を挟む様子もなかったので、エリリアナも目の前の魚のソテーに集中した。



 そして、二人が食事を始めてから、さほど経たないうちに、食堂に甲高い悲鳴が響き渡る。複数の、女性の声だ。


「!?」


 何だろうと顔を上げたエリリアナに対し、ノルディが料理への熱中っぷりは何処へやら、険しい顔をして杖を握り締め、椅子の横に立ち上がっていた。

 彼の反応の速さにエリリアナが驚嘆していると、ノルディが小さく声を漏らした。


「げえ」


 それだけ言うと、さっさと席に座りなおし、発生源と思われる方向に背を向ける。


「ノルディ様、一体何――もががっ」

「黙る」


 ノルディに口を押さえられ、頭を押さえつけられたエリリアナは、強制的に身をかがめさせられる。お盆の横を選んでくれたから、かろうじて食器に激突しなかったものの、真横にスープ皿が置かれた状況は恐怖だ。

 放してと言おうとした彼女を、ノルディの据わった目が貫く。


「……」


 とりあえず従おうと、エリリアナは大人しくなった。恐らく隠れているつもりなのだろうし、何か理由があるのだろう。


(でもこれ、かえって目立ってると思うんだけど)


 その一言は、真剣な様子のノルディには言えなかった。


 悲鳴は最初だけで止み、今は奇妙なため息のような音があちこちから漏れている。その気配がどんどんこちらへ近づいてきて、ついに周囲の人々から、吐息が大きく漏れるのを感じ取った。僅かに混じった声からして、女性達のもののようだ。


「?」


 頭を押さえられたまま目を上げれば、ノルディの真後ろに誰かが立っている。


「もがっ」

「しっ!」


 注意を促そうと口を開けば、思い切りノルディに睨まれた。

 すぐに視線を逸らした彼の様子から、既にその第三者の存在に気付いてはいるが、気付いていないふりをしたがっているように感じられる。真後ろに立たれて、気付かぬ方が無理があると思うのだが。

 エリリアナには相手の腹部しか見えないが、あまり会いたくない人物なのだろう。


 彼女がそうやってノルディの観察をしていると、視界が暗くなった。


「!」


 エリリアナの頭のやや右上――ノルディとエリリアナの屈めた頭の中間地点――に、新緑色の絹糸の束に似たものが、現れた。

 ふわりと、鼻腔に少し甘みのあるミントのような香りが届く。



「――婦女子の口を押さえるとは、感心しないねえ……リンクス子爵?」



 やけに甘い、深みのある艶やかな低い声が、彼らの真上から響いた。



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