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18 下見と忍耐・7

 馬車を走らせてからは、意外なほど短時間で目的地までやって来た。

 と言っても、特別に何かがあるわけではない。白亜の城壁――ちなみに割りと汚れている壁面――の前に立つリンクスがいなければ、そこが目的の場所だとは分からなかっただろう。

 馬が速度を徐々に緩め、急停車のような振動をエリリアナに伝えることなく、停止する。

 王都全体を守る魔術陣をこの目で拝めると、高まる興奮を抑えきれず、エリリアナは思わず立ち上がった。不安定な車上で何とかバランスを取り、幌を支える柱を握り締めて、僅か一段の足場から飛び下りて大地に足をつける。


(さっきまで殆ど揺られっぱなしだったから、何だか変な感じ)


 動かない地面に僅かな違和感を覚えながら、エリリアナはちょこちょことリンクスの元へ駆け寄った。


「君さ……」


 駆けつけた途端、リンクスが呆れ声をかける。

 彼女には、彼に呆れられる理由がさっぱり見当つかなかった。


「?」

「一応騎士に連れられてるんだから、エスコートくらいさせてやれば?」


 リンクスに言われて、思わず「あ」と呟いてしまった。ぎこちない動作で馬車の方を振り返れば、エランディアが小さな踏み台を御者台の足元に戻しているところだった。

 二段~三段以上の段差を飛び降りたりするのは優雅ではないとされているので、通常は踏み台を用意してもらえるまで大人しく待機し、その後は男性には手を引かれて降りる。貴族令嬢の常識だし見ている分には良いが、自分の番となると待っているのがもどかしく、ついエリリアナは地を出してしまった。

 僅かに顔を赤くしたまま、馬を落ち着かせてこちらにやって来るエランディアに頭を下げる。


「も、申し訳ございません、エランディア様。その……つい気持ちが逸りまして……」

「いいさ。エルルゥ嬢が令嬢らしからぬのは今更だしな」

(……その言葉は、どう受け取ったらいいの?)


 微妙に引きつった笑みでエランディアの言葉を流しつつ、エリリアナはリンクスの方へと視線を戻した。

 リンクスは城壁に向かってうつむき、何かぼそぼそと口ずさんでいる。傍から見れば怪しいことこの上ないが、杖の先でコツコツとリズミカルに壁を叩いているから、きっと魔術的な何かなのだろうとエリリアナは疑問を自己完結した。

 その直後、リンクスの足元が発光し、何の変哲もなかったはずの地面に、魔術陣が現れる。城壁に沿うように、今まで見たどんな魔術陣よりも複雑な模様が、リンクスの立つ場所を基点に半径三メートル分だけ広がっている。


「え!?」


 いきなり足元に現れた魔術陣に、思わずエリリアナがたたらを踏むと、リンクスが振り返った。


「城壁の守護陣は、王都防衛の第一の盾。改ざん防止のために、一定以上の位を持つ魔術師だけが知る呪を唱えて始めて、陣が現れるようになってる。魔術陣そのものに触れられるのは、さらに特別な呪を知る一部の者のみ。そして例え触れられても、最高難度の魔術陣を解読出来る奴なんて限られてる」

「おおお……」


 セキュリティばっちりだなと、エリリアナは間抜けな声を上げつつ驚嘆した。

 自分の身近な物で例えるなら、まずパソコンを見つけて、管理者権限でログインして、さらに凄くマイナーな言語で打ち込まれたプログラムを解析しなきゃいけないのか。そりゃ大変だと、エリリアナは人事のように考えていた。


「で、今回の強化案件だけど……エランディア」

「了解」


 リンクスに声をかけられ、エランディアが片手を上げる。いつの間にか、彼の片手には手の中に納まる程度の小瓶が二本、握られていた。エリリアナの目の前でかざすその瓶の中には、黒い霧のようなものがぐるぐると回っている。


「これは魔素っつって、魔物の身体を形成する成分だ。これが圧縮されて魔物になるのか、それともこれが生物を取り込み分解して魔物になるのかは不明だけどな」

「うえ!? ……そ、そんな物持ってて、エランディア様は平気なんですか?」


 あまりにも平然とするリンクスやエランディアとは違い、エリリアナは無意識に後ずさりする。もし後者なら、ウィルスや寄生虫より性質が悪いではないか。


「瓶は魔術で封印されてるから問題ない。で、ちょっと見てろ、エルルゥ嬢」


 エランディアはそう言うと、小瓶を一本、城壁に向かって放り投げた。

 「あ」とエリリアナが声に出す前に、瓶は城壁の少し手前の空中で突如割れたかと思うと、魔素と呼ばれた黒い霧が青い炎に包まれてかき消える。


「え、え!?」

「これが魔術陣の効果だよ。この守護陣は物理防御ではなくて、魔素を王都に入れない結界になってるんだ。魔素を含んだあらゆるものは、陣に阻まれる仕組み。……エランディア、次はこっち」


 目を白黒させるエリリアナにリンクスは軽く説明し、次に杖で城壁の一部分を示した。そこに、エランディアがもう一本の瓶を投げつける。

 再び炎が上がるのかと思って見つめたエリリアナだったが、瓶は特に壊れることもなく、城壁に当たってこつんと落ちた。


「あれ……?」


 壁に当たった瓶はころころと魔術陣の方へ転がってきて、陣の内円に触れた瞬間にようやく炎上する。

 先ほどと異なるタイミングで反応した瓶に、エリリアナは首を傾げた。


「――これが、魔術陣の『綻び』ってこと。網目状に展開する結界に、穴が開いてるんだよ。今は極一部分だけど、こうして魔素に反応せず素通りさせてる」

「……それって、問題、ですよね?」


 正直エリリアナには魔素の重大性とかさっぱり分からないのだが、わざわざこんな厳重な魔術陣を城壁の外に張り巡らせて警戒しているのだから、簡単に素通り出来て良いわけはないだろう。


「そりゃな。守護陣が綻べば魔素が王都に入る。魔素は黒穴や魔物になるが、人口の多い王都では、それらの成長を促す魔力が豊富だ。ひとたび発生すれば一気に手が付けられないほどの規模になる」

「じゃ、じゃあこれは……っ」


 そんな放置している場合じゃないのではと、エリリアナはリンクスが先ほど杖で示した場所辺りを手で押さえようとする。それが何の役にも立たないことは承知だったが、無意識の行動だから、仕方ない。


「この位の大きさならまだ問題ないよ。でも、この二ヶ月で四度目の綻びだからね……通常なら三年に一度の整備で充分なのに、こんな頻度で起きるって事は、魔術陣の基礎構造にガタがきてるかもしれない。だから、魔術陣の強化案件が持ち上がったってわけ」


 リンクスは杖で地面に穴を開けつつ、面倒くさそうにそう言った。

 エリリアナは正直、彼女と夫候補に接点を作る為だけにカールハイツが回した案件だと、ある意味気を抜いていたところがあった。だが、聞けば聞くほど、相当重要な仕事ではないか。変な汗がじわりと浮いてくるのを、エリリアナは自覚する。

 彼女の顔色が変わったのに気付いたのか、エランディアがエリリアナの頭に手を置いた。


「大層なこと言ったが、まだ本格始動にはほど遠い。今は一部の人間が集まって案を練ってるだけだ。気楽に構えてろ」

「いや、でも……はい、頑張ります」


 渋々頷いたエリリアナの頭をそのまま数回押さえ、エランディアは手を放した。


「……でも黒穴が綻びのすぐ近くに発生したのは、何かの兆候かもしれない。ってことは、報告は必須だよね?」


 リンクスは、城壁を数回杖で叩いていたと思ったら突然勢いをつけて振り返り、そんなことを言い出した。気のせいか、多少興奮気味のように見受けられる。


「報告?」


 エリリアナが訝しげに口に出せば、城壁を叩き何かを唱える、恐らく魔術陣を再度隠す作業に戻ったリンクスに代わり、エランディアが答える。


「最高責任者はリンクスだが、顧問というか、統括者はドナウアー宰相だからな。警備に関わる面もあるし、文武官を纏め上げるあの方に報告する必要はあるだろ。……まあ、リンクスの場合はただのこじ付けだけどな」

「?」


 最後の言葉に疑問符を浮かべるエリリアナの耳に、リンクスの掛け声が飛び込んでくる。


「ほら、もう用事は終わりでしょ? さっさと帰城して、カールハイツ様に報告するよ。これも仕事だからね!」


 怒っているのか何なのか、エリリアナには判別出来ない表情でリンクスは彼女達に叫び、さっさと杖に飛び乗る。

 隣で、エランディアが景気よく噴出しているが、エリリアナには何がおかしいのか理解できなかった。



 行きは転移の魔術で外まで来たらしいリンクスも、帰りはちゃっかり馬車に乗り込み、それから三人で北東門へと戻った。

 厩番の老人に礼を言うのもそこそこに、リンクスに鞭を打たれるような勢いで城へと転移し、カールハイツの執務室へと向かう。


「エランディアはついて来なくてもいいんじゃないの?」

「いや、見回りは俺の職務だからな」


 リンクスが途中、嫌そうな顔でエランディアを振り返ったが、当の本人はにやけた表情を崩さぬまま、騎士団棟からそのまま二人について来る。

 今回はエランディアとリンクス――魔術師としてはやはりかなり高位にあたるらしい――の二人がいた為、転移陣を使用することもでき、あっさりと執務室へと辿り着いた。

 一日がかりの可能性も視野に入れていたが、実に昼を過ぎた位の帰還だ。しかし何故か、随分と長い間この『職場』を離れていたようにエリリアナには思えた。


「……? リンクス様?」


 辿り着きはしたものの、全く扉をノックしようとしないリンクスに、エリリアナは声をかける。


「……」


 リンクスは、拳を握った片手を上げたまま、動こうとしていなかった。

 二人を先導するように早足――エリリアナは競歩並の速度だと思った――で城を移動していたのに、今は石像と同じくらい動かない。


「リンクス様、どうかされました――」

「ノルディ」


 再度かけた声は、リンクス本人によって遮られる。

 しかし、言われた意味が飲み込めず、エリリアナは目を瞬かせた。


「ノルディって呼ぶこと」

「へ? お言葉ですがリンク――」

「ノ・ル・ディ」


 一語一語区切るように言われ、エリリアナはリンクスの目が据わった顔にたじろいだ。

 すぐ真横で、エランディアが身体を震わせているのが感じられる。


「……ノ、ノルディ様?」


 『命令』もしくは脅迫染みたプレッシャーに負けてエリリアナが彼の名を呼べば、リンクス改めノルディは、眉間に皺を寄せながらも頷いた。

 そして大きな両開きの扉の前で一度咳払いをし、扉をノックする。


「ノ、ノルディ・リンクスです。魔術陣強化の件で報告に上がりました」


 姿勢を正して扉の奥にいる人物に呼びかけるノルディは、緊張している様子だった。


(さっきまであんな怖いもの知らずというか、堂々としてたのに)


 エリリアナが不思議に思っていると、中から聞きなれた低音で「入りなさい」と入室の許可が出る。

 ノルディが扉を開く直前、エランディアが彼女のすぐ傍で「見物(みもの)だぞ」と囁いた。


 執務室に入れば、カールハイツがいつものように執務机に向かっていた。


(ああ、お茶が今朝お出ししたままじゃない。というかまたこんな時間まで作業なさって……もう昼食のお時間ですよカールハイツ様!)


 入室直後、一も二もなくそんなことをエリリアナは考えた。

 そんな秘書役の考えなど知る由も無く、カールハイツが眼鏡をかけたまま顔を上げる。


「……エランディアがわざわざ足を運んだと言うことは、何か問題があったと考えるべきですが、ノルディ、君もいたとは。先日の綻びの件ですか?」

「はい!」


 カールハイツの問いに勢いよく答えたのは、ノルディだ。


「エランディアとエリリアナ嬢の両名と共に、守護陣の確認に行って参りました!」

「……エランディアと?」

「はい! 丁度黒穴の封穴に立ち会いまして――」


 エリリアナは、口をあんぐりと開けて、カールハイツとノルディを見つめていた。


(え。誰これ)


 こうしている間にも投げかけられるカールハイツの問いに、尻尾を振り切らんばかりの従順さで答えているのは、本当にノルディ・ド・リンクスなのか。エリリアナは自分の目と耳を疑った。

 少年の綺麗な山吹色の髪から、まるで獣の耳でも生えているんではないかと、思わず彼の頭をじっくり見てしまった彼女を誰が責めよう。

 ぎこちなくノルディの頭から顔を背け、ちらりとエランディアにすがるような視線を送れば、彼は思い切り口角を上げたまま、「な、見物だろ」と囁いた。


「――つまり、魔術陣の発動に何ら問題はなかったと」

「まだ四箇所のみの確認ですので、断言は出来ませんが……おっしゃる通りです!」


 エリリアナが現実逃避している間にも会話は進められており、ふと意識を戻せば、カールハイツが難しい顔をして視線を机上に落としていた。

 カールハイツは一度目を閉じると、しばらく無言になり、その後ゆっくりと目を開けた。


「ノルディは引き続きその線で調査をお願いします。エランディア」

「は」

「黒穴と魔物の件で話があります。此処に留まるように」


 カールハイツの目が、剣呑な光を宿したようにエリリアナには感じられた。

 先ほどまでノルディの子犬的な態度をニヤニヤして眺めていたエランディアから、焦りのような感情が漏れる。


「え、俺は――」

「わざわざ部下を下がらせ、エリリアナに同行する暇があるのです。状況説明くらい出来るでしょう」

「いや、その」

「エリリアナ」


 口ごもるエランディアを遮り、カールハイツが入室後初めてエリリアナに声をかけた。


「はい!」


 あ、これじゃノルディ様だ、と無礼なことを考えつつ、エリリアナは応えた。


「怪我は」


 業務的な流れで突然聞かれた内容にエリリアナは目をぱちくりと動かしたが、すぐに言葉をひねり出す。


「ございません。エランディア様と、リン――ノルディ様が守って下さいましたので」


 苗字を言いかけてノルディに睨まれたエリリアナは、慌てて訂正した。彼女の言葉に、カールハイツが僅かに眉を上げる。


「……ノルディが名で呼ばせるとは珍しい。親しくなったのですね」

「は、はぁ、まあ」


 迂闊に肯定も出来ず、エリリアナは言葉を濁した。返答が気に食わなかったのか、ノルディから突き刺すような視線を感じる。


「ノルディ」

「はい、カールハイツ様!」

「そこまで親しくなったのも何かの縁。エリリアナは未熟とはいえ、魔術陣研究の末端に連なる者です。私一人では補えぬ部分も多くありますから、よければ君も気にかけてやって下さい」

「は、はい……」


 そこだけ返事が勢いなくすあたり、カールハイツの手前不承不承といった様子だ。


「代わりに、私の力が必要な際はいつでも訪ねてきなさい。魔術陣に関しては資料が不足する場合もあるでしょうし、私がいない時でもエリリアナに言付ければ通じます」

「は……はいっ、カールハイツ様!」


 尻尾が見える。エリリアナはそう思った。

 カールハイツは至って平常通りの態度なので、ノルディの犬っぷりが際立っている。


(というか、ノルディ様……この為に私に名前を呼ばせたな……)


 本命を落とす前にその家族や友人から。異世界でもそこら辺は変わらないんだなと変に納得する。

 しかし奇妙なものを見てしまった気分で、エリリアナはそっと視線を外した。


「では私はエランディアに話を聞きますから、エリリアナは昼食後戻ってきて下さい」

「かしこまりました」


 最後にカールハイツの言葉を受け、エリリアナは一礼する。立ち去りがたそうなノルディのローブを、忘れずに少し引きつつ、彼女は執務室を後にした。扉が閉まる寸前、エランディアの情けない声が聞こえた気がしたが、武士の情けで幻聴ということにしておいた。



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