17 下見と忍耐・6
距離があるとはいえ、杖を突きつけられたエリリアナは反応に困り、エランディアに助けを求める視線を送った。
彼は顔を横に向け、口を引き締めて険しい顔をしている。
(――じゃなくて、どう見ても笑いを堪えてるよね、あれ)
小さくは肩が震えているエランディアは、今にも腹を抱えて笑い出しかねない様子。とてもではないが、救援はくれなさそうだった。
リンクスに聞こえないようにため息をつくと、エリリアナは口を開く。
「リンクス……様。そのように言われましても、私には――」
覚えが無い、そう続けようとした。
「覚えがないとは言わせないからね」
キッとまなじりを吊り上げて、リンクスが彼女に言い募る。
「お忙しいからとご迷惑にならないよう、僕達がどんなに我慢してきたことか……。その間に、魔術師ですらない侍女上がりの、加えて間抜け面で凡庸な小娘に掠め取られるなんて思わないじゃないか……!」
「……」
ぽかーんとした表情で、エリリアナはまだ「屈辱だ、侮辱だ」と言い続ける魔術師を見つめた。
どうやら彼女の何かしらの行いが『僕達』の顰蹙を買ったらしいが、彼の言葉からは具体的な推測は出来ない。唯一の手がかりは、魔術関連ということだけ。
美麗な顔からぽんぽん出てくる罵り言葉に、エリリアナは半ば感心していた。ちなみに、エランディアは腹を抱えて上半身を倒し、無言で震えている。
(それほど人の不幸が楽しいか、奉仕の精神に満ち溢れた騎士さんよ……)
エリリアナがエランディアの方を半目で見ていると、リンクスが声量を上げる。
「聞いてんの?」
「あ、はい、いえ」
「なにそれ、どっちなのさ」
エリリアナは、考えた。
どう答えるのが得策だろうか。
目の前にはプロジェクトの最高責任者。第一印象はかなりのマイナスからスタート。勤務期間は未定だが、この上司との付き合いは長期になると考えるべき。
さあ、日本とこちら合わせて十年以上の社会人経験を以って、どう返答しよう。
「……顔は関係ないと思います」
「反応するとこそこなの!?」
結局結論は出ず、馬鹿っぽい発言しか出来なかったエリリアナに、リンクスが呆れたように突っ込むと、そのやり取りを聞いていたエランディアがついに噴出した。
「は、いや、お前ら、馬鹿すぎるだろ……っ」
二人がじろりと見れば、エランディアは息も絶え絶えに「似たような顔してこっち見んな、殺す気か」と吐き出した。そしてようやく目元を拭いながら顔を上げたエランディアは、最後に大きく息を吐き出す。
「リンクス、そんな言い方じゃ何一つエルルゥ嬢は理解できねーよ」
「はあ? 明瞭そのものじゃないか」
怪訝そうに言い返すリンクスに、エランディはやれやれと肩を竦める。
「エルルゥ嬢、こいつは単に嫉妬してるだけだ、気にするな」
「エランディア!」
「嫉妬?」
ますます訳が分からないと、エリリアナは首を傾げる。
「リンクス様が嫉妬なさるようなこと、私は何も――」
「カールハイツ様の弟子になっておきながら、何その言い草!」
言ってから、リンクスはハッとして口を押さえた。明らかに「しまった」という表情を見せた後、口を押さえたまま顔を背ける。
エリリアナが目をぱちくりさせてその顔を無言で凝視していると、彼の頬と耳が僅かに紅潮していく。
「……」
「……」
貴族社会の礼儀としては失礼にして無礼なのだが、彼女はじっと、少年のグラデーションがかかったように赤くなっていく顔に視線を留めていた。
(カールハイツ様?)
まさか上司の名――姓ではなく個人名――がここで出てくるとは思っていなかったエリリアナは、きょとんとした目で相変わらず彼を見つめる。
「……何さ、その目は」
彼女の疑問は、リンクスが自ら解いてくれた。
彼は突き詰めて言えば、エリリアナがカールハイツの弟子と言う座を手にしたのが気に食わないのだ。
最高峰の魔術師の一角であるカールハイツから指導を受けるのは、事実誉れと言えるだろう。多忙を極める彼に、指導など頼める者がいなかったのも納得できる。
確かに魔術師からよく、「ドナウアー様のご指導を受けられるなんて幸運だ」といった内容の言葉をかけられていたが、ここまで真正面から批判(?)されることはなかった。いや、もしかしたら遠回しに言われていたのかもしれないが、彼女は気付かなかった。
「言いたい事があったら、はっきり言ったら?」
ムスッとした表情で言うリンクスに、エリリアナは考える。
宰相であるカールハイツの時間は非常に限られていて、その中で無理矢理、魔術陣研究を見てもらっているのは事実だ。それがどんなに恵まれているかは理解しているけれど、「じゃあ止めます」と言えるほど中途半端な気持ちでやってるわけでもない。
(カールハイツ様はお優しい方だから……私が一人前の魔術陣研究者として、少しでも早くイシュワルト様に再会出来るように、ご助力下さってるだけ)
それに応えるために努力は惜しまないし、ここで切り上げるなど、今まで尽力してくれたカールハイツに対する侮辱だとも思っている。というか、以前本人に直接似たようなことを言い、あっさり言い返されたのだ。
「――そう思うなら、一字でも多く学びなさい。貴女もイシュワルト殿下も私の生徒なのだから、それを助くは私の義務であり至上の権利です」
相変わらず書類作業の最中に平然と告げられたその台詞は、彼女の中に鮮明に刻まれている。
だから、エリリアナはこの弟子入りの件で、カールハイツ以外の誰かに謝るつもりも自慢するつもりもない。
そのため、リンクスの言葉に好悪どちらの反応をする気はないのだが……このままでは彼の指揮下に入った際の勤務状況が劣悪になること間違いなし。
「そうですね」
何を言うか考え、そして彼女は口を開いた。
「……まずは改めまして、助けて頂いて有難うございました」
「………………は?」
長い沈黙の後、リンクスは一言だけ発した。視線は相変わらず鋭いが、蔑むわけでも睨むわけでもなく、純粋に彼女の意図が分からない様子だ。
「危ないところを救って下さったリンクス様のご活躍は、しっかり上司に伝えさせて頂きます。ただ――」
エリリアナはにっこり笑って、後を続けた。
「リンクス様のご不興を買ってしまったことも、言ってしまうかもしれませんけれど」
「!?」
そんなことを言えば、当然カールハイツは事情の説明を求める。そして彼女に非は無いことを悟るだろう。ともなれば、評価が落ちる可能性があるのはリンクスの方だ。
――人は、これを脅しと言う。
目に見えて、リンクスの表情が変わった。口を引き結び、目を見開いて彼女を見る。彼女の言外の意思をしっかり受け取ってくれたらしい。
あまりこういう手段に訴えたくはなかったのだが、先に私情を挟んだのは相手の方なので、エリリアナは必要悪として割り切ることにした。別に嫌われるのは構わないが、仕事に支障をきたすのは困る。
ちらりとリンクスを見やれば、今にも噛み付きそうな犬のような表情で彼女を睨んでいた。
(あー……やっぱり言い過ぎた?)
考えずとも、中々に性悪な発言をしてしまったものだが、言ってしまったものは取り消しようがない。
「ええと……勿論、私の勘違いの可能性も高いわけですけれど」
だから『勘違い』に出来るよう、今のうちにその敵対心バリバリの態度を、せめて隠すぐらいはして下さいと、そんな思いを乗せてついエリリアナはフォローした。
「――」
リンクスは、怒りとも何ともいえない表情を浮かべた後、握り締めた拳を眉間に当てて俯いた。山吹色のさらさらとした髪が、彼の表情をしばしエリリアナの視線から隠す。
これ以上どうしようかと、しばし逡巡する彼女の前で、リンクスが絹糸のような髪を掻き乱す。
「だああっ、くっそ!」
リンクスは俯いたままそう叫ぶと、持っていた杖を地面に投げつけた。
(わお、お綺麗な顔から、貴族社会ではほぼ聞かない表現が)
彼女がそんなことを思っていると、リンクスがその場で垂直跳びよろしく跳び上がった。
「え」
突然その場でジャンプしたと思ったら、大地には降りず、次の瞬間には彼女と同じ目線の高さにいた。
馬車に乗り、大地に足をつく人間よりはかなり高い場所にいるはずの彼女と水平の位置に、先ほどまで見下ろしていたリンクスの顔がある。
彼は真っ直ぐ正面から彼女を見つめ、口を開いた。
「――大人気なかった。さっき言ったこと、丸ごと忘れて」
腕を組み、顔を背けてそう言ったリンクスは、木の杖の上に立っている。杖自体が大地より一メートルほど飛び上がっており、魔法的なものなのか、彼はその上に器用に佇んでいるのだ。
魔術師ともなると、こんな魔女っ子みたいなこともできるのか……そう彼女が感嘆の息を漏らしていると、リンクスが彼女をちらりと見ている。
「……確かに、君は分不相応な特権を手にした気に食わない存在だけど、そんなのは僕個人の感情であって、君には関係ない。初対面から人格を決め付けるようなマネしたのは、狭量だった」
ややバツの悪そうな表情を浮かべた彼は、そう言った。
(この方、これで悪気無く謝ってるつもりなんだろうな)
随分と毒気を含んだ謝罪だ。貴族とか魔術師とか、恵まれた身分を持つ人間は、一言「ごめん」と言えば済む謝罪を非常に苦手とする者が多いので、彼もご多分に漏れずといったところなのだろう。
(思春期真っ只中の年頃も関係してるのかもしれないけど)
今にも唇を尖らせそうな少年の姿は、彼女の実年齢からしてみれば、非常に可愛らしいものだ。突っ張った性格も、王城でよく見る、気取った貴族の子息よりも遥かに好ましい。
だからエリリアナは自然に笑顔を浮かべて、ふよふよと不思議な力で浮かび上がるリンクスに視線を向けた。
「――何のことでしょう?」
白々しく、そう彼に告げる。
リンクスは大きなルビーよりも色濃い目を瞬かせる。
「は? だから、僕がさっき言った――」
彼が言い終わるのを待つことなく、口を挟む。
「『丸ごと忘れ』たので、リンクス様のお言葉の意味が分かりかねます」
「……」
今度こそリンクスは隠すことなく、口を開け放ってエリリアナを凝視した。
そんな顔でも美人は美人なのだから、人生って色々不公平だと彼女は思った。自分がやったら完全に、ひょっとこ開口バージョンになることが分かっているからだ。
微妙に意味合いの違う二人の沈黙を、エランディアが破った。
「リンクス、諦めろ。エルルゥ嬢はイシュワルト殿下すら矯正した名調教師だ。口じゃお前だって敵わねーよ」
「調教師って……」
エランディアの口から放たれた予想外の形容に、エリリアナはぎょっと体をびくつかせた。まさかこれが、マックス主犯の噂とやらかと、脳内でマックスを往復ビンタしていた彼女の耳に、リンクスのため息が届く。
「――分かった。一つ借りにしとくよ、侍女上がり」
「……エリリアナです、リンクス様」
彼女の一言には応えず、リンクスは杖に乗って浮遊したまま、黒穴があった方面へと動き出した。
「先日魔術陣に『綻び』が報告されたのは、もう少し先。構造含めて説明してやるから、さっさと行くよ」
リンクスはそれだけ言うと、バランスを一切崩すことなく、走るよりも遥かに速度を出して飛び去っていく。山吹色の髪が風にあおられ、太陽の光をきらきらと反射していた。
「あの通り、素直じゃないんだよ、我らが魔術師殿は」
「そのようですね」
「でもまあ、悪い奴じゃねーから、さっきの対応には感謝する」
リンクスに声が届かないほど距離を取られた後に、エランディアにそう言われ、エリリアナはきょとんと馬の準備を整える彼を見つめた。
「……エランディア様って、意外に面倒見の良い方なんですね」
「『意外』は誉め言葉に受け取っとく」
白馬を再度を馬車にくくりつけ、御者台に座ったエランディアは、嫌みったらしくない微笑で、エリリアナに告げると、手綱を打ち鳴らし馬車を発進させた。




