16 下見と忍耐・5
リンクスと呼ばれた少年は、杖を下ろして眉間に皺を寄せたまま、馬車の方へと近づいてくる。
(……すっごい、美少年……)
先程までの茫然自失状態はどこへやら、エリリアナは失礼なほど、こちらへやって来る少年を凝視していた。
山吹の髪はさらさらと風になびき、精巧な美術品のように寸分の歪みすら見られない顔――もっとも、今は不機嫌そのものに表情は歪んでいるが――は美少女と言われれば納得できる中性さを保つ。緑青のローブは魔術師としては高位の身分を示すので、十五くらいでは通常与えられないはずだ。にもかかわらず、深い色合いのローブは彼にとても似合っていた。
城内で貴族の子女を腐るほど見ているため、美的感覚が超上方修正されているエリリアナでも、彼は並外れて綺麗だと感じる。
(――まあ、我がイシュワルト様には敵わんがね!)
そこで見惚れるのではなく、変な方向に対抗意識を燃やしてしまうあたり、残念な性格のエリリアナだった。
彼女が若干粘着質な視線を送っているのに気がついたのか、少年が眉間の皺を深めて彼女を睨みつける。
「……何?」
不快感を露にした少年の表情と声は、エリリアナに特殊性癖があったら「ありがとうございます!」とか言ってしまいそうなほど冷たい。
しかし、ここまで感情を表に出す人間には城ではあまりお目にかかれないため、エリリアナは逆に嬉しくなって心の底から微笑んだ。
「危ないところをお助け頂き、まことに有難うございました。私は、エリリアナ・トゥルクと申します」
そう言って、深く頭を下げる。
馬車を降りて礼をしたかったところだが、エランディアに肩を掴まれたままなので諦めた。そもそも、心情的にはどうであれ、本来車中の女性は下車しなくとも許される。
「……そ」
魔術師は、権力から離れた立場であることへの自戒からか、魔術師同士では滅多に身分を名乗らない。貴族であることに変なこだわりを持つ者は爵位も名乗るが、彼らは少数派だ。
というわけで、エリリアナも伯爵を示す『デオ』を抜いて名乗ったのだが、それを聞いた少年は小さく応えるだけに止まった。残念ながら名前を教えてもらえる許可は貰えなかったようなので、エリリアナは大人しく引き下がる。
「で、引き篭りの魔術師殿が一体こんな所に何の用だ?」
エランディアがエリリアナから身を離し、御者台から軽やかに地面へと着地する。
馬の足を見て、傷は深くないと感じたのか、小さく息を漏らした。鼻筋を撫でれば、馬が興奮した様子から少しだけ落ち着いていく。
「研究は僕達の本職だよ、日光浴馬鹿。僕は仕事で来たの、密会気分のどっかの筋肉馬男と違ってね」
美少女も顔負けの綺麗な顔から、すらりと出てくる毒に、エリリアナは目を瞬かせた。
エランディアは慣れているのか、笑いながら肩を竦める。
「相変わらず、残念な奴」
「……何が」
「黙ってりゃ、男を引っかけ放題の可憐な少女でいけんのに」
「次の実験体への立候補ありがとう、エランディア。君がそんなに社会奉仕の精神に満ち溢れてるとは思わなかったよ」
「奉仕が職務の騎士ですんで」
青筋を立てて微笑む、リンクスと呼ばれた少年は、今にもエランディアに殴りかかりそうな空気をかもし出していた。
(えっと……二人は一体どういう関係で……というか、エランディア様は基本的にこういうスタンスの方なのか)
意地が悪いというか、人をからかうことがライフワークというか。エリリアナは、マックスに続きこの少年も大変そうだなあと、他人事のように構えていた。
少年はやがて深いため息をつくと、「阿呆らしい」と呟いてエランディアの横をすり抜ける。
「君と話してると、忍耐というものが消耗品に思えてくるよ」
「何処かで買えればいいんだがな」
多少機嫌が元に戻ったのか、気にするだけ無駄だと思ったのか、少年は不機嫌そうではあっても先ほどより遥かにマシな形相になる。彼はその足で馬のすぐ近くまでやってくると、小さく何かを呟きながら、杖を馬の足に当てた。
「治癒の術……?」
ぼうっと淡い光が杖の先に集まったかと思うと、その光はゆっくり馬の足首に移っていく。それに伴い、馬が気持ちよさげにぶるると震えた。ネズミの魔物に噛み付かれて赤黒く染まった部分は変化がないように見えるが、汚れの下にある傷口はきっと塞がったに違いない。
少年は馬の足を確認すると、整った顔を上げた。
治癒の術は相当魔術師としての能力が高くなければ行使できない高等魔術。それを事もなげに行った少年は、やはりかなりの実力者なのだろう。
「悪いな」
「別に」
あっさりと言った少年の顔からは、疲労は感じられない。素早く立ち上がり、腰に手を当てる。
「それで、本当に何でこんな所にいるのさ? 黒穴が異常発生してるの、知らない君じゃないでしょ」
少年はエランディアを疑わしげに見上げる。一瞬ちらりと彼は彼女に目を向けたが、すぐに逸らされてしまった。
別に騎士であるエランディアが魔物発生地帯にいるのは不思議でもないはず、とエリリアナは一瞬考えたが、すぐに答えに思い当たった。
(ああ、私と一緒だからか)
どう見ても非戦闘員の女官服を着た人間を、そんな危険区域に同行させた理由が、少年は気になるのだろう。なお、パンツスタイルなんて動きやすい格好を女性が着るのは、この世界の常識的にNGだ。
エランディアは少年の含みを感じ取ったのかいないのか、馬の足を念のため確認しながら言う。
「仕事で魔術陣を見に来たんだよ。この間報告で上がった『綻び』はこの先だろ?」
エランディアの返答を受け、少年の顔にありありと不信感が浮かんだのを、エリリアナは見た。非常に感情が顔にでやすい少年のようだ。そのあり方は、彼女にかつての主、イシュワルトを想起させ、ちくりと胸が痛んだ。もっとも、彼女の主は成長するにつれ、公務用の仮面をしっかり身につけたが。
「ふーん……君ってそんな真面目だったっけ? 少なくとも僕の記憶にはないんだけど」
少年が憎まれ口のようなものを叩けば、エランディアがエリリアナの方を振り返る。
「ま、俺は姫君の護衛をしてるだけなんでね」
唐突にエリリアナに向かって片目を瞑るエランディアと、胡散臭そうな視線を送ってくる少年に、エリリアナはどう反応していいか分からず、咄嗟に引きつった笑みを浮かべた。
「……君が? 何の為に?」
眉間に皺を寄せた少年が、初めてエリリアナをしっかり見据えた。山吹の睫毛に縁取られた深紅の瞳が、見定めるように彼女の上を動くのが、はっきりと感じられる。
(顔に『不審人物、警戒せよ!』って書いてあるなー)
警戒心もここまであからさまだと、いっそ清清しい。
(誤解は解きたいけど、守秘義務があるしなぁ……そんなのなくても、足を引っ張りかねない事態は避けるけど)
誰の、とはあえて言わないが、計略がくもの巣のように張り巡らされている王城で、迂闊に執務の話などすれば、後でどう転ぶか分からない。エリリアナは凡人であり、別に智謀に富んでいるわけではないので、危ない橋は渡らないに限る。
そんなことを考え、へらりと笑うしかできないでいる彼女に、エランディアが渡し舟出した。
「丁度いいから言っておくか。エルルゥ嬢、こいつはノルディ・ド・リンクス。見ての通りの魔術師で、魔術陣の案件では責任者になる」
エリリアナは正直、驚いた。こんな、日本で言えば高校生くらいの男の子が、王都全域を保護する魔術陣の責任者とは。
(というか、関係者だったのね)
感心すると共に、微妙に何か受けた嫌な感覚に関しては、疲労ということに無理矢理した。
「で、リンクス。先ほど名乗られたとおり、彼女はエリリアナ・デオ・トゥルク嬢だ。彼女も今回の件に参加することになった」
エランディアに改まって紹介され、エリリアナが頭を下げると、リンクスと紹介された少年は、怪訝な表情を取る。
「参加?」
カールハイツに渡された資料に目を通した範囲で分かったこと。今回の魔術陣強化の案件とは、その名の通り、過去二十年ほどメンテナンスだけで乗り切ってきた王都を守る結界陣を、術式を変えて強化・補強しようというものだ。当然関わる人間は多い。
エリリアナの業務は、あくまで提出された資料等の確認作業であって、別にわざわざ統括メンバーに直接挨拶しなければいけないような、重要な役ではないはずだった。
(まあ、カールハイツ様がわざわざ引き合わせたってことは、何か意味があるんでしょう)
上司の考えはさっぱり不明だが、とりあえず最高責任者には挨拶だろう。
「ドナウアー宰相の命により、主に書類等の補佐業務に参加させて頂くことになりました。改めて、宜しくお願い申し上げます」
「ドナウアー宰相?」
リンクスは、彼女の挨拶でも仕事内容でもなく、ピンポイントでよく分からない部分に反応した。唇に手を当て顔を顰め、しばらく考え込んでいたかと思うと、「あ」と声に出す。
「エリリアナ・トゥルク……魔力のない、奇異体質の魔術陣研究生?」
奇異体質とは随分な言われようだが、否定はできない。
「恐らく、そのエリリアナ・トゥルクです」
エリリアナが不承不承と言った様子で頷くと、リンクスは黙ってうつむいた。
気のせいでなければ、肩が小刻みに震えてる様だ。
「あの……リンクス、様?」
突然沈黙した魔術師を不思議に思い、エリリアナが声をかけても、相手は反応しない。
どうしようかとエランディアを見やれば、彼はニヤニヤとした笑顔を浮かべている。
「いかが――」
されましたかと、エリリアナが声をかけるよりも早く、当のリンクスが勢いよく顔を上げた。
そして、ビシッとエリリアナに向かって杖を突き出す。
「ということは、君が例の泥棒猫か!」
怒りを滲ませた声と表情で、妖精のような美しさを持つ少年は彼女に怒鳴った。
急にそんなことを言われたエリリアナはぽかんとして、ただ思った。
(……泥棒猫とか、リアルで言う人いるんだ……)




