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13 下見と忍耐・2

 エランディアは騎士団棟の前まで来ると、黒鉄で装飾された簡素な木の扉を開け、エリリアナの入室を促す。

 彼女はからかわれた不快感から、礼は言わずに軽く頭を下げるだけで中へと入る。

 扉をくぐった時に、エランディアが笑うような息を漏らした音が聞こえたが、エリリアナは努めて気のせいだと思うことにした。


「わ……っ」


 しかし、ふてくされ気味だった彼女の心は、一瞬で切り替わった。


「中々のもんだろ?」


 やけにすぐ後ろでエランディアが声をかけてきたが、エリリアナは棟の天井を見上げながら、コクコクと頷く。


「はい、圧倒されます……!」


 王城警備を担当する騎士団の精鋭たちが住まう、この騎士団棟は、城と同じく白亜の石造り。外部には無駄な装飾が全くなく、見る者に無骨とした威圧感を与える佇まいをしていたが、内部は全く違った。

 入ってすぐの空間は、四階分ほどの高さがある広大な吹き抜けになっており、真っ白な壁には、金色の房が付いたえんじ色と琥珀色、そして紺色の巨大なタペストリーが飾られている。

 二股の階段が中央の踊り場へそれぞれ伸び、踊り場で切り替えして更に階上へと繋がる。

 一階のホールには幾つか扉が見え、その脇に各種武器の立て置きスペースが設置されている。広大な空間にも関わらず、ホールに机や椅子のような物は見当たらない。


 しかし何よりもエリリアナが目を輝かせて見入っているのは、天井だ。

 ドーム状の天井は、採光の為に、天頂部以外が切り絵を思わせる造りになっており、硝子が填められている。

 足元へと目を落とせば、何も敷かれていない床面がカンバスのように、光によって影絵の如くドームの蔦模様をそのまま映し出している。

 城を覆う結界に天井部分が近いせいか、硝子から取り込まれる光はゆっくりと色を変え、床や壁、いや内部全体を淡い虹色に仕立てていた。


「これを見られるのが、王城勤務最初の褒賞って言われるくらいだからな」


 エランディアの言葉に、エリリアナは同意を示して強く頷く。

 確かに、王城勤務に上がるまで必死に鍛錬を重ね、その結果こんな幻想的な空間が迎えてくれたら、感動もひとしおだろう。

 エリリアナは幼い子供のように目を大きく開いて、天井と床を何度も交互に見ていた。


「……そんなに感動してもらえりゃ、働く身にも力が入る。今度またゆっくり見せてやるから」

「はい!」


 恐らく、エランディアに会ってから初めて、エリリアナは満面の笑みで彼を見た。

 エランディアは一瞬だけ真顔になったが、すぐに苦笑いに近い表情を浮かべ、エリリアナの頭をポンポンと叩いて階段の方へ歩き出す。


「? 何ですか?」

「いや、随分とお嬢様らしくねーと思ってな。良い事だ」


 誉めてないだろと言いたいような物言いに加え、ひどく子ども扱い――少なくともレディ扱いではない――をされた気もするが、エリリアナは予想外の芸術鑑賞に興奮していた為、気にはしなかった。

 笑みが自然に顔に浮かんだまま、エランディアを追いかける。


 彼は一階の正面右手にある扉の一つに近づき、ノックもなしに扉を開けた。


「エランディア隊長」


 中から、男性にしては少し高めの声がかけられる。

 こちらに駆け寄って来た二十代の青年は、この場には似つかわしくない群青色の長いローブを着込んでおり、魔術師であることが分かる。


「お出かけですか?」

「ああ、北東門へ送ってくれ」


 開け放った扉の奥に見えるのは、王城内で見たものより大きな移動陣だ。この青年は恐らく、移動陣担当の魔術師なのだろう。

 青年はエランディアの元に追いついたエリリアナに気がつくと、目を見開いてから表情を曇らせた。


「隊長……私用での移動陣の使用は禁止ですので……」


 『私用』という言葉からして、魔術師はエリリアナを、エランディアの個人的な付き添いだと思ったらしい。

 その言葉に、エリリアナは反射的に反論しようと口を開き、何を言うかすぐには思い当たらず止まる。


「女性の連れ込みだって本来なら――」


 更に彼女にとって不名誉極まりない邪推を続けようとする魔術師に、エランディアが口を挟んだ。肩を僅かに竦めて、しっしっと魔術師を内部へ追い立てる。


「どんな目で俺を見てやがるんだよ。仕事だ、仕事。ドナウアー宰相からも指示を頂いてるし、こんな所に女を連れ込む馬鹿は落馬しろ」


 そのやり取りを横で聞いていたエリリアナは、言葉を頭の中で反芻し、カールハイツの名にハッとした。頬を叩かれたような思いを抱く。


(馬鹿は私だ……今は仕事中なのに)


 今朝からの様子を思い返せば、エランディアの調子に惑わされて、いつの間にか彼女は大分感情的になっていた。

 常に冷静であるべき女官として、個人的な感情は隠すべきとされている。伯爵家のコネで入ったと言われないように公私混同を忌避してきた六年間が、笑い話にしかならない。

 魔術師がエランディアとエリリアナを見て『私用』だと判断したのも、エランディアに対する彼女の態度が女官らしからぬものだったからではないのか。魔術師は雰囲気を察するのに長けているから、おかしくはない。

 エリリアナは自分の頬を両手で叩くと、エランディアと魔術師に続いて部屋に入った。


(カールハイツ様の名前をお借りして来てるんだから、いつも以上にしっかりしなきゃ)


 移動陣の中にエランディアと並んで入り、しっかりと目を瞑っている間、彼女は心の中で呟いた。わざわざ勤務の時間を割いても良いと言ってくれた上司の顔に、泥を塗るようなマネは絶対に避けたい。


 しばらく後で魔術師の呪文が聞こえなくなり、光が収まったのをエリリアナは感じ取る。

 カールハイツ以外の人間と移動陣を使ったのは初めてで、まだ移動中だったら……と軽い恐怖に襲われたが、頼れる相手は此処にいないのだから、やるしかない。


(普段、どれだけカールハイツ様に寄りかかりまくってたんだって話だけど)


 意を決して、エリリアナはそっと目を開けた。


 結論から言えば、移動は問題なく完了していた。

 足がいつも以上にふらついてはいたが、何とか千鳥足にならずに移動陣を出る。エランディアが何か言いたそうな顔をして見ていたが、それは見て見ぬふりをした。


 移動陣のある部屋を大きな両開きの扉を通って出れば、三メートル四方の空間があった。正面には似たような大扉、左右には鉄の梯子がかけられている。

 エランディアが正面の扉を開くと、すぐ目の前に家々が見える。王都の北東門へ移動したということだろう。


「さて、問題なく到着だな。エルルゥ嬢は馬に乗れるか?」


 玄関らしき空間を出て、エランディアは真っ直ぐ隣にある馬小屋へと足を向けた。


「馬、ですか……?」


 二人が今出てきた、三階建ての監視塔を見上げつつ、エリリアナは彼について馬小屋へと入る。八頭ほどの馬を通り過ぎながら、彼女は言いよどんだ。

 乗馬の経験はある。

 貴族令嬢として当然の嗜みと、アリナーデに特訓させられたからだ。


「一応乗れますけれど……正直に言えば、駆けさせる事は出来ません」


 この国の貴族の女性が乗馬服として着るのは、乗馬ドレスだ。普段着のドレスよりは装飾が少なく、丈夫な素材で作られたロングドレスを着て、サイドサドルを使い馬に横乗りする。


(だってめちゃくちゃ怖いんだもん、あの体勢!)


 上下運動する馬に、不安定な横乗りをする上、革のサドルのせいでドレスがつるつる滑ること滑ること……エリリアナは思い出すだけで胃が痛くなってきたように感じる。走らせなどしたら、間違いなく落ちる。


「了解した。じゃあ、こっちだな」


 エランディアは彼女の答えを聞いても特に何も思わなかったようで、馬小屋をそのまま抜け、監視塔からは見えていなかった裏手に出る。


「これは……」

「馬車。一人用の簡易式だけどな」


 そこに用意されていたのは、御者席を追加した人力車のような装丁の車と、それにつながれた栗毛の馬。

 無理をすれば二人くらい乗れそうな馬車は、黒塗りに赤いクッションが敷かれ、寒そうではあるが座り心地は悪くなさそうだった。


「アミルを連れて来てくれ」


 エランディアは馬小屋で働いてた男性に声をかけると、栗毛の馬を優しく撫でる。馬がそれに反応して、気持ちよさげにブルルと身体を震わせた。


「ではお嬢様、お手をどうぞ」


 道化のような口上で、エランディアが身を屈め片手を差し出す。

 何処かで見たような光景に、一瞬嫌な顔をしそうになったが、ぐっと我慢する。


「ありがとうございます、エランディア様」


 にこりと笑いかけ、ふと何かに思い当たり、エリリアナは笑みをさらに深める。


「お気遣い頂き、恐縮ですわ。……お優しいのですね」


 微笑みつつ手を乗せれば、エランディアが虚を突かれた様な表情で目を瞬かせた。

 先ほどまで淑女扱いに不満を表していたのに、突然豹変されては、こういう反応にもなるというものだろう。

 エリリアナは思わず、してやったりと性の悪い笑顔を浮かべてしまいそうになったが、慌ててそれを押し止める。


(危ない危ない。女官スタイルを貫くって決めた直後に崩れるところだった)


「……あー」


 からかわれた事に気付いたのが、エランディアはばつが悪そうな顔で彼女を車の座席へと誘導した。そのまま彼は先ほどの作業を申し付けた男性に呼ばれ、馬車の陰になる部分へと移動する。

 エリリアナは座席にもたれかかりながら、結局にやりと不気味に笑った。

 どうやらエランディア、人を食ったような性格をしているらしいが、自分がされるのは苦手らしい。


(冷静になれば、結構付き合いやすい方かも。……ふっ、社会に揉まれた元アラサーは、ペースを握られるだけの純情さは投げ捨ててるのよ)


 カールハイツの名に泥を塗るまいという決意に加え、とりあえず溜飲が下がったエリリアナは、すっきりとした表情でエランディアがやって来るのを待っていた。


「待たせたな」


 エランディアが、白毛の馬を連れて戻ってきた。

 見れば、しっかりと馬具を装備されている。

 馬車とそれを引く馬は既に用意されているため、エリリアナには何故追加の馬が必要なのか理解できなかった。


「エランディア様、どなたか一緒に行かれるのですか?」


 だからもう一人追加で同行するのかと思い尋ねれば、彼は首を振る。


「いや、俺一人だ。この馬は緊急時に俺が乗る為だな」

「緊急時?」


 聞いても、よく分からなかった。


「此処にいる馬は、緊急時は街まで戻ってくるよう、躾けられてる。いざとなったらエルルゥ嬢を乗せたまま街まで運んでくれるだろうが、そうなったら残った俺には足がなくなるからな」

「ええと……無知で申し訳ございません。ですが、エランディア様も一緒に馬車に乗るわけですよね? でしたら置いて行かれる事はないと思うのですが……」


 エリリアナがそう聞けば、エランディアの方こそ僅かに首を傾げる。


「魔物が出たら退治するのは俺の仕事だろう? 俺の力を信頼してくれるのはありがたいが、何事も万が一を考えるべきだからな。その場で守れなかった場合も考慮するさ」


 エランディアに告げられた言葉に、エリリアナは固まった。


(今、何て言った?)


 エリリアナは、聞き間違いだと願いつつ、確認する。


「魔物……?」


 トゥルク領でもたまに現れたが、あれは深い森の中が多かった。

 王都のような開拓された土地で、人も多く警備もしっかりしているのに、魔物など出るのか。

 少なくともエリリアナは、トゥルクの森以外で――それもわずか二回だが――この七年間魔物など見たことがない。


 しかしエランディアは、あっさり答える。


「ああ、王都の周辺は割りとな」

「!?」


 口を大きく開けて驚愕したエリリアナに、彼は「だから俺が同行するんだろ」と呆れたように付け足した。


(え、じゃあ私、これから魔物の出没地帯に突っ込んで行くってこと……?)


 さっと、血が引いていくのをエリリアナは感じた。


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