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02 四十八歳、鬼宰相

 エリリアナが赤い毛足の長い絨毯が敷かれた執務室に入ると、中央の豪奢な机に向かっていた、カールハイツが顔を上げた。


「魔術陣の写しは済んでいますか」

「はい。先ほどはありがとうございました。お手数おかけ致しまして申し訳ございません」


 エリリアナは、カールハイツに向かって深々と頭を下げた。

 それを受けて、彼は表情を動かさずにペンを置くと、書類作業用にかけていた眼鏡を外す。


「――では、報告を受けがてら昼食にしましょう。用意をお願いします、エリリアナ」

「かしこまりました」


 呼ばれ、エリリアナは礼を取り、部屋を後にする。

 お忙しい宰相閣下の時間を頂くのだからと、急いで昼食とお茶の準備をするべく、厨房へと足を向けた。


 そして戻ってきたエリリアナはいつものように、彼――宰相閣下の執務机の前に置かれた応接セットのテーブルに、昼食を並べる。

 銀食器を手に取る彼の姿は、優雅の一言に尽きた。


 此処は、アセルナード王国王城の宰相執務室。

 当然部屋の主である男性は、この国の宰相である。


 エリリアナの言葉を使うなら、部屋の主――カールハイツ・ルノ・ドナウアー侯爵は、まさに「執事様!」だった。

 生来の青銀髪をビシッと撫でつけ、黒の燕尾服を連想させる正装を着こなし、座っていても崩れない姿勢の良さ。

 四十八という御年を疑うほど体躯がよく、経年で顔に刻まれたいい感じの皺が、湖面のような藍色の瞳と相まって、また魅力を惹き立てている。

 常に丁寧語で話し、滅多なことでは乱れぬ表情も、大人の魅力。


「魔術陣は、いつも通り其方の壁にお願いします」


 カールハイツは宰相という身分でありながら、リッツハイム公爵家の三男として、若い頃は武勲で身を立てた武官でもある。

 家督を継がない三男にも関わらず、侯爵という異例の高位爵位を持っているのは、その為だ。

 魔術でトップなのは、魔術師長のカナリア・ルノーア。剣術一は、王太子の護衛騎士であるクラエス・ド・ハイロッド。

 だが一番の実力者は、高等魔術を巧みに操り剣術もこなすカールハイツだと、既に現役を退いた身でありながら、今も謳われている。

 ちなみに、宰相閣下としての評価は『鬼』に尽きる。


「今回使用した陣は、こちらです」


 エリリアナは、先ほど地下室で展開した魔術陣をあらかじめ転写していたものを、壁に貼り付ける。

 赤いインクで描かれたそれは、三重円を基調とし、その合間合間にびっしりと文字を並べたものだ。両腕を広げた程の実寸大にして、作成所要時間は約半日。


「ふむ」


 カールハイツは、優雅に食事を進めながら、描かれた文字を解読していく。


「何故、大地と水の呪語を交互に使ったのですか? そこは火を囲むように螺旋状に並べるのが定石では?」

「最初はそうしたのですが、実験するまでもなく結界強度に問題がありましたので、変更致しました」


 エリリアナは魔法が使えない。恐らく、この世界で唯一。

 だから、文様自体が力を持つ魔術陣を求めた。

 しかし魔術陣の研究は非常に不人気の為、魔術学校を保有するこの王都でも、教師となる人間は非常に少ない。効力を発揮するのに、手間と時間をかけて誤差の無い陣を書かなければいけない魔術陣は、汎用性に欠けるからだ。


「なるほど……スライムの攻撃にすら耐えられなかった原因は、恐らくそこでしょうね。複数の属性を纏める力がやや足りないようです。もう一属性、文言に加えてみて、様子を見ましょう」

「了解いたしました」


 彼女が数日がかりで図式を考え準備した陣を、師とはいえこれほどの短時間で読み、問題点を指摘する。

 宰相閣下に与えられた『鬼』という評価は、性格に対してだけではない。


「……あの、カールハイツ様」

「なんでしょう」


 躊躇いがちにかけられた声に、カールハイツは調子を変えることなく応える。


「同じ陣に何度もお手数おかけしまして、申し訳ございません」


 カールハイツは、二度目の失敗には容赦しない。


(後で、どっかーんとくるんだろうか)


 そう思うと、エリリアナは気が気ではなかった。


「同じではないでしょう」

「え?」


 彼女の方を見ず、流れるような動作で魚を切り分けながら、カールハイツは続ける。


「前回よりも文章は簡潔、しかし構成は複雑に。術の安定性も考慮し陣を修正、魔術陣の描画時間も減少している。ほぼ独学に加え、圧倒的に時間が不十分なのに向上を見せる生徒に、文句は言いませんよ」


 淡々と述べるカールハイツ。

 その直接的な誉め言葉に、エリリアナは目を見開いた。実は、魔術に関して彼にこのような言葉を貰うのは、これが初めてだった。

 女官としては、ある。

 彼女とてもう七年城勤めをしているのだから、メイドに必要な技能は身につけたと自負しているし、女官としての各書類の確認業務も、元の世界の数学知識を駆使して他の官吏より速度・精度共に高評価を頂いている。

 だが魔術に関しては、まだ半年のヒヨッコだ。未だ基礎中の基礎しか習っておらず、思ったような結果も中々出ない。

 センスがないのか。そう、半ば諦めのような気持ちも出てきた頃で。


(見てて、くれたんだ)


 胸に、温かいものが満ちる。

 カールハイツは休日も満足に取れないほど多忙を極めているから、彼女などに気を回す余地などないと思っていたのだ。


「私……頑張ります、閣下」


 きっと嬉しくて変な顔をしていただろうが、こちらを向いていないカールハイツには見えないから、別にいい。


「そうなさい」


 案の定彼からは、常と同じ平坦な調子の声が返ってきた。

 その後しばらくは、カールハイツが食事をする横で、魔術陣の改善策について早速思案を巡らせた。


 カチリと、カールハイツがフォークを置いたことに気付き、エリリアナは我に返る。


(いけない、午後に入ったら魔術陣は忘れなきゃ。今の私は女官よ、女官)


 すぐに食器をトレーに片付けると、茶器を一客、彼の前に置く。


「今日のお茶はトゥルクからの直送品です」


 言いながら、“実家”から送られてきたお茶の準備を進める。


「ああ、以前頂いた……あれは美味でした」


 わずかにまなじりを緩める彼に、エリリアナも自然と笑顔になる。


「今年は出来が良いので、きっとカールハイツ様のお気に召しますわ」


 エリリアナも魔術陣のことを頭の片隅に追いやり、嬉々として食後のお茶の準備を進める。


 今は隣国へ婿に行ってしまった第三王子に、六年間も唯一の侍女として付き添ってきたエリリアナは、伯爵家の娘ではあるが、茶の準備などお手の物。

 義姉の領地であるトゥルク領から送られてきた新茶は、僅かに甘い香りがする良品だ。

 カールハイツは彼女からしてみたら、『完璧』を体現したような人間だ。常に余裕をもって物事に構える反面、感情が分かりづらい。

 ただお茶は好きなのか、上手く淹れられた時に、ふと表情が柔らかくなる。


「そうそう、今日はこの茶葉を練りこんだおからクッキーを持って参りました」


 忘れそうになっていた茶菓子を、ここぞとばかりにトレーから小皿に乗せる。

 エリリアナは日本の味を懐かしむあまり、仕入れた大豆(のように見えるもの)を豆乳とおからにし、日々の食と健康に役立てているのだ。


「有難うございます。貴女の作る物は、この老体にもよく馴染む」

「……カールハイツ様がご老体でしたら、この城から騎士と名乗れる者が殆ど消えてしまいますよ?」


 困ったように、エリリアナは笑った。

 武官としての実力も、知将としての実績も未だ脅かされることのない、この宰相が『老体』ならば、誰が基準値を超えられるというのか。

 飄々とした目の前の方は、それ以上何も言わず、しっとりに仕上げたクッキーを口にしている。


(閣下は、割と甘いもの好き。『鬼宰相』と評する人たちは、きっと知らないんだろうなぁ)


 絵に描いたな流麗な動作で茶器に手を付けるカールハイツを横目に、エリリアナはそんなことを考えていた。


 その時、コンコンッと、ノックする音がする。


「カールハイツ様」

「開けなさい、エリリアナ」


 念のため彼の許可を得てから、エリリアナは扉へと向かう。

 が、彼女が扉に手をかけるよりも前に、内開きの扉が勢いよく開いた。


「きょ、許可も得ずに入室するなど――」


 室内の者に許可も取らずして扉を開けるなど、無礼にもほどがある。

 エリリアナが、宰相の秘書役として抗議するべく声を上げると同時に、闖入者が口を開いた。


「久しぶりだな、エルルゥ」


 扉を開けて入ってきた男は、不敵に微笑むと、エリリアナの愛称を呼んだ。



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