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 00.7 月と夜・4

 その様子を見て、エーベルハルドは口元を僅かに吊り上げる。


「そんなに怯えるな。その姿では嗜虐心を煽られて猫でも虎に変わるぞ」

「え?」


 エーベルバルドの言葉が理解できなかったエリリアナは、きょとんと聞き返す。その様子に王子は苦笑いの表情を浮かべ、続ける。


「本題に入ろう。今日出向いたのは、貴女に――」


 王子の話は、そこで途切れた。

 大きな、それこそ耳を塞ぎたくなるような音を立てて、廊下に繋がる扉が開いた。


「エルルゥ!!」

「な、なに――う!?」


 突如飛び込んで小さな影は、一気に距離を詰め、そしてエリリアナに突進した。

 その影がタックルをかましてくれた腰には強い衝撃が走り、エリリアナは息が出来ない。腰も痛い。ゴキッと、あまり聞きたくない音が腰から聞こえたのは、彼女の気のせいではないだろう。


「こ、腰が……」


 思わず呟けば、腰にくっついた影が、その身を放した。


「エルルゥ、ごめん、ごめんね……っ!」


 影――少年が、大きな蜂蜜色の瞳を揺らし、エリリアナを見つめた。


「イ、イシュワルト殿下……?」


 部屋に乱入し、エリリアナに強烈なタックルを浴びせ、今捨てられた子犬のような愛らしい表情を見せているのは、一昨日出会った第三王子イシュワルト殿下だった。


「イシュワルト殿下!」


 すぐに慌しい音を立てて、二人の騎士が部屋に入ってきた。どうやら、護衛騎士のようだ。

 彼らはエリリアナに抱きついたままのイシュワルトに駆け寄ろうとしたが、それをエーベルハルドが手で制す。


 肝心の少年は、騎士の登場にも全く反応しない。

 まるで離したらエリリアナが消えてしまうかのように、イシュワルトは短い腕を精一杯彼女の身体に回し、抱きついていた。


 柔らかい金色の髪に、ぽよぽよとした身体つきの御年わずか六歳の少年は、溺れた者が縋る浮き木のように、エリリアナに抱きついた腕に力を込める。

 その腕は、僅かに震えていた。


「殿下……」


 腰は鈍痛を訴えているし、握られた手が傷に当たって酷く痛いし――恐らくかさぶたが数箇所捲れたのではないか――頭は状況を把握できていないが、幼子が無言のまま震える手ですがり付いてきたのなら。


「殿下」


 細くしっとりとした金色の髪に指を通し、頭を撫でる。空いた手は彼の背中を摩り、少しでも熱を与えようとゆったりと動かした。


 やがてイシュワルトの身体から力が抜け、緊張を解いたのが分かったが、身体を離そうとはしなかった。


「エリリアナ嬢」


 どうしたものかと困っていた彼女に、エーベルハルドから声が掛かる。

 イシュワルトから顔を上げて王太子に目を向ければ、彼は相変わらず笑みを浮かべている。

 ゆっくり、唇を動かし、彼は言葉を紡いだ。


「そこのイシュワルトは今年後宮から一般宮に移ってから、護衛は撒く、勉学は抜け出す、悪戯は度が過ぎる、物は壊す――」

「にいさま!!」


 イシュワルトが抱きついたまま顔を上げ、兄王子に向かって怒鳴るが、当のエーベルハルドは目を細めた微笑を浮かべたまま、気にせず続ける。


「さらに侍女を次々と首にするような悪ガキだが」

「わーわーわー! にいさまのばか!」


 必死に兄王子を止めようと声を張り上げるイシュワルトだが、エーベルハルドは全く取り合わない。

 一瞬笑みを深めた後、エーベルハルドは、組んでいた長い足を解くと、背もたれから身体を放し、真っ直ぐにエリリアナを見据えた。

 笑みが顔から消え、太陽のような、黄金色の瞳が彼女を貫く。


「――だが、それでも私の弟だ。伯爵令嬢ともあろう貴女が、身体どころか顔に傷まで付けて弟を庇ってくれたことに、深く感謝する」

「……王太子殿下……」


 凛とした空気の中、エーベルハルドの後ろに控えていたクラエス、そして途中で部屋に入ってきた二人の護衛騎士が、彼女に向かって頭を下げた。

 王族として、謝罪や低頭することが出来ない主に代わってなのだろうか。綺麗に下げられる三つの頭に、エリリアナは困惑するばかりだ。


「恐れ多うございます。私はただ……何も考えていなかっただけでございますので」


 小さなイシュワルトの背中を撫でながら、エリリアナはそう答えた。

 真実、彼女は別に何か考えて行動したわけじゃなく、「危ない」と思った次の瞬間には勝手に体が動いてただけなのだ。

 天使のようなイシュワルトに傷がつくより、十把一絡げで投売りされそうなエリリアナが傷つく方が、人類にとって有益だろう。


「ごめんね、エルルゥ」


 イシュワルトが、とても申し訳なさそうな顔――悪戯が見つかった子犬のよう――で、くいくいとエリリアナの袖を引いた。

 まさに、天使!

 そんなキャッチフレーズが、イシュワルトの背後に付きそうな表情である。エリリアナは、にっこりと笑って、頭を撫でた。


「いいえ、イシュワルト殿下」


 そう言えば、イシュワルトはくすぐったそうに目を細めて、すりすりと頬を擦り付けるように彼女の体に再度抱きついた。


(ナニこの可愛い生物!)


 うふふと、怪しい笑いを漏らしそうなエリリアナに、エーベルハルドが声をかける。


「実際に行動できる者は、至極稀だ。まして、貴族のご令嬢なら尚更に」


 確かに、エリリアナがとった行動は、慎ましやかな貴族令嬢としては規格外だ。アリナーデからその場にいたら、泡を吹く……いや、扇でもエリリアナに向かって投げつけるだろう。


 再度口角を上げたエーベルハルドは、クラエスに顎で合図すると、クラエスは一枚の紙をエリリアナに差し出した。


「? こちらは……」


 書類のヘッダー部分にあるのは、王家の紋章。

 王族の認証を受けた、正式書類だ。


 そして、デカデカと、太字で見出しが書かれていた。

 ――『任命書』と。


「貴女の行動に再度感謝すると共に、貴女をイシュワルト付きの侍女として任じたい」


 告げられた台詞に、エリリアナは目を見開いて、エーベルハルドを見た。


 ――王子付きの侍女。

 アセルナードの王子には、常に護衛の騎士は付くが、侍女は専属では付かない。幼い頃は勿論乳母がいる。だが、後宮を出る六歳の時点でそれもいなくなる。その後は部屋付きとして、複数名の侍女が交代で控えてはいるが、伴って歩くということは無い。

 恐らく醜聞対策なのだろうが、連れ歩く従者が必要な場合は、男性の侍従がその任に当たる。

 というわけで、第一王子エーベルハルドには護衛騎士のクラエスが、第二王子には護衛騎士二名と侍従一人が、そして第三王子イシュワルトには、二名の護衛騎士が付いているのみだ。


「ほんと!? にいさま!」


 困惑するエリリアナと異なり、イシュワルトは喜色満面の様子で瞳を輝かせている。


「王太子殿下、お言葉では御座いますが……」


 エリリアナはそう発言したが、どんな言葉を続ければいいのか分からず、口を閉じた。

 王子付きの侍女だなんて予想外の異動に、何を感じればいいのか。


「エリリアナ嬢、貴女のことは多少調べさせてもらったと言っただろう? 中央書記室長と女官長からは共に、『人格・教養共に問題なし』との評価を貰っている」


 ちょっと女官長おおお、とエリリアナは心の中で訴えた。


 中央書記室には、全ての書類が集まる。

 後宮は、手続きの上では中央書記室直下扱いになる為、書類や各種業務の都合上、中央書記室の書記官および室長と、エリリアナは面識があった。そもそも後宮で働く女性官吏は少ないし、書記室が修羅場の時にうっかり書類を提出しに行って、そのまま労働力として徴収された事も少なくない。

 女官長は、数少ない王城の女官を取りまとめる女性で、主に後宮の庶務室にいた為、同じく関わりが多かった。


「で、ですが私は殿下をお守りする力も御座いませんし」


 異世界人の彼女は、魔力を持たない。

 映画のように魔法を使えないどころか、他人の魔法に反応する魔力も無い為、治癒の術を含んだあらゆる魔法が、彼女には効かなかった。

 侍女になるなら、多少なりとも護身の術があるべきだろうが、エリリアナには無い。


「護衛ならそこの騎士がいる」


 エーベルハルドは親指を背後に向けて、イシュワルトに続いて入ってきた二人を指す。

 騎士二人はそれを受け、誇らしそうに頷いている。


「第一、貴女がいれば魔法による襲撃を無効化できるだろう。これは十二分に大きな利だと思うが」

「しかし……」


 確かに、彼女は自衛手段として魔法を使うことが出来ない。

 だが同時に、魔法は彼女を傷つけることが出来ない。……服は傷つくが。

 なおも口ごもる彼女に、エーベルハルドは手元の書類を指した。


「ちなみに、その書類に記載されている通り、既に陛下の許可を頂いている。後は、貴女の返答次第だな」


 にやりと、エーベルハイドは笑う。

 イシュワルトは、きらきらとした、期待に満ちた笑顔をこちらを向ける。


(この王子様方、性質が悪い……!)


 国王陛下が受領済みの話に、たかが伯爵家の小娘程度が何を言えるというのか。

 イシュワルトは単純に嬉しいのだろうが、その純粋な瞳は何よりエリリアナの退路を塞ぐ。


(そもそも、なんでこんなに懐かれてるの?)


 エーベルハルドは、完全に事態を楽しんでいる。悪趣味ぃ……そう口に出さなかった自分を、彼女は褒め称えたいと思った。

 一体誰が、前例があるとはいえ、特別処理である王子付き侍女の話など持ち出したのか。エリリアナは、答えはどうせ目の前にいるんだろうなぁと、エーベルハイドを一瞥する。

 相手からは、美しくも悪役的な笑顔が返ってくるのみ。


「……イシュワルト殿下、よろしいのですか?」

「うん! エルルゥがいっしょならボクがんばるって、にいさまにやくそくしたもん!」


 どうやら、王太子殿下は、既にエリリアナ以外全てに根回し済みらしい。

 エリリアナは思わずつきそうになったため息を大きく吸い込み、目を閉じる。


(……うん)


 ゆっくりと、口角を上げ、小さな天使のようなイシュワルトに視線を固定する。

 事情はよく分からないが、この小さな王子が味方を求めているのは分かった。


(『ボクが面倒なら』――みたいなことを、メイドに叫んでたし)


 イシュワルトを見て、エリリアナは口を開いた。


「はい、イシュワルト殿下。エリリアナ・デオ・トゥルクは、誠心誠意を以って、貴方様に仕えさせて頂きます」


 そう言い、抱きついていたイシュワルトの両手を取り、ソファから降りて目を合わせた。

 イシュワルトは目をぱちぱちと瞬かせ、不安そうな顔で兄とエリリアナを交互に見やる。

 視界の端で、エーベルハルドが、頷くのが分かった。


「イ、イシュワルト・フォイル・アセルナードは、エルルゥをじじょとしてみとめます」


 赤くなり、ぎこちなく言葉を続けながらも、小さな王子は言い切った。


「エルルゥ、いっしょにいてね」


 ささやかに紡がれた言葉に、エリリアナは笑みを深めた。

 一度イシュワルトから手を離し、立ち上がってからエーベルハルドに臣下の礼を取る。


「エリリアナ・デオ・トゥルク、未熟ながらもイシュワルト殿下のお側付きの任、拝命致します」



 ――これが、王子付き侍女になった、きっかけ。



 生母である側妃が産褥で亡くなり、保護者のいないイシュワルトは、生まれてからずっと情緒が不安定だった。

 絶対的な庇護者である母はなく、外戚である伯爵は政権争いに負けて中央より退けられており、後ろ盾が全くない状態だったのだから、無理もない。

 才覚の片鱗は見せているものの、それを生かす気も生かせる状態でもなく、このままイシュワルトは腐れていくのかと気にかけていたのが王太子だったのだという。


 そしてあの日、自分を身を挺して守ったエリリアナに、初めてイシュワルトは強い執着を見せた。

 だから、試してみてもよいかと思ったのだ……そう、エーベルハルドは後に語った。


 それは裏を返せば、役に立たぬようなら『処分』するつもりだったとも取れるのだが、処分される危機にあったエリリアナは気付いていない。


 なお、アリナーデに手紙で報告した直後、「でかした」の一文が添えられた茶菓子が届いたのには、エリリアナも苦笑した。



次話から本編に戻ります。

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