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 00.5 月と夜・2

 そして、王城で働き始めたエリリアナが、ようやく一人での仕事を任された頃。


「あー、腰が痛い」


 普段「うふふ、そうですわね」とか何とか言っている彼女だが、たまにはこうして外で一人にならないと、鬱憤が溜まって仕方ない。

 慣れてみればお嬢様言葉も、敬語と同じような感覚で使えるようにはなるが、それでも独り言でまで「まだまだ精進が足りませんわね」とは言えない。


 朝は空が白み始めた頃に起床し、冷たい水で身なりを整え、高貴なる方々が目を覚ます前に、ある程度の清掃や食事の準備を完了させる。

 まだ入城半年のエリリアナは、直接お妃様方や王家の方々に食事を運ぶことはない。

 清掃から始まり、広大な庭のお手入れ、官吏との伝達役を経て、今は後宮外との交渉ごとにも携われるようになった。

 後宮にも、勿論あれこれ入用な物があるし、それらを管理するには書類仕事が必要だ。会社勤めの経験から、現代の感覚で書類作成に多少コメント――作成された書類の内容や形式が遠回り過ぎて分かりづら……げふんげふん――した結果、事務・管理作業を主とする庶務室の担当になった。

 現代知識としての数学知識も、無駄ではなかったらしい。

 ここで初めて、彼女は『メイド』ではなく『女官』と名乗れるようになった。


 今では業務を通じて後宮外に知り合いも増え、見た目華やかな王城生活、というか美男美女盛り沢山の人間観察を楽しんでいる日々である。

 美人さんがいっぱいだー、と日々微笑みの下にオヤジのようなにやけ顔を隠しているエリリアナだった。


「しっかし腰痛ヒドイなぁ。こんなことなら、整体師の講習とか受けとくんだった」


 腰を少々捻れば、ゴキリという良い音がする。デスクワークに、肩こり腰痛は付き物だが、辛いものは辛い。

 月末で修羅場状態の職場から休憩を何とかもぎ取り、庭まで出てきたエリリアナは、両腕をぐるぐると回す。

 どうせだから、もっと人のいない所まで行こうと、後宮と王城を繋ぐ渡り廊下の脇にあるバラ園までやって来た。この場に人が来るとすれば警備の騎士たちだが、バラ園は後宮のすぐ近くにある為、あらぬ誤解を避けようと男性はあまり近寄らない。

 渡り廊下から離れて、建物の影に入れば、誰に見られることもない。エリリアナにとっては好都合な、息抜き場所だった。

 ここぞとばかりに、腕をぶんぶんと振り回す。

 それだけで肩こりが治ることなど勿論なく、一息つくと、辺りを見回す。

 芳しいバラ園には、やはり誰もいない。

 庭園は、観賞用に階段五段分ほど少し敷地が低くなっているので、その広大な窪地にさえ入らなければ、まるで不思議の国のアリスのように、植木が迷路の如く連なる庭園が見渡せる。


「よし」


 息を吐くと、脳内で慣れ親しんだ音楽を口ずさむ。


(ラジオ体操第一~)


 そして、身体を例の如く動かし始めた。

 そんな、この世界の人からしてみれば奇妙極まりない行動を取っているエリリアナ――伯爵令嬢という肩書きが大泣きだ――の耳に、何やら複数人の声が聞こえてくる。歓談というより、喧騒に近い声。


「ん?」


 慌てて大股開きの体勢を止め、服装の乱れを整え、髪を撫で付けると、キョロキョロと辺りを見回した。


「ばかばか! お前たちなんか大きらいだ!」


 渡り廊下の手すりを飛び越え、地面に降りる小さな影と、困ったようにそれを目で追うだけの二人のメイド。


「『めんどう』なら、ボクのことなんかほうっておけばいいだろ!!」


 小さな影は五歳くらいの少年で、甲高い声を悲鳴のように発しながら、そのまま草を踏みしだき、バラ園に飛び込む。遊歩道どころか、少年は彼にとっては随分と背丈の高い植木の中に突っ込んで行った。


(ちょっと!?)


 あわあわと、女官が渡り廊下で右往左往しているのが見て取れた。

 後宮メイドは、貴族の子女が大半。美しい腕に綺麗な靴のお嬢様は、手すりを乗り越え庭にそのまま駆け下り、植木を掻き分けるなど決してしない。


 エリリアナの場所からは少年の姿は見えない。でも、がさがさと揺れる植木のおかげで、彼の位置は追跡できた。

 バラ園とは言え、植えられているのはバラばかりではない。少年が突き進んだのはツツジの茂みだったが、彼の走っている方向からして、いずれぶち当たるのは棘つきバラの茂みだ。

 品種改良を重ね、美しい紅の花弁を咲かせる特別種は、棘が通常の物より遥かに鋭く大きい。子供があの勢いのまま触れれば、どうなるか。


 エリリアナは、そう推測した瞬間に駆け出した。


 お嬢様のふりも、スカートを両手で少々持ち上げることもせず、遊歩道から抜けて植木に自ら踏む込む。枝が女官服に引っかかり、肌を傷つけ、服を破っても、少年に向かって最短距離を選び走る。

 少年に追いついた時には、もうバラの目前だった。


「危ない!」


 今更そんなこと言っても、なんとも間抜けだとは思うが、エリリアナは叫んだ。

 その声に少しだけ速度を落とした少年だったが、急激に止まれるわけもなく、そのままバラに全身を絡みつかせようとしていた。

 エリリアナは飛びつくように少年を胸に抱きこみ、咄嗟の判断で僅かに方向を変えたものの、そのまま植木に倒れこむ。


「くぅ、う……っ!」


 バキバキと音を立てて枝が折れ、美しい花弁の奥に存在する葉や枝の棘が、少年を抱え込んだ彼女の頬や手足を抉り、傷つけていく。

 それでも少年を傷つけまいと、エリリアナは彼を抱く力を弱めなかった。

 音が止み、倒れこんだ先の大地と自分の身体の間にある枝が、僅かに身体を動かすだけで棘を突き立ててくる。

 正直、今の自分の身体がどうなっているかは考えたくはない。


「うう、なぁに……?」


 少女のような甘い、幼子独特の声が、腕の中から聞こえてくる。

 声に促されるように、腕の中を見れば、金色のふわふわした髪が動いている。

 エリリアナは痛みに耐えながら目を開け、状況を確認する。


 倒れ込んだ茂みはベキベキに折れ、美しい紅バラは散乱し、彼女のヘッドドレスが遊歩道に転がっている。

 しかしどうやら、相当派手に突撃したお陰か周りの茨は全て破壊済み。彼女達に覆いかぶさる枝はなかった。

 このまま腕の中の幼子を放しても、問題ないだろう。遠くからは、複数の足音が近づいて来ている。

 エリリアナは、少年を腕の中から解放すべく、ぎこちなく腕を動かした。


「い……っ」


 身体の下のバラの枝が、彼女の動きに合わせて棘を突き刺してくるのを何とか堪え、少年を引き寄せていた手を放す。

 恐る恐る顔を上げた少年が、泣きそうな顔で彼女を覗き込んだ。


(う、わぁ……)


 一瞬痛みも忘れ、エリリアナは少年を見つめ返した。


 緩やかにカーブを描く金色の髪が縁取る、真っ白な肌。泣きそうになった為に上気した頬は桃色に染まり、完璧な形の小さな唇は美しい紅色だ。

 何より、涙を湛えて彼女を見据える蜂蜜色の大きな瞳が、日の光を映して清らかな美しさを演出していた。

 一言で言えば、天使の様に愛らしい少年だった。


「だい、丈夫ですか……?」


 少年の可愛らしさに励まされるように、声を絞り出すと、抱かれたままの少年の身体が大きく跳ね、直後大きな瞳に涙が溜まる。


「う、うわぁぁああん!!」


 火がついたように泣き出す少年に、エリリアナは慌てた。

 どうしようとうろたえるが、正直、体中に突き刺さる棘が痛すぎて、身動きが取れない。


「大丈夫、大丈夫ですから」


 何とか宥めようと、手首から先だけ動かして、幼子の頭を撫でる。

 だがそれが逆に働いたのか、少年は更に大きな声で泣き出した。


(うわあああ、私も泣きたいー!)


 少年は小さな手で彼女の服をぎゅっと握り締め、頭を胸にこすり付ける様に泣きじゃくり、全く収まる様子が無い。

 全身は痛くてまだ起き上がれる気がしないし、小さな子は泣き止む気配はないし、やっぱり体中痛いし、少年は泣いてるし……エリリアナは非常に混乱していた。

 何か気の利いた事でも言えればいいのだが、口を動かす度、茨に傷つけられた頬がじくじくと痛みを訴えかける。


「イシュワルト!!」


 そこに救世主が現れた。


 白い服を身につけた、さらさらの黄金色の髪に橙の瞳を持つ青年。そして、短い黒髪に青色の瞳、白い騎士の甲冑を身につけた青年だ。

 金色の髪の青年の声を聞いて、胸の中の少年が弾けたように顔を上げた。


「にいさまあ……っ!」


 二人のすぐ傍までやって来た青年が少年を抱き上げようと両手で彼を掴み引き寄せたが、少年はエリリアナの服から手を放さなかった。

 服が引っ張られ、その動きで彼女の身体が揺れ、下敷きになった棘がさらに強く突き刺さる。


「い、いた……っ!」


 思わず変な声を漏らした彼女を、金髪の青年が一瞬驚いたように橙の瞳を向け、すぐに眉間に皺を寄せる。


「イシュワルト、離しなさい」

「や、やだあ!」


 いやいやと、少年がぼろぼろ涙を零しながら、首を振る。少年はエリリアナの服を全く放そうとせず、やだやだとエリリアナをもっと引き寄せようとする。

 その様子に、青年はため息をついた。


「イシュワルト、お前のせいで彼女が痛がっている。彼女を気にかけるなら、手を放せ」


 その言葉に少年は悲壮な表情を浮かべ、しゃくり上げたままエリリアナの顔を見つめてきた。

 よく分からないが、少年は彼女のことを気遣っているらしい。

 くすぐったく思いながら、エリリアナは痛みを堪えて何とか笑みを浮かべた。


「――私は、平気ですから」


 そうエリリアナが言えば、少年は涙を零したまま鼻をすすり、両手を放した。

 引っ張られていた服が解放されたせいで、再び彼女の身体が茨に沈む。


「!?」


 棘が、折れた枝の先が、再度彼女に鋭く噛み付く。


(ちょ、痛い痛い痛い!!)


 悲鳴を上げなかった自分を褒めたいと、彼女は思った。

 早く意を決して起き上がらないと事態は好転しないのに、痛みでそんな気力が湧いてこない。


「――女官殿、失礼致します」


 無言だった黒髪の青年がそう言うと、一気に彼女の腕を取り、窪みから引き上げた。

 絡み付いていた茨が凄まじい痛みを彼女に与えたが、それは一瞬で過ぎ去った。


「申し訳ありません」


 青年の低い声が、すぐ耳元で聞こえた。


「え……」


 気付けば、騎士の青年に抱きすくめられていた。


 一瞬頭が思考を止め、身体が固まる。


(な、なんで?)


 おそらく彼女の手を引いた後、エリリアナが倒れないように支えてくれたのだろう。

 だが自分の状況を客観的に『抱きしめられている』と判断したエリリアナは、顔を真っ赤にして後ずさりした。

 足を動かせば、すぐに痛みがぶり返してくる。


「っ!」


 小さく息を漏らして、エリリアナはその場にしゃがみ込んだ。

 茨に倒れ込んだ背中や両腕、足などがじくじくと痛みを訴える。その強さに両目を閉じていると、金髪の青年の声が響いてきた。


「クラエス」

「はい」


 クラエスと呼ばれた騎士の青年が、エリリアナの前に片膝をつく。突然出来た影に彼女が目を開ければ、すぐ近くに騎士の青年。

 驚く彼女をよそに、彼はそのまま右手を彼女の頬に当てると、何かをぼそぼそと呟いた。すぐに彼の手が薄く光を放ち、手が触れていない頬が温かくなる。


(なんか気持ちいい)


 エリリアナは猫のように、目を閉じた。

 しばらく後に光が収まると共に熱は失われ、エリリアナは再度目を開く。


「何?」


 泣きじゃくる少年を腕に抱いた金髪の青年が、怪訝そうに眉を顰めていた。


「失敗か?」

「問題なく、治癒の術は発動したはずですが……」


 騎士の青年が、無表情を僅かに困惑に染め、金髪の青年を仰いだ。

 どうやら傷ついたエリリアナに、治癒の術をかけてくれようとしたらしい。


「あ、あの」


 エリリアナは二人に慌てて声をかける。

 青年二人――改めて見ると凄く美形だ――が、彼女に向き直る。


「私、魔術が効かない体質なんです。わざわざお気遣い頂きましたのに、申し訳ございません」

「術が、効かない?」


 金髪の青年はエリリアナの言葉に、さらに眉間の皺を深めた。が、すぐに首を振ると、騎士の青年に向かって顎を動かす。


「女官殿、再びご無礼をお許し下さい」

「え――ひあ!?」


 騎士の青年は一言彼女に呟くと、エリリアナの腰に両手を当て、そのまま持ち上げた。俵を担ぐように、流れるような所作で彼の肩に担がれる。お腹に、騎士の肩当てがめり込んで苦しい。


「な、な……っ」


 あまりの出来事に言葉を失い、エリリアナは口をぱくぱくと開けていた。

 こんな時、生粋の貴族のお嬢様ならどう反応するのか。

 「無礼な!」と言って頬でも叩けばいいのだろうか、それとも失神すればいいのだろうか。生憎と一般人のエリリアナは、どちらも出来なかった。


「舌を噛まれますゆえ、口は閉じられた方がよろしいかと」


 青年は無感情のままそう彼女に伝えると、大またで歩き出した。

 視界に映る遊歩道の石畳が、どんどん動いていく。


「やだやだやだー!!」


 後ろで、少年が絶叫する声が聞こえたが、エリリアナは羞恥と混乱で全く意識を向けることが出来なかった。

 移動している最中、どうやらこれは背面に怪我を負った彼女を思っての姿勢らしいと自分を説得させたが、二度と経験したくないとエリリアナは思った。


 ――そうして連れて来られたのは、医務室である。


 騎士の青年は彼女をベッドにうつ伏せに寝かせると、周囲のカーテンを閉じて離れていった。


(ちょ、え、なに?)


 未だ混乱から抜け出せていない彼女が身体を起こそうと動けば、ズキズキと痛みが増す。

 柔らかいベッドの誘惑と痛みに耐え切れず、エリリアナは大人しくベッドに沈み込んだ。


「茨に、倒れ込んだんですって?」


 白髪の小柄な老婦人が、カーテンの中に入ってくるとベッドサイドの椅子に腰掛け、彼女に話しかけた。白衣を着ている様子から、医師らしい。


「は、はい」


 何をされるのかと思いながら話を聞いていると、棘や怪我の様子を見るため、服を切るらしい。その説明の後は、よく分からないお茶を飲まされ、ぐっすりと眠ってしまった為――睡眠薬を盛られたらしい――分からないが、翌朝起きた時には、全身丁寧に薬が塗られ、所々に包帯が巻かれる事態になっていた。


 茨に突っ込んだ翌日は、うつ伏せで一日中ベッドで強制休養を取らされた。包帯の取替えと薬の塗布以外ひたすら眠る一日は、非常に退屈で身体中別の意味で痛くなったが、この城に来てから初めての完全休息日だったかもしれない。

 お陰で、ベッドの中では色々な事を考える時間が取れた。



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