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 00.2 伯爵家の姉妹

 エリリアナ・デオ・トゥルクの二年目。


 赤レンガ造りの屋敷の玄関先で、二人の女性が微笑みを浮かべていた。

 一人は緩やかにカーブした赤毛を一つにくくり、動きやすいドレスに身を包んだ長身の女性。

 もう一人は、子供らしく小柄ではあるが、姿勢のとても美しい黒髪の少女。

 二人は決して面立ちは似てはいないが、貴族らしい凛とした雰囲気を持つ、伯爵家の名にふさわしい人間だった。

 少なくとも、屋敷を訪れた二人の書記官はそう感じた。


「――こんな辺境の地まで、本当にどうも有難うございました」


 黒髪の少女――エリリアナ・デオ・トゥルクが、子リスのような愛らしい笑顔を浮かべて、礼をとる。

 その少女らしからぬ落ち着いた様子は、彼女の身体を包む年頃の少女らしい可憐なドレスとの間に違和感を生じさせ、礼を取られた二人の男性書記官をドギマギさせる。


「ご帰途に幸多からんことを」


 齢二十二の長身の女性――アリナーデ・デオ・トゥルク現伯爵が、そう言ってやや釣り上がった美しい瞳を細め、笑みを深める。

 その美貌に書記官二人は頬を染め、慌てて礼をすると、用意された馬車に乗り込んだ。

 エリリアナは使用人と共に頭を下げたまま、そしてアリナーデは悠然と伯爵たる余裕を崩さぬ起立のまま、馬車を見送る。


 馬車がようやく門を出たのを見つめた後、アリナーデは笑みを解いた。

 片腕を、振り上げる。


「いったー!!」

「お黙りなさいな」


 ゴンッといい音がすると共に、悲鳴が上がる。

 エリリアナが、アリナーデに殴られた頭を抑えながら、涙目で抗議する。


「何するのよ、アリナーデ!」

「六十点」

「は!?」

「だから六十点」


 頭をさすりながら抗議するエリリアナに、アリナーデは憐れみ――いや、馬鹿にした視線を送る。


「言葉遣いの細かい減点が十点分、笑う際に扇を使用し忘れた事と、自分で茶器を扱った事、帰り際に頭を下げた事で各十点の減点、合計で六十点。……その頭は飾り物なの?」

「~~っ!」


 思い当たることだけに言い返せず、エリリアナは唇を噛み締めた。

 アリナーデが、そんな彼女の様子に、大きくため息をつく。


「……まあ、今回に関しては、相手が勝手に『伯爵令嬢殿が自分たちにここまで砕身して下さっている……!』と好意的に勘違いしてくれたから、最後の二つは流してあげる。計八十点でぎりぎりってところね」


 やれやれと、アリナーデは花の顔を呆れたように変え、肩をすくめた。

 伯爵令嬢は、笑う際に歯など見せない。自分で使者に紅茶など淹れない。爵位が下の相手に頭など下げない。


「だって……まさか高等書記官がいらっしゃるなんて思わなかったもの。緊張したの!」


 高等書記官は、一般書記官とは異なり、相当成績が優秀でなおかつ貴族であることが求められる。将来は要職に就くことが確定している、エリートなのだ。当然、貴い人々の中で働く彼らは見る目も厳しい。その高等書記官二名が来訪することを、今朝になってエリリアナは知らされた。


「『だって』じゃありません。濁点の付いた言葉で、会話を始めるのは優雅ではないと教えたでしょう」

「ぐぬぬ」

「エルルゥ」


 立て続けにダメ出しされたエリリアナは両手を握り締めて悔しがったが、アリナーデからエルルゥと愛称で呼ばれた『合図』に、自分でもため息をついた。


「……ごめん。もっと精進する」

「分かればいいのよ、分かれば」


 幾度となく繰り返されてきたやり取りの後、アリナーデは方向を変え、屋敷の中へと足を進める。エリリアナもそれに続き、玄関へと続く階段を上った。白髪の家令が二人の為に開けてくれた大きな扉をくぐれば、使用人達が安堵の息を漏らして、それぞれの配置に戻っていく気配が背後からする。

 いいなーと思いつつ、エリリアナとアリナーデは書斎へと進んでいく。

 これから、いつもの『反省会』が行われるのだ。エリリアナにとっては、非常に気が重い。


 書斎に着くと、正面に据えられたマホガニー色の机をまわり、アリナーデは革で出来た大きな椅子に腰掛けた。

 エリリアナは、机と扉の間に置かれた一対のソファの片側に身を沈める。

 一つ息を吐くと、アリナーデは口を開いた。


「所作は、とりあえず及第点をあげましょう。これ以上気をつけると、逆にボロを出す結果になるだけでしょうからね」

「うぐ」


 早速告げられたアリナーデの酷評が、エリリアナの心臓に突き刺さる。


「問題は言葉遣いですわ。基本は問題ないとして、所々にふさわしくない言葉が混じるのはよろしくありません。見送り時の台詞が『どうも』ではなく『誠に』であるべきだったようにね」

「あー……あそこ」


 思い返せば、『どうも有難う』とか言ってたなあと、エリリアナは思い返す。これで終わりだと思っていたから、気が緩んだのだろう。『貴族言葉』には相当気を付けたつもりだったが、詰めが甘かったようだ。

 ちらりとアリナーデを見れば、剣呑な視線を彼女に投げかけている。

 エリリアナは引きつった笑みを浮かべながら、口を開いた。


「……ご指摘『誠に』有難うございます、お姉様。より一層精進致しますので、これからもご指導の程宜しくお願い申し上げますわ」


 “姉”であるアリナーデは目上に当たるため、胸ではなく腰から頭を下げ、上半身の姿勢を崩さぬまま頭を下げる。この時も、殊勝な笑顔を忘れてはならない。そして、許可があるまで顔を上げてはいけない。


「――良いでしょう、エリリアナ。頭を上げなさい」


 許可が下りて初めて、頭を上げる。


「今回は、これで終わりよエルルゥ」


 愛称で呼ばれれば、漂っていた厳しい空気が緩むのを感じる。

 一年間共に過ごしてきて、ようやく分かるようになった、アリナーデの感情だ。社交界で『氷の薔薇』と呼ばれるアリナーデは、感情の機微を隠すことが非常に上手い。

 エリリアナは、ほっと息を吐いて、アリナーデに小首をかしげる。 


「――それで、どうだったと思う? “採用試験”の面接」


 そう、先ほどまで屋敷に滞在していた高等書記官二人の目的は、エリリアナの面接だ。

 この度エリリアナは、“アリナーデの”念願かなって、王城のメイドの書類審査に合格した。そもそも、伯爵位を持つトゥルク家の娘であるエリリアナが落選する可能性は低いのだが、今回の募集は特別だ。

 メイドはメイドでも、勤務場所は後宮だ。

 現在、ご正妃・ご側室方の他、第二王女と第三王子がお住まいの後宮で働くならば、人柄・教養共に優れた女性でなくてはならない。元々後宮には、“行儀見習い”として働く下位貴族の令嬢が多いのだが、伯爵以上からなる高位貴族の令嬢がいないわけではない。

 職業柄、後宮内だけでなく、要職の官吏や外国の使節団との応対に回されることもある後宮のメイドは、出会いの上でも中々良い働き先なのだ。


 その募集に応募したエリリアナだったが、採用試験たる面接に、高等書記官が現れるとは思わなかった。気分的には、採用試験を受けに行ったらいきなり専務が出てきたようなものだ。違うけれど。

 アリナーデ他による一年間の教育という名の付け焼刃では、ボロが出るのも仕方がない――などとは、女伯爵様は思ってはくれない。


「そうね……」


 アリナーデは顎に手を当て、しばし逡巡する。

 その所作は指先まで美しく、先ほどまで束ねられていた炎色の髪は柔らかく光を反射し、眉間によった皺を見逃せば、アリナーデの姿は絵画に出来そうなほど整っていた。


「ひとまずは結果を待つ必要があるけれど、恐らくは問題ないでしょう」

「ほんと!?」


 スパルタ教育が実を結んだ。そう喜色満面といった表情のエリリアナに、恐ろしく冷たい視線が突き刺さる。


(姉上様がお怒りじゃー……ひいっ)


 軽く考えたエリリアナに向けられる姉からの重圧が、彼女の心を読んだように一気に増したので、慌てて彼女は姿勢を正して小さくなる。


「言っておくけれど、それはあくまで『伯爵』の名が上手く働いたからよ。審査の目自体が、始めから大分甘くなっていただけ」

「は、はい」


 お前の実力ではないと、はっきりと告げられ、エリリアナは浮かれた気分を一気に鎮めた。コネ入学やコネ入社に、彼女は決して良い印象を持っていない。自分がその立場になるなど、真っ平ごめんである。


「でも、一応褒めておくわ」

「え?」


 軽く肩を竦めながらアリナーデが鈴を鳴らすと、扉が開いて家令のロワンが現れた。


「何でございましょうか、アリナーデ様」

「軽食とワインを持ってきて頂戴」

「え!?」


 まだ日が高い。質素にして厳粛たるトゥルク伯爵が、昼間から酒など、明日は槍どころか星が落ちるのではないだろうか。

 目をぱちくりさせるエリリアナをよそに、ロワンが答える。


「畏まりました」

「ロ、ロワンまで!?」


 ロワンは、亡きアリナーデの父である前伯爵にも仕えていた優秀なる片腕で、現在は女伯爵として何かと矢面に晒されるアリナーデを支える優秀な家令だ。彼は実直を良しとし、怠惰を嫌う。そんな彼が昼からの飲酒を許容するとは、これまた非常に珍しい。

 静かに退室したロワンの後を、あんぐりと口を開けたまま見つめるエリリアナの前に、アリナーデが移動していた。


「たまにはいいでしょう。どうせ明日からはまた特訓よ」

「いや、でも……」


 どさりと、普段の気品ある佇まいからは予想されもしない動作で、アリナーデがソファに座る。


「貴女が、この一年間必死に努力してきたことを、屋敷の者は誰でも知ってる」


 まっすぐに、アリナーデがエリリアナを見つめる。

 気難し屋。自己を律し、他人にもそれを求める厳格な女伯爵。

 十二歳の時の事故で家族を全て失ったアリナーデは、唯一彼女の手元に残った伯爵位と領地を守る為、あらゆる努力を続けてきた。

 いくら女性の爵位が認められてるとはいえ、狡猾な親類からその地位を守るのは、並大抵の力ではなかっただろう。


 だから、アリナーデは『エリリアナ』を生み出した。


 異世界から流れてきた『彼女』を、今は亡き前公爵の妾腹の子として伯爵家に迎え、アリナーデの妹とする。疑う者がいても、異世界から突然現れた『エリリアナ』の過去は決して出てこないから、表立って否定は出来ない。

 領主としてその場を離れられないアリナーデに変わり、王城で働く手駒となって、アリナーデ――いや、トゥルク本家もしくはトゥルク領に有益な情報を集める。


 それが、エリリアナと名付けられた『彼女』に、身柄の保護と異世界へ帰還する方法を探す対価として、アリナーデが求めたものだった。


「自分の名前すら名乗れず、自分と全く関係のない知識や作法を身に付かされ、あげく魑魅魍魎の跋扈する王城に追いやられる。全て、私のせいだとは分かっているのよ」


 アリナーデの真剣な口上に、「いや、魑魅魍魎とか今初めて聞いたんですけど」とツッコミをいれるエリリアナの言葉は、さらりと流された。


「だから、今日くらいは羽目を外してもいいでしょう。明日からまた特訓なのだし。明日からまた猛特訓なのだし」

「何故二回言う……」


 嫌に同情するような顔で言うアリナーデに、エリリアナこと『彼女』は半目で睨み付けた。


「それで本音は?」


 見た目は妖精のようでも、伯爵としてやって来たアリナーデは、感傷的なことなど滅多に言わない。

 問うエリリアナに、アリナーデは打って変わって“良い”笑顔を浮かべた。


「ふふ……我が計画の第一関門は突破されましたわ。これは私への祝杯! どうせだからエルルゥも飲みなさいな」


 アリナーデは決して、親類に爵位を狙われ、二つの公爵領に囲まれた発展の見込めぬ哀れな領地をか細く守る、悲劇のご令嬢ではない。

 あの手この手で親類の狙いを掻い潜り、近接領に睨みをきかせ、あらゆる状況に対応するためエリリアナを『目と耳』として王都に送り込む、冷静な伯爵だ。

 その為には、異世界の出だとかいう得体の知れない人間も利用する。


 エリリアナがこの魔物はいる、魔法はある、貴族や王家も存在する世界に流されてきて一年。その『王都スパイ大作戦』の為に、彼女は貴族の子女にふさわしい所作や教育、知識を叩き込まれてきた。

 アリナーデは鬼のように厳しい教師ではあったが、今や信頼できる友人でもある。


「まあ、いいけどさ」


 エリリアナは肩をすくめた。

 気が抜けたように笑い、ソファにもたれかかる。


 そんな義妹を、アリナーデは不敵な笑みで隠すように見つめる。


 屋敷に昔から仕える使用人を除き、周りには敵しかいなかったアリナーデには、信用できる人間がいない。弱みを見せれば喰われる貴族社会において、気が抜ける暇などなかった。

 だから、異世界人であるがゆえに決して彼女の敵にはならないエリリアナに、アリナーデは一年かけて気を許せるようにまでなった。

 アリナーデはそんなエリリアナを『作戦』に使うことに対し、見せはしないが罪悪感のようなものを感じている。

 恩義にうるさい――エリリアナに言わせると、国民性なのだとか――エリリアナは、アリナーデを裏切らないだろう。

 衣食住の恩に加え、元の世界へ帰る手がかりを得るために、多くの魔術師がいる王都へ行くのは、エリリアナの目的にも適っているのだとも分かっている。罪悪感など感じる必要もないのに。


(だから、今日くらいは喜びの中で休んでいいの、――)


 アリナーデは、ロワンが持ってきたワイングラスを片手に持ち、乾杯の意で高く持ち上げる。


「ねえ、アーディ」


 今は彼女以外呼ぶ者のいない愛称を使い、同じくグラスを上げたエリリアナがアリナーデに声をかける。


「私、“お姉様”の役に立てるよう、頑張るね」


 きょとんとするアリナーデに、エリリアナはふふふと笑う。

 大変お世話になった屋敷の人々や、何度も連れて行ってもらった近くの村の人々が、少しでも幸せになればいいとエリリアナは思っている。


(何度か会った親類方は、見事に“貴族様”だったしなぁ)


 領民のことなど歯牙にもかけない。屋敷の者とて、道具扱い。何度蹴り飛ばしたくなったことか。

 だから、エリリアナは王城へ行くのだ。

 姉の耳になり、屋敷を守り、領地をより良くする手伝いの為に。


 そんな言葉を聞かされて、アリナーデは困った。


「……はいはい、期待しないで待っているわ」

「うん、楽しみにしてて」


 微笑む義妹に、アリナーデも作り物ではない笑顔を向けた。

 明日からまた激務が待っている。でも今日くらいは、この異世界から来た戦友と飲み明かすのも良いのではないだろうか。


 決してワインのせいだけではない熱で頬が赤らむのを感じながら、彼女はグラスに残ったワインを飲み干す。


「乾杯」

「乾杯」


 伯爵家の書斎で、二人の女性が、不敵に微笑んだ。



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