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11 敵を知る・4

「おいマックス、お前戻ってくるのおせーよ」


 頭を下げる自称兄のマックスの奥から、こちらに歩いてきているのは、二十代後半とも三十代とも思える長身の男性だ。不機嫌そうに顔を顰め、鎧も着ずに、木刀を肩に乗せるように携えている。

 赤銅色のややクセのある髪、なきぼくろが左目じりについた灰色の瞳が特徴的な、190は超えているであろう長身の男性は、不自然なほど音を立てずにこちらへ向かってくる。


「やはり君ですか、エランディア」


 カールハイツが、その男を視界に捉えて呟く。

 エランディアと呼ばれた男はカールハイツがいるのに気付くと、「げ」と声を漏らした。

 やる気なさそうに担いでいた木刀を身体の横に下ろし、やや速度を上げて彼らの前にやって来る。


「ドナウアー宰相、お久しぶりです。また拷問稽古ですか?」

「ユアール!」


 エランディアはカールハイツに礼もせずにへらりとそう言うと、マックスがその態度を見咎めて怒鳴りつける。

 だが、男は全く気にすることなく「あーあー」と言ってマックスにほど近い左耳を片手で塞ぐ。


「お前はいつもいつも……っ、挨拶ぐらいしっかりしろよ!」

「ロドック、構いません。エランディアのこの態度が変わる方が気味が悪い」

「そうそう、細かいこと気にすんな。禿げるぞ?」

「ユアール!!」


 飄々とする男に、マックスが掴みかからんばかりに怒鳴りつけるが、男も慣れたものなのか全く相手にせず、逆に愉快そうに笑っていた。


「ほら、お前も謝れ! ドナウアー宰相が木槍を止めてくれなかった今頃……!」

「そんなの武器を吹き飛ばされたお前が間抜けなんだろーが」


 どうやら先程の、弾丸のごとく飛んできた棒は、この男が弾き飛ばしたものらしい。魔術で威力が桁外れになるとはいえ、なんという馬鹿力。

 当の本人は相変わらずマックスの主張をのらりくらりとかわしていて、取り付く島もない。彼のために怒るマックスをにやにや笑いながら平然としているのだから、性格はあまり良いとは言えないだろう。 


「……ん?」


 ふと、男は笑うのを止め、その視線をカールハイツの背後に向けた。


「!」


 男がマックスを振り切って身体を前に進めると、腰を僅かに屈めて、至近距離でエリリアナの顔を覗きこんだ。


「……黒髪にあめ色の瞳、閣下のお供ねえ」


 じろじろと、舐めるように全身を見てくる男に非常に気分を悪くしながら、エリリアナは負けじと睨み返す。


(嫌ーな感じ)


 貴族令嬢的には、口元を覆いながら眉を顰めて後ずさりでもするべきだったのだろうが、咄嗟の反応だっただけにコントロール不可能だった。


「ほー……」


 口元を片方だけ吊り上げて、男が更に足を一歩前に踏み出した。


(ちょっと、近すぎるわ、この泣きぼくろ!)


 あまりにも近いところで、彫りの深い、しかしやはり城の例に漏れず整った顔を寄せられたエリリアナは、思わず悲鳴を上げかけた。

 だが実際に声を発するよりも早く、男が跳ねる様に身体を引いた。

 それと同時に、何かが彼女と男の間を下から上に向けて通過する。そのせいか、エリリアナの顔が風に煽られてエリリアナの前髪がふわりと舞った。


「ちょ――!?」


 男がそんな声を漏らして、エリリアナが『嫌ーな感じ』と受け取った笑顔を引きつらせ、さらに後ろに飛びのいた。

 男が先ほどまで居た場所に、いつの間にか構えていた木槍をカールハイツが振り下ろす。

 ザリッという大きな音を立て、槍が地面に突き刺さった。踏み均されているはずの地面が、衝撃で抉れている。カールハイツは木槍の重量や地面と衝突した反動を全く苦にせず、そのまま男に向かって棒を突き出す。


「閣下!?」


 男は慌てて、手の持っていた木刀を振り上げ、槍を弾く。普通に木がぶつかり合う音よりも遥かに重く大きな音が、広場に響き渡った。

 カールハイツは弾かれた棒を勢いのままに反転させると、男が木刀を構え直す前に腰を低くし、更に掬うように木槍を振り上げる。


「うおっ!」


 木刀を弾くまでは至らなかったが、男の体勢が僅かにぐらつく。カールハイツは重力など感じさせない勢いで素早く右に動くと、男の高く上がった木刀を右から思い切り打ち払った。


「ぐ……っ!」


 瞬間、ガチリッと音が鳴り、男の手から木刀が離れ宙を舞う。間髪入れずに、カールハイツは振り切っていた槍を斜め下に打ち下ろし、木刀を地面に叩き付けた。そのまま、槍を反転させて男の喉元目がけて突き出す。


「っ!」


 息を飲んだのは、エリリアナかマックスか、それとも男だろうか。

 それが誰だったかは分からないが、それぞれの予想に反して、カールハイツの槍は制止する。

 唇を噛み締めながら、回避すべく上体を横に反らした男の耳……そのすぐ横に、棒の先が止まっている。

 ごくりと音を立て、男の喉仏が上下するのがエリリアナから見て取れた。


 しばしの沈黙が、その場に流れる。


「――魔剣術の訓練時は、相手の武器を弾いた後でも気を抜くことのないように」


 カールハイツはそう言うと、構えを解き、木槍をマックスに渡す。

 エリリアナとマックスは、その様子をぽかんとした表情で眺めていた。言われた方の男は、大きく息を吐いて全身から力を抜く。


「っ、はー……っ、ドナウアー閣下、いきなり酷いですよ」


 苦笑いを浮かべ、武器を弾かれた衝撃で痺れたのか、男は両手をぶらぶらと身体の前で振っている。


「たるんでいるのでは、エランディア?」

「俺と閣下じゃ魔力量に違いがありすぎるんですから、あんだけ魔力を込められりゃ、木刀を折られないようするので精一杯ですって」


 どうやらカールハイツはしっかり木槍に魔術を適用し、色々強化していたようだ。エリリアナには、その辺りのことはさっぱり分からないが、相手をした男にはしっかり伝わっているようだ。きっとこの男も、かなり優秀な騎士なのだろう。


「前線なんてとっくに退いてるくせに、化け物ですか」

「精進が足りないのを人のせいにするものではありません」


 しれっと言うカールハイツに、男は肩を竦めた。

 そして、息を吐いてからエリリアナの方に足を進める。エリリアナ、またなのかと、一歩後ろに下がる。


「あー、とって喰ったりしないから安心してくれ」


 男は進むのを止め、片腕を胸につけ、エリリアナに礼を取った。


「エリリアナ・トゥルク嬢とお見受けする。俺はユアール・エランディア。先ほどは貴女を危険に晒してしまい、申し訳なかった」

「え……」


 突然変わった男――エランディアの態度に驚けばいいのか、彼女の名前を知っていることに疑問を抱けばいいのか、謝られたことに頷けばいいのか、エリリアナは分からなかった。


「謝罪だけ受け取ればいいんですよ、エリリアナ」


 カールハイツが一言添える。

 いやそんな、と思いながらも、エリリアナは軽く深呼吸して頷く。


「謝罪を受け入れますわ、エランディア様」


 わざわざこう言わなければ顔を上げないのだから、騎士とは面倒くさい。だから決まり文句としてそう言えば、顔を上げたエランディアが目を細めて微笑んだ。


「さすが『エルルゥ殿』、噂どおり寛大だな」

「噂?」

「ユアール!」


 マックスが、慌ててユアールを止めた。


(つまり、マックス様が噂の元か)


 一体ユアールに何を話したのか。じろりとマックスを睨むと、彼は「はは」と言いながら視線を逸らした。あまり良い噂じゃなさそうだ。


「ともかく、丁度良かった。エランディア、城壁の魔術陣強化の件、エリリアナも作業に当たることになりましたので、そのつもりで」

「へえ?」


 エランディアが、カールハイツの言葉に片眉を上げる。

 城壁の魔術陣強化とは、先ほど書記官のミレニカと話した件のことだろうかと、エリリアナは思い返す。


(この人も、関係者?)


 変な共通点もあったものだと、エリリアナは首を傾げた。


(まさか『婿候補』が全員関係者ってことないよね? だとしたらあからさま過ぎます、エーベルハルド様!)


 この業務の任命権がエーベルハルドにあるかは謎だが、偶然と言うには出来過ぎだ。


「――それならエリリアナ嬢、今後ともよろしくお願いする」

「……よろしくお願い致します」


 やや警戒しながら、エランディアの差し出した手を取る。

 エランディアは彼女の様子に口角を上げ、ゆっくりと手の甲に口付けた。存外に柔らかな唇が寄せられ、ちうっと、軽く肌を吸う音が立つ。


「!?」


 反射的にエリリアナはエランディアの手から自分の手を抜き取り、カールハイツの後ろに隠れるように身を引いた。その様子に、エランディアはからからと笑う。


(~っ、絶対わざとだ、この男!)


 彼女の中で、エランディアの評価が『軽い男』で固まった瞬間だった。


「……用件は以上です。行きますよ、エリリアナ」


 カールハイツがそう言ったので、エリリアナは飛びつくように彼に駆け寄り、勢いよく「はい!」と応えた。早いところこの場を離れたい。


「それではまた、マックス様 ( ・・・・・)


 エリリアナはこれ見よがしにマックスにだけ別れ文句を言うと、二人に背を向けた。背後から、エランディアの可笑しそうな笑い声が聞こえてくる。

 そのまま戻るべく足を踏み出したカールハイツとエリリアナだったが、カールハイツが室内に入る一歩手前で、立ち止まる。


「ああ、一般人に危害を加えそうになったのですから、エランディアは罰としてこの後武器庫にある予備の剣を全て磨いておくように」

「ちょ――閣下!?」


 エランディアの悲鳴のような抗議を背に、カールハイツとエリリアナは王城内へと戻って行った。



 そして室内に入って扉からしばらく離れた後、カールハイツが口を開く。


「アレが『ユアール・ド・エランディア』です。第一騎兵隊の隊長を任されるだけあって腕は確かなのですが……あの通り癖のある性格ですから……」

「……ソウデスネ」


 カールハイツが言い淀んだのは、フォローなのか追い討ちなのか。エリリアナは半目で廊下の先に視線を泳がせた。

 名前からして予想はついていたが、やはり先ほどの『軽い男』はエーベルハルドが選んだ夫候補の一人らしい。


(エーベルハルド様……どういう基準でお選びになったのですか……)


 正直、エランディアは彼女の得意とする類いの性格ではなさそうだ。と言うより、苦手なタイプ。

 思い切りため息をつくと、カールハイツが僅かに眉を下げて彼女を振り返る。


「アレはアレで、良いところもあるのですよ」

(でも『アレ』扱いなのですね)


 公明正大なカールハイツにしては、珍しく厳しめの扱いだとエリリアナ思う。そんな扱いを受けるような何をしたのだろうかと気にはなったが、触らぬ神に何たらと言うので、好奇心は殺すことにする。


「ただ、殿下が貴女の夫君候補にエランディアを入れていることは、絶対に言わない方が良いかと」

「ええと……何故かお聞きしてもよろしいでしょうか?」


 嫌なものを感じつつもエリリアナが聞き返すと、カールハイツは少しだけ口ごもった後に続けた。


「……恐らく気付いたと思いますが、エランディアは他人の嫌がる顔を率先して見たがる、愉快な性格の持ち主なのです。貴女に悪い印象は抱かなかったようですから、そんな話を聞けばすぐにでも殿下に結婚の許可を願い出るやもしれません」


 カールハイツは「嘆かわしいことです」と首を振っているが、エリリアナにとってはそんな可愛らしい話ではない。


「いえ、さすがにご自分の人生をかけてまで嫌がらせはなさらないと思うのですが……」


 むしろ止めてくれとの願いを込めて、カールハイツを仰ぎ見る。


「一応エランディアも貴族ですから、意に沿わない婚姻を結ぶ覚悟はあるでしょう。であれば、貴女が相手なら一生ロドックの嫌がる顔が見れると、喜びそうです」

「マックス様と、そんなに仲がーーよろしいのですか?」


 二人の様子を思い返すに、エランディアはマックスを嫌うと言うよりは親しそうだった。


「年は違えどあの二人は同期ですからね。面倒見の良いロドックと、そつが無いエランディアはあれでも馬が合っているようです」

「なるほど……」


 一方的にマックスがからかわれているような気がしたが、そうではなかったらしい。


(でもマックス様、苦労してそう。あとそんな理由で結婚の決めないでほしい)


 嫌がらせ目的の結婚に関しては、カールハイツの気のせいだと思いたかったが、二人をよく知る彼がそう言うのだから、本当にやりかねない性格なのだろう、エランディアという男は。


「しかしどっと疲れが……」


 思わず額に手をやったエリリアナに、カールハイツが気遣わしげな視線を投げ掛けた。


「そうですね、今朝から緊張続きだったでしょう。他の候補者達は現在城に居ませんし、今日はこれで上がっても構いませんよ」

「いえ、仕事中ですから。カールハイツ様のお許しが頂けるなら、執務室に戻って仕事の続きをさせて頂ければと存じます」


 慌てて姿勢を正してそう言えば、カールハイツが不意に微笑んだ。


(うわあああ……!)


 柔和な雰囲気のカールハイツだが、実際に笑みと分かる表情を見せるのは意外に少ない。いつも目元だけとか、口角が微妙に上がってるとかであり、このように鋭い目を和らげて唇が弧を描く、深い笑みを見る機会は稀有だった。


「そうですか。それでは、執務室に戻りますか、エリリアナ」


 固まるエリリアナを置いて、宰相閣下は自分の表情がもたらした結果など気にかけずに、廊下を進んでいった。



 魔術陣の失敗から結婚命令、そしてやけに濃い旦那候補達に出会った一日だったにも関わらず、不思議とエリリアナは穏やかな気持ちでその晩仕事を終えた。

 勿論先行きは不安ではあるけれど、ここで気にしたってどうにもならない。まだ会っていない二人もいることだし、どうにかなるさと自分を励まし、エリリアナはベッドに入る。布団を頭から被ると、異世界で過ごした今までの出来事が、脳裏に甦ってくるようだった。

 眠りに落ちる瞬間、彼女は思った。


(――あれ、これってまさか走馬灯……?)



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