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10 敵を知る・3

 何かが飛んできていることに気付いても、当然凡人であるエリリアナに反応する力などなく。


「!?」


 咄嗟のことに悲鳴を上げることすら出来ず、彼女はただその場で固まり、目を見開くだけだった。

 痛みに備え、目を瞑ることも出来ず、ただ来るべき衝撃を予期し血の気が引く。


「――……っ」


 悲鳴の代わりに息だけが、漏れた。


 次の瞬間、視界からその物体が突如消え失せた。

 ふわりと、何事も始めからなかったように、エリリアナの頬を風が撫でる。


「――え?」


 綺麗に開かれた視界に、エリリアナは唖然として声が漏れる。


(あれ? え? 何か飛んできてたよね? 幻?)


 目を見開いたまま、先ほどまでの影を探すようにきょろきょろと空や地面を確認するが、当然『何か』など浮いても落ちてもいない。


「大丈夫ですよ、エリリアナ」


 カールハイツの落ち着いた声が、右耳にすっと入ってくる。

 何かが飛んできていた、渡り廊下の左手方向を見ていた首を、進行方向に戻す。

 カールハイツが、いつの間にか身体をこちらに向けて立っていた。


「カールハイツ様……」


 黒い仕立ての良い服がまず見え、顔を見上げようとしたエリリアナは、カールハイツが右腕を上げているのに気がついた。


「え」


 穏やかな顔のすぐ近くまで上げられていた手の中に、一メートル以上はゆうにある、木の棒が握られていた。

 麺棒のように滑らかで、均一の太さを持つその棒は、使い込まれたように所々傷がついている。


「カールハイツ様、それは――」


 エリリアナが尋ねようとした時だ。


「ドナウアー宰相!」


 大きな男性の声が、左手方向より響いてきた。同時に、ガシャガシャという金属がぶつかって立てる音と、足音もその声に重なる。


(なんか、聞き覚えのある声のような……)


 声の主の方を見ようと首を動かす前に、カールハイツがその人物と彼女の間に身体を割り込ませた為、エリリアナの狙いは達せられなかった。


「申し訳ございません! 魔剣術の訓練に熱が入ってしまい、周囲への注意を怠りました……!」


 男性がそう叫ぶように謝罪しながら、頭を下げる気配が伝わってくる。

 魔剣術というのは、平たく言えば、魔法で貫通力や威力等を底上げした剣術だ。エリリアナの義姉であるアリナーデは、風の魔力を弓に付与して速度と威力の増強を図る術を度々使用するが、それも魔剣術の一種である。

 この場で訓練しているということは、この男性も騎士なのだろう。

 そしてどうやら、彼が訓練中に誤って武器を飛ばし、それがエリリアナに当たる直前で、カールハイツが掴み止めたようだ。


(カールハイツ様が動いたのなんて、全然見えなかった……)


 恐るべし、四十八歳。

 当のカールハイツは、先ほどまでの響きとは全く異なる、感情の伴わない平たい声で、騎士に告げる。


「――自衛の手段もない一般人も、この場を利用することを常に覚えておきなさい。状況を忘れるようでは、騎士とは言えない」

「はっ!」


 棒――恐らくは訓練用の木槍を持った腕をカールハイツは下げ、大地に先をつける。ザクリと音を立てて地面に先を沈める木槍は、中々重量があるようだ。


「まずは顔を上げなさい。そもそもの原因は君ではないでしょう、ロドック」


 まだ頭を下げたままだったらしい騎士に、カールハイツが言い渡す。


「ロドック……マックス様?」


 エリリアナは、それよりカールハイツが言った名前に反応した。

 隠されるように立ちはだかる広い背中から、ひょっこりと顔を出して騎士を覗き込む。丁度、白い鎧を身につけた騎士がカールハイツの許しを得て顔を上げるところだった。


 少し首の後ろを刈り上げた栗色の髪に、こげ茶の瞳を持った、あどけなさの残るその男性は、エリリアナを見て目を大きく開く。


「エルルゥ殿!」

「やっぱりマックス様! お久しぶりです」


 ロドックとカールハイツに呼ばれた騎士は、エリリアナを見て沈んだ表情から一転、破顔した。


「久しぶりだな、エルルゥ殿。イシュワルト殿下の婚約式以来だから、半年ぶりか?」


 マックスことマクスウェル・ロドックは、エリリアナが侍女をしていたイシュワルト第三王子の護衛騎士の一人だった。当時二十二だった彼も、今はもう二十八。出会った頃から『近所のお兄さん』的な、気さくな雰囲気を出していたが、今はそこから甘さが消え、凛々しい表情を見せる騎士になっている。


(まだまだ、抜けてるところは変わってないみたいだけど)


 にこやかに大きな笑顔を見せる彼の顔には、最近付いたのであろう擦り傷がいくつか刻まれており、まだ完全に落ち着くまでには至っていないようだった。


「王城と言えど広いですからね。こうも勤務場所が違えば会うことも少ないでしょう」


 カールハイツが、マックスの口調を注意することなく、そんなことを呟いた。

 彼はマックスとエリリアナが六年間チームとしてイシュワルトに仕えてきたことを知っているし、エリリアナにはマックスから何度も、カールハイツに稽古で叩きのめされたと嬉しそうに語られた覚えがある。二人のことをよく知っているからこそ、この非公式な空間で態々騎士の口調を直さないのだろう。

 カールハイツは武門の出だけあって、そういうところには寛容だった。その分、場を読まなかった時の凍てつく視線は殺傷能力抜群だが。


「ん? ……ってことは、エルルゥ殿に怪我させるところだったのか!」


 今気付いたように、マックスが叫ぶ。


「すまなかったエルルゥ殿! 我が妹に傷をつけるところだったとは、兄として何という不甲斐なさ……!!」


 マックスは、最初に出会った頃から、五つ年下で小柄なエリリアナを妹扱いしていて、お兄ちゃん役を楽しんでいた。彼は三兄弟の末っ子らしいので、下がいるのが嬉しいのだろう。


(実年齢は妹なんて可愛いものじゃないけど)


 目の前で九十度以上に曲げられた身体を見ながら、エリリアナは「ふふふふ」と苦笑し、カールハイツが呆れたような息を吐く。


「マックス様、私はカールハイツ様が助けてくれましたので、無傷で――」


 マックスに「だから頭を上げて」とエリリアナが続ける前に、別の声が遮った。

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