トンネル
「このトンネルは、大正時代からある古いものです。楠神社と松風館を繋いでおり、戦時中には防空壕として、活用されていました」
志津香が暗闇のなか、一年女子を見回しつつ話す。
「これから皆さんには、一人ずつ順番に、このトンネルに入って頂きたいと思います。クラス別、出席番号順に読み上げますので、該当者はこちらへ来て下さい」
周囲にどよめきが走る。紗也加も塔子を振り向いた。
「いったい、何の冗談なの」
わからない、と塔子も首を振る。志津香は慣れたことのように、鷹揚な顔つきで受けあった。
「戸惑うのもわかりますが、これは入寮式の最後の行程です。それも、最も重要な。……このトンネルをくぐらない人を、わたしたちは松高生と呼べません」
いやにきっぱりとした物言いだった。時代錯誤な、と塔子もさすがに腹立たしかったが、ここまで来れば、ほかに道はない。
困惑し怯える一年を見やり、志津香は憐れむように笑った。
「恐いでしょうが、もう少しの辛抱です。頑張ってトンネルをくぐり、学校まで進んでください。なお、」
進む際にも、約束事があります、と彼女はもう一度笑う。また約束か、と塔子は内心でため息をついた。
志津香が続ける。
「まずトンネルでは、声をあげてはならない。二つ目に、明かりを点けてはならない。三つ目に、立ち止まってはならない。最後に……これが、一番大切な約束です」
周囲を見回し、志津香がおごそかに告げる。
「決して、うしろを振り返ってはならない。以上四つの約束を、必ず守ってください」
いいですね、と言い放った。
下手なホラーハウスよりも、恐ろしいものがあった。防空壕だったという、いわくありげなトンネルと、志津香と交わした奇妙な約束のせいである。
「次、五番。鈴木優香」
一組から順に、続々とトンネルの通過が始まっていた。先が進んでいくのを見計らい、一人ずつ呼ばれる。
塔子たちは三組なので、下草に座り込み、戦々恐々としながら順番を待っていた。周囲のクラスメイトは、軽い恐慌状態に陥っている。何も情報がないだけに、無闇に恐ろしいのだ。悲痛な声があちこちで聞こえていた。
あたりは闇に包まれており、手に持つペンライトだけが頼りだった。しかし、トンネルに入るときには、そのライトさえ取り上げられるようで、志津香たちのあたりから批難の声が上がっている。
それらの様々な声を聴きながら、塔子はじっと草むらのなかに身を潜めていた。
濃厚な緑の香りが、鼻をつく。
「……まるで、神話の物語みたいね」
くすっと、紗也加はこちらを見て笑う。塔子の口数が少ないので、気を紛らわそうとしてくれているようだった。紗也加は膝のあたりで、ペンライトをぶらぶらと揺らし呟く。
「話してはいけない、立ち止まってはいけない、振り返ってはいけない――なんて」
そうね、と塔子は微かに笑った。
この儀式は、きっとそういう物語に、なぞらえているのだろう。
正直に言って、塔子も十分恐ろしかった。あまり、こういった肝試しは得意ではないのだ。本当に、何の冗談だと言いたい気分だった。
(こんな恐い行事だったなんて……)
聞いていないとは言えない。良司や詩織から、ヒントはちゃんと貰っていた。仕方なく、塔子は大きなため息をつく。
「もう、塔子ったら。恐がりすぎよ。あんなの脅しだって! 大したことないわよ」
「紗也加は、平気なのね……」
「だって、ただのトンネルよ? ホラーハウスならまだしも」
紗也加がまったく落ち着いた顔で言い募る。背後に伸びている、長い野草をうっとうしそうに払った。ポニーテールが元気に跳ねる。紗也加が続けた。
「絶対トンネルをただ通るだけの、大したことない内容よ。ちっともこわいことなんか……」
「きゃ―――――!」
トンネルから絶叫が聞こえた。草むらで待機する女子は、皆一様に静まり返る。紗也加もさすがに肝を潰したようで、びくっと肩を揺らした。
「次、六番。園田志穂。……怖くても叫ばないように。約束は守ってください」
恐怖におびえる一年を見回し、淡々と志津香が言う。上級生三人は皆、想定内のことらしく、表情ひとつ変えなかった。
紗也加がこちらに目配せをして肩をすくめる。塔子はまたため息をついた。
上級生の様子から見るに、あえておどかすような人は、なかにいないことは検討がつく。そもそもしゃべってはいけないのだから、当然だろう。新たな事実にほっとするが、しかし暗闇のトンネルはただただ怖いものだった。
(もう、いやだ……)
塔子は泣きそうになりながら、思った。
「次、二番。織部紗也加」
すでに順番は三組まで回ってきていた。紗也加がとうとう呼ばれる。
塔子はさらに心がくじける思いで、彼女を見上げた。紗也加はお尻についていた草を払いながら、あやすような声音で話しかける。
「そんな顔しないで。だいじょうぶよ。向こうで待っているから、早くおいで」
そう言って、にっこりと笑い、伸びをする。塔子が恐がるので、最後まで安心させるつもりらしかった。紗也加の気遣いに、ほんのりと心が温まる。
「うん……気を付けてね」
「塔子もね」
笑って手を振り、落ち着いた足取りで、紗也加は去っていく。塔子は彼女がトンネルに消えていくまで、じっと見守った。
待っている生徒たちも、残り半分となっている。いまでは身を寄せ合うように、草むらのなかで皆固まってじっとしていた。夜が更けていくにつれて、急速に外気が冷え込んできていることも理由にある。
紗也加がいなくなったあとは、塔子はただ静かに自分の番を待っていた。騒いでも疲れるだけだと思えたし、第一そんな気力もない。
トンネルのなかの生徒は、恐怖に耐えきれず、時折叫ぶ者もいた。その叫び声を聴くにつけ、塔子はいちいち震えてしまう。ひとりで暗闇のなかにいれば、叫びたくなるに決まっている、と塔子は思う。
(このまま寮に帰りたい……)
何度目かしれないため息をついた。
「次、六番。篠崎塔子」
とうとう、塔子の番がきた。
塔子は静かに立ち上がり、ジャージを整える。そのままゆっくりと、志津香たちのいるトンネルの前まで歩いた。
「ペンライトをここに」
役員の佐伯が指さす。
トンネルはよく見ると、外壁はレンガでつくられている。その外壁の端にある、石段の上に、ペンライトを入れる麻袋が置かれていた。袋のそばにはライトが灯されており、わかりやすい。塔子は自分のライトを切って、袋に入れた。
「篠崎さん、こちらへ」
志津香の落ち着いた声がし、トンネルの縁に招かれた。志津香がライトを照らす。ライトの先には、トンネルにつたう、一本の太い綱が見えた。ちょうど塔子の腰のあたりにあり、そのままトンネルの奥へと真っ直ぐに続いているように見える。
「この綱は、出口まで続いています。なかでは何も見えないので、これをつたいながら、まっすぐに歩いていってください。基本的に直線なので、綱を頼りに行けば危ないこともないはずです。足元も、危険なものはないので、安心してくださいね」
落ち着いた声で、志津香が説明する。志津香の近くに寄ると、彼女の柔らかそうな長い髪から、花の香りがした。どこまでも、色香のある人だと塔子は思う。しかしすぐに気を取りなおし、彼女にしっかりと頷いてみせた。
「わかりました」
「……こわいですか?」
静かな声で聞かれる。はい、と塔子は素直に頷いた。志津香の微笑む気配がする。夜のなかで、彼女の瞳は小さく輝いていた。
「こわい、ものでしょうね。わたしもそうでした。けれど……そうですね。いまは、こわいことがある方が、喜ばしいと思っているのですけどね。この行事に関しては」
面白そうな目で、志津香は呟く。塔子はなんと返せば良いか分からず、彼女を見上げた。意味深な言葉だった。
「さあ、行きなさい。あとが詰まっていますから」
志津香は先ほどの言葉については何も言わず、背中をそっと押して促す。はい、と答えて、塔子は渋々ながらも、足を踏み出した。




