08-福太郎の告白
「僕は皆さんが考えているような人間では決してありません。僕はつまらない人間なんですよ」
自分を「ガタ屋」だと言った後、福太郎は少女たちの前で続けてそう言った。
「ねえ、真琴さん。真琴さんから見て、僕はどんな人間ですか?」
そして福太郎は、不意に美晴の隣に立っている真琴にそう問いかけた。
「え? 福太郎くん? そうだねぇ、背も高いしカッコいいし優しそうだし。もし、福太郎くんが私の彼氏だったら友達に自慢しまくるかな? きっと福太郎くんと付き合えたら楽しいだろうね。色々と女の子が喜びそうな事知ってそうだし」
真琴の言葉に、集まっている少女たちの何人かが彼女と同じように頷いている。
だがそんな少女たちの様子を、後ろから見ていた玄吾は彼女たちに気づかれないようにそっと溜め息を吐く。
「それがそもそもの間違いなんですよ」
「はえ?」
きょとんとした顔の真琴に、福太郎は苦笑を浮かべながら続ける。
「言ったでしょう? 僕はつまらない人間だと」
そして福太郎の視線は、真琴から集まっている少女たちへ。
「僕には母親がいません」
美晴や真琴、そして少女たちがざわつき出す。彼女たちは驚くと同時に戸惑いもまた感じていた。
驚きは福太郎に母親がいないという事実であり、戸惑いはなぜそれを福太郎が今ここで言い出しのかということに対して。
「母はまだ僕が幼稚園に上がる前に交通事故で亡くなりました。幼い僕と一緒に散歩していた時、居眠り運転の車が突っ込んで来て即死だったそうです。その時、僕も瀕死の重傷を負ったそうですが、母が僕を身をもって庇ってくれた事でなんとか一命を取り留めました。その時のけっこう大きな傷がいまだに残っていますよ」
福太郎はここからここまで、と自分の左胸から肩にかけてを指差す。
「僕の父は仕事人間で、母の存命中から家庭よりも仕事第一の人だったそうです。もっとも、一切家庭を顧みないというわけでもなく、休日にはそれなりに遊んでもらった記憶もあります」
福太郎の言葉に今度は玄吾は頷いていた。彼は福太郎の父親をよく知っているからだ。
「そんな我が家で母が亡くなった。すると当然家事は僕がやる事になります。父は家事一切ができませんからね。もちろん、幼い僕に全ての家事ができるわけもなく、母が亡くなってからは母方の祖母が一緒に暮らして家事を行ってくれました。その祖母も僕が中学に上がる前に天寿を全うして亡くなり、本格的に我が家の家事は僕の担当となっていきます」
「……ひょっとして福太郎くん、中学時代は家事と勉強ばっかりであまり遊んだ事がないの……?」
福太郎の言いたい事を何となく悟った真琴が、おそるおそるといった風に尋ねると福太郎はそれに「その通りです」と答えた。
「当時は特に興味を抱くものもなく、朝起きて学校へ行き、学校から帰ると夕食や風呂の準備。当然、夕食や風呂が終わればその後片付けだってあります。そして家事の合間には勉強。勉強と言っても宿題やちょっとした予習復習だけですけどね。僕の中学時代の日常はそんな事の繰り返しでした。いえ、今だってその日常は続いています。ああ、最近はバイトなども少しやるようになりましたね」
自分で語りながら自嘲の笑みを浮かべる福太郎。だが、彼の話を聞いている美晴たちは言葉も出ない。
「ですから、いまだに僕は遊びというものをよく知りません。先程、真琴さんは僕が女性が喜びそうな事を色々と知っていそうだと言いましたが、事実はまるで逆なんですよ。僕がもしも女性と付き合う事になっても、その女性を楽しませるようなことは何も知らないのです」
それが僕がつまらない人間だという理由です、と福太郎は付け加えた。
「それじゃあ、あの『魔法のコトバ』は一体何だったの?」
女子生徒たちの一人がたまらず声を上げると、それに追随するように周囲からも同じような声が上がる。
それに対し、福太郎はあれは魔法のコトバでも何でもないのですが、と前置きして告白を続ける。
「先程、幼い頃の僕は興味を抱いているものもなくと言いましたが、当時の僕にもたった一つだけ興味のあるものがありました」
切欠は幼い頃、父方の祖父の家に遊びに行った時の事。
その当時から彼の父方の祖父は、稼業を福太郎の父親の兄に任せて自身は田舎に引っ込んで悠々自適な生活を送っていた。
その田舎へ父に連れられて遊びに行った時、そこで福太郎はあるものに強い興味を抱いたのだ。
「それは昆虫……特にクワガタにとても強く惹かれたのです」
「く、クワガタっ!? も、もしかして、さっき福太郎くんが言った『ガタ屋』って……」
真琴の言葉に少女たちもざわざわと囁き合う。中には虫が苦手らしく露骨に顔を顰めている者もいた。
そんな中で唯一人、孝美だけが表情を変える事なく福太郎の話を聞いている。
「ええ、その通りです。昆虫マニアの事を仲間内では『虫屋』などと呼ぶのです。その中でも特定の昆虫マニア……例えば蝶マニアは『蝶屋』、クワガタマニアは『ガタ屋』などと呼称するのです。僕はクワガタマニアなのです」
それは福太郎が小学二年生の時。田舎の祖父の家の庭には太く立派なクヌギの木があり、その木からは樹液が出ていて夏ともなればそこに様々な昆虫が集まった。
そしてその木で、福太郎は一匹の大きな雄のノコギリクワガタを捕まえたのだ。
細いながらも長く力強い六本の脚。適度な光沢を持った赤みを帯びた美しい外殻。そして何より威嚇するために振り上げられた立派な大顎。
当時の福太郎は、そのノコギリクワガタの全てにあっと言う間に魅了された。
「それ以来、僕は夏になると祖父の家に遊びに行くのが唯一の楽しみになりました」
祖父の住んでいる田舎には、祖父の庭のクヌギ以外にも虫の集まる木がたくさんあった。
祖父の家から少し離れた雑木林にも、河原に自生する柳の木にも、クワガタの好む樹液を出す木はいくらでもあったのだ。
そこで福太郎は、ノコギリクワガタ以外にも様々な種類のクワガタを捕まえた。
小さくてもなかなか立派な大顎を持つコクワガタ。
コクワガタに似ているものの別種であるスジクワガタ。
大きくて大顎の力がとても強いヒラタクワガタ。
もちろんカブトムシだって捕まえたが、福太郎はカブトムシには左程の魅力を感じなかった。
「でっぷりとした体型のカブトムシより、シャープな印象のクワガタの方が僕の好みでしたから」
福太郎がそう語った時、美晴もまた深々と頷いているのを彼は目の端で捉えていた。
そんな美晴の様子に心の中で笑みを浮かべる福太郎。
「それで、例の『魔法のコトバ』とクワガタとどう関係するの?」
「それはですね、真琴さん。皆さんが『魔法のコトバ』と呼んでいる例の単語ですが、あれって実は全部クワガタの学名なんですよ」
「へ? クワガタの……学名? どうしてそんなものを持ち出したの?」
「ま、こいつも健全な青少年だってことさ、真琴ちゃん」
そう言いながら福太郎の肩に腕を回したのは、今までずっと黙っていた玄吾だった。
「玄吾の言う通りです。僕だって女性に対して全く興味がないわけじゃありません。恋人や彼女といったものに憧れだって感じます。もちろん、理想の女性像だってあります」
そう言う福太郎の頬は若干朱に染まっていた。
福太郎も高校一年生の十六歳。異性に対しての憧れや興味はそれなりにある。いや、彼の年齢で興味がない方が異常だろう。
「でも、幸田くんなら彼女の一人や二人、作ろうと思えば簡単にできるでしょ? 現に、あなたに告白した女の子はここにいる以外にもたくさんいるわ。それなのに、どうしてクワガタの学名なんかを持ち出してまで告白を断ったりしたの?」
「先程も言ったように、僕はつまらない人間です。同年代の女性の好きそうな事や喜びそうな事は全然判りません」
集まっている女生徒の中の一人の言葉に、福太郎は真剣な表情で応える。
「そんな僕と一緒にいて、あなたは僕と会話が弾むと思いますか? 楽しい時間が過ごせると思いますか? あなたが僕をどのように見ていたのかは知りませんが、きっとすぐにがっかりしたと思います。ましてや、僕がガタ屋──クワガタマニアだと知った今、あなたは今までと同じように僕が見えますか? 女性の中には虫が苦手な人も多いでしょう」
言葉を詰まらせる女生徒に、福太郎はですから、と続ける。
「僕は以前から決めていたのです。もしも僕が女性と付き合うなら、それは話が通じる相手にしよう。即ち、クワガタのことが好きな女性、いや、例え好きではなくてもクワガタに興味を持てる女性にしよう、と。それなら相手を退屈させる事もないし、後からがっかりさせるような事もありませんから」
「────それならそうと最初から言ってくれれば良かったのよっ!!」
福太郎の告白をずっと黙って聞いていた孝美だったが、とうとう堪えきれずに大声を上げた。
「最初からそう言ってくれれば、私だって努力するわよっ!! そりゃあ私も虫は苦手だけど、幸田くんが虫が好きだっていうのなら、虫を好きになる事はできなくても理解することぐらいならできるわっ!!」
「そうだよねぇ。男の子なら虫に興味があっても不思議じゃないもんねぇ。私にもお兄ちゃんがいるけど、小さい時はセミ取りとかによく付き合わされたにゃー。だから私も彼女と同意見だな。変な学名なんか持ち出さずに最初からはっきり言った方が良かったと思うよ?」
真琴の言葉はやや場違いなのほほんとしたもの。しかし、口調はほわほわしているものの、そう語る真琴の瞳は極めて真剣だった。
だから福太郎は、そんな真琴に対して、いや、ここに集まっているかつて彼が告白を受け入れなかった少女たち全員に対して、自分の胸の内を真剣に打ち明ける。
「それに関しては申し訳なかったと思います。ですが、敢えて言い訳をさせてもらうのなら、僕は女性に対して臆病になっていたんですよ」
「臆病?」
「ええ。以前──中学生の頃の話ですが、偶然にも僕がクワガタマニアだと知った一人のクラスメイトに、『気持ち悪い』と言われた事がありました」
「それは、そのクラスメイトが虫が苦手だっただけじゃないかなぁ。それがどうして女の子に臆病になるのかにゃ?」
「単なるクラスメイトなら、コウフクもそれ程ダメージを受ける事はなかったんだろうけどよ。問題はそのクラスメイトっていうのが……当時こいつが秘かに好きな女の子だったんだよなぁ」
「────ええええっ!?」
そう声を上げたのは美晴だったか、真琴だったか。それとも他の少女たちの誰かだったのかもしれない。
彼女たちが驚いたのは、彼に片想いの相手がいた事に対してだった。
「僕に好きな相手がいた事がそんなに不思議ですか? さっきも言いましたが、僕だって女性に全く興味がないわけじゃないし、女性を好きになる事だってあります」
「俺もその瞬間に居合わせたけどよ。あの時のこいつの落ち込みようっていったら、そりゃもう酷いモンだったぜ?」
「あー、それは確かに臆病になるかもだにゃー……」
確かに秘かに想いを寄せていた相手から気持ち悪いと言われてしまっては、福太郎じゃなくても容易にクワガタマニアである事を打ち明けられなくなるというものだろう。
美晴を始めとしたこの場の少女たちは福太郎の心境を理解し、そしてほんのちょっぴり過去の彼に同情した。
だが、それでも納得できない事もある。
孝美はそれを指摘せずにはいられなかった。
「それなら、どうしてその娘たちはいいのっ!? 私たちには『魔法のコトバ』を使って試したのに、そいつらは何もしていないのに親しくするなんて……私にはそれが納得できないっ!! 私は……私は……せっかく──」
──『魔法のコトバ』の一つを理解できたのに。あなたの隣に立てると思ったのに。
そう言おうとした孝美の言葉は、次の福太郎の言葉に遮られる事になった。
「……あなたは確か孝美さん……小笠原孝美さんでしたね?」
「え……わ、私の名前を覚えて……?」
「それは覚えていますよ。僕は告白してくれた女性の顔と名前は全て覚えています」
それがあなたたちの想いを断ったせめてもの誠意ですから、と福太郎は続けた。
「小笠原さん。あなたは何か勘違いをしていませんか?」
「か……勘違い……?」
「ええ。伊勢さんや真琴さんは単なる友達ですよ? 別に恋人でも片想いの相手でもありません」
「で、でも、昨日、幸田くんは気になる人がいるって……」
「確かにそう言いました……ああ、どうやらこれも僕の言葉が足りなかったようですね。確かに気になると言いましたが、それは異性としての興味ではなく、あくまでもガタ屋としての興味だったのです。そもそも現時点では誰とも付き合うつもりはないとも言ったはずですよ? ですから今のところ彼女たちに対して恋愛感情はありません」
思いがけない展開に、孝美はぽかんとするばかり。
そして玄吾は、「今のところ」を敢えて強調した福太郎に、一人笑みを浮かべた。
「単なる友達ですから、あなたたちの言う『魔法のコトバ』は彼女たちには関係ないと思います。ですが、それでも納得できないというのなら……伊勢さん」
「え、え、え、な、何?」
「次の質問に答えてください。『Allotopus rosenbergi』とは何ですか?」
「わ、私、そんなものは知らな……」
「伊勢さん」
言い逃れようとする美晴に、福太郎は真っ正面から向き合う。
「過去、あなたに何があったのかは知りませんが、これまでの情況から大体の予想はつきます。ですから、これだけは断言します。僕はあなたを避けたりはしない」
真っ直ぐ自分に向けられる福太郎の視線。美晴はその視線から逃げられない。
ここで逃げたら、きっとこれまでの繰り返しになる。
逆にいえば、ここで逃げなかったら何かが変わる。
そんな気がして、美晴は改めて福太郎の視線を受け止める。
「僕だけではありませんよ? 玄吾も真琴さんも、そしてきっと浅尾さんも。あなたを否定したり避けたりはしません」
福太郎の言葉に合わせて、玄吾は右手の親指を突き出し、真琴はにへらーと笑いながら人差し指と中指を立てる。
少し離れた所から様子を窺っている留美もまた、何度も頷いていた。
「もう一度聞きます。『Allotopus rosenbergi』とは何ですか?」
そう問われて、美晴は一つの決意をその瞳に浮かべ。そしてついに口を開く。
「『Allotopus rosenbergi』……オウゴンオニクワガタ、それもローゼンベルグ種の学名よ」
今ここに。
王子を縛り付ける魔法のコトバの謎が、一人の少女によって解き明かされて行く。
本日の更新は『王子と付き合う魔法のコトバ』です。
そしてようやく明かされた福太郎の謎と魔法の言葉の意味。
ようやくとかいいながらも、既に気づいておられた方も何人かおられますが(笑)。
そして現在考案中なのが、この『王子と付き合う魔法のコトバ』の切りどころ。
魔法のコトバが明かされた時点で完結とするのも一手かなぁと考えたり。
でも、福太郎と生徒会長さんとの関係とか、福太郎と美晴の虫取り小旅行みないなのも書きたいし、続けるのもありかな、と。
どちらにしろ、少なくとももう一話二話はこの期の顛末に必要だと思われるので、それから考えてみます。