03-二度目の邂逅
事務室にて生徒手帳発見の報告をした美晴が教室に戻ると、早速真琴がつつつっと近寄って来た。
「ね、ね、ね、みはルン。王子の話って何だったン?」
「別に。大した事じゃないわよ」
真琴に素っ気ない返事をした美晴。何気なくちらりと周囲に目を向ければ、クラスの中の数人の女子がしきりに美晴と真琴のやり取りを気にしている風だった。
「えー、そんな事言わずに教えてよー。もしかしてもしかして、王子から告白でもされたの?」
真琴の口から「告白」という言葉が出た瞬間、不意にざわりとした雰囲気がクラス中から巻き起こる。
「そ、そんなのじゃなくっ!! 単に落とし物を届けてくれただけよ」
「落とし物?」
「そう。実は昨日、生徒手帳を落としちゃってね。それをどうやら彼が拾ってくれたみたい。で、それを届けてくれただけ」
美晴の言葉にクラス中のざわりとしたものは落ち着きを見せたが、それでも美晴は方々から自分に向けられる気配を感じていた。
「えー、それだけー? もしかして、生徒手帳の白ページに愛のメッセージが書き込まれていたなんて事はなかった?」
「あ、あるかっ!! そんなのっ!!」
期待に目を輝かせる真琴の言葉をすっぱり否定した美晴だが、その彼女の脳裏に生徒手帳の白ページに書き込まれていた例の一文が甦る。
──「Dorcus hopei binodulosus」と「Lamprima adolphinae」、どちらがお好きですか?
「Dorcus hopei binodulosus」と「Lamprima adolphinae」を比べるなら自分はやっぱり「Lamprima adolphinae」が好きだな。もちろん、「Dorcus hopei binodulosus」のあの幅広い体格と青竜刀のように反り返った黒光りする立派なアレも魅力だけど。
それでもやっぱり「Lamprima adolphinae」の魅惑するようや様々な色彩には適わない。一般的にはパープル系がレアとされるが、自分はブルー系の方が好きだなぁ────
思わずそこまで考えて、美晴はその考えを必死に頭から振り払う。
アレはもう忘れると決めたのだ。そのために、実家から遠く離れたこの学校に一人暮らしをしてまで通っているのだから。
「どしたの、みはルン。なんかすっごく面白い顔してたよ?」
「ほっとけ! それからみはルン呼ぶな!」
にまにまと自分に向けられる真琴の笑顔を、美晴は一喝して次の授業の準備に取りかかった。
その後は何事もなく放課後に。
休み時間毎にクラスの女子の一部がちらちらと自分を見ていたりはしたが、わざわざさして親しくもない美晴に声をかけてくるような者はいなかった。
あの後、聞いてもいないのに教えてくれた真琴の情報によれば、あの幸田福太郎という男子生徒は、学校中でもかなり有名な存在らしい。
成績はトップクラス。運動能力も高く、各スポーツ系の部活からの勧誘が後を断たないらしい。また、入学早々生徒会長より副会長に任命。クラスでの評判も良く、教師たちの受けもかなり良い。
更に実家は大企業の経営者と血縁があるらしく、その外見も合間ってまさに「王子」と呼ぶに相応しい存在だとか。
「更に更にね、噂によると、芸能界からも何度もスカウトされてるって話だよ?」
と、余計な情報まで付いてきたりしたが。
確かにあの高身長と見てくれの良さなら、芸能界からお呼びがかかっても不思議ではない。
それは確かに美晴も認める。
だが、それらは全てあいつの外面に過ぎないのでは、と美晴は思う。
絶対あいつの内側は真っ黒だ。
美晴は一方的にそう決めつけた。
でなければ、わざわざあんな一文を拾った生徒手帳に書き込むわけがない。
あんな美晴のトラウマを抉るような一文を────
昇降口にて上履きから下履きへと履き替え、校舎の外へと出る美晴。
そして校門へと続く道を歩いていると、周囲になぜか女子生徒の数が多くなっている事に気づいた。
中には立ち止まってひそひそと会話をしながら、校門の方へと熱い眼差しを向けている者もいる。
と同時に、とてつもなく嫌な予感が胸中に沸き上がった。
強烈に回れ右を命じてくる本能を、理性をフル稼働させて強引に押さえつけ、美晴は真っ直ぐに校門へと向かう。
そして美晴は見る。校門に背を預け、静かに佇む王子の姿を。
五月下旬の明るい午後の光の中で、伏し目がちに校門の支柱に凭れ、所在なさげに携帯を眺めるその姿に、周囲の女生徒たちは熱い視線を注ぎまくっている。
瞬間、美晴はやっぱり理性よりも本能に従うべきだったと後悔する。しかし、もう遅い。
なぜなら何気なく視線を上げた彼と、美晴の視線がばっちりと固い握手を交わしてしまったのだから。
そしてなぜか、自分に向かって微笑む王子。
その微笑みに周囲から黄色い声が沸き上がるが、美晴はそれどころではない。
──まさか、私を待っていた?
携帯をポケットにそっと落とし込み、校門から背を離して静かに近寄ってくる彼を、美晴は内心で警戒しながら迎える。
「これは伊勢さん。今お帰りですか?」
「ええ、そうだけど? そういう山田くんも帰るところ?」
「いえ、僕は人待ちです」
人待ち、という言葉にぴくりと美晴の眉が揺れる。だが、彼が次に吐いた言葉は美晴の予想とは大きく異なっていた。
「友人を待っているんです。そろそろ来る頃だと思うのですが……」
「……友人? ひょっとして、午前中に一緒にいたあのつんつんした頭の?」
「ええ、そのつんつん頭ですよ。おや、噂をすれば、ですね。来たみたいです」
自分の背後へと視線を向けた福太郎に釣られるように振り返った美晴は、そこに件のつんつん頭がこちらに近付いて来るのを見た。
「おう、お待た、コウフク。あれぇ、その娘、午前中の彼女じゃね?」
「ええ、偶然ここで会いましてね」
つんつん頭──玄吾は、福太郎の近くに美晴の姿を認めると、午前中と同じように手をひらひらと振りながらにこりと笑った。
「それで、用件は済みましたか?」
「おう。何とか納得してくれたぜ。少しばかり貰っちまったけどよ」
豪快に笑いながら、玄吾は自分の頬を親指で指した。
そこが僅かながら、赤く晴れ上がっているように美晴には見えた。
「ちょ、ちょっと! それってもしかして、誰かに殴られたの?」
「殴られたっていや確かに殴られたけど。別に喧嘩じゃねぇぜ? れっきとした部活の延長だ」
「部活の延長?」
「ああ。前々から空手部からの勧誘がしつこくてさぁ。今日はそれをはっきりと断りに行って来たんだ」
玄吾の言う通り、以前から空手部は玄吾と福太郎にしつこく入部の勧誘していた。
生徒会の活動を大義名分に福太郎は断ったが、どこの部にも所属していない玄吾には以後も入部を迫られ続けていた。
そこで今日、玄吾は直接空手部の主将に会い、はっきりと入部するつもりはないと断りに行ったのだ。
「それがどういうわけか、その主将と勝負する事になっちまってな」
はっきりと入部の意思はないと告げた玄吾に、なぜか空手部の主将は「俺と勝負して、俺に勝ったら入部は諦める」とか言い出したのだそうだ。
理屈としておかしいだろ、それ、と突っ込みを入れようとした玄吾だったが、いい加減しつこい勧誘にうんざりしていた事もあり、その勝負を受けたのだそうだ。
「それで、その勝負に勝ったわけですか」
「もちろん。けど、さすが主将を張ってるだけあって中々の実力者だったぜ? 数発貰っちまった」
笑いながらそう語る玄吾と、そんな彼に呆れたような溜め息を吐く福太郎。
そんな彼らに向けられる視線はどんどん増えていく。同時に、二人と一緒に仲良さげに立ち話する美晴に、刺のある視線が集まっている事に他ならぬ美晴は気づいていた。
よって、美晴は早々にその場からの撤退を選択する。
「じゃ、じゃあ、私はそろそろ行くから」
二人にそう告げ、そそくさとその場を去ろうと二人に背中を向ける美晴。
そんな美晴の背中に、福太郎の声が飛ぶ。
「あ、伊勢さん」
「────何?」
再び立ち止まり背中越しに振り返る美晴に、福太郎はにっこりと笑いかける。
「僕の名字は『山田』ではなく『幸田』です。ではまた明日学校で」
にこやかにそう続ける福太郎。そんな福太郎に内心で一つ舌打ちをすると、美晴も「また明日」と別れを告げた。
二人と別れた美晴は、そのまま無言で下宿先のアパートを目指す。
途中、何度も美晴に向けられる視線に気づいたが、一切合切それらは無視してただひたすらにアパートへと向けて足を動かした。
途中、彼女の頭を掠めるのは先程の福太郎の一言。
校門で声をかけられた時、敢えて美晴は福太郎の名字を間違えて口にした。
『幸田』ではなく『山田』と。
それは美晴のちょっとした嫌味から。
生徒手帳に書き込まれていた例の一文から、てっきり福太郎が自分を待ち構えていたと考えた美晴は、自分はあんたのことなんか眼中にないぞ、というアピールからわざと名字を間違えて呼んだのだ。
それなのに、福太郎は山田と呼んだ事を涼しい顔でスルーし、それどころか別れ際のあのタイミングで修正を入れてきた。
あんたなんか気にしていないと言外で告げる美晴に対して、福太郎の方が自分自身を印象づけるかのように。
やっぱり。
今度こそ美晴は確信した。
──あいつの内側は真っ黒だ。それこそドルクスのように。
『王子と付き合う魔法のコトバ』更新しました。
前回の更新の時、もう一人例の魔法のコトバの意味が判ったという方から感想をいただきました。
いや、以外と判る方がいるもんだなと。それも女性ばかりからです。しかも、感想の内容からネタバレしないように気遣いまでされていて、本当に嬉しく思います。感謝です。
これは私の目論見がかなり外れたと言わざるを得ないかもですねぇ。
きっとそのお二人以外にも、判った方はいるだろうし。
今回、文中で例の魔法のコトバにちょっとばかり具体的なヒントを付け加えてみました。これで更に判る人が現れるかな?
さて、次回もいつになるか判りませんが、気長にお待ちいただければ幸いです。
よろしくお願いします。