タレントデビュー?
どこかのオフィスビルの中を、一人の青年が颯爽と歩く。
長身で爽やかな印象の青年だ。かけている眼鏡が、彼をより一層知的な男に見せていた。
品の良さを感じさせるスーツを着込み、軽快に歩を進める様はどこかのやり手の青年実業家を思わせる。
やがて、彼の前方に扉が見えてくる。その扉の前には、二十歳ほどの眼鏡をかけた女性が立っている。
青年の秘書だろうか。こちらの女性もまた、ぴしりと背筋を伸ばしたスーツ姿。見るからに仕事のできそうな「大人の女」といった感じの女性だ。
その女性が手にしていたファイルを、青年が通り過ぎざまに無言で受け取り、女性は慇懃にぺこりと頭を下げる。
そして、自然と開く扉。
扉の向こうはどうやら会議室のようで、その中には数人の人間が青年を待ち構えていた。
集まっている者は皆、若い。一番年嵩に見える者でも、おそらくは三十代半ばほどだろう。
会議室にいた者たちは一斉に立ち上がり、入ってきた青年へ向けてこれまた一斉に一礼。
その姿に満足そうに頷いた青年は、先程の女性を背後に従えたまま会議室の上座へと悠然と腰を下ろす。
そして始まる各種の会議。
資料やデモ映像などが飛び交い、白熱した討論を巻き起こす。
ここでもやはり、先程の青年が中心となっているようだ。どうやら、彼こそがこの場の主役なのだろう。
──我々には力がある。世界を創造する若い力が。
画面の中央に映し出される力強いテロップと、低く響く男性の音声。
そして、次に映し出されたのは「K-AS」のロゴ。そして、コウダ・オートマチック・システムの社名。
真琴と玄吾は、ぽかんとした表情でその映像を眺めていた。
「え……っと? これ、何?」
ようやく我に返った真琴が、この映像を持って来た福太郎に尋ねる。
今日も彼らはいつものように、生徒会室に集まって昼食を食べていた。
一通り食事を終えた時、福太郎が突然彼らに見て欲しいものがあると言い出し、そして取り出したのはポータブルDVDプレイヤーだった。
また何か珍しいクワガタでも手に入れて、それを美晴にでも見せたいのだろう。
そう思った玄吾と真琴だったが、どうやら福太郎が見せたいのは美晴ではなく玄吾たちらしい。
内心で首を傾げながらも、DVDプレイヤーの画面を覗き込む玄吾と真琴。なぜか、美晴は顔を少々赤くしてそっぽを向いている。
そして始まったのが、先程の映像というわけだった。
「実はこれ、次に採用される予定の伯父の会社のテレビCMでして」
確かに、先程の映像には「K-AS」のロゴと社名が入っていた。その事から、この映像がテレビCMだというのは理解できる。
だが、真琴と玄吾にはどうしても理解できない事が一つ。
「で、どうしてこのCMにコウフクが出演しているんだ?」
「福太郎くん……もしかして、いつの間にか芸能人デビューしちゃってたのっ!?」
そう。
二人の言うように、先程の映像で主役と思われる青年実業家を演じていたのは、他ならぬ福太郎本人であった。
実は先日のバイト中の事ですが、と福太郎は前置きして説明する。
福太郎は伯父であり「K-AS」の社長でもある幸田聖一郎の第二秘書として、第一秘書と共に次の「K-AS」のテレビCMの製作の打ち合わせに赴いた。
そこでCM製作を担当するプロデューサーと対面したのだが、そのプロデューサーが一目で福太郎を気に入り、彼を今回のテレビCMに起用したいと申し出た。
今回手がけるCMのコンセプトは、先のテロップにも現れていたように「若い力」。
プロデューサーが抱えていたイメージに、福太郎の容姿はどうやらど真ん中だったらしい。
「プロデューサーは土下座せんばかりに頼み込んでくるし、伯父は伯父でおもしろそうだからやってみろとか言うし……本当に困りましたよ」
ひょいと肩を竦める福太郎。
確かに、この見てくれだけならそこらの芸能人も裸足で逃げ出しそうな福太郎の事。彼を見たプロデューサーがCMに起用したくなるのも無理はないと真琴は思う。
だが。
だが、真琴はそれ以上に気になっていた。
出演した福太郎はともかくとして、なぜか美晴がとても恥ずかしそうにしているのが。
やや頬を赤らめ、決してDVDプレイヤーの画面を見ようとはしない。
「なあ、コウフク。どうして、このCMを見ていると美晴ちゃんがああなるんだ?」
どうやら、真琴と同じことに玄吾も気づいていたらしい。
そして、指摘された美晴の顔が見る見る赤くなる。
これは真琴でなくても、何かありそうだと容易に気づくだろう。
福太郎は安心させるように美晴に向かって頷くと、美晴の挙動不審の理由を公開した。
「実は……それが僕が今回の出演を引き受けた条件なんです」
福太郎が提示したという条件を聞き、玄吾と美晴は目を見開いて驚き、美晴は尚更恥ずかしそうに顔を伏せた。
「え……嘘だろ……?」
「これ……これ、本当に……?」
食い入るようにDVDプレイヤーの小さな画面を見詰める友人たちに、福太郎は満足そうに何度も頷く。
「僕は前々からずっと思っていたんですよ。素地は絶対にいいはずだと。最初だけちょっとその道のプロが手を加えれば、後はきっと見違えるに違いない、とね」
「いや……確かに見違えたけどよ……」
「はにゃー……今でも信じられない……」
玄吾と真琴は、感嘆の視線を美晴へと注ぐ。
「この人が……このCMに出ている女の人がみはルンだなんて……」
そう。
福太郎がCMに出演する条件として提示したのは、美晴と共演する事だった。
そして美晴が演じたのが、冒頭に登場した青年実業家の秘書らしき「大人の女」だったのだ。
「わ、私は絶対に嫌だって言ったのよっ!? それを福太郎が無理矢理……」
半ば騙すような形で美晴をCMの撮影現場に連れていった福太郎。
福太郎は伯父が美晴に会ってみたいと言っていると彼女に伝えた。福太郎の父である徳二郎から美晴の事を聞き、それで興味を示したと。
とはいえ、それも全くの嘘ではない。現実に福太郎の伯父夫婦は、彼の恋人となった美晴に対して興味を持っていたのは事実だからだ。
しかし、福太郎に連れられて現れた美晴を見た聖一郎やプロデューサーは、最初落胆の色を隠せないでいた。
以前よりましになったとはいえ、美晴は相変わらず地味な装いを好む。
この日も福太郎の伯父に会うためにそれなりに着飾ってはみたのだが、やはりどこか地味であったのだ。
しかし。
撮影現場にいたスタイリストやメイキャップたちは、その美晴を見事に変身させた。
どことなく地味な少女はどこにも存在せず、代わりにスーツを着こなした「大人の女」が存在するのみ。
「いやはや、女性というものは本当に恐ろしいものだなぁ」
と、変身した美晴を見た聖一郎はしみじみと零したものだ。
「結局、プロデューサーもそれ以上は文句を言うことなく、撮影は無事に行われました」
事の次第を語る福太郎。玄吾と真琴は、ただそれを黙って聞くのみ。
そしてしばらくした後、感心するやら呆れるやらといった風情の玄吾が口を開いた。
「それでよ? どうして美晴ちゃんと共演するのを条件にしたんだ?」
「それはですね。先程も言いましたが、僕はずっと美晴さんの素地はいいと思っていたんですよ。だから、前々から美晴さんをその道のプロに任せてみたいと考えていました。今回はそれのちょうど良い機会だったのです」
プロのメイキャップやスタイリストの手にかかれば、どんな者でも見違えるようになる場合がある。
しかし、美晴に関しては、彼らはそれ程の手を加えなかったらしい。いや、加える必要などなかったと言うべきか。
スタイルの方は、まだまだ美晴は発展途上中。今回に限り補正下着などで無理矢理大人の体型に見せかけたが、美晴の身体を見たスタイリストによれば、今後彼女が「進化」する可能性は大いにあるとの事。
メイクの方も基本的な化粧の他には、今回の「大人の女」のイメージに合わせたものを施したが、美晴の肌の肌理の細かさに担当者もかなり驚いたという。今後しっかりとした方法で化粧の仕方を覚えれば、彼女はきっと化けるだろうとのお墨付きまでもらった程であった。
「つまり、僕の目に狂いはなかったという事ですね」
自慢気ににやりと笑う福太郎。しかし、今回限りは玄吾も真琴も脱帽だった。
それから数日後。
例のCMがテレビで流れると、学校中は大騒ぎとなった。
ついに福太郎が芸能界デビューしたのだと思った者などは、早々に福太郎の所に来てサインなどを頼む者もいる。
教師陣も大慌てで、元々福太郎には進学という面で期待を寄せていたのだ。彼が大学へ進学しない旨は以前から学校へと伝えてあるものの、三年生の受験シーズンまでに何とか彼を翻意させようとしていた矢先に今回の騒ぎである。
学校側は彼がこのまま芸能界入りし、いよいよ進学しなくなる可能性が高くなるのではと気が気でないらしい。
やはり、学校にとって進学率というものは大きなステータスなのだから。
だが、そんな騒ぎの中、只一人として、例のCMに美晴が出演していた事に気づいた者はいない。
ただ、最近福太郎の隣に立つ少女がちょっぴり綺麗になったという噂だけが、ちらほらと聞こえてくるだけだった。
『魔法のコトバ』更新。
今回はちょっぴり短めですが、今週二度目の更新なのでご容赦を。
これで、当『王子と付き合う魔法のコトバ』の外伝も残すところ後一話か二話ほど。今月中には再び完結する予定です。
では、もう少しだけよろしくお願いします。