騎士の恋愛事情
それはある日の昼休みのことだった。
今日は生徒会関係の集まりがあるらしく、いつものように生徒会室が使用できない。
当然、生徒会の副会長である福太郎もその集まりに出席しており、玄吾も何か別の用事があるらしい。
よって、美晴と真琴は自分の教室で、留美と一緒に昼食を食べていた時の事。
「へ? 私と玄吾くんが────?」
食べかけていたパスタをずるんと一度啜り上げてから、真琴がぽかんとした表情で留美に問いかけた。
「最近、噂になっているみたいよ。ほら、王子が美晴と付き合い出したでしょ? その後、あんたと騎士が一緒にいるところをよく見かけるとかなんとかで──」
「それで、私と玄吾くんが付き合っているんじゃないか、って?」
真琴の言葉に、留美が首を縦に振る。
「あはははははは! ないない! それはないにゃー。私と玄吾くんは付き合っているわけじゃないよ?」
笑いながら噂を否定する真琴。
もちろん、美晴も玄吾と真琴が付き合っているわけではない事は知っているが、それでも改めて留美にそう言われると、思わずどきりとしてしまう。
美晴の目から見ても、玄吾と真琴は仲がいい。とはいえ、それはあくまでも「友だち」としての仲の良さであり、その範疇を飛び出したりはしていないと、美晴は思う。
だが、それは彼女たちと親しい美晴だから分かることであり、端から見ればそうは思えないのかもしれない。
「そりゃあね? 確かに私と玄吾くんは一緒にいる事が多いよ? でもそれは、私とみはルンが友だちで、玄吾くんと福太郎くんが友だちでしょ? で、その福太郎くんとみはルンが付き合っているんだから……私と玄吾くんが一緒にいる機会は自然と多くなると思わない?」
福太郎と付き合っていると改めて言われ、美晴は頬が熱を持つのを自覚した。
福太郎は今でも女子たちから人気がある。彼のクワガタに関する偏った情熱が知られてもなお、だ。
そんな福太郎の隣に自分が立っていることで、時に遠慮のない嫉妬の視線を向けられる事もあるが、そんな事は彼と付き合うと決めた時に覚悟済み。
それでも改まって付き合っていると言われると、今のように頬が紅潮するのを押さえられない。
そんな美晴に、真琴と留美はにまにまとした笑みを向ける。
「にゃはー、相変わらず初々しいですなー、みはルンは」
「本当。この調子では、二人の関係がどこまで進んでいるのか怪しいものねぇ」
二人にからかわれ、美晴の頬は更に赤みを増すのだった。
「え? 玄吾に彼女ですか?」
その日の帰り道。福太郎と美晴は駅前の本屋にいた。
この本屋は、福太郎が美晴を初めて見かけた例の本屋だ。ここにこの二人がいるという事は、当然その目的はクワガタ関係の雑誌購入のためである。
今、二人の近くに玄吾と真琴の姿はない。今日は二人とも用があるとかで、授業が終わったら即帰宅してしまった。
「うん。それが、玄吾くんと真琴の二人が付き合っているって噂が最近あるらしくて。もちろん私は二人が付き合っていない事は知っているけど……肝腎の玄吾くんに付き合っている彼女はいるのかなって」
美晴は雑誌に視線を落としながら、隣に立つ福太郎に尋ねる。
彼女が直接福太郎の顔を見られないのは、他人の私事に関わる事を尋ねるのが躊躇われたからだ。
それでも、最終的に聞いてしまうぐらい、美晴も玄吾の彼女関係はきになっていた。
だが、福太郎はこの質問に対し、拍子抜けするぐらいあっさりとその答えを口にした。
「いますよ、彼女」
「え?」
思わず福太郎へと振り向く美晴。
「玄吾には以前からずっと付き合っている彼女がいます。そうですねぇ。正式に付き合い出したのは中学に入学してからでしょうか」
「へえ。じゃあその彼女さん、福太郎たちと同じ中学だったの?」
「いえ、違います。彼女──坂上夏菜さんと言うのですが、彼女は如月女学院の中等部に通っていましたから」
「如月女学院? それって確か、すっごいお嬢様学校じゃなかったっけ?」
美晴の言う如月女学院とは、隣町にあるちょっと有名な学校だった。
小学校から大学までの一貫教育を掲げており、一度入ってしまえば後はエスカレーター式に進学が可能。
同じ私学の他の学校と比べて、授業料がやや割高という面はあるものの、小中高大とどの段階においても入学希望者は後を絶たない人気を誇り、この少子化の時代に多くの女子高、女子大が共学に踏みきっているのに対し、相変わらず女子専門の学校として存在していた。
そんな如月女学院に、玄吾の彼女は通っているという。
「へえ。でも、どうしてそんなお嬢様と玄吾くんがどうやって知り合ったの?」
「実は、あいつと夏菜さんは幼馴染みって奴でして」
興味津々な顔で自分を見上げる美晴に、福太郎は内心で苦笑しながらも場所を変えて詳しい話をする事にした。
玄吾と一緒に現れたその少女は、まさに「深窓の令嬢」を体現したような、小柄で控え目な印象の可愛い少女だった。
「初めまして。坂上夏菜といいます」
にっこりと美晴と真琴に向けて夏菜は微笑む。
背中の中ほどまでの、真っ直ぐな黒髪。やや垂れ目ながらもぱっちりとした大きな瞳。
品の良い黒のレース付スクエアタンクトップと同色のシフォンギャザーフレアスカート。
その上に白のカーディガンを羽織り、足元はスカートと同じ黒のレギンスに白いショートブーツ。
全体にモノトーンのコーディネートの中で、赤い小さなクッションバッグと首元の青い石をあしらったペンダントがアクセントになっていた。
最初は呆然とその少女を見ていた見張ると真琴は、慌てて立ち上がってぺこりと頭を下げた。
「こ、こちらこそ! 伊勢美晴です」
「初めましてー。堂上真琴でーす」
長身の玄吾の隣の立つとひと際小柄に見えるその少女。身長は一五〇センチ前後だろうか。
「美晴さんと真琴さん……と呼んでもいいかな? あなたたちの事は玄ちゃんと福ちゃんから最近よく聞いているよ」
「玄ちゃん……」
「福ちゃん……」
真琴と美晴は、似合わない呼ばれ方をした二人の方を見て、思わず噴き出してしまった。
あの日、本屋から駅近くのファミレスに場所を移した福太郎と美晴は、玄吾の彼女についての話をしようとしたのだが、本人たちのいない所であれこれ話すよりは、当の本人と一緒に話そうという事になり、日を改めて真琴と噂の夏菜も交えて会おうという事になった。
そしてその週の週末である今日、このファミレスに玄吾が夏菜を連れて来たのだ。
真琴は持ち前の人当りの良さを遺憾なく発揮し、あっという間に夏菜と仲良くなる。
そんな真琴に引っ張られる形で、美晴も少しずつ夏菜との距離が近くなっていく。
そうなると同性三人が親しくなるのに時間はかからず、今では女性陣で楽しそうに会話するのを、福太郎と玄吾は無言のまま微笑ましく見詰めている。
「え……っ?」
女性陣三人が楽しそうに会話している時。何気なく夏菜の口から飛び出した言葉が、美晴と真琴を思わず硬直させた。
「い、許婚……そ、それって婚約者ってこと……?」
「うん。私と玄ちゃんは、親同士が決めた許婚って奴なんだ」
オレンジジュースをストローで吸い上げながら、夏菜は何事でもないように言う。
そんな前時代的な関係に驚いた美晴と真琴は、勢いよく福太郎と玄吾へと振り向いた。
「いや、俺の家と夏菜の家は、昔っから付き合いのある家系でさ。で、俺と夏菜が生まれた時に、親同士がふざけて許婚にしやがったんだ。きっと酒でも飲んでいたんだろうぜ?」
「あー。もー、玄ちゃんはそんな言い方して。私が相手じゃ嫌だとでも言いたいのかなぁ?」
口を尖らせて、どこか子供っぽく拗ねる夏菜。玄吾はそんな夏菜に優しい笑みを向け、彼女の頭をくしゃくちゃと乱暴にかき混ぜると、夏菜が嬉しそうな悲鳴を上げる。
「とは言え、最終的な判断は二人に任せられているそうです。二人に結婚の意志がない場合、無理に結婚する必要はないとの事ですから」
という福太郎のフォローを受け、ようやく美晴と真琴も落ち着きを見せた。
「いや、しかし、びっくりしたにゃー。まさか、今どき本当に親が決めた婚約者とかがいるなんて……」
「もしかして……玄吾くんと夏菜さんの家って、お金持ちなの?」
美晴の質問はやや的外れだったかもしれない。ただ、彼女のイメージでは、「親の決めた許婚」というものが金持ち同士の間でしか成り立たない印象があったのだ。
この質問に、玄吾は福太郎と一度顔を見合わせると、苦笑しながらそれに応えてくれた。
「金持ちかどうかは判んねぇ……ってか、コウフクの叔父さんトコに比べたら絶対金持ちなんかじゃないだろうけど、俺の家は昔からこの辺りを縄張りにする極道だったからさ。色んな方面に顔が利くんだわ」
「ご……極道……?」
「そ、それってヤクザ屋さんってことかにゃ……?」
目を見開いて驚く美晴と真琴。そんな彼女たちに福太郎は苦笑を浮かべ、玄吾は彼女たちを安心させるようにぱたぱたと片手を振った。
「確かに、俺の爺さんの代まではヤクザだったけどさ。親父の代になってからは一応、堅気の土建屋やってるよ。ただ、従業員は強面で血の気の多い連中ばかりだけどな。まあ、あれで気のいい連中も多いんだぜ」
「元々、玄吾の家は食い詰めた半端者の受け皿みたいな事をしていたそうですよ。今でも、行く当ても職もない服役囚の身元を引き受けたりしているそうですし」
罪を犯して服役し、刑期を終えて出所した後、家族もなく職もなく住む場所もない者は以外に少なくないという。
そんな者は、出所した後にすぐ犯罪を犯すケースが多い。
刑務所に再び戻れば、少なくとも「住」と「食」は保証されるからだ。
そんな者たちを、玄吾の家では受け入れているという。
「私の家も建築関係の仕事をしていてね。その都合で玄ちゃんの家とは昔から付き合いがあったんだ。で、玄ちゃんを通して、福ちゃんとも小学校の頃に知り合ったの」
夏菜は微笑むと、更に言葉を続けた。
「その福ちゃんに彼女ができたって玄ちゃんから聞いた時には、本当にびっくりしたよ。だって、福ちゃんはこう言ってはなんだけど、いわゆる『残念なイケメン』じゃない? 見た目はこの通り非の打ち所がないけど、中身はクワガタの事しか考えていないし。よくそんな福ちゃんと付き合える女の子がいたもんだなぁって。あ、ごめんね。別に美晴さんを馬鹿にしているわけじゃないんだよ?」
福太郎の中身が偏っている事は周知の事実なので、今更言われても腹も立たない。
そして夏菜の態度から、本心で福太郎の事を心配していた様子が伝わってきていたので、美晴としても怒りを刺激されるような事はなかった。
「だから、美晴さん。福ちゃんの事、よろしくね? きっとあなたに見放されたら、福ちゃんは今後一生彼女なんてできそうもないからね」
ぱちり、と悪戯っぽくウインクを飛ばす夏菜。
そんな夏菜に、美晴は真っ赤になりながらも何とか頷いた。
その時。
「ああああああああああっ!!」
突然響く真琴の声。
福太郎たちが何事かと真琴へと目を向ければ、彼女は油の切れた機械のようなぎこちない動きで福太郎たちへと振り向いた。
「よくよく考えたら……」
ごくり、と真琴が一度息を飲む。
「この中で、私だけ独り身じゃん!」
真琴は頭を抱え、そのままテーブルに突っ伏す。
「こうなったら、私も絶対に彼氏を見つけてやるっ!!」
勢いよく身体を起こして気勢を上げる真琴に、福太郎と美晴、玄吾と夏菜がそれぞれ顔を見合わせると、遠慮のない笑い声を上げるのだった。
『魔法のコトバ』更新。
これで外伝も三話目。あと、二、三話ほどで外伝も打ち止めの予定。
もう少しだけ、お付き合いください。
では、次回もよろしくお願いします。