幸田邸再訪問
本日、美晴は幸田邸を訪れる予定になっている。
あれから──福太郎といわゆる「彼氏彼女」の関係になってからしばらく。
一度目の訪問は鳴海の例の結婚発言で中途半端に終わり、その後、福太郎と正式に付き合うようになって色々と忙しく。
ようやく今日──夏休みも明けた九月半ば──、改めて再び幸田邸へと訪れる事になったわけだが、今の美晴は前回よりも遥かに緊張していた。
前回の訪問は単なる友人同士だったが、今回はその立場が違う。
正式に「彼氏」となった異性の家に行くのだ。そのような経験は当然ない美晴が、極度の緊張状態に陥ってしまっても無理ないだろう。
「大丈夫? 何か、すっごい顔しいるけど……」
今回も同行している真琴が、心配そうに顔を覗き込んで来る。
前回は福太郎と玄吾がバイクで最寄駅まで迎えに来てくれたが、今回は彼らが少々忙しいらしく、こうして歩いて幸田邸へと向かっている。
福太郎たちも普段の通学ではバイクではなく駅まで歩いており、距離的には1キロ弱といったところなので、徒歩でも特に問題はない。
道も殆ど一本道なため、一度幸田邸を訪れた事のある美晴たちが道を間違える心配はないだろう。
「う、うん、大丈夫。……大丈夫だから……」
全然大丈夫じゃないぐらいに表情筋を強張らせる美晴に、真琴は苦笑を浮かべた。
「そんなに緊張しなくてもいいのに。別に初めて行く家ってわけでもないし」
「う、うん……そ、それは判っているつもりだけど……」
「福太郎くんの家に行っても、居るのは福太郎くんと玄吾くん、後は会長さんぐらいでしょ。だったら、前回と変わらないじゃない?」
「そ、そうなんだけど、そうじゃないの……」
よく判らない言い方をする美晴に、真琴は不思議そうに首を傾げる。
だが、美晴はそんな真琴に気づく余裕もないくらい、緊張で胸が押しつぶされそうだった。
事の次第は二日ほど前。
「えっ? 福太郎のお父さんが?」
「はい。父が美晴さんと是非お会いしたいと言っていまして。会って貰えないでしょうか?」
幸田邸を再び訪れる約束を交わし、時間などの細々とした事を二人で決めていた時。
福太郎は自分の父親が美晴に会いたいと言っている事を当人に伝えた。
「そ、それで……ふ、福太郎は私の事を何て伝えてある……の?」
上目遣いで不安そうに尋ねる美晴に、福太郎は晴れ晴れとした表情でにっこりと笑う。
「もちろん、僕の彼女であると伝えてあります」
どうやら、美晴のことは鳴海からその存在は伝え聞いていたらしく、それほど驚かなかった福太郎の父親だったが、それでも息子から彼女を紹介すると言われて嬉しかったようだ。
彼の父親は、是非一度美晴に会いたいと申し出た。
「美晴さんが来てくれる日は、丁度原稿が一段落する予定らしく、それもあって美晴さんに会いたいと父が言っているのですが、よろしいですか?」
福太郎の父親の職業は漫画家、それもかなりの人気作家である。
以前に聞いたところによると、福太郎の父親は仕事中は極めて神経質になり、仕事を邪魔されるのを嫌うらしい。
事実、前回幸田邸を訪れた時は、顔も見せなかったほどだ。
どこか厳しそうな印象のある福太郎の父親。そんな人物と会うとなれば、美晴でなくても緊張するだろう。
しかも、向こうは自分の事を息子の彼女だと認識しているのだ。
その意味でも、美晴の緊張は倍増する。
だが、ここで美晴が嫌だなんて言えるはずもなく。
彼女には福太郎の父親と会う事を、承知する意外に道はなかった。
やがて幸田邸の近くまで到達した美晴と真琴。
幸田邸の広い敷地を囲むように建つ塀添いに歩いていると、彼女たちの前方から数人の男性が歩いて来た。
その男性たちを目にした途端、怯えたようにぴたりと足を止める美晴と真琴。
彼らは談笑しながら、ゆっくりと美晴たちの方へと近づいて来る。
やや町外れとはいえ、ここも住宅街の中なのだから、美晴たち以外に歩いている人がいるのは当然だ。
では、それでいてなぜ美晴たちが足を止めたかといえば、その男性たちのガラが如何にも悪そうだったからだ。
どこからどう見ても、堅気ではない男たち。
それが美晴と真琴の認識である。
見た感じ、全員年の頃は二十代から三十代。薄汚く着古した感じのよれよれの衣服を着て、足元は揃いも揃って裸足の草履履き。
真夏は過ぎ去ったものの、まだまだ暑いこの季節に草履履きも珍しくはないが、いい歳の大人が全員それなのは如何なものか。
そして、ぼさぼさの髪にあまりいいとは言えない顔色。
それでいて目だけが異様に力強く輝き、らんらんとした光を称えている。
──まるで、何か怪しい藥でも使っているような感じ。
美晴と真琴は、その男たちを見てそう感じた。
しかも、それとなく聞こえてくる会話もまた物騒なものだった。
「あの男だけどよ、あそこでぶっ殺した方が良かったんじゃねえか?」
「おう、俺もそう思った。けどよ、うちの大将がここは生かさず殺さずねちねちといじめるところだ、とか言うから仕方ねえべ?」
「でも、ああやって生殺しの方が、あっさり殺されるようり余程苦しいからさぁ。やっぱ、うちの大将は鬼畜だわ」
休日の昼間から、ましてや住宅街の中で交わされるような会話ではない。
これはもう、あの連中はスジ者に違いないと判断した美晴と真琴は、互いに頷き合うとくるりと踵を返して元来た道を逆戻りする。
いや、逆戻りするつもりだった。
彼女たちが男たちに背を向け、足早に歩き出そうとするよりも早く、男たちが美晴たちに気づいたようだ。
「お、あんな所に若い姉ちゃんたちがいるぞ?」
「お、本当だ」
「何言ってんだよ。若い姉ちゃんなら大将ンとこの姐さんがいただろうに」
「いやよ? 姐さんは大将の奥さんだろ? 俺たちが手ェ出せるお人じゃねえさ」
どくり、と美晴と真琴の心臓が脈打つ。
別に申し合わせたわけでのないのに、二人は同時に走り出した。
「あっ!! 逃げたっ!!」
「うわ、別に俺たち、何もしないってのによぉ」
「そうそう。取って食うわけじゃないのに」
「わははは。ばーか。俺たちを普通の姉ちゃんたちが相手するわけねえだろうが」
「は、違いねぇ」
背後からそんな声が聞こえてくる。どうやら男たちは美晴と真琴を追っては来なかったが、それでも二人は生きた心地がしなかった。
後ろを振り返る事もなく、闇雲に走り続けた二人。
やがて息が切れ思わず足を止めた時、彼女たちは自分たちが今、どこにいるのか完全に判らなくなっていた。
「はぁ。そんな事があったのですか……」
完全に迷子になり、土地勘のない住宅街の中をぐるぐると歩き回った二人は一軒のコンビニを見つけた。その時になり、二人は携帯電話で福太郎に連絡する事をようやく思いついた。
どうやら先程の恐怖が、冷静な判断力を奪っていたようだ。そして、そこから福太郎に電話をすると、そのコンビニを目印に福太郎と玄吾が迎えに来てくれた。
「申し訳ありません。こんな事なら、僕たちがしっかりと駅まで迎えに行けば良かったですね」
「本当だ。俺からも謝る。しっかし、この辺でそんな危ない奴らが歩いているとはなぁ」
平謝りする福太郎と玄吾に、逆に美晴の方が恐縮してぱたぱたと両手を顔の前で振った。
「ああ、うん、そんなに謝ってもらうほどでもないから。確かに物凄く恐かったけど」
「でも、どうしてあそこにあんな連中が歩いていたんだろ? 前もってその事を福太郎くんが知っていれば、何があってもみはルンを迎えに来るに決まっているのにねぇ」
福太郎たちと合流して安心したのか、真琴が福太郎と美晴を交互に見比べながらにまにまと笑みを浮かべる。
そんな真琴に対し、福太郎はしれっと言い放つ。
「当然です。そんな危険な連中がうろついているようなら、父の手伝いなど放り出してもお二人を迎えに行きましたとも」
「へ? お父さんのお手伝い?」
目をぱちくりとさせる真琴。
彼女も、福太郎の父親が漫画家なのは知っている。
「ええ。〆切間近という事と、本日美晴さんと真琴さんが遊びに来る事というので、昨日からやや強引に仕事を進めていまして。僕と玄吾どころか鳴海さんまで父の手伝いをしていたんですよ」
「まあ、俺たちのような素人に技術的な事は無理だから、ベタ塗りとか消ゴムかけとか簡単なものだけな。後はデジタル処理する原稿のスキャニングとかか。デジタル処理そのものはコウフクの親父さんが自分でするし」
福太郎も玄吾も、そして鳴海までもが徹夜明けだった。ちなみに鳴海に関しては、現在福太郎の家で仮眠中である。
福太郎たちの話を聞き、美晴と真琴は関心した様子で二人を見詰める。
人気漫画家の仕事場など、その道を志す者にとっては一度は行ってみたい場所だろう。ましてや、その手伝いとなれば、漫画家志望というわけでもない真琴でも何となく興味が引くものがあった。
「でも、専属のアシスタントさんとかいないの? 普通ならいるものでしょ?」
「もちろん、父の元にも数人のアシスタントはいますが、今回は複数の〆切が重なったようでして。それで僕たちまで駆り出されたというわけです」
時々あるんだよなこういう事が、という玄吾の言葉に関心したように頷き、美晴と真琴は二人のバイクの後ろに跨り、改めて幸田邸へと向かうのだった。
バイクに乗ること数分。
福太郎と玄吾に連れられた美晴と真琴は、ようやく幸田邸の玄関までやって来た。
しかし、玄関前で福太郎のバイクから降りた美晴は、そこで先程のガラの良くない連中を再び見かけた。連中はまたも、美晴たちの方へと近づいて来るようだ。
「あ、あの人たち……」
バイクを降りた美晴が、福太郎の陰に隠れながら男たちを指差す。
そしてどうやら向こうも美晴たちに気づいたようで、にやにやとした笑いを浮かべた男たちが必要以上に親しげに近寄って来た。
「よう。彼女連れたぁ、隅に置けないじゃねえか」
男の一人が、馴れ馴れしく福太郎と肩を組む。
──絡まれた!
そう思った美晴は、にやにやと笑う男と福太郎を挟んで対角線に移動しながら、怯えた表情でじっと福太郎を見詰めた。
ちらりと横目で見れば、玄吾も同じように絡まれ、その彼の陰に真琴が隠れている。
だが、当の福太郎も玄吾も特に表情などに変化を見せることなく、自然体で男たちの会話を受け流す。
その事を不審に感じる美晴。
見れば真琴も同じ事を思ったらしく、じっと彼女の方を見詰めていた。
「ね、ねえ、福太郎……? も、もしかして……お、お知り合い?」
福太郎の顔を見上げながらそう尋ねれば、彼はいつものようににっこりと爽やかに微笑んだ。
「ええ。この人たちは父のアシスタントの方たちです」
「………………は?」
思わぬ福太郎の言葉に、呆然とするしかない美晴。
そう言われて良く見ると、彼らは先程よりもこざっぱりとしていた。
「皆さん、徹夜に続く徹夜で妙なテンションになっていたようですね。加えて、風呂もまともに入っていなければ食事も最低限のものしか摂っていなかったらしく……ようやく〆切が過ぎて一息吐き、近くのスーパー銭湯で汗を流して食事をして来たそうです」
確かに、先程は妙な藥でも使ったかのような目のぎらつきもなく、厳つい顔つきの者が多いものの、十分な休息をとったせいか今はみんな温和な表情を浮かべている。
「〆切直前の作家の作業場というのは正に修羅場ですからね。そうなると皆さん、見てくれなどに気を使う余裕はないようでして」
福太郎が美晴と真琴を紹介すると、アシスタントたちはぺこぺこと頭を下げた。
どうやら、自分たちが美晴たちを怖がらせた事を、ずっと気にかけていたようだ。
「いやあ、済みませんね、お嬢さんたち。まさかお嬢さんたちが福太郎くんたちの友達とは知らなくてねえ」
「あ、い、いえ、その……私たちの方こそ、変な誤解してごめんなさい。でも──」
あの時聞こえた会話は何だったのか?
その事を思いきって尋ねれば、あれは今回の原稿の内容について話していただけらしい。
「さてと、お嬢さん方。うちの大将と姐さんがお待ちですぜ?」
彼らの言う「大将」と「姐さん」が誰なのか。そんな事今更説明を受けるまでもない。
そして。
そして、目前に迫った「彼氏の父親」との対面に、美晴は先程までとは違った意味で身体を強張らせるのだった。
『王子と付き合う魔法のコトバ』、五ヶ月ぶりに番外編の投稿です。
全部で何話くらいのものになるか全く不明ですが、いきなり次回に続いてしまいました(笑)。
何か、久しぶりに「王子と~」を書いたら、勝手が判らなくて……ついつい長くなってしまった。
今後、書く予定としてネタがあるのは、玄吾の実家関係か恋愛関係、福太郎のタレントデビュー(?)、鳴海の結婚式あたりでしょうか。
これらを全部書くとすると、今回の後編を加えてあと五話ぐらい。まあ、書いてみたら長くなった、なんて事もあり得るので断言はできません。ええ。
11月中に全番外編が書けたらいいなぁ。
そんな訳でして、またしばらくの間よろしくお願いします。