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16-伊勢家の人々



 昆虫ショップ『すたっぐ・B』。

 その店の入り口で立ち尽くす美晴と、その美晴に優しげな視線を向ける店長の明義(あきよし)

 美晴は明義の視線ににっこりと微笑むと、ぼそりと呟くように告げた。


「……ただいま、お父さん」

「お帰り、美晴。でもどうして美晴が店の方に……?」


 とある事情により、今の美晴が店舗へと近づきたがらない理由を知っている明義は、店舗の玄関から帰って来た美晴に首を傾げる。

 そしてそれを承知している美晴は、若干頬を赤くしながら店舗へとやって来た理由を明かす。


「じ、実はその……きょ、今日はうちの店を見たいっていう友達を案内してきたんだけど……」


 友達。

 美晴の口からその言葉が出た時、明義は驚きに目を見開き、次いで大きく破顔した。


「そ、そうか。だったら、その友達を早く店の中に案内してあげなさい。外で待っているのかい?」

「う、うん。じゃあ、呼んで来るから……」


 美晴は踵を返すと小走りで店の外へと向かう。

 そんな愛娘の様子に、明義は笑みがこみ上げてくる。

 一時は友達というものを完全に否定した彼の娘。その娘がこうして再び友達を我が家に連れて来た。

 しかも、ここは娘にとってはトラウマの根源とも言うべき場所であるのに、だ。

 明義はその事が嬉しく、娘の連れてきた友達を『すたっぐ・B』の店長として、そして美晴の父親として最大限に持て成そうと思った。

 その友達を目にするまでは。




「初めまして。美晴さんの友人で幸田福太郎といいます」


 すらりとした高身長に、優しげな整った風貌。

 初めて会う相手に全く不快な印象を与えず、さらりと挨拶する姿は爽やかの一言。

 娘が友達として連れて来たのは、店長の明義がこう言うのもなんだが、昆虫ショップとはあまりにも不釣り合いな好青年だった。


「え、えーっと……本当に美晴の友達……かい?」

「はい。クラスは違いますが、同じ学校の友人です」


 呆然と聞き返す明義に、不快な表情の一つも浮かべず爽やかに微笑む福太郎。


「も、もしかして、芸能人か何か……なんてことは……?」

「いえ、全くの一般人ですが?」


 きょとんとした顔の福太郎。

 その福太郎の背後では、顔を若干赤らめた美晴が父親とは視線を合わせないようにしている。

 娘の友人と聞き、てっきり同性の友達を連れてきたとばかり思っていた明義は、突然登場した芸能人さえ霞みそうな容姿の福太郎に困惑した。


「え、えーと、幸田くん……だったかな? 今日はどういった目的でこの店に?」


 思わず引き攣りそうな顔の表情筋を、必死に押さえる明義。

 もしかして、あれか? これはいわゆる、娘が彼氏を紹介しに来たってやつか?

 そんなことを根拠もなく警戒していた明義だったが、福太郎が重度のガタ屋であり、本日は飼育用品を求めて来店した事を知ると、そのような思いはあっという間に頭の中から消え去った。


「あははははは。そうか、幸田くんは黒虫派なんだね。私は逆に色虫派でね、その中でも日本のルリクワガタやコルリクワガタの控え目な金属光沢のある青が大好きでねぇ」

「ええ、ルリやコルリの青は確かに綺麗ですよね。でも、やっぱり僕は国産オオを始めとした黒光りする硬質な身体に魅力を感じます」

「おや? 君はオオは国産派かい? 中国のホペイやインドやミャンマーのグランディスは好きじゃないのかな?」

「一応、ホペイやグランディス、他にも台湾オオなどにも手を出した事はありますが、結局は巡り巡って国産オオに落ち着きました」


 僅か数分ですっかり意気投合し、何ともディープな会話を交わす福太郎と明義。

 そんな二人に美晴は一声かけ、一度店舗の外に出る。

 そして店舗の横にある、上のマンションの住人用の入り口からエレベーターを利用して七階へ。

 その七階の一室の前まで来ると、そのインターフォンを押す。


「──どちら様ですか?」


 僅かな間の後に、インターフォン越しに聞こえる耳慣れた声。

 その声に僅かな懐かしさを覚え、美晴はインターフォンに向けて返答する。


「お母さん……私……美晴」


 途端、部屋の中からどたどたという音が響き、すぐにがちゃりと鍵が外されて扉が開く。

 開いた扉の向こうには、数ヶ月前までは毎日見ていた母の顔。


「み、美晴ちゃん……」

「……ただいま、お母さん」


 驚きを浮かべる母の顔を見詰めながら、美晴はそっとはにかんだ。




 久しぶりの実家のリビング。

 そこで母の聖美きよみと差し向かいになって、母が淹れてくれたコーヒーを飲む。


「うん。やっぱり母さんの淹れてくれたコーヒーは美味しいわ」

「あら、インスタントだから、誰が淹れても変わらないでしょ?」

「そんな事ないわよ。私が自分で淹れてもこんなに美味しくならないし」


 そう? と、聖美は娘に向かって微笑む。


「ところで、今日は急にどうしたの? 別にホームシックになったってわけじゃなさそうだけど……」


 そう問われ、美晴は再び今日帰ってきた理由を母に告げた。

 そして、娘が友達を連れて来たと聞いて、聖美はにんまりと笑う。


「もしかして……彼氏?」

「ち、ちが……っ!! こ、幸田くんは彼氏なんかじゃ……っ!!」

「ふーん。幸田くん、ねぇ。男の子には違いないんだ」


 狼狽する美晴を見て、聖美の笑みは更に深くなる。

 頬を染めて視線を泳がせる娘の態度から、美晴が少なからずその幸田くんとやらを意識していると聖美は察した。


「それで? その幸田くんは今どこに?」

「て、店舗の方でお父さんと話しているけど……?」

「呼びなさい、ここに。今すぐ」

「え……え?」

「せっかく遠くから来てもらったのに、お茶の一杯も出さないなんて失礼じゃないの。幸田くんには家の方へ上がってもらいなさい。ほら、早く早く(ハリーハリー)


 ぱんぱんとテーブルの天版を掌で叩いて催促する聖美。

 こうなった母が梃子でも動かないことを熟知している美晴は、仕方なくポケットから携帯電話を取り出して福太郎へとコールした。




 絶句。

 それが聖美が福太郎を始めて見た時のリアクションだった。


「え、えーっと……もしかして、芸能人とかやっていたり……する?」

「いえ、先程ご主人にも同じことを聞かれましたが、僕は全くの一般人ですよ?」


 福太郎は苦笑を浮かべながら、心の中だけで似たもの夫婦だと呆れつつも感心した。

 そして改めて、美晴の母親だという女性を見る。

 全体的にふくよかな体型。とはいえ、目だって醜いほど太っているわけではない。

 対して、父親の明義は細身だったことから、美晴は父親似かなと推測する。

 美晴の顔立ちは、明かに明義に似ているし。

 だからといって、美晴と聖美が全く似ていないというわけでもなく、所々に明かな遺伝子の繋がりが見受けられる。


「しかし、驚いたわぁ……。美晴が連れてきたお友達が、まさかこんなかっこいい男の子だったなんて……」


 うふふふふと不気味に笑う母親から敢えて視線を逸らし、美晴は隣に座っている福太郎に尋ねる。


「そ、それでどうだった? うちの商品は幸田くんの眼鏡に適ったの?」

「ええ。品質は良さそうだし、値段も手ごろ。さすが美晴さんがお薦めしてくれただけはありますね。早速ですが、菌床の5リットルブロックを五つ、購入する旨を明義さんに伝えてあります」

「菌床のブロックを五つも……? 随分と気前がいいわね」

「そのためにバイトをしていますからね。僕は好きなものや気に入ったものには、資金の投入を惜しまないことにしているんです」


 不敵に微笑む福太郎と、そんな彼を見て呆れる美晴。

 菌床のブロックは大抵どのショップでも一つ1000円以上はする。『すたっぐ・B』で販売している菌床も、一つ税込み1200円という値段がつけられており、それを五つも買えばその合計金額は6000円。高校生が支払う金額にしてはいささか高額である。

 それだけの資金を、いくら好きなもののためとはいえぽんと支払う福太郎。美晴が呆れるのも当然といえば当然であろう。


「後は、気になった生体が幾つかあったので、こちらは後日、改めて伺おうかと考えています。さすがに今日は手持ちの資金が菌床分しかありませんので」

「ふーん。そういえば幸田くんって()き虫専門なの? 干物は?」


 生き虫とは文字通り生きている虫で、主に繁殖目的で飼育する。もちろん、中には動いているその姿に惚れ込み、ただ単に生きているその姿を眺めて悦に入るというディープなマニアも存在するが。

 対して干物とは標本の事であり、こちらはこちらで重度のマニアがいる。

 自分で虫を捕まえて標本にする者もいれば、標本そのものを購入する場合もある。どちらの場合もその主な目的は標本のコレクションだろう。

 最近では標本ケースの中に標本を整然と並べるのではなく、自然の中での生活を標本を使って再現した一種のジオラマである「ライブ標本」と呼ばれるものまであるぐらいだ。


「僕の基本は生き虫中心ですが、飼育していて死亡してしまった個体を、記念として幾つか標本にして残してありますよ。後、ライブ標本も少しですが作りました」


 福太郎の話を聞き、そういえば以前に彼の部屋を訪れた時、机の上にライブ標本が飾られていた事を美晴は思い出した。

 その後も様々な虫の話題で盛り上がる福太郎と美晴。そんな二人を微笑ましげに見守っていた聖美が、不意に何かを思い出したかのように声を上げた。


「どうしたの、お母さん? 急に声出したりして」

「ねえねえ、福太郎くん。あなた、今日は夕飯をうちで食べていかない?」

「お、お母さんっ!? いきなり何を言い出すのっ!? そんなこと急に言ったら、幸田くんにだって迷惑でしょっ!?」

「あ、それもそうか。でも、どう? 福太郎くんは何か都合が悪いような事がある?」


 聖美に言われて、福太郎は素早く今晩の夕食について考えを巡らせる。

 最近までは食事の準備は彼の仕事だったが、正式に結婚が決まって以来、週末は必ずと言っていいほど鳴海が幸田邸を訪れ、料理などの家事をやってくれる。

 今日も福太郎と入れ違いに鳴海は幸田邸に入っているはずだから、父──とそのアシスタントたち──の食事の心配はいらないだろう。


「大丈夫だと思います。父たちの食事の準備は鳴海さんがやってくれるでしょうから、僕が外で夕食を食べる旨だけを伝えておけば問題ないでしょう」

「……あの人、今日も幸田くんの家に行っているんだ……」


 福太郎と美晴の会話を聞き、聖美は若干首を傾げるもよその家庭事情と割りきり、余計な詮索はしない事にする。


「じゃあ、決まりね! となると、夕食は何を作ろうかしら? 美晴ちゃんもお母さんの料理は久しぶりでしょ? 何か食べたい物はある?」

「そうか。私もお母さんの料理食べるの久しぶりだったっけ」


 今思い至ったといった風情の美晴に、福太郎は思わず苦笑する。

 彼が聖美の申し出を受けた理由の一つに、どうやら久しぶりに実家に戻ったらしい美晴に、少しでもここの空気を味あわせてやりたいと思ったからだが、当の本人はそんな事は考えてもいなかったらしい。


「じゃあ、お母さんにお任せでいいわね? よっし! 腕によりをかけて美味しい晩御飯を作らなくっちゃ! と、いう事で、美晴ちゃん。ひとっ走り買い物行ってきてくれない?」

「えー? ちょっと待ってよ、お母さん! もしかして、自分で買い物に行くのが面倒だから、幸田くんを出汁にして私に買い物に行かせるんじゃないでしょうね?」

「いやあねぇ。そんなわけないでしょ? でも、ちょっとだけ待ってね? すぐに買い物のリストを作るから」


 そう言ってキッチンへとぱたぱたと小走りに駆けて行き、冷蔵庫の中身を確認して何やらメモを始める聖美と、そんな母親に憤慨する美晴の姿を、福太郎は眩しいものでも見るように目を細めながら眺めていた。



 『王子と付き合う魔法のコトバ』更新。


 本当なら昨日には出来上がっていたはずの今回の話ですが、どうにも上手く進まずに一日ずれこんでしまいました。

 前回はあんなにすらすらと進んだのになぁ。

 そんなわけで、今回は伊勢一家と福太郎との顔合わせの回でした。


 後、作中でちらっと登場したライブ標本ですが、自分も過去に幾つか作りました。

 その中で、オウゴンオニクワガタを三匹使用したライブ標本は、勤め先の入り口のカウンター横にしばらく飾られていたのですが、同僚がどうしても欲しいというので譲りました。

 その同僚の当時小学生の息子さんが虫好きで、前からライブ標本の事を知っていて欲しがっているとか。

 やはり、いつの時代にも男の子は虫好きのようです。


 では、次回もよろしくお願いします。

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