12-幸田邸訪問 その2
駅から二台のバイクに便乗して十分程。
閑静な住宅街を抜けた山の麓あたりに、福太郎の家である幸田邸はあった。
一目で建て売り物件とは異なる広々とした敷地。そこに建築家が幸田邸のためだけに設計したであろう二階建ての広い家屋が建っている。敷地の片隅に塀越しにちらりと屋根が見えているのは、離れか何かだろうか。
とにかく、豪邸と呼ぶほどではないものの、一般庶民からはかけ離れた実に立派な邸宅であった。
その幸田邸を目の当たりにした美晴と真琴は、しばらくぽかんとした表情でぼーっとその建物を眺めていた。
「えっと……ここ、本当に福太郎くんのお家?」
ぎぎぎぎっと、真琴は油の切れた機械のような仕草で首を巡らせる。
もちろん巡らせた方向は、バイクをガレージに入れて彼女たちの元へと戻ってきた福太郎である。
「はい、ここが僕の家です」
「……大きな家ね……」
「確かに、世間一般から見れば大きな方でしょうが……玄吾の家はもっと大きいですよ?」
「ええええええっ!?」
期せずして声を合わせる美晴と真琴。
「大きいって言ってもなぁ……ウチの場合、母屋はコウフクん家とそれ程変わらないだろ? ただ、ウチは従業員たちが寝起きする別棟があるから大きく見えるだけじゃね?」
「それって、幸田くんの家の敷地より、確実に広いってことよね……?」
「……すげー……」
実際に見たわけではないが、少なくとも目の前の幸田邸よりも、玄吾の家は広いのだと悟る美晴と真琴。もう空いた口が塞がらないといった心境だ。
「それより、こんなところで立ち話もなんです。家に入りませんか?」
「いらっしゃい。待っていたわよ?」
玄関から家の中に入った福太郎たちを出迎えたのは、なぜかエプロンを装備し、笑顔を浮かべた鳴海だった。
「え……沢村先輩?」
「会長さん……? どうして会長さんが福太郎くんの家に?」
装着されたエプロンの下には、モスグリーンのタイトなTシャツとストーンウォッシュのジーンズ。普段の落ち着いたイメージの制服姿よりも活動的な私服は、以外と鳴海によく似合っていた。
「え? 私がこの家にいる理由? もちろん、あなたたちが来るからよ? だって、福太郎たちに女の子をもてなすなんてできるわけがないもの」
何を当然なことを聞くのか、といった風情の鳴海。その鳴海に促され、何となく納得できないものはあるものの、美晴たちは幸田邸に上がる。
とりあえずということで、福太郎は客人である美晴と真琴をリビングへと案内する。
ちなみに、玄吾と鳴海は今更案内などされなくても、勝手知ったる何とやらで勝手にリビングへと足を運んでいる。
「さあ、どうぞ。すぐに飲み物を用意するから、好きな所に座ってね」
ぱたぱたとスリッパを鳴らし、リビングと繋がっているキッチンへと入っていく鳴海。
そんな鳴海の態度に、真琴が渋い顔をして小声で呟く。
「どうして会長さんが差配してるの? まるで自分の家みたいに……。ここ、福太郎くんのお家だよね?」
真琴の呟きは、そのまま美晴の心境でもあった。
まるでこの家の住人だと言わんばかりに、自由にリビングとキッチンを往復する鳴海。福太郎も、そんな鳴海に何かを言うでもなく、ごく自然に彼女の手伝いなんかをしている。
玄吾はといえば、鳴海たちが腰を降ろしたソファの対面に慣れた様子で座っていたり。
まあ、玄吾の態度に関しては、美晴も真琴も判らなくはない。
以前から福太郎と親しい玄吾は、きっと昔からこの家に何度も出入りしているのだろう。
そんな玄吾から視線をずらして、美晴は改めてリビングの様子を観察する。
広さは二十畳ほどだろうか。あまり物が置かれていないので、実際よりは広く感じる。
それは南側の庭に面したガラス窓が大きく、外から入り込む光が多いのも広く感じる一因なのかもしれない。
リビングにあるのは、今美晴たちが座っている六人かけのソファセットの他には、画面の大きなテレビと観葉植物が一つ。
「そういや、今日、土曜日だけど福太郎くんのお家の人は? 一応、挨拶ぐらいはしとかないと」
「あ、私も」
福太郎に母親がいないのは既に知っているが、父親は当然ながら健在なはず。であれば、土曜日の今日は彼の父親も仕事が休みである公算は高い。
余所様の家に遊びに来た以上、その家族に一言挨拶するのは当然の礼儀。真琴と美晴の申し出は理にかなったものであろう。
「確かに僕の父は今日、家にいますが……いえ、毎日いますが……」
「え? 毎日家に?」
「ええ。僕の父は在宅で仕事をしていますから」
「へー」
「ですが、別に挨拶は必要ありません。仕事中は結構神経質になる人ですから、下手に仕事の邪魔をする方が機嫌を悪くします。ただ、そのような理由から離れには近づかないでいただけるとありがたいですね」
「離れ? ああ、外から見えていたあれね。あそこ、幸田くんのお父さんの仕事場なんだ」
「それで、福太郎くんのお父さんって、どんな仕事をしているの?」
真琴のこの質問に、なぜか福太郎は困ったような顔をした。
「僕の父の仕事はその……何というか……そうですね、クリエイティブかつアーティフィシャルな仕事をしている、とでも言いましょうか……」
「クリエイティブかつアーティフィシャル? もしかして……画家さんか何か?」
「ま、まあ……似たようなものかもしれませんね」
福太郎にしては珍しく歯切れの悪い返答に、美晴と真琴は揃って首を傾げる。
そして、そんな福太郎の様子背後から見ていたを玄吾と鳴海は、肩を震わせて必死に笑いを堪えていた。
リビングで紅茶と鳴海お手製のお菓子で一息ついた一行は、本日の目的であるクワガタの飼育部屋へと向かう……予定だったが、真琴が「福太郎くんの部屋が見てみたいにゃー」と言い出したので、先にそちらへ向かうことになった。
「どうぞ。ここが僕の部屋です」
幸田邸の二階の一番奥の部屋。そこが福太郎の居城である。
八畳ほどの洋間で、中は落ち着いたモノトーンの壁紙や家具で統一されている。
勉強用の机の他には、いくつかのクッションとベッド、小型のテレビとパソコン、そして壁には大きめの本棚とエアコン。
本棚の中身はやはりというか、昆虫関係の書籍で殆どが埋められていたが、なぜか一角に少女漫画が収められていた。
「へー、福太郎くんって、少女漫画なんか読むんだ?」
本棚に収められた週刊の少女漫画と、その雑誌のコミックスを眺めながら、意外だとばかりに真琴が言う。
「ええ、少女漫画も少年漫画も面白いと思えるものなら何でも読みますよ。もっとも、殆どはコンビニで立ち読み程度ですが。そこにあるのは……客観的かつ第三者的な意見を述べるための資料のようなものです」
そして一通り福太郎の部屋の見学を終えた美晴と真琴は、となりの飼育部屋へと足を踏み入れた。
福太郎の部屋よりもやや小さい六畳ほどのその中は、ぎっしりと並べられた金属製の棚とエアコンが設置されているのみの、極めてシンプルな部屋だった。
ただし、棚には無数の白いビンが納められ、他には幾つかのプラスチック製のケースが並んでいる。
ビンの数はざっと見ても三十は下らず、プラスチック・ケースも十近くはある。
その光景は、慣れない者が見れば極めて異様なものに感じるだろう。
事実、この部屋に入るのは初めてではない玄吾と鳴海はともかく、真琴はその光景を呆然と見詰めるばかりであった。
だが。
「────ふうん。思ったより少ないわね」
美晴は何とも、そんな事を言ってのけた。
美晴のこの発言に、真琴は言うに及ばず玄吾や鳴海までもが驚いた顔で彼女を凝視する。
対して、福太郎だけはなぜか満足そうに微笑んでいたが。
「私、てっきり菌糸ビンは百は下らないと思っていたわ。成虫管理用のプラケースも十個ぐらいしかないし。こっちも三十はあると思っていたんだけどな」
丁寧にビン一本一本に貼られた手製のラベルを確認しながら、美晴はとんでもない事を言っている。
「実は今年から飼育数を減らしたのですよ。高校にも入学したし、バイトもありますから、少々手が回らなくなると判断しまして。だから確実に手が回る数だけを手元に残して、後は知り合いなどにあげてしまいました」
「へ……減らしたの? これで?」
真琴は再び呆然と並べられた菌糸ビンに視線を向けた。
「が……ガタ屋の人たちの感覚ってどうなっているの? 私にはよく判らないにゃー……」
「安心しろって、真琴ちゃん。俺だっていまだにコウフクのこの感覚はよく判んねえよ」
「私もこればっかりはねー」
思わず零した真琴の呟きに、玄吾と鳴海はしみじみと頷きながら同意する。
その時、不意に甲高い電子音がその部屋の中に響き渡った。
「失礼。僕の携帯です」
皆に背を向けて、福太郎はしばらく携帯越しに誰かと会話する。
やがてその会話が終わると、彼は再び一同へと振り返り、鳴海に尋ねる。
「父が飲み物が欲しいと言っていますが、何かありますか?」
「それなら、キッチンに紅茶の準備がしてあるわ。それとさっきのお菓子の残りも持って行ってあげて」
「判りました。では、美晴さん、真琴さん。少々失礼します。美晴さんはゆっくりクワガタを吟味していてください。良ければ、成虫のケースを開けて個体を取り出しても構いませんから。玄吾、手伝ってくれますか?」
「おう」
福太郎と玄吾は、連れ立って階下へと降りて行った。
こうして部屋に残された女性陣のうち、真琴は興味深そうに並べられた菌糸ビンを眺めている。
ビンの中には菌糸の回った菌床がびっしりと詰められており、その中にまるまると太った大きなクワガタの幼虫がいるのが確認できる。
どうやらビン一本に幼虫一匹が入れられているようで、ビンの中でゆっくりと周囲の菌床を食べている幼虫の様子は、慣れない者や興味のない者にはあまり歓迎されるような光景ではない。事実、真琴はビンの中の幼虫を見て、露骨に顔を顰めていたりする。
そんな真琴に対して美晴はと言えば。
「ここら一帯のビンは国産オオの幼虫かぁ。へぇ、これらって去年産まれた幼虫なんだ。ってことは、そろそろ蛹化する時期よねぇ。あれ? こっちの幼虫、もう前蛹になりかけているじゃない」
と、一見楽しそうに幼虫の様子を眺めている。
だが、実際はクワガタの幼虫よりも気にかかることが美晴にはあった。
それは、まるでこの家の住人のように振る舞う鳴海の存在。
先程の福太郎が父親に飲み物を届ける件にしても、彼はごく自然に鳴海に飲み物の存在を尋ねていた。
あれはつまり、普段から鳴海はこの家に来ていて、あれこれと家の中のことに手をかけているという証左だろう。
この家の中であんなに自然に振る舞う福太郎と鳴海の様子が、美晴にはなぜか気になって仕方がなかったのだ。
だから美晴は幼虫を観察しながらも、時折ちらちらと部屋の入り口で静かに立っている鳴海へと視線を向けていた。
そしてそんな美晴の視線に気づいた鳴海が、意味有りげな笑みを浮かべながら美晴に声をかける。
「私がどうかしたかしら? さっきからこっちをちらちらと見ているようだけど?」
「い、いえ、別に何でも……」
と、慌てて視線を逸らせる美晴に、鳴海はどこか意地の悪そうな表情で更に続けた。
「やっぱり気になる? ここが自分の家のように振る舞う私が」
「…………」
そう問われた美晴だが、その質問には無言で以て返答とする。
鳴海のこの意地悪な問いかけに、真琴までもがどこか敵意のある視線で鳴海を見詰めていた。
「確かにここは私の家ではないわ。でも、もうすぐ……もうすぐここは私の家になるの」
「え……?」
「私ね、高校を卒業したら、この家で暮らすことになっているの」
それは一体、どういう意味? と鳴海に問い質したい美晴だったが、なぜか舌が凍りついたように動かない。
そんな美晴を知ってか知らずか、鳴海は更に言葉を続けた。
「私たち、この前正式に婚約したわ」
そう言って鳴海は美晴たちに左手を翳す。その薬指にいつの間にか填められていた指輪が意味するものが、理解できない美晴たちではない。
「私はもうすぐ『沢村鳴海』ではなく『幸田鳴海』になる。そう、私と福太郎は家族になるのよ」
まるで勝利宣言のように胸を張る鳴海を、美晴は呆然と見詰めることしかできなかった。
『王子と付き合う魔法のコトバ』更新しました。
えー、今回、何となく鳴海が嫌われ役になっちゃったかなー、と。ってか、そもそも鳴海に固定ファンがいるのかどうかという疑問もないわけではないのですが。
果たして今回の展開は、読者様に如何に思われるのか。
まあ、『王子と付き合う』の方は『辺境令嬢』のように、変な展開にするとすぐお気に入り登録が減る、といったことはないかと思いますが……。『辺境令嬢』はよく増える代わりによく減るからなぁ。この前の更新の時なんか一気に十人以上減ったし。
それでも当『王子と付き合う』も、毎日コンスタントに五十人ほどの人が来てくれます。いや、本当にどこから来ていただいているのか? 全く知名度もない作品だろうに。やっぱり『辺境令嬢』関連ですかね?
それでは、次回もよろしくお願いします。