【高田秀和】
ぼくの名前は高田秀和。西龍学園に通う高校一年生です。
父は西龍院家で庭師をしています。
すごく広い庭園を管理するのは大変だとよくぼやいていました。最近は暑いから作物が弱って大変だそうです。
そんな父について、子供のころからよく仕事場に着いて行くようになりました。
そこで出逢ったのが、一人娘のご令嬢、玲華さま。
西院院家はよく人が集まる家でした。他の、やはりお金持ちの子供たちもよく親に連れられてきていたんです。玲華さまは、そんな子たちとも分け隔てなくぼくに接してくれました。
だからぼくはなにかお返しがしたいと思うようになりました。
だけど西龍院家にはちゃんと、それぞれ玲華さまに仕える人がいるので、ならば学校ではせめて役に立ちたいとあのお部屋に行かせてもらうように頼んだんです。
もともと、家は共働きで母も家にいなかったので、ぼくが家事をする役目でした。
なかなか大変だけどやってみると楽しい。ぼくの手によって綺麗になっていく部屋とか、調味料とか隠し味を工夫して作った料理を美味しいといって食べてくれる人とかを見てると、とくにそう思います。
玲華さまはなにを思われたのか、最近料理に興味を惹かれているようです。
夏休みに神崎さま含む三人で料理をしました。
ぼくんちの狭いキッチンでギュウギュウになりながらする作業は、窮屈ででもどこか楽しかったです。
もともと器用な玲華さまはその成長がめざましく、だんだんコツをつかまれてます。ちょっと繊細さが足りないかな……とは口が裂けても言えませんが…。
* * *
「そういえば、ヒデー」
天ぷらの下地をかき混ぜながら玲華さまが話し出しました。
「なんですか?油が怖いとかは聞きませんよ」
「そんなこと言うわけないじゃなーい」
そうでした。玲華さまは普通の女性なら怖がってしまうような、魚を捌くこともブッサリ……いや、あっさりとやり遂げたのです。
「じゃなくてさー、あんたの好きな子って誰?」
バサッと天ぷら粉を落としてしまいました。あああああ!まだ半分入っていたのに!
「なに?そんな奴いんのか?」
真剣に分量を量っていた神崎さまが反応しています。
「いるらしいのよ。でも恋愛よりあたしたちといる方が楽しいんですって」
「なんだそれ?どこまでも妙な奴だな」
「神崎さまに言われたくありません」
「どういう意味だ、てめえ」
うううっ。神崎さまが睨みを利かせてきました。
神崎さまはどこか不器用な人です。誉めても、ちょっとだけ反抗してみても怒られてしまうんです。
でもぼくは知っていました。本当は良いところもたくさんあるって。なによりあの玲華さまが好意をもたれたのですから。
「ちょっと粉を片付ける振りして無視しないでよ」
「いいじゃないですか。ぼくのことは」
「協力してあげるって言ってんのよ」
嘘です。玲華さまが不敵に笑われてます。こういうときは、面白がってとんでもない事をやらかすんです。長年近くで見ていて学習しました。
「俺も協力してやるよ、誰だよ」
「やめてください!いりません!」
かなり本気で怒鳴ってしまいました。珍しく余裕がない自分に驚きます。
でも、確かに言うわけにはいかなかったんです。
「もしかして……」
ぼくには本気の怒鳴りだったのに、神崎さまはちっとも怯まないで考え込まれてます。
そして恐る恐る言いました。
「玲華、とか?」
「やめてください!違いますよ!」
「ちょっとーその言われ方ムカつくー」
あああ、玲華さまの睨みの方が怖いです。
ぼくなんかが怒ったって、二人とも全然気にしていなかったようです。それはそれでいいんですけど、カラ回っている自分がなんか哀しいです。
「いいですか!二度とこの話をしないでください!じゃないと料理教えませんからね!」
ぼくにとっての最後の武器です。二人は仕方がないというように引いてくれました。
やれやれ、です。
* * *
玲華さまと神崎さまがお付き合いをしだしたことは、なんとなく雰囲気でわかっていました。だから神崎さまが一瞬イヤな想像をしてしまったことも。
だけど言うわけにはいかないのも事実で…。
玲華さまのことは子供のときは確かに憧れました。同い年なはずなのに大人びたことをいう彼女に、尊敬の念を抱いていたんです。でも所詮高嶺の花。ぼくでは釣り合いがとれないと悟りました。
そんなことを気にする玲華さまではないとは思うのですが、ぼくがそう感じてしまったんです。それでもう駄目でしょう?
そんな楽しくも焦らせた夏休みも終わり、学校が始まりました。
相変わらずぼくは玲華さまの部屋にいます。
ずっと離れがちだった世羅さまも、何もなかったように隣に座っていらっしゃいます。
正直なところ、噂ではいろいろ聞いていました。喧嘩をしていたことを。でもやっぱりお二人は一緒にいられるのが自然ですね。
「ヒデ、明日冷蔵庫が来るからね」
来て早々、とっても嬉しそうに玲華さまが言いました。理事長は拒否していたのに…。どうやって交渉したのでしょうか?……突っ込むのはやめておきましょう。ええ。
「でしたら氷をいただいてくるのも今日が最後ですね」
「そうね。ありがとうヒデ。おかげであっついときにあっついモノ飲まなくてすんだわ」
「あ、では冷たい飲み物を補充しないといけませんね。これだけは外せないってものありますか?」
「オレンジジュース!もちろん100%のね」
「はい。世羅さまは?」
「硬水を」
「はい。神崎さまは?」
いつものソファに寝転びながら神崎さまは本を顔に置いて眠っていました。でもそれをちょっと持ち上げた辺りを見ると、やっぱり寝た振りだったみたいです。
「その金はどこから出てるわけ?」
「理事長です」
「ふうん」
「やだ、なに気にしてんの。いいじゃない本人が良いよって言ったのよ」
「ふうん…。ま、俺にはどうしようもないけど」
神崎さまがおっしゃりたいことはちょっと解りました。いくら相手がお金持ちといえども他人の個人的なお財布から出費されているお金です。
この状態を当たり前だと思ってはいけないのです。
「出世払いということで、いまは甘えておきましょう」
「おまえ…わかってんだな」
神崎さまにすごく驚かれました。失礼ですよ。
だけど玲華さまと世羅さまはちょっと解らなかったようです。お金持ちと庶民の違いでしょうか。
「あ、じゃあそのこと高科先生に言ってきます」
ぼくはそう言い残して保健室に向かいました。
* * *
「ええーそうなの?じゃあ、もうここは用無しなのね。残念だわ」
保健室の冷蔵庫からアイスコーヒーのボトルを受け取りながらぼくが説明すると、養護教諭の高科先生は本当に残念そうに言いました。とっても優しい先生です。
「いままでありがとうございました」
「たまにはお話しにきてね」
「はい。もちろんです」
どこか名残惜しそうな先生を残してぼくは部屋に戻ろうと振り返りました。
そのとき、保健室の扉が開いて。
「あ、ごめんなさいね。櫻井さん」
先生から呼び出されたのだと知りました。
「いえ」
保健委員の櫻井あやなさまです。よく高科先生に頼まれごとをしているのを目にします。でもいつも嫌な顔をせずに引き受けているんです。
「ちょっと今月の保健だよりで手伝ってほしいところがあるの」
「はい。パソコンですね」
櫻井さまはテーブルにあったパソコンの前に座りました。高科先生はパソコンに弱くてそういう資料を作るとき、よく櫻井さまに相談されてます。
「今月はどういうテーマなんですか?」
アイスボックスを床に置いて、ぼくもテーブルに近づきました。前回は熱中症のお話でした。
「こころの病気について書こうと思うの」
「こころ…」
櫻井さまが呟かれました。
「そう、やっぱり多いからね。予備軍も含めると」
「そうですね」
確かにそうです。ぼくにはまだわかりませんけど、思い悩まれている方は多いのでしょう。
「ちょっとこれから職員会議があるの。申し訳ないけれど、この下書きを清書していてくれるかしら」
「はい」
ぴらりと一枚の用紙を置かれて先生は出て行かれました。
「櫻井さまは大丈夫ですか?」
先ほどの呟きが気になってしまってぼくは聞いてしまいました。
櫻井さまが神崎さまを好きなことは知っています。
人が噂好きなところはどこへ行っても変わらないのでしょう。パーティでダンスを一緒にされたことで、知れ渡ってしまったようです。
「大丈夫です。高田さまは……大丈夫そうですね」
「ええ。悩むことは餌やりだと思うようにしています」
「えさ、ですか?」
少し面食らった顔をされてしまいました。
「そうです。スキューバーダイビングとか…水族館のスタッフでもいいです。とにかく水に潜ることが悩みだとして、でも一生懸命餌を持って頑張って潜っていくと、とても綺麗な魚たちがたくさん集まって来ているんです。ずっと必死に潜るんですけど、ふとその光景に気づいてとても感動するわけなんですよ。……えっとですから、つまり、一生懸命悩みから逃げずに戦っていれば、感動することや嬉しいことがその先には待ってるぞ、と。そう思うようにしてるんです」
一生懸命喋っていたら、なにを言いたいのか分からなくなってしまいました。
ぼくがこういう話をすると皆はバッサリ切り捨てるか、聞いてくれていても途中でうんざりされたり、笑われたりするのです。ちょっと例えが上手くないのかもしれません。
「素敵ですね」
だけど櫻井さまは笑わずに聞いていてくれていました。いえ、微笑まれていますけど、馬鹿にした笑いではなくて…。
ほら。
周りの反応を気にして、どこかで会話することをやめてしまっていたら、いまの感動はなかったんです。
櫻井さまは真剣な表情でパソコンを打っていました。
ついぼくも真剣にその姿を見ていて…。
櫻井さまの半そでシャツから伸びている腕は、とても白くて細いです。
玲華さまもそうなんですけど、玲華さまは運動神経が良くてもうちょっと筋肉があるんですけど。ってこんなことを言うと櫻井さまができないみたいで……。えっとそうではなくてつまり。
櫻井さまはもうちょっと華奢で、触れたら折れてしまいそうな…、そんな危うさが……。
「櫻井さまは、まだ、かん……」
ああああああああ!やってしまいました!
(まだ神崎さまを好きかどうかなんて、聞くつもりなかったのに!)
しかも不自然に止まってしまってます。
なんとか誤魔化さないと!
そう思って焦っていると、先に櫻井さまが口を開かれました。
「もう、大丈夫ですよ」
「…………」
(櫻井さまは……)
もう吹っ切られたのでしょうか。すごくそのときの笑顔が大人っぽくて、どこか…。
そのとき視界にアイスボックスが入りました。
「あっ。ぼくもう行かないと」
かなり焦って立ち上がると、パイプ椅子が傾いてしまって、また焦りながら両手で掴みました。
ぼくはなにをしてるんでしょう…。
「また、素敵なお話聞かせてくださいね」
みっともないぼくの姿を見ても気にしてないようで、さらにそんなことを言ってくださるもんですから、ぼくは本当に……。
(どうしよう、嬉しいとか、思ってしまう)
「はい。絶対にしましょう!」
かなり必死にそう答えてぼくは保健室を出ました。
やばいです。顔がにやけます。
止めようとしてるのに緩みっぱなしです。
「なーるーほーどーねー」
そのとき。
悪魔の囁きを聞いた気がっ。じゃなくて!なにをいってるんだ、ぼくは!
だけどっ。玲華さまと神崎さまが保健室を出て角を曲がったあたりで、そこに立っていられたら、だれだってっ!
「立ち聞きしてたんですかっ!?」
ぼくが詰め寄っても、さらりと玲華さまはかわされました。
「だってどこか楽しそうに保健室に行くからさー」
「俺はやめようって言ったんだけど…」
「ちょっと一人で逃げないでよ」
「二人とも同罪ですよ!ひどいじゃないですか!」
あああっ。このアイスボックスで頭を殴りたいとか、そんなこと思ってしまった。
「だから俺が協力するって言ったときだけ怒ったわけか」
神崎さまは珍しく鋭く、そう切り込んできました。
うううっ。ちゃんと気づいていたんですね、ぼくが怒ってしまっていたこと。
「なかなか良い雰囲気だったじゃない、ほのぼのとしてて」
「遊ばないでください!玲華さま」
すごく失態です。まさかこんな形でバレてしまうなんて。
「いいじゃないの。別に壊そうとか思ってないしさ」
「当たり前です!」
「俺も応援するから」
「神崎さまは罪悪感をちょっとでも減らしたいだけなんですよねー」
「ヒデてめえ、言ってはいけないことを!」
ふんだ。いいんです。たまには。
ぼくがちょっとだけ怒っても、どうせ二人は気にしないんだから。
でも。
怒るなかにも嬉しさが混在していて。
ぼくも頑張ってみようかな、なんて、らしくないことを想ったり想わなかったり…。
三人で部室に戻る間、ぼくたちはもう普段どおりの状態になっていました。
つまり、ぼくが突っ込まれる側に…。はあ。