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【神崎惣一】

 綱渡りをしている気分だった。もう長いことそんな心理状態でいた。

 均衡を保つ為に必死だった。

 それは家族の和なのか、自分自身の精神調和なのか、それとも弟に人としての尊厳を少しでも奪還させるためなのか………。

 自分は中心人物(キーマン)になっていると思っていたんだ。

 だからこの状態を解き放つのも俺の役目だと思った。

 だから……。

(だから俺は…)


   * * *


 しばらく面会謝絶状態が続いた。でもそれは俺の体調のせいだけではなく、警察の管理下の元にいないといけないためだった。

 意識を取り戻し、何とか起き上がれるようになった今も、表に警官がいる。

 自業自得と言えばそれまでだが、家に帰るのはかなり先になりそうだ。

「まだ顔色がよくないな」

 そう言いながら現れたのは池田浩一郎という刑事だ。

 通常ならば警察署で行うはずの取調べを俺は病室で受けた。

 もう隠しても無駄だと思い、すべてを話した。いまさら隠してもどうにもならない。

 会話の中でこの人が悠汰の知り合いの刑事だと知った。

 だけど彼は俺のことも気遣っていたようだ。すべて聴いたあと、最後にした会話がそう思わせた。

「君はまだ殺意を持っているか?」

「正直なところ……」

 どう答えようか一瞬迷う。

「よく、わかりません。………長い間、俺は両親を殺すことばかり考えてきたんです。今から思えば他の解決方法もあったのに、子供のときからそのことばかりが頭を占めていた。思い始めたころはまだ力もなくて、きっと失敗するだろうってことが解っていたんです。だから可能になるまで待って、俺は行動に移した。でもまだ二人とも生きている。そのことには正直、まだ、憤りを感じています」

 池田さんはじっと聞いていた。目を逸らさずに。

「しかし全てを捨てて、悠汰をもっと苦しませてまで、そんなことをする事にどれだけの意味があるのか……。俺にはわからなくなってきてるんですよ。あいつがまさかこんなに必死に止めてくるとは思わなかった…」

 最後のは心髄で感じたことだった。

 どれだけ脅しても、()ねつけても悠汰はやってきた。弱くて怯えている弟しか俺は知らない。何度も驚かされた。

「そうか」

 池田さんの答えはこれだけだった。少し意外に思う。

 人生の経験を活かした話だとか、悠汰よりの回答が帰ってくるかと思っていたからだ。大人なりの切り口で。

「解放したかったと君は言ったそうだが、それは出来たのかな?」

 さらに池田さんは突いてくる。

「できているはずないでしょう。一度は悠汰までもを殺してしまおうと思った。死ぬことが悠汰にとっての解放に繋がるなら、俺にはそれも覚悟をしなければならない事だと…。けれど父は未だに悠汰を遠ざけている。聞きました。この病院に来ることを父は許さないと言ったそうですね」

「…………」

 目が覚めて、そこにいた看護師にまず聞いたことだった。現状を聞くなかで、弟はどうしているかと聞いた答えがそれだったのだ。

 その時はすぐに怒りがこみ上げた。すぐにでも殺しに行きたかった。

 父親は一度も面会に来ていない。さすがに来れないのではないかと思う。どういう心情でいるかは不明だが、来たところで俺は追い返すだろう。

「そうではなくて、俺は()()解放されたのかを聞いたんだがな」

 池田さんのため息混じりの独白に、僅かに面食らう。

 この人は悠汰のことを気にしていると思ったから、そのことだと信じて疑わなかったのだ。

 ―――俺はこれで解放される。

 確かにあの時そう言った。全てを無茶苦茶に壊したら、少なくとも今より悪くなることはないと、そう思った。

 それぐらいの変化を求めたのだ。

「俺の解放は、悠汰が解放されることですよ」

 それも嘘ではない真実。

 では、まだということか、と池田さんは呟いた。


   * * *


 何度か痛みが続いた。薬があまり効かない。

 痛みは苦しさを引き起こし、やがて意識を(もう)(ろう)とさせた。

 感染症を引き起こし、熱をもったときは本当に危なかったようだ。

 痛みが続くとその都度、悠汰のことを思い出した。

 悠汰はいつも痛みに耐えていたんだ。両親の暴力によってつけられた傷はいつ見ても痛々しかった。どれ程の痛みなのか、今の自分と比べてどれくらいマシなのか、俺には分からない。

 だからこそ放っておけないのだ。

(解放させてやりたかった…)

 笑顔を取り戻したかった。

 いつからか笑わなくなった悠汰。俺に浮かぶのはいつも苦しそうな表情だけだ。

 何度かそんな表情にうなされて目が覚めることがあった。その度に泣きそうになる。

 悠汰は今、笑っているだろうか?

 その事が一番知りたかった。なのにあいつは来ない。

 こんな状態にも慣れて痛みも軽くなったとき、母親の意識が戻ったことを看護師から聞いた。

 母親の命が尽きるか否かで俺の刑も変わってくるだろうと池田さんが言っていたが、だからといって素直に喜べなかった。

 まだ、複雑だったんだ。

 何の変化もなく日常が戻っていく気がした。

 そんな頃、浅霧世羅がお見舞いに来てくれた。

 一度は協定を結んで同じ世界を見た彼女は、俺とは対称的に清々しい顔をしていた。

「思ったより物々しいな」

 辺りを見渡して呟く。

 見舞い客もしくは面会人がくると、外にいた警官が中に入ってくる。

 それは今まで来てくれた友人たちも同様だった。事件に関する会話をするのか聞いているのかもしれない。池田さんはそれも最初のうちだと言っていたが、いつまで続くのだろうか。

 例外なく世羅の後ろに控えるように警官が立つ。

 世羅は持ってきたフルーツバスケットを俺の前のテーブルに置いた。

「もう食べれるのか分からなかったんですが」

「ありがとう。後でいただくよ」

 本当はまだ食欲がなかったが彼女の心遣いが嬉しかった。彼女は傍らに予め用意されている椅子に腰を落ち着かせた。

「あれからどうだ?」

 世羅の両親は逮捕されたと聞いていた。

 彼女のその後はすごく気になっていたことだった。

「すごく住み心地が良いです。一時の安息だとはわかっているが、私は一人の方が落ち着くみたいだ」

「強いな」

「いえ、弱いからこそ一人になるんですよ」

 そう言いながらも、世羅は憑き物が落ちたように明るくなっていた。

 俺より先に高見に行ったようだ。少しだけ置いていかれた感があるのは、やはり俺が弱かったせいだろう。

「そういえば、あれからお祖父様がよく気にかけてくれているようで、よく話しかけられるんです。なぜだろう?」

 すごく納得がいかないというふうに、世羅は首を傾げた。

 素直に喜べばいいのに、と思う。彼女の性格上、理由をはっきり言わないと伝わらないのだろう。

「良かったじゃないか」

「ああ。…いや、私の話は良いんです」

 頷きそうになってから世羅はふと話を変えた。

「惣一さんのことが重要だ。身体の調子はどうです?」

「俺は大丈夫だよ。それより君の話を聞かせてくれ。功男さんは何と言ってくれたんだ?」

 なるべく自然に話を戻した。

「お祖父様は困ったことがあったら何でも言いなさいと…。そうだ。神崎と話したとき、彼は私を気遣ってくれていたと教えてくれました」

「悠汰が?」

「どうやらお祖父様は神崎に弱音を吐いたそうなんです。内容までは(がん)として教えてはいただけなかったが…。そのとき神崎は親身になって聞いてくれた、と………。本当だろうか」

 どこか半信半疑な様子で世羅は呟く。

 そうだったのか。

 いつの間にか悠汰は成長していたんだな、と感慨深く思う。離れている間にそういうところが増えていたのだ。

 もったいない。ちゃんと接しておけばよかった。

「君はまだ悠汰の事が嫌いなのか?」

 世羅の想いはすべて聞いていた。Riverで会ったいたときに、世羅を通じて悠汰の話を聞くのが嬉しかったから、どんなことでも言いから話してくれと頼んだのだ。

「神崎には酷いことをたくさんしてしまった。私の醜い嫉妬のせいで」

 目を伏せながらもしっかりとした口調で世羅は語る。

「あの男と同類だから嫌いだと伝えてしまったけれど、神崎は何もしてこなかった。本当はわかっていたんです。あの時神崎がいたことで、私はあの程度で済んでいたことを。ためらうことなく神崎は飛び込んできてくれた。同類じゃない、ちゃんと優しさをもっている」

「悔やむことはない。ああいう場面では仕方ないことだ」

 言えた義理ではなかった。俺も何度となく悠汰を傷つけることを言ってしまった。

 あいつは俺が気を失う直前に、拒絶をしてきたことを謝ってきた。そうではないのだ。そうなるように俺が仕向けただけのことなのだ。

「神崎とはあれから………」

 躊躇いがちに世羅が口を開いた。世羅も知っているのだろう、親父の情けない命令を。

「会ってない。言いつけを守って来ないつもりのようだな」

「まったく、あいつは…。また惣一さんに心配かけるようなことを……」

「不甲斐ない兄のことなど切り捨てて、楽になれるならそれも有りだと思うけどね」

 もっと適当に生きればいい。こんな家族を捨てて新しい人間関係を確立すればいいのに。

 悠汰を見てると歯痒い気持ちが生まれてくるのも、また本音だった。だけどあいつは捨てなかった。ちゃんと家に帰ってくるし、今でも親の言いなりになってる。

「根が、真面目なんでしょう。自分を誤魔化さない。一番欲しいものから逃げないんだと、私は思います」

「一番ほしいもの?」

「家庭のぬくもりです」

 世羅の言葉に意表をつかれた。

「私も似たような境遇にいたから解る。いくら突っ張っていても子供の頃から抱いていた想いはなかなか捨てられないものです。私はもう踏ん切りをつけたのだけれど………あいつは、そうはしないんだな」

 遠い目をして世羅が言う。

 腑に落ちる、内容だった。

「あいつ…」

「惣一さんは神崎に会いたいですか?」

 突然、まっすぐ見つめられて問われた言葉に、俺は少々言葉を失くした。

 受け身でいたためか、まったく自分の気持ちを考えてなかったのだ。来るか来ないかは悠汰の意志で決められる。自分の気持ちなど後回しにしていた。

「そう、だな。……会えるものなら、会いたいよ。すごく」

 言葉にしてみると尚更実感した。悠汰の今が気がかりだったこともあるが、やはり俺自身が会いたいのだと思う。

「分かりました。玲華に言います。玲華の言葉なら神崎は来るでしょう」

 そこでふっと世羅は笑った。

「単純だからな」

 西龍院玲華のことは、話だけなら世羅からよく聞いていた。実際には二度だけ会った。あの地下室とこの病院で。

 どこかすっ飛んでいて、だけれど品をも持ち合わせた不思議な女性だ。

「そうかもしれないな」

 世羅は潔かった。一度は嫉妬に駆られながらも、そんな申し出をしてきてくれた。

 二人が近づくのは嫌だろうに。俺のためになんだ。

 嬉しいけれど、素直に喜べない自分がいた。胸が、少し痛んだ。


   * * *


 それから数日経って、本当に悠汰はやってきた。

 しかしノックがして、まず俺の目に入ってきたのは玲華さんだった。

「失礼しまーす」

 どこか呑気さを含む口調で彼女が先に顔を出す。

 扉が開くと、すぐ後ろに悠汰がいた。左右に首を動かしキョロキョロしている。親父を警戒しているのだとすぐに気づいた。

 本当に悠汰は分かりやすい。表情で考えることがだだ漏れだった。

 それからすぐに後ろ手で扉を閉ざそうとすると、警官に止められていた。

「なんだよ?来んなよ」

 警官にまで喧嘩を売ってる。

「駄目よ悠汰。この方もお仕事なんだから」

「他人の兄弟の語らいを盗み聞きする仕事かよ」

「池田さんに言われたでしょう?話聞いてないんだから、もー」

「俺は聞いてねえよ、玲華が連絡したんだろ」

「しょうがないじゃない。真鍋さんの車の中で、誰かさんが大丈夫かな?とか、見つかって更にひどい目にあったらどうしようとかさんざん気弱なこと言うからさー。様子を先に聞いてあげたんじゃなーい。その誰かさん携帯もってないし」

「悪かったな!だからって兄貴の前でバラすことないだろ!」

 挨拶もしないでずかずかと入ってくるあたりは、間違いなく悠汰だった。

 無視されてるのかも、と一瞬危惧したが最後の台詞でこちらを見た。

「あ、兄貴。元気?」

 やっと弟に笑みが戻る。

 あー…、笑っていたんだちゃんと。俺が見ていなかっただけで、笑顔を失ってはいなかったんだ。

 それから、俺は見逃さなかった。

 言い合いしながらも二人の手がしっかりと握られていることを。

(幸せを、つかんだんだな)

 俺より早く。いや、家族の中の誰よりも一番先に脱したんだ。無秩序な暗闇から。

「ああ、問題ない」

 嬉しくなって俺も笑う。

「お兄様、足りないものありませんか?」

 玲華さんも完璧な笑みでそう言ってきた。

 お兄様って………。

 慣れない言葉を聞いた。

「おい、何だよその媚売り」

「失礼なこと言わないでよ。当然の思いやりでしょ!」

「だーかーらー!久保田さんにはタメ口で、なんで兄貴だと敬語なわけ?そこが気になるんだけど!」

「当然の流れでしょ!久保田さんについては前言ったし。お兄様は…。だってほら、いつか本当にお義兄様になるかもしれないじゃない?」

「なっ……」

 悠汰が真っ赤になって絶句していた。

 なるほど。それぐらい彼女は想ってくれているのか。受け入れている繋がれた手を見ていると、悠汰もまんざらでもないらしい。

 それも悪くない、と思えた。

「彼女の明るさが取り込まれたら、うちも変わるかもな」

 自然に本音が口からこぼれた。

「兄貴までなに言ってんだよ!兄貴は知らないから!こいつ母親と大喧嘩したんだぜ!」

「それは………見てみたかったな」

「やめろよー!俺はもう見たくないって!あんなん毎回されたら地獄だ!」

「なによ、その言い方は!感謝してたって泣きながら言ったくせに」

「泣いてないだろ!そこでは!」

 悠汰はもしかしたらもう解放されてるのかもしれない。

 人が自然にする喜怒哀楽を、ちゃんと彼女にはみせているようだ。いつまでも怯えたままではいない。

 俺も、考え方を変える必要があるようだ。

 二人が帰ったら、さっそく池田さんに言おう。

 もう殺意はないと。もう、そんな必要はなくなったのだと。

 そう思いながら、二人の明るい―――悪く言えば騒がしい―――言い合いを聞いていた。

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