【第7話:作戦会議──雷鳴の前夜】
最後の銅線が張り終わると、広場にどっと安堵の声が広がった。
八十郎は図面を見返し、一本一本の結び目を確認する。杭は深く打ち込まれ、金属片は網目のように村を覆っている。
「……よし、これで“避雷網”は完成だ」
八十郎がそう呟くと、村人たちの間に小さなどよめきが起こった。これまで怯えと疲労で曇っていた顔に、少しずつ光が差していく。
「これで本当に、あの空の魔獣を退けられるんですか?」
不安げな少年に八十郎は笑いかけた。
「大丈夫だ。雷は高いところに集まる。罠がうまく働けば、奴は動きを鈍らせるはずだ」
その横で、リーナが薬草を刻んで小瓶に分けている。
「薬の準備もできました。戦いのあと、すぐに治療に使えます」
「助かる。君がいてくれて本当に良かった」
彼女は少しだけ頬を赤らめ、視線を伏せた。
「私も、あなたに……村に、助けてもらいましたから」
夕暮れの空には、黒い影がいくつか飛び交っている。翼の長い、不気味な輪郭──飛翔魔獣だ。
八十郎は空をにらみ、拳を握った。
「夜になる前に降りてくるかもしれない。ここからが本番だ」
避雷網の周囲に火のついた松明が立てられ、村人たちは緊張した面持ちで武器や道具を手にする。
リーナも小瓶を布袋に詰め、八十郎の隣に立った。
雷鳴が遠くで轟く。
八十郎は深く息を吸い込んだ。
──今度はただ守られる側ではない。自分がこの村を、そしてこの娘を守る番だ。
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避雷網が完成し、村の広場はまるで別世界のように静まり返っていた。
夕刻の冷たい風が、張り巡らされた銅線をかすかに鳴らす。緊張と期待、そして恐怖が入り混じった空気が村全体を包み込んでいる。
「──全員、集まったな」
八十郎は即席の地図を前に立ち、村人たちを見渡した。土の上に描かれた線は避雷網の配置、魔獣の想定飛行ルート、村人の持ち場を示している。彼の声は落ち着いていたが、その胸の奥では鼓動が速まっているのを自覚していた。
「これが作戦の全貌だ。
飛翔魔獣は夜明け前と夜半に降りてくる習性がある。罠は高い電位差を利用し、雷雲を誘導して一気に放電させる仕組みだ。奴らが低空に入った瞬間が勝負だ」
村人たちがざわつく。「でんいさ……?」と首をかしげる者もいる。八十郎は小さく笑って、言い換えた。
「簡単に言えば、雷の槍を先にこちらが握るってことさ。心配するな、網は必ず役に立つ。あとは、皆が持ち場を守り、恐れずに動けるかどうかだ」
その言葉に、沈んでいた空気がわずかに引き締まった。若い猟師が口を開く。
「八十郎さん、あんたは戦えねえって聞いたけど……本当に大丈夫か?」
八十郎は頷く。「私は戦うための体じゃない。だが、頭と道具がある。君たちが動きやすいよう、作戦を整え、罠を動かす。それが私の役目だ」
隣でリーナが小瓶を並べ、柔らかい声で続けた。
「怪我をしたら、私がすぐに駆けつけます。薬草の煎じ薬と止血薬も準備できていますから、どうか諦めないでください」
その声に、村人たちの目が彼女へ向けられる。小さな娘のように思っていたヒーラーが、今や村全体の支えになっている──そんな空気が伝わってくる。
八十郎は彼女の横顔を見ながら、胸の奥でひそかに呟いた。
(……私がこの世界に来た意味は、こういうことなのかもしれん。力はなくても、知恵と経験で守れる命がある。科学は、どんな世界でも武器になる)
地図に視線を戻し、八十郎は声を張った。
「攻撃は三段階に分ける。まず雷で翼を鈍らせ、地上に落ちたところを猟師隊が網と槍で囲む。最後に、私が合図を出したら、麻痺草の煙玉を投げ込む──これで奴の動きを止めるはずだ」
「「「おお……!」」」
どよめきが広がる。誰かが「希望がある」と呟いた。別の者が「俺にもできることがある」と頷いた。
八十郎は心の底からほっとする。この小さな希望が、恐怖を打ち消していくのだ。
リーナがそっと八十郎に近づき、囁く。
「八十郎さん……怖くは、ないんですか?」
「怖いさ」彼は微笑んだ。「人は皆、怖いものに挑むとき震える。大事なのは、その震えに飲まれず、どう動くかだ」
リーナの瞳に光が宿る。「私も、頑張ります」
「頼りにしているよ、リーナ君」
その瞬間、遠くの空に稲光が走った。雷鳴が山の向こうから響き、村人たちが顔を上げる。
──嵐が、近い。
八十郎は深く息を吸い込み、最後の指示を出した。
「全員、持ち場につけ。雷鳴が三度響いたら、作戦開始だ!」
村人たちが散っていく。
広場に残った八十郎は、遠くの暗雲を見つめ、拳を固く握った。
(この世界で、私は何度でもやり直せる。今度こそ──守ってみせる)
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