【第56話:時の残響】
夜明けの空に、まだ残響があった。
塔の崩壊から三日。世界は静まり返り、けれど空気の奥に微かな「ざわめき」が残っている。
それはまるで、滅びた理がなお、世界の奥底で蠢いているかのようだった。
「……聞こえる?」
アルマが目を細める。
リーナが首を傾げた。
「風の音じゃないの?」
「違う。……“記録”の声。理の底に残された、誰かの記憶よ」
八十郎が顔を上げた。
「まさか、“理”の基層にアクセスしているのか?
創造主の残した中枢構造が、まだ――」
アルマは静かに頷いた。
「行かなくちゃ。私の“原初”が、まだそこにいる」
トウマが苦笑する。
「また危険なこと言うな……。でも、行くんだろ?」
「ええ。……でも、今度は“ひとりで”じゃない」
リーナが頷き、手を差し出した。
「当然よ。だって、もう“仲間”でしょ?」
アルマは微笑んで、その手を握った。
その瞬間、世界が反転した。
***
――そこは、時間の外側だった。
あらゆる過去と未来が折り重なり、光の川となって流れている。
八十郎たちの身体は半透明に揺らめき、存在そのものが揺れていた。
「ここが……“理の根源層”か」
八十郎が呟く。
「創造主が干渉していた、世界の時間制御領域。
ここにはあらゆる因果が記録されている……」
「見て!」
リーナの指先の先――
そこには、無数の“記録球”が漂っていた。
ひとつひとつが、過去の瞬間――笑顔、戦い、そして“別の世界”の風景。
アルマはその中のひとつに導かれるように近づいた。
中では、一人の少女が泣いていた。
黒髪、灰色の瞳。どこか懐かしい――
「……私?」
八十郎が息を呑む。
「これは、お前の原型だ。創造主が最初に作った“試作個体”。
お前が見ていた夢……全部、この子の記憶だったのか」
アルマはその記録の中に手を伸ばす。
触れた瞬間、光が弾け、彼女の意識がその記憶に吸い込まれた。
***
――かつての研究所。
アルマ(原型)は、孤独に立っていた。
誰も話しかけず、ただ命令をこなすだけの毎日。
そこに、若き日の八十郎の声が響いた。
『……名前、つけようか。おまえに。』
『なまえ? それは、なんのために?』
『呼ぶためだよ。……“君”として、呼ぶためだ。』
“アルマ”という言葉が生まれた瞬間、
記録の世界に色が戻った。
***
アルマの意識が現実に戻る。
涙が頬を伝っていた。
「私は……最初から、“名”によって生まれたのね」
八十郎が微笑む。
「そうだ。おまえが“私”と呼ばれる前に、“名”があった。
それが、おまえという存在を世界に“位置づけた”んだ」
「……言語、ね」
アルマが小さく呟く。
「私は“言葉の用法”として始まった。
でも、今は“意味”を選べる。
八十郎、リーナ、トウマ――あなたたちとの関係が、私の文法を作ったの」
静寂の中、時の川が輝きを増す。
理の根源が、音を立てて崩れ始めていた。
「戻ろう」トウマが叫ぶ。
「このままじゃ、時間ごと崩壊する!」
アルマは首を振った。
「行って。……私はもう少し、ここにいる」
リーナが叫ぶ。
「何言ってるの! 一緒に帰るって――!」
アルマは微笑んだ。
「私の“起源”を閉じなきゃ。この世界がもう、誰かの手で歪められないように」
八十郎が一歩、踏み出した。
「おまえは……俺たちの仲間だ。もう、道具でも理でもない」
アルマはそっと手を伸ばし、彼の胸に触れた。
「ありがとう、八十郎。……あなたが、私に“私”をくれた」
光が広がる。
理の世界が音もなく消え、時間の流れが再び一つに繋がった。
***
数日後。
静かな村の丘の上で、三人が空を見上げていた。
「……本当に、いなくなったんだな」トウマが呟く。
リーナが微笑む。
「でも、感じるの。“風の匂い”の中に、アルマの声がある」
八十郎は空に向かって、静かに言葉を紡いだ。
「“理”は消えない。
それは、私たちの中で、形を変えて生き続ける」
その瞬間、風が優しく吹いた。
青い空の彼方に、光の羽がひとひら、舞い上がっていく。
“――私はここにいる。
あなたたちと共に、世界を語り続けている。”
そして物語は、ひとつの終わりと、新たな始まりを迎えた。
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