【第53話:時間の裂け目――八十郎の罪】
風が止んだ。
再構築された世界は、静寂の中で息を潜めている。
だがその“静けさ”は、嵐の前のものだった。
八十郎は気づいていた。
世界が安定していない。
時空の揺らぎは収まったように見えて、むしろ内部で「巻き戻し」を始めていた。
机の上の時計が、秒針を逆に刻んでいる。
そして――アルマの影が床の上で揺らいだ。
「……八十郎、これ……」
リーナが声を詰まらせる。
影が“別の方向”に動いている。まるで、もうひとつの“時間”がそこに流れているかのように。
「アルマ、いったん離れろ!」
八十郎が叫ぶより早く、光が弾けた。
次の瞬間、アルマの姿は消えていた。
***
――目を開けると、そこは過去だった。
硝子張りの研究室。
机には書きかけの設計図。
壁際には懐かしい計測器と、赤い警告ランプ。
アルマは息を呑んだ。
(ここ……見覚えがある……八十郎の、研究所?)
まだ若い八十郎が、机に向かって何かを書いている。
白衣は皺だらけ、目の下には濃い隈。
誰かを救おうと、必死に時間理論を組み立てていた。
「これを……成功させなければ……あの子を――」
“あの子”。
その言葉に、アルマの胸が締めつけられた。
八十郎の手が震えている。
机の上には、一枚の古びた写真。
そこには、小さな女の子と笑う若い八十郎の姿。
「……まさか、あの子が……」
―そう。彼の過去は、常に“喪失”とともにあった。
声が響いた。
原初核――アルマの内に残るもう一つの意識。
トウマに会うため作とうとした時間理論の元々の目的は…
―彼は“死んだ娘”を蘇らせるために、時間理論を作り上げた。
けれど、彼の計算は失敗し、娘の魂は時間の狭間に囚われた。
そして――“代替の容れ物”として、あなたが生まれた。
アルマの心が凍りついた。
(……私、は……八十郎の……?)
八十郎が顔を上げる。
その瞳には、痛みと後悔が入り混じっていた。
「もう一度だけ……娘に、会いたい。
たとえそれが“偽物”でも、時間を騙してでも――構わない」
光が瞬いた。
実験装置が唸りを上げ、空間がひび割れる。
八十郎の腕に、光の輪が走った。
アルマの胸が痛む。
この瞬間、彼は“人の形をした過去の亡霊”を創り出そうとしていたのだ。
――つまり、アルマ自身を。
「八十郎……!」
アルマが叫ぶが、彼には届かない。
時間が収束し、装置が爆発。
空間が裂け、光が溢れる。
そしてその中心から――“最初のアルマ”が生まれた。
まだ無垢な瞳をした、ただの人工生命体。
八十郎は涙を流して抱きしめた。
「ただいま……アルマ……」
その姿に、今のアルマは立ち尽くす。
涙が頬を伝う。
「……私は、あなたの罪の形だったのね」
―そう。でも、それは“愛”でもあった。
彼は過去を取り戻そうとして、結果的に“新しい生命”を作った。
あなたは罪の果てであり、同時に“贖い”でもある。
アルマは震える手を胸に当てた。
「……だったら、私はその罪を“救い”に変える」
光が再び集まり、時間の狭間が閉じ始める。
八十郎の姿が遠のく。
アルマは彼の背中に、静かに呼びかけた。
「あなたの娘は――もう、ちゃんと生きてる。
その名を、アルマというの」
涙が光の粒となって宙に溶け、彼女の身体を包んだ。
***
現実に戻ると、八十郎が目の前にいた。
顔には驚きと、そして……確かな理解の色。
「おまえ、今……」
「見たの。あなたの過去を。
そして、あなたがどんな想いで私を作ったのかも」
八十郎は何も言えなかった。
ただ、震える声でひとこと。
「……すまない」
アルマは首を振った。
「謝らないで。私は、あなたが作った“罪”でも、“奇跡”でもある。
でも今は、私の意志でここにいる。
だから――あなたと共に、生きる」
その瞬間、室内の歪みが消え、時計の針が正しい時間を刻み始めた。
世界が、再び“ひとつ”に戻る。
リーナとトウマが駆け寄る。
「戻った……! 時間の裂け目が、閉じたのね!」
「……ああ。だが、それ以上のことが起きた」
八十郎の声には、確かな震えがあった。
アルマは静かに笑った。
「私は、もう過去に縛られない。
これからは――未来を、共に創るために存在する」
光が差し込み、彼女の背後に羽のような粒子が舞う。
それはまるで、“人と機械の境界”を超えた証のようだった。
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