【第5話:薬草と新たな影】
骨背狼の群れが去ってから数日、村は久しぶりに穏やかな空気に包まれていた。
子どもたちの笑い声が広場に響き、狩りに出る若者の顔にも余裕が戻っている。
八十郎は、村の古びた倉庫を改造して「研究小屋」にしていた。壁には草木の標本や足跡のスケッチが貼られ、机の上には道具や薬草が雑多に並ぶ。
「……この草の成分、骨背狼だけじゃなく、他の魔獣にも効くかもしれないな」
紙とペンを走らせながら、八十郎はぶつぶつと独り言をつぶやく。
その横では、先日の戦いで八十郎に感化された若者たちが、採集してきた草や石を広げていた。
「八十郎さん、今日の分の標本、持ってきました!」
「ありがとう、そこに並べてくれ。乾燥させた後、煎じて反応を見る」
村の少年少女も小屋をのぞきに来ては、八十郎に質問を浴びせる。
「これ何ですか?」「どうやって調べるんですか?」
「観察して、記録する。世界の仕組みは、見れば見えるんだよ」
八十郎は笑って答え、子どもたちに紙と鉛筆を渡した。
やがて長老が訪れ、手を合わせる。
「八十郎殿、村の薬師が病で倒れてしまいましてな……しばらく、薬のことを見ていただけませんか」
「もちろんだ。薬草の知識ならある程度はある。ついでに、村の子たちにも教えておこう」
八十郎は、静かに頷いた。
──戦うだけではない。学ぶこと、伝えることもまた、この世界で自分にできることだ。
そう思いながら、彼は今日も紙にペンを走らせる。
(この村を拠点に、もっと広い知識を集めよう。いずれ、この世界の“理”を解き明かしてやる……)
夕暮れ、研究小屋の窓から差し込む光の中で、八十郎の瞳が若いころのように輝いていた。
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骨背狼撃退から数週間、村の暮らしは落ち着きを取り戻していた。
八十郎は朝から研究小屋に籠もり、村人が持ち込む薬草や鉱石を煎じたりすり潰したりしている。
「この“青鱗草”は解熱に効くな……次は“血止めの実”だ」
鍋から立ちのぼる香草の匂いに、村の子どもたちが鼻をひくつかせる。
「八十郎さん、これ飲めばおじいちゃんの熱、下がりますか?」
「大丈夫だ、三日でよくなるはずだ」
治療の合間に、八十郎は薬草の記録をまとめ、草木の分布図を作っていた。
科学者としての血が、再び彼の中で騒ぎはじめていた。
そんなある日、村の若い狩人が息を切らせて飛び込んできた。
「八十郎さん、長老! 南の森から、変な魔獣の噂が……!」
「落ち着け、どんな噂だ?」
「夜、森の奥で光る羽音がするんです。獣でも鳥でもない、大きな影が飛び回ってるって……。村の家畜が何頭も消えてて、跡には焦げた草と羽みたいな鱗だけが残るそうです」
八十郎の眉がぴくりと動いた。
「焦げた草と羽……熱か、電気か……飛翔する大型魔獣の可能性があるな」
長老が顔をしかめる。
「骨背狼よりも厄介かもしれませんな……」
八十郎はゆっくりと立ち上がった。
「分かりました。南の森に行く前に、まずは痕跡を調べる。草や羽の標本を持ち帰ってくれれば、何か分かるかもしれません」
「はい!」
狩人たちが出ていくのを見送りながら、八十郎は小さくつぶやく。
「……この世界、やはりまだまだ未知だらけだ。だが、知識で必ず糸口を見つけてみせる」
窓の外で風が吹き、遠くの森が不穏にざわめいていた。
──第二の人生、次の試練が八十郎を待っている。
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