【第4話:初めての骨背狼迎撃戦】
夕暮れ、村の周囲にぐるりと灰色の煙が漂っていた。八十郎の指示で、村人たちが集めた「灰護草」があちこちで焚かれている。
煙は風に乗って、まるで見えない壁のように村を包んでいた。
「……これで、群れは直接ここへは入ってこないはずだ」
八十郎は額の汗をぬぐいながら、手製の地図を確認する。村の若者たちは緊張した面持ちで槍や弓を構えていた。
「八十郎さん、ほんとにこれで大丈夫なのか?」
「大丈夫だ。奴らは嗅覚が鋭すぎるのが仇になる。匂いの薄い“抜け道”をあえて作っておいた。必ずそこに誘導される」
八十郎は胸の奥に、若いころの発明家の血がたぎるのを感じていた。戦場に立つのは初めてだが、頭脳で勝つ場面は何度も経験している。
──今度こそ、誰も犠牲にしない。
その瞬間、森の奥から低い唸り声が響いた。
「来たぞ!」
草むらがざわめき、暗闇の中から白い骨を背負った狼たちが姿を現す。
だが、群れは村へ突っ込むことなく、八十郎が作った“抜け道”へと一直線に吸い込まれていった。
「今だ、囲め!」
若者たちが一斉に動き、木の柵を倒して道を塞ぐ。骨背狼たちは一瞬にして袋小路に閉じ込められ、慌てて牙をむいた。
その隙に弓矢が飛び、先頭の狼が悲鳴をあげる。
八十郎はすぐさま叫ぶ。
「狙うのは“骨王”だ! 背の骨が一番白い個体だ! あれを倒せば群れは散る!」
村人たちが狙いを定め、矢と槍が一斉に放たれる。骨王は激しく暴れたが、煙と罠に阻まれ、ついに動きが鈍る。
「今だ、決めろ!」
若者の一人が槍で突き、骨王が地に伏した。次の瞬間、残りの骨背狼たちが短く遠吠えを上げ、森の奥へと散っていく。
「……やった……本当に、やったぞ!」
歓声が上がる中、八十郎は膝をついた。
「ふう……知識で勝てることを、証明できたな」
長老が静かに歩み寄り、深く頭を下げる。
「あなたがいてくれて、本当に良かった」
八十郎は笑った。
──これが、俺の異世界での第一歩だ。科学で、人を守る。戦うだけがすべてじゃない。
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戦いが終わった村の広場には、まだ灰護草の煙がかすかに漂っていた。血の匂いと焦げた草の匂いが混じり合い、夜空には満月が浮かんでいる。
「……本当に、終わったんだな」
槍を握っていた若者が、呆然と空を見上げる。誰かが笑い、誰かが泣いた。緊張の糸が一気に切れて、村人たちの表情がほころび始める。
「皆、無事か! 怪我人はいるか!」
八十郎が声を張り上げると、若者たちが次々と「大丈夫だ」と答えた。大きな犠牲もなく、群れは散った。
──成功だ。胸の奥で八十郎は静かに息をつく。
そこへ長老がゆっくりと歩み寄り、深々と頭を下げた。
「八十郎殿……あなたのおかげで、村は救われました」
「いや、俺は知恵を貸しただけだ。戦ったのは君たちだよ」
八十郎はそう言って微笑むが、村人たちの目はもう、初めて出会ったときの“ただの旅人”を見る目ではなかった。
「俺たち、八十郎さんを信じてよかった」
「次の危機のときも、どうか力を貸してくれませんか」
そんな声が広場に広がっていく。
囲炉裏が持ち出され、簡単な食事が配られる。焼かれた肉の匂いに、八十郎の腹が小さく鳴った。
(……80年も生きてきて、こんなふうに感謝されるのは久しぶりだな)
ふと、隣にいた少年が目を輝かせて訊いてきた。
「八十郎さん、あんな作戦、どうやって思いつくんですか?」
「観察と記録、そして仮説を立てることだ。どこの世界でも、基本は同じさ」
八十郎は少年の頭を軽く撫で、笑った。
焚き火の火がゆらめき、村人たちの笑顔が浮かび上がる。
──異世界での“第二の人生”が、いま動き出した。
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