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【第38話:ラグナスの試練】

 夜明け前の空気はひんやりとして、木々の葉から滴る露が足元を濡らした。

 八十郎は荷を背負い、前を歩くトウマに声をかける。


「もうすぐだ。この先の断崖に、あいつは巣を作っていたはずだ」


 リーナは息を整えながら、少し遅れて二人のあとを歩いていた。

 山道は険しく、かつて村で暮らしていた頃とは比べものにならないほどの体力を要求する。

 それでも、アルマを奪われた怒りと悔しさが、彼女の足を前へ進めさせていた。


(私、何もできないのかな……)

戦えない。

 けれど、八十郎やアルマと過ごした時間が、確かに自分を変え始めている気がしていた。

 心の奥で、かすかな決意が膨らんでいく。


 やがて、三人は断崖の頂に出た。

 目の前には、深い渓谷と滝が見下ろせる景色が広がっている。

 空はどんよりとした雲に覆われ、稲光が遠くで閃いた。


「……ここだ。ここで、あいつと初めて話をした」

 八十郎は、懐かしさと緊張の入り混じった声で言った。


 トウマは腕を組み、周囲を警戒する。

「本当に出てくるのか? 俺の灼牙シャクガで呼ぶみたいに、名前を呼べばいいのか?」


 八十郎は頷き、空を見上げた。

 あの日、雷鳴と共に現れた巨大な影。

 言葉を話し、人の心を試すような鋭い視線。

 胸の奥から湧き上がる感情を抑えきれず、八十郎は声を張った。


「ラグナス──! 八十郎だ! 再び会いたい!」


 しんと静まり返った空気を、雷鳴が切り裂いた。

 次の瞬間、黒雲の中から巨大な影が滑るように姿を現す。

 翼の先から紫電がほとばしり、黄金の瞳が三人を見下ろしていた。


『……人の子か。また来たか』


 低く響く声が、頭の奥に直接届くように響いた。

 リーナが思わず息を呑む。トウマはその声に目を見開き、背筋を正した。


「これが……言葉を話す魔獣……!」


 ラグナスはゆっくりと翼を広げ、風圧で三人の髪を大きく揺らした。

 その姿は、初めて出会ったときよりもさらに神秘的で、威厳を放っている。


『人の子、八十郎よ。前とは違う顔ぶれだな。

 そして……お前の瞳に宿るものも、あのときとは違う』


 八十郎は一歩前に出た。

 頭を下げ、真剣な眼差しでラグナスを見上げる。


「頼みがあって来た。俺たちの仲間が連れ去られた。

 暗殺集団に囚われ、彼らはアルマを“人形”として利用しようとしている。

 そのために俺たちは力を貸してくれる魔獣を探しているんだ」


 ラグナスの黄金の瞳が、八十郎を見据える。

 紫電が翼から弾け、雷鳴が近くで轟いた。


『……人の子よ。お前はまた、厄介なものに首を突っ込んだな』


 ラグナスはしばらく沈黙し、やがて低く笑うように息を吐いた。


 八十郎は一歩進み、深く頭を下げた。

「ラグナス、突然押しかけてすまない。君に頼みがある。どうか、トウマの契約魔獣になってほしい」


 ラグナスの瞳が細くなる。

 その視線はトウマに向けられていた。


「……おまえがトウマか」

 その低く響く声に、トウマは思わず背筋を正す。

「八十郎の頼みならば、私はおまえの力となろう。だが、それは私が納得できればの話だ。力だけではない、人としての在り方も見せてもらう必要がある」


 トウマは唇を結び、深く頷いた。

「俺に何をすればいい?」


「この谷の先に、“精霊の木”と呼ばれる古木がある」

 ラグナスの声が洞窟にこだまする。

「千年の時を生きるその木の枝は、精霊の試練に耐えた者のみが折り取れる。枝を持ち帰ったとき、私はおまえを認め、契約を結ぼう」


 リーナは思わず息を呑んだ。

「精霊の木……そんな危険な場所に行くなんて……」


 八十郎は彼女の肩に手を置く。

「大丈夫だ。俺たち三人で行く。トウマの試練だが、支えるのは俺たちの役目だ」


 ラグナスは静かに目を閉じる。

「試練に同行することは構わぬ。ただし、枝を折れるのはトウマだけだ。おまえたちには彼の力を支える役割があるだろう」


 トウマは拳を握りしめ、真っ直ぐラグナスを見返した。

「わかった。必ず枝を持ち帰ってみせる。そして、アルマを取り戻す力にする!」


 リーナはその横顔を見つめ、胸の奥に湧き上がる何かを感じていた。

 自分には魔法が使えない。けれど、彼の支えになることならできるはずだ、と。


「じゃあ、行こう」

 八十郎は短く言い、荷物を背負い直す。

「精霊の木のある森へ」


 夕陽が山肌を赤く染める中、三人は谷を抜け、未知なる森の奥深くへと歩み出した。

 その先に待つのは、ただの試練ではなく、三人それぞれの覚悟を映す“鏡”でもあった。



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