【第33話:雷鳴の影】
その日、町の広場はざわめいていた。人だかりの真ん中で、若い母親が泣き叫んでいる。
「お願いです! 誰か助けて! 息子をあの人たちに連れて行かれました!」
母親の震える指が南門の方角を指し示す。
八十郎は無意識に歩み寄った。かつての世界で「人のために何かをする」と決意していたあの日の記憶が胸の奥で疼く。
「南門か……リーナ、聞いたか?」
「ええ。黒いマントの男たちが子どもを荷車に縛っていたって。多分、奴隷商よ」
トウマが険しい表情で頷いた。「行こう。間に合ううちに」
「私も行きます!」
アルマが声を張った。小さな肩が震えているが、目は真っ直ぐだ。八十郎は軽くうなずいた。
「絶対に無理はするなよ。いいな」
四人は南門を抜け、林道へと足を踏み入れた。昼下がりの陽光も木々に遮られ、薄暗い森はどこか湿った匂いを漂わせている。
やがて、ざらついた男たちの声が風に混じって届いた。
「急げ。渡しまであと少しだ……あのガキを引き渡しゃ、金貨が……」
茂みからそっと覗くと、三人の男が粗末な革鎧姿で子どもを荷車に縛りつけている。腰には刻印の入った護符のようなものがぶら下がっていた。
トウマが低くつぶやく。「……あれは魔獣の契約符だな」
リーナが眉をひそめた。「魔獣……」
「やっと追いついた!」リーナが叫ぶ。
「下がってろ、こいつらただの人間じゃない」トウマが低く言う。
その言葉と同時に、誘拐犯の一人が腕を大きく掲げ、裂帛の声で叫んだ。
「──《雷牙》!」
空気が弾ける音。
次の瞬間、灰色の雷雲が森の上に発生し、巨大な獣の輪郭が稲光の中に浮かび上がる。四肢の先から放電し、裂けるような咆哮を上げた雷獣が、地上に降り立つや否や、八十郎たちへ飛びかかってきた。
「なんて速さだ……!」八十郎は咄嗟に腰の装置を起動させるが、今までのように雷を分散できない。
男の一人が護符を高く掲げ、叫ぶ。
「“雷牙!”」
その瞬間、空気がひりついた。紫電をまとう獣の影が彼らの前に顕現する。四本脚の獣が稲光をまとい、唸り声をあげたかと思うと、すぐに飛びかかってくる。
「下がって!」八十郎がリーナを押しやった。武器はない。咄嗟に近くの枝を手に取り、横から打ち払う。だが雷獣は形をすり抜けるように霧散し、次の瞬間には男の足元に戻っていた。
「ちっ……召喚型か」トウマが舌打ちする。「あれは名前を呼んだときだけ現れる、一撃用の魔獣だ。しかも雷属性……厄介だ」
「“雷牙!”」もう一人の男が再び叫ぶ。別の雷獣が現れ、八十郎に向かって稲光を放つ。八十郎は地面を転がり、辛うじてかわした。髪の毛が焼けるような匂いが鼻を刺す。
「八十郎さん!」リーナが悲鳴を上げる。
「大丈夫だ!」八十郎は歯を食いしばる。武器がなくても、考えながら動くしかない。
トウマも前に出た。「灼牙!」
赤く燃える獣が背後に現れ、雷獣の一体に飛びかかる。しかし雷撃が弾け、灼牙は弾き飛ばされ、霧のように消えた。
「くそっ……持久戦はできねぇ……」
そんな中、アルマが震える手を握りしめ、荷車の子どもに駆け寄った。
「やめて! その子を返して!」
「子どもを守る……!」
「バカ、下がれ!」トウマが叫ぶ。
だが、アルマは立ち止まらなかった。かつて町で笑われ、何もできないと罵られた自分を思い出す。その時に決めたのだ、もう逃げないと。
男が口元を歪め、護符を掲げた。「“雷牙!”」
紫電が空を裂き、稲妻がアルマに向かって放たれた。
「アルマ――っ!!」
閃光。雷鳴。地面に転がる小さな身体。白い煙が立ち上り、アルマは動かない。
「アルマ!」リーナが駆け寄る。
八十郎は胸の奥で煮えたぎるものを感じた。恐怖、怒り、そして……守れなかった悔しさ。
雷獣は霧のように消え、再び男たちの足元に戻る。護符の輝きがまだちらついている。
「クソ、あの子どもまで巻き込む気かよ!」八十郎は息を荒げながら叫んだ。




