【第24話:旅立ちの日】
夕暮れの光が研究小屋の窓から差し込み、壁の道具に金色の輪郭を描いていた。
リーナは薬草の選別をしている。
八十郎は、組み上げたばかりの新しい計測器の調整を終え、汗を拭った。
「……よし、今日はここまでにしよう。アルマ、道具を片付けてくれ」
「了解しました、博士」
アルマは無表情のまま淡々と器具を運び、棚に収めていく。
だが、リーナがうっかり薬草束を落とし、ガラス瓶が床に転がった瞬間だった。
「きゃっ……!」
リーナの手元に瓶が当たりそうになったその時、アルマは反射的に駆け出した。
機械的な速さで瓶を掴み取り、リーナをかばうように抱き寄せた。
「……危険を回避しました、リーナ様」
その声は、いつもの合成音ではなかった。わずかに震え、どこか焦った色を帯びていた。
リーナが驚いてアルマの顔を見上げると、白銀の瞳がかすかに揺らいでいる。
八十郎も思わず目を見張った。
「アルマ……今の、命令していないぞ。なぜ動いた?」
アルマは一瞬黙り、胸元に手を当てる。
「……危険を感知し、優先事項に従い行動しました。……ですが……」
「ですが?」
少女型ユニットは小さく首を傾げた。
「リーナ様に……傷がつくのは、いや、だと……思いました」
その言葉は途切れ途切れで、かすかに戸惑いを含んでいた。
リーナはそっとアルマの手を取った。
「アルマ……ありがとう。助けてくれたのね」
アルマはきょとんとした顔でリーナを見つめる。
やがて、唇がわずかに動き、初めての笑みに似た形がそこに生まれた。
八十郎は静かに頷いた。
「……そうか。感情のプログラムなど組んではいない。だが、芽吹き始めたんだな」
夕陽は二人と一体を包み込み、赤く長い影を床に落としている。
その影の中で、アルマの小さな手がリーナの手を離さずにいた。
それは確かに、機械が“人”になろうとする最初の一歩だった。
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朝靄がまだ村の家々を包み込むころ、八十郎は小屋の前に立っていた。
荷物は最小限。計測器と薬草、そしてアルマの調整工具が詰まった鞄だけだ。
背後から、巨大な影が近づく。ラグナスだ。
「……本当に行くのか、八十郎」
「行くさ。アルマに“生きる”というものを教えるには、ここでは足りん」
八十郎はゆっくり笑う。「村のことは、頼んだぞ」
ラグナスは短く鼻を鳴らした。
「約束しよう。もしこの村に危機が迫れば、我が爪で薙ぎ払う」
その横で、アルマが首をかしげている。
「博士……出発、とは“冒険”ですか?」
八十郎は頷いた。
「そうだ。君にたくさんの景色、たくさんの人間を見せたい。君の“中”に芽生えたものを育てるためにな」
「……理解しました。博士の目的、補助します」
言いながらも、その声の奥に、微かな期待の響きがあった。
そこへ息を切らせてリーナが駆けてきた。
「八十郎さん、私も行きます!」
「リーナ、お前まで?」
「アルマのこと、放っておけませんし……町の薬草市場にも興味があって。旅先で役に立てます」
少女は胸を張り、笑みを見せた。
八十郎はしばらく黙ってから、ふっと微笑む。
「……そうか。頼りにしてるぞ、リーナ」
東の空がゆっくりと赤く染まっていく。
アルマはその光を見つめ、何かを感じ取ったかのように小さく呟いた。
「……これが、“旅立ち”……」
その声には、初めてほんのりとした高揚が混じっていた。
ラグナスが翼を広げ、風を起こす。
「行け、八十郎。行く先で何が待っていようとも、貴様らの道は貴様らで選べ」
八十郎は大きく息を吸い、歩き出した。
その横でリーナが鞄を抱え、アルマがぎこちない足取りで続く。
新しい旅、新しい成長、新しい物語が、ここから始まろうとしていた。
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