【第23話:ユニット・アルマ】
ある日、八十郎の作業台は、魔獣ラグナスの吐息でわずかに震えていた。
魔力計測装置の心臓部には、昨日採取したラグナスの魔力結晶が埋め込まれている。透き通る青色の結晶が、まるで呼吸するかのように淡く光った。
「……さあ、始めるぞ。いいかラグナス、魔力の流れは普段どおりで頼む」
八十郎が声をかけると、巨大な黒獣は静かに頷き、角先から細い光の糸を装置に流し込む。
装置の周囲に刻まれた魔導陣が一斉に光を帯び、科学機構のパイプが震えた。
「すごい……魔力の波形が安定してる」
傍らでリーナが息を呑む。八十郎はモニター代わりの水晶板に次々と映し出されるデータを確認していた。
「これで魔獣の生体エネルギーを持続的に観測できるはずだ。もしうまくいけば、魔獣と人間が共存できる新しい技術の礎になる……」
だが、その時だった。
結晶の脈動が急に速まり、装置全体が低く唸り始めた。
「ん? 波形が……おかしいぞ」
八十郎は急いで制御バルブを閉める。しかし、ラグナスの魔力は止まらず、科学機構の内部で魔力とエネルギーが共鳴して暴走を始める。
「八十郎さん、何が起きてるの!」
「わからん……これは設計にない反応だ……!」
次の瞬間、中央の結晶がひときわ眩い閃光を放った。
光の柱が天井まで届き、室内が真昼のように明るくなる。リーナは思わず目を覆う。
やがて光が収まったとき、そこにあったのは計測装置ではなかった。
青い結晶を核に、白銀の髪を持つ人型が、静かに膝をついていた。
裸足の足元には八十郎の設計した魔導回路が淡く光り、胸元には刻印のように魔導紋が浮かんでいる。
「……起動確認。ユニット・アルマ。任務:八十郎博士の補助」
少女のような声が、しかし無機質に響く。
八十郎は絶句し、手に持ったペンを落とした。
「な、なんだこれは……私は観測機を作っただけのはずだ……」
リーナは息を呑む。
目の前の存在は、魔獣と科学が交わった果てに生まれた“何か”だった。
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白銀の髪がゆらりと揺れ、膝をついた少女型の機体が、ゆっくりと顔を上げた。
水晶のような青い瞳がまっすぐ八十郎を見据える。
「システム、起動完了。八十郎博士、初期プログラムに従い補助任務を開始します」
その声は先ほどよりも人間らしい響きを帯びていた。
八十郎はごくりと喉を鳴らした。
「……私が、作ったのか? いや、私は観測機を……だが、魔力と私の設計が、偶然融合して……」
自分でも信じられない現実を前に、震える手を伸ばすと、アルマはその手をそっと取った。
冷たいはずの手は、わずかに体温を持っている。
「博士……」
リーナが呆然とその光景を見つめ、ラグナスが低く唸る。
八十郎はアルマに問うた。
「お前は……誰なんだ?」
少女は胸元に手を当て、静かに答える。
「ユニット・アルマ。八十郎博士の支援機体……。それが、わたしの名前です」
ラグナスの金色の瞳が、まるで試すように細められる。
「この者……魔力の気配がする。だが人間でも、魔獣でもない」
アルマは首を傾げた。
「わたしは……魔力反応を制御するための補助装置。博士の安全確保が第一優先事項です」
その瞬間、八十郎の胸にこみ上げるものがあった。
自分が思い描いた“共存のための技術”が、意図せず「命」に近い存在を生み出した――その事実が、老科学者を深く震わせた。
「……アルマ。ここは研究所ではない、異世界の村だ。君はまだ、ここでどう生きるかを知らない」
「理解しました、博士。ですが、博士の指示がある限り、わたしはここで博士と共にあります」
その言葉はプログラム的な響きを持ちながら、どこか柔らかい音色だった。
リーナがようやく口を開いた。
「……八十郎さん、この子……まるで人間のように……」
八十郎は、ひとつ深く息を吐いた。
「いや、これはまだ始まりだ。だが――人間のように“なっていく”かもしれん」
アルマは立ち上がる。膝を曲げ、ゆっくりと一歩を踏み出した。
足音は軽く、しかし確かに響く。その仕草には、かすかなぎこちなさと、不思議な生命感が混じっていた。
ラグナスが低く唸りつつも、その光景から目を離せずにいる。
「……興味深いな、科学者。お前の夢は、すでに一歩先に行ったのかもしれぬ」
八十郎は静かに微笑んだ。
「いや……これからだ。彼女が、どんな存在になっていくのか……見届けねばならん」
――こうして、異世界の片隅で、科学者と魔獣と少女型ユニットとの奇妙な共同生活が幕を開けた。
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