【第19話:隣村の残党、牙をむく】
隣村の倉が壊滅してから数日が経った。噂は瞬く間に広がり、隣村の顔役たちは屈辱と損失を胸に秘めていた。商売の道を絶たれ、借金は膨らみ、恥は彼らの誇りをえぐった。痛みは怒りに変わり、怒りは復讐の炎へと転じた。
深夜、風のない夜だった。月は雲に覆われ、村の影は濃く伸びている。遠くで犬が一声吠えたあと、奇妙な静寂が戻った――それが前触れだった。
「おかしい……昨夜はここまで静かじゃなかったのに」見張りの一人が呟く。八十郎は焚き火のそばで眉を寄せ、感知器の光を見つめた。装置は微かな波形を示している。数人が影の中から姿を現し、こっそりと村の入口に集まってきた。
その時、山の向こうで狼煙が上がった。隣村の残党が組織を整え、夜襲を敢行する合図だ。数十、いやそれ以上の人影が斜面を伝って村を包囲し、火の手を上げる者、屋根に登る者、裏門から侵入する者――手際よく、あらゆるルートを同時に狙っていた。
「来たぞ!」八十郎が低く叫ぶ。集まっていた村人たちが一斉に武器を取り、避雷網の近くへ移動。リーナは薬嚢を締め、目に決意を灯す。暗闇の中に、隣村の狼藉者たちの笑い声が響いた。
だが八十郎は既に準備していた。倉襲撃の後、彼らは村の防御を見直し、罠と奇策を至る所に仕掛けていたのだ。単純な迎撃では敵の人数差に押し潰される――そこで「情報」「機械」「魔獣」の三本柱で応戦する作戦が立てられていた。
──第一波:誘導と分断。
八十郎が小さく笛を吹くと、焚いた灰護草の煙が意図的に流される。煙はかつて骨背狼を寄せ付けなかった灰護草だが、今は人間の嗅覚も混乱させる効果を狙っている。狼藉者たちはその煙で視界を奪われ、混乱する。
──第二波:電気の罠と投光装置。
屋敷の入口には、八十郎が改良した地雷のような電撃装置が埋められていた。踏むと短時間だが強烈な放電で筋肉を痙攣させる。これは人を殺すためではなく、動きを止めて捕縛する目的だ。さらに、巧妙に配置した反射板が夜の闇に突如閃光を放ち、待ち伏せの仲間の位置を暴かせる。
──第三波:空からの抑圧(ラグナスの参加)。
そして奥の手。八十郎が合図を送ると、山陰で待機していたラグナスが黒い影となって降りてきた。彼の羽音は先鋭で、ただそれだけで敵の士気をくじく効果がある。ラグナスは一撃で通り道の木を焦がし、敵の進軍ルートを断つ。彼の存在は戦力差を単純にひっくり返す“心理的破壊”だ。
侵入者の一団が裏門を破ろうとした瞬間、八十郎の埋設装置が起動し、数名が激しい痙攣で倒れ込む。混乱の裂け目に、村の猟師たちが飛び出して縄で縛り上げる。別働隊が梯子で屋根に登った強盗を制圧する。隣村の傭兵たちは火器を構え反撃を試みるが、ラグナスの威圧的な低吼と雷の閃光に腰を抜かし、攻撃の手を止める。
だが、相手も手練れだ。隠れていた一部は投火器を放ち、屋根に火がつく。煙が空を埋め、子どもたちの悲鳴が上がる。理想だけでは守れない現実が顔を出す瞬間だ。
「リーナ! 避難所へ子どもたちを誘導して!」八十郎が叫ぶ。彼女は即座に動き、包帯と薬草を抱えて走る。村の女たちが子どもを抱え、狭い路地を伝って安全な倉庫へと避難させる。八十郎は手元の小型発光弾を投げて煙の切れ目を作り、避難の道を照らした。
隣村の残党はやがて袋小路に追い込まれる。八十郎の誘導で意図的に崩した道筋に閉じ込められ、電撃罠と縄で次々に無力化されていく。傭兵のリーダーが意を決して突撃を命じるが、その瞬間、ラグナスが地面を一度叩き、雷光がその場に集中する。傭兵たちは声を上げて投げ出し、武器を放すしかなかった。
だが戦いの最中、倉を守っていた若夫婦の家が放火により激しく燃え上がる。不運にも一部の避難路が塞がれ、数名の村人が煙に巻かれ倒れ込む。リーナは火場に飛び込み、八十郎の指示で簡易担架を作り、負傷者を運び出す。彼女の汗と涙が、夜の闇に光る。
八十郎は冷静に指示を出しながらも胸が締めつけられるのを感じた。発明は人を守るためにある——だが、人が傷つくのを見てしまえば、どれほど理屈を積んでも心は沈む。彼はラグナスに眼差しを向けると、低く頷いた。ラグナスは理解するように咆哮し、残党たちをさらに圧迫する。敵の中心人物が捕まり、残りは散り散りに逃げ去った。
夜明け前、戦いは決着した。村に残ったのは疲弊、煙と焦げた木の匂い、そして捕縛された残党たち。被害は出たが致命的ではない。捕らえられた男たちは縄に縛られ、村の広場に引き出される。隣村の顔役は額に血をにじませ、嘲りの余地もないほどに打ちのめされていた。
八十郎は水晶球と証拠を持って広場に出る。村人たちは疲れ切った顔で彼らを見下ろす。ラグナスは高く舞い、影が広場を覆う――その存在だけで圧迫感と畏怖が混じる。
「見よ、これが彼らの行いの末路だ」八十郎は静かに言った。「卵を奪い、森を穢し、他人を犠牲にして利を得る者たちに裁きは降りる。私たちの望みはただ一つ――この村と、森と、そして命を守ることだ」
隣村から逃げていった者の何人かは、後に街道筋で評判が落ち、取引が途切れ、家族からも避けられる身となった。捕らえられた者たちは、村の判断により隣村の共同体の前で公開の謝罪と労役を課されることになった。恥と経済的挫折が罰であり、それが最大の屈辱になった。だが八十郎はそれで満足しているわけではない。暴力で潰すのではなく、コミュニティに居場所を失わせる――それが彼の考える再発防止策だった。
翌朝、村では簡素な修復作業と応急処置が始まった。負傷者は陰ながら手当てされ、焼けた家は協力して再建される。リーナは傷ついた子どもをあやし、八十郎に深い礼を述べた。
「八十郎さん、あの時、あなたが……」リーナは言葉を詰まらせる。
「私たちだけじゃない、皆で守ったんだ」八十郎は穏やかに答える。だが目には次の決意が宿っている。隣村の残党は完全に消えたわけではない。背後に別の勢力があるかもしれないし、傭兵を雇い直す者もいる。ラグナスの一撃だけでは終わらない可能性が高い。
ラグナスは高く飛び、山の稜線に一度だけ大きく羽を広げてから消えた。彼の姿は、その場にいた全員の胸に深く刻まれた――人と魔獣が手を取り合えば、この世界の不正に風穴を開けられるという証しとして。
村は勝利を噛み締めつつも、次の襲撃への備えを固める。八十郎は新たな罠や防衛策を練り、リーナは薬草の備蓄を増やす。子どもたちは驚きと学びを胸に、外の世界の危うさを知った。隣村の残党たちの退治は鮮やかだったが、真の平穏を得るにはまだ道がある——それを皆が知っている。
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