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【第17話:私欲の牙】

 夜の帳を纏って、二つの影が隣村へと忍び込んだ。月明かりは薄く、村の屋根を銀色に縁取るだけだ。八十郎は頬被りをして身を潜め、リーナは薬師の使い手と誤解されぬよう古い薬師の外套をまとっている。二人の目つきは真剣そのものだったが、その足取りは静かで確かだ。


 隣村は噂通り、治安が悪い。藁ぶき屋根の軒先には夜間でも明かりが残り、酒臭い笑い声や男たちの怒号が薄く聞こえてくる。路地にはふしだらな札や、略奪品を示すような刻印の入った袋が散らばっている。八十郎は唇を引き結び、低く囁く。


「リーナ、まず市場だ。卵が流通していないか見て回れ。人は『金になる物』を隠し切れん。取引の痕跡が出るはずだ」


 リーナはうなずき、二人はそれぞれ別行動で人混みに紛れた。八十郎は年寄りの行商を装って倉の前をうろつき、指先にこっそり施した小型感知器で魔力と異臭の痕跡を探る。やがて、倉の中で鍵をかけられた一室から、かすかな卵の匂いと、焦げた羽の匂いが立ち上っているのを感知した。


 リーナは市場の奥で、露天の男が見せる奇妙な品に目を止めた。小さな箱に詰められた乾いた羽根、光る殻の欠片、そして――蓋の隙間から見える薄黄色の何か。彼女の胸がざわりとする。売り声を上げる男は、粗暴な表情で利得を喚き立てる。


「珍品だよ、珍品! 雷の羽根、魔物の卵の欠片! 高値で買う人間が山ほどいる、金になるぜ!」


 リーナは冷たくなった手で唇を噛み、そっと八十郎に合図を送った。ほどなく二人は倉の裏口へ回り込み、扉の隙間から中を覗いた。暗がりの中に、卵が幾つも段ボール箱に詰められているのが見える。卵の一つはひび割れて中身がかすかに光っていた。


 倉の主は、革の外套を羽織った中年の男だった。目には計算と獰猛さが宿っている。隣には数人の傭兵風の男たちが、火器らしきものや魔導道具をいじりながら笑っている。リーナの肩が震え、目に涙が滲む。


「ここだ……これが証拠だ」八十郎は小さな水晶球を取り出し、男の腕に刻まれた紋章を映し出す。そこには白い牙に交差する二本の短剣──隣村の非公式な「採集屋」連合の印だ。


 二人は扉を勢いよく開け、光の中へ踏み出した。倉の中の笑い声が止み、男たちの顔が一斉にこちらを向く。


「おや、泥棒か?」倉の主が嘲るように口を曲げる。「こんな夜更けに何の用だ」


 八十郎は静かに袋の中から、昨夜の魔獣の羽根と魔導薬品の破片を差し出した。「外からの証拠だ。お前たちが卵を奪い、魔獣を挑発していた。なぜそんなことを?」


 男は嘲笑を続けた。「はは、卵だって? あんなもん、商売の種だ。町に持っていけば金になる。おまえらの相手をしてる暇はない」


 リーナが声を震わせて訊く。「卵を売るなんて――あなたたちに良心はないの?」


 男の笑いは氷のように冷たかった。「良心? この世は金だ。腹を満たすには金が要る。お前らみたいな村の連中にゃ分からんだろ。誰かがやらねえと、俺たちが生きていけねえんだよ。魔獣が怒ろうが、村が泣こうが知らねえ。商売だ、商売!」


 八十郎は顔を強張らせた。だが彼は静かに続ける。「分かっている。貴様らは自分たちの生活を守るためにやっているのだろう。だが、お前たちのやり方は『奪う』こと以外の選択肢を放棄している。魔獣の怒りは村全体に向く。お前たちの食い扶持はその代償で済むか?」


 男は肩をすくめ、侮蔑の笑いを漏らす。「お前らの理屈で飯が食えるかよ。誰が村を守ってくれるってんだ。金を出す者だけが強い、この村は弱肉強食だ。文句あるなら、金をくれ」


 言葉は明確だった。説得の余地はほとんどない。八十郎は一瞬、胸の中で何かが砕けるのを感じた――理性で紡いだ言葉が、金の前では脆いと知る重さ。


 リーナが震える手を握りしめ、低く叫んだ。「やめてください! 卵は魔獣の命です! 売ってはだめ――!」


 傭兵の一人が鼻で笑い、銃のような魔導器具をちらつかせる。「黙れ小娘。口先だけで金になるものを渡す気はねぇんだよ」


 八十郎は穏やかに、しかし決然と答えた。「ならば選択は明らかだ。お前たちが改心しないなら……我々は証拠を持って魔獣に示す。それでもやめぬというなら、我々が阻止するしかない」


 男は目を細め、薄く笑う。「お前らみたいな古臭い正義者が、俺らの利権を奪えると思ってんのか? 魔獣がどう思うか知らねえが、我らは金に動く。金があれば誰も文句は言わねえ。卵の代金さえ出せば、巣は荒らし放題だ」


 その言葉に、倉の空気が粘つくほど重くなる。隣村の男たちの目には既に買い手の姿が映り、利得の計算が始まっている。――この種の人間に倫理を期待することが無意味であることを、八十郎は痛感した。


 八十郎はゆっくりと袋を閉じ、水晶球を押し込むと、静かな声で言った。「では、我々は村へ帰る。魔獣に証拠を示し、お前たちがやめぬならば、私は人と魔獣の双方を守るための次の手を打つ。私の“手”は戦争ではなく、仕組みだ。しかし、必要なら――人を傷つけることをためらわぬ者たちからは刃を向けることも辞さぬ」


 男はその言葉に嘲りを返した。「ほう、そうか。楽しみだな。お前らの必死の道具やら、魔獣やらで金が減るってんなら、こっちも考えることがあるさ。村ごと燃やして逃げるのも手だ。覚悟しとけよ」


 笑い声と脅しの言葉が倉に満ちる。八十郎とリーナは静かに背を向け、倉を後にした。夜風が二人の頬を撫で、街の喧騒が遠ざかる。


 外に出た八十郎は、暗闇の中で小さく唇を噛む。理性と交渉が通じない相手の存在は、彼にとって新たな痛みだった。だが、リーナの握る手に力を込めると、冷たい決意が胸に満ちた。


「分かった。奴らはやめない。だが、我々も黙ってはいない」八十郎の声は低く、硬さを帯びる。「次は、ラグナスと協力して手を打つ。だがまずは村と人々を守る方法を整えよう。準備が整えば、向かう。力ずくで奪われることは、もう二度とさせぬ」


 リーナは涙をぬぐい、小さくうなずいた。遠く、山の向こうで雷鳴のような反響がしぼり出される。隣村の男たちの拒絶は、これから起こるより大きな衝突の始まりに過ぎなかった――。



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