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【第11話:戦闘直前】

夜。村の集会所には、かすかなランプの光が揺れていた。集まったのは村の屈強な若者たち、狩人、薬師見習い、そして長老と、八十郎とリーナ。壁に掛けられた簡易地図には、八十郎が描いた飛翔魔獣の進路と避雷網の位置が赤い線で記されている。


「……改めて確認する」八十郎は杖代わりの木棒で地図を指し示した。「このルートで魔獣が村上空に侵入した瞬間、網の中央で雷魔石を起動させる。発動は私の合図だ。絶対に焦らず、声を聞け」


その声は穏やかだが、緊張で喉がひりついているのが自分でもわかる。八十郎の脳裏には、失敗した場合の未来がちらつく——村人の負傷、家屋の焼失、そして自分が背負うことになる罪悪感。しかし、同時に胸の奥で灯るものもあった。再び人を守る研究者として生きられるという、かすかな誇りだ。


若者のひとりが不安げに手を挙げる。「あの……もし雷魔石が不発だったら?」


八十郎は即座に答える。「その場合、予備の発動札がここにある。リーナ、説明を」


リーナは緊張で唇を噛みながらも、一歩前に出て、両手で札を見せた。「これを網の支柱に打ち付ければ、二秒後に同じ効果が出るわ。怖いかもしれないけど、私が一緒にやるから」


若者たちの間にざわめきが広がり、やがて沈黙に変わる。八十郎は彼らの顔を一人ひとり見回した。恐怖、決意、疑念、期待……そのどれもが自分が若い頃に抱いた感情と同じだった。


「大丈夫だ」八十郎は静かに言った。「私は八十年、危険と隣り合わせで実験を重ねてきた。人命を守るために、どれほどの失敗を重ねたか、君たちには想像できんだろう。しかし今夜は、その全てをここに注ぐ。君たちを守るために」


リーナがそっと八十郎の袖をつまんだ。目が合うと、彼女は小さく頷く。その瞳には恐怖よりも信頼が宿っている。


「……長老、最後の確認を」八十郎が視線を送ると、長老は杖を突きながら前に出た。


「この村は百年、嵐や獣に耐えてきた。今夜もまた、みなで守り抜こう」

長老の声に、村人たちが一斉にうなずく。誰かが拳を握り、誰かが唇を引き結ぶ。緊張がひとつの線に収束していく感覚が八十郎にも伝わってきた。


八十郎は最後にもう一度地図を指した。「いいか、これは“戦い”ではない。“生存”のための“作戦”だ。恐れを力に変えろ。全員、生きて朝を迎えるぞ」


集会所に小さな声が重なった。「おう……!」


ランプの光が、決意に満ちた顔々を赤く照らす。その瞬間、八十郎は胸の奥で確信した。——この異世界で、彼は再び“誰かの命を守るため”に立っているのだ、と。



村の外れ。避雷網の支柱は、月光を浴びて銀色に光っていた。夕刻から続けていた準備がようやく終わり、八十郎たちはそれぞれ持ち場につく。空はどこか不穏で、日没直後の藍色が少しずつ墨を落としたように濃くなり、遠くで稲光が閃いた。


風が止まっている——八十郎はそれに気づいた。

さっきまで草原を渡っていたそよ風が、まるで息を潜めたように消えている。湿った土と雷石の金属臭、そして魔力が擦れるような鉄っぽい匂いが鼻腔を刺した。耳を澄ませば、森の小鳥の声も、虫の羽音も消えている。世界全体が息を殺し、何かを待っているようだ。


八十郎は手のひらに汗を感じた。脳裏に数式と計算が渦を巻くが、胸の奥は妙に静かだった。八十年間、死の近くで研究してきた感覚が告げる——獣が来る、と。


支柱の影に身を潜めたリーナが小さく囁く。「八十郎さん……匂いが変わってきてる……」

「うむ、もうすぐだ」八十郎も囁き返す。その声が自分でも驚くほど落ち着いているのを感じる。


頭上では、雲が厚く重なり始め、月が隠れてゆく。ときおり光の筋が雲間を走り、避雷網の針金が青白く一瞬だけ光る。村人たちは緊張の面持ちで槍や弓を握り、指先まで強張っている。息を吐く音だけが暗闇に浮かび、心臓の鼓動がやけに大きく響く。


「全員、落ち着け。焦るな。私の合図まで動くな」八十郎の低い声が夜気に溶ける。


その瞬間、どこか遠くから、風を切るような甲高い鳴き声が届いた。耳にざらつく、不協和音のような咆哮。八十郎は胸の奥に電流が走るような感覚を覚える。

——来た。


空気が震え、湿った大気に、獣の羽ばたきが混じる。大気そのものが押し寄せるような重みを持ち、村全体に圧がかかる。雷石の結晶がチリチリと青い火花を散らし始めた。


八十郎はゆっくりと息を吸い込む。土と金属、魔力と獣臭が混ざった夜の匂いが肺に染み込む。指先が冷たく、脳は異様に冴えている。横目に見えるリーナの瞳は恐怖に揺れているが、その奥に覚悟の光があった。


「——今だ、全員構えろ!」


八十郎の号令が、張り詰めた夜気を切り裂いた。村人たちが一斉に息を呑み、槍の穂先が一斉に月光を弾く。空からは黒い影が、翼を広げて迫ってくる。戦いの幕が、いよいよ上がろうとしていた——。



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