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【第1話:老科学者、目を覚ますと森の中】

 ――耳の奥で、金属がきしむような音が鳴っていた。

 視界に広がるのは、研究所の白い壁でも、タイムマシンの操作パネルでもない。緑、緑、緑。頭上まで覆い尽くす鬱蒼とした森の木々。


「……ここは、どこだ……?」


 声に、自分で驚く。低くしゃがれた老人の声ではない。若い頃の自分のような、張りのある声。

 慌てて両手を見下ろすと、しわだらけだったはずの手が、血色のいい滑らかな肌になっている。筋張っていた腕には、うっすらと筋肉が浮かんでいる。


「ま、まさか……若返っている……のか?」


 桐生八十郎、八十歳。タイムマシンを完成させたその瞬間、時空のゆがみに飲み込まれた――そこまでは覚えている。だが次に目を開けたとき、自分は見知らぬ森の中に寝転がっていた。


 立ち上がろうとした瞬間、背後の茂みからガサリ、と音がした。

 反射的に振り返ると、そこには見たこともない獣――狼のようだが背中に骨のような突起が生え、目が赤く光っている――がこちらをじっと見ていた。


「……ほう、これは面白い。未知の生物だな……」


 つい科学者の癖で観察してしまうが、相手は牙をむき出しにしている。

 八十郎は胸ポケットを探り、タイムマシンの残骸からとっさに拾ってきた携帯型エネルギーセルを取り出した。

 中には微量のプラズマを発生させる機構がある。武器ではないが、目くらまし程度にはなるだろう。


「――フラッシュ・エミッター、起動!」


 カチリ、とスイッチを押すと、目の前が一瞬白く光った。

 獣が怯んで後ずさる。その隙に八十郎は走った。かつては杖をついて歩いていた老人が、今は森を軽やかに駆け抜けている。


「……息が切れない……本当に、若い体だ……!」


 必死に逃げながらも、頭の片隅では冷静に考える。ここがどこかも分からない。言語も文化も未知の世界かもしれない。だが、科学は通じる。知識は裏切らない。


「さて……これは、どうやら異世界というやつらしいな」


 茂みを抜けた先に、小さな村のようなものが見えた。

 煙突から煙が上がり、畑で人影が動いている。八十郎は胸の鼓動を抑えながら、慎重に村へと歩き出した――。



 森を抜けると、目の前に開けた平野が広がっていた。

 その中央に、石と木で作られた素朴な集落がある。畑のそばで働く人々、干された薬草や魚、煙突から上がる白い煙。


「……まるで中世ヨーロッパのようだな」


 八十郎は呟きながら、慎重に集落へ近づいた。

 身なりはボロボロの白衣にタイムマシンの破片を詰め込んだポーチ。見た目だけならただの不審者だ。


 やがて畑の端で土を耕していた中年の男が、こちらに気づいた。

「……*?&@%……?」

 男は眉をひそめ、警戒心を露わにして近づいてくる。背には木製の槍。


(やはり言語が違う……)


 八十郎は胸の内で計算する。単語数、発音、抑揚。何かパターンが見つかるかもしれないが、今は時間がない。


「私は怪しい者ではありません。話を、聞いて……」

 だが相手は理解できず、槍を構えたままさらに近づいてきた。

 他の村人たちもざわめき、子どもを抱えて家の中へ逃げていく。


 八十郎はゆっくりと両手を挙げ、胸ポケットから小さな装置を取り出した。

 タイムマシンの翻訳モジュールの基板を即席で組み直した、簡易音声解析器だ。


「これで……多少は通じるかもしれん」


 装置を起動すると、青白い光が瞬き、村人の声を録音し始める。

「……*?&@%……!」

 装置が小さく唸り、機械音声で返答が流れた。

《あなたは誰ですか?》


「おお……動いたか!」


 八十郎はすかさず、自分の言葉を話す。

「私は桐生八十郎。旅の者です。怪しい者ではありません」


 装置が翻訳する。

《私はキリュウヤソロウ。旅人です。危害を加えるつもりはありません》


 村人は驚いたように目を見開き、槍を下げた。

「……旅の者、か……」

 翻訳装置を介して、かすかに意味のある言葉が返ってくる。


「よし、話ができるようになったな」

 八十郎は深呼吸し、にこりと微笑んだ。


 村人はしばし考え込んだあと、やがて頷き、村の奥へと案内するしぐさを見せる。

「……長老に会わせよう」

《長老に会わせる》


(まずは情報収集だ。ここがどこなのか、何が起きているのか、知識の断片を集める必要がある)


 こうして、若返った科学者は異世界の村へと足を踏み入れた。

 その背中に、わずかな希望と、科学者らしい好奇心が宿っていた――。




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