楚々
すみはその日、珍しく、佐伯と二人で学校の近くの神社に立ち寄った。
勿論その事は家には秘密である。すみからの要望であり、佐伯は驚きを持ったが、我儘を言うことのないすみに嬉しさを感じ、学校の駐車場に車を止めたまま、歩いて神社まで向かった。
京都においてまだ、百年も経ってない明治に建てられた比較的新しい神社であった。ただ、やはり、その年季のようなものは所々に映し出され、その豪華絢爛な美しさと歴史の輝かしさが交差している模様をすみは遠目で見ながらいつも思っていた。
涼しさが辺りに立ち込めているが、その日差しは細く鋭く、すみは十三の時に姉から貰ったお下がりとも言える扇子を持ってくればよかったと思った。そしてその扇子の黒く煌びやかな模様を頭の中で想像し、しばらく目にしていないことをふと思い出した。
春には桜が咲く庭園でその色づく姿を思い、佐伯の顔に自身の横顔を重ねて立ち、その姿をどのように見えているのだろうと楽しんでいた。
すみ達の他に幾人かがその半年後に色鮮やかに咲く桜の姿を想像しているのか、その場から離れずにじっと、目を桜の木に見張っていた。その中から、すみは離れることができず、佐伯の方を向いた。佐伯はそのすみの視線に気付き、すみと目を合わせた。すみの困ったような表情に佐伯は気がついたのか、すみを引き連れるように歩き始めた。すみはその背を佐伯に追いつくまでは小走りで進んだ。やがて、その横に辿り着くと、揺れる細い一本の髪がまつ毛に絡まるように当たり、それに指を伸ばした時、小さく上を向いた。ほんの一瞬の出来事であるが、そのときの空模様に夕空を見出し、秋の景色を空で思い、紅葉の写しかと錯覚してしまう心持ちになっていた。
寂しげな音が落ち葉を通じて、広がっていた。いや、落ち葉の流れ落ちるかさかさという音が寂しげなだけなのかもしれなかった。どちらにしても、その先にある庭園に人は見えず、寂しげな景色は広がっているのだった。
池の上に枯れ葉が落ち、浮かんでいるものや水の中に体を落としているものもいた。ゆっくりと風に言われるがままにその身を任せている姿は意思無きものの、哀れであり、純粋な美しさを保っていた。
自然は何も文化的にならず、流れゆく姿を保つからのであるから、その透き通った美しさが溢れ出るのかもしれない。ただ、庭園は人の手によるものである。その自然を人の手に文化的に美しく造られている。その共存的な美のありようにすみは人間に生まれてよかったと心から思った。
木の横に立ちすくみ、苔色に染まった木の枝をその奥に見える緑と重ねて見ると、木の枝の苔は少し淀みがかった奥底の見えない色をしており、澄んだ色をした奥の緑は爽やかな調子を見せていた。
池には葉が浮いており、周りの緑の色が反射していた。
涼しげな空間が広がっており、影の冷たさが肌に染み込んできた。冬の訪れを予感させ、暖かさを恋しくなっていく季節へと変わっていくのを思わせた。
ゆっくりとした石段を上り、小川の流れを目で追いながら、いつの間にか、木々の下に入っていた。
夕陽が入り、それがふと、時間を忘れさせ、すみは早朝かと思ってしまうほどの日差しを見せていた。それは清々しい気分がそうさせたのもあった。葉の光がとても哀愁あるものではなかったのもあった。
佐伯は何も言わず、ただ、時折、すみを見てはすみと目を合わせた。すみはその目に緊張はしつつも慣れてくると、表情には出さないようにしながら、その一瞬の刺激の快感に争うことができなかった。麻薬とはこう言うことを言うのであろうと思われた。
足元が石に絡んでいる木があり、その自然なのか、人工的なのか不明な木は自然にそこに馴染んでいた。それを気にしない人間は心が大らかな人なのだろうと思われた。歩いている通りは次第に池の姿を見せてきて、歩いているうちにその道は池沿いの道へと変貌を遂げた。
その中神苑にある池に添えてある飛び石に一足乗ると、すみは少女のようにその手を佐伯に捧げた。佐伯はその手に添えられながら、ほとんど自分の力で飛び石に乗った。
その手に絡まる細い髪が邪魔にならないかとすみは心配した。だが、佐伯はそんな色を少しも見せるどころか、その事に何も思わないように見えた。
すみの神経質な面と佐伯の大らかな面は女と男、あるいは二人における立場を表しているかのようでもあった。
風は無風であった。佐伯が髪を何も思わないのはその事があるからかもしれなかった。
水面に映る自分達を見て、すみはその自分の髪が水面の方が緩やかに靡く様を思った。変わらぬものが大きく違いを見せており、それは自分の理想がそう見せているのかもしれなかった。
色づきそうな紅葉や、そこに頑固に居座り続ける松の木の力強さを見ながら、すみは夕陽のが先ほどよりも傾くことに気がついた。佐伯もそれに気がついたようで、二人は急足で歩いていた。慌てることはなかった。ただ、暗くなってしまうと、怪しまれるのであった。すみは神聖な場所でこんな邪心にかられたことを思うのは罰当たりのような気もした。
橋殿の姿を認めると、二人は一度足を止め、その姿を疲れを癒すように見つめていた。水面に触れた澄んだ空気が輝かしい程に冷たく、二人の疲れを流していった。
橋殿に足を踏み入れ、その両方にある椅子のようなもたれに座り、二人は池とその先にある木々と歩く人を見ていた。すみはその自然と文化の調合を絵画を見るような目で見ていた。その場だけの絵画が二人だけの目に広がっていた。口には出さないから、それが絵画のようだと気づく人はいるはずがなかった。
目に見える景色の左側に紅枝垂れがある。すみの目はいつの間にかそれに注がれていた。佐伯の目にその紅枝垂れが集中して写っているかは知れなかった。だが、この景色を見るのであれば例え景色の一つだとしてもこの目に映る景色を支えるものであるとすみは思った。この場から離れることにすみは密かな抵抗を感じた。足音が異様に大きく響いていた。
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家に戻ると、二人は言い合わせたように、普段通りの様子をわざとらしく見せた。
母の声が遠くに聞こえ、それに返すかのように父の声も聞こえた。だが、二人とも、すみには気づいていないようであった。
たつのは姿を見せず、女中に聞くと、用事があり、番頭の運転で、仁王門突抜町の方へ出掛けているという。
異様なほど静かに聞こえる家の中で部屋に戻ると、すみは箪笥の中や、引き出しなどから、たつのから貰った扇子を探した。だが、その扇子は見つからなかった。頭の中にあるあの黒光の品のある扇子が思い出されるが、やはり見つからない。もしかしたら、すみの思い違いで、扇子そのものが違うものなのかもしれないとも思ったが、やはり、すみの思うあの扇子が姉から貰ったものだった。
夕方から夜に変幻を遂げても、探し物に無茶なすみはその事に気が付かず、暗い中で見つからずにいる黒の扇子を探していた。




