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秋風

 夏の変わり際のことであった。建具替えを行っている最中、たつのは運び出した襖の横を歩いた際に腕が擦り、擦り傷を負った。

 血がわずかにあるものの、痛みもその場限りのものであると思っていたが、妹のすみはたつのに休むよう言っていた。

「せやけど、今年はお父さん、用事でおらんし、お母さんは体が弱いさかい重い物を運ばすわけにはいかへんし」

「その血見るだけでうちは気い遠なりそうやわ。血が治るまではお茶でも飲んだってや」

 たつのはすみの言う通りにした。ハシリに行くと、そこで女中が、母とお茶を用意していた。

「あら、どないしたん?」

「腕に擦り傷をおってな。すみは休めって言うもんださかい。少しだけ休憩どす。あの子も心配性になったもんやわ」

 たつのは壁に腰をかけ、扇子を手に持ちながら言った。

「ちょうどお茶を運ぼう思うとったとこやで。たつのちゃんもあちらで休んでらっしゃい」

「せやったらあて運ぶわ」

 たつのは母からお盆を渡してもらい、それを持って中の間へと移動した。たつのがお茶を運んだ事で一旦は休憩となった。

「腕を怪我したんどすて。お嬢さんからお聞きしたどす」

「これくらいなもあらへんわ」

 たつの痛みも幾分か引いてきた。すみはたつのの真横に座り、たつのはその事に何かあったのかと感くぐったが、すみには特に意味もなく、それはただ姉の隣に行くという無意識の動作であった。

 襖はあと、いくつかで終わりそうであった。

「あともう少しで終わりやな」

「へえ、たつのお嬢さんの分まですみお嬢さんが頑張ってはりました」

「そう、おおきに。すみ」

 すみは顔を赤くしていた。それが少女特有の惚れたような匂いを纏っていた。たつのはすみがまさか自分に対して惚れているわけではあるまいと思った。同性であり、姉妹であることに西条家の終焉がよぎった。その意味はその時のたつのにはわかりかねた。ただ、何かが崩れ落ちるような思いだけが、そこに佇むようにいるように思えた。

          ・

 すみが体調を崩し、たつのはすみと少しばかりの喧嘩、または言い合いをした。いい歳をして大人げないとは思いつつもあまり喧嘩を今までしてこなかったので、こんな時にたつのはどうすればいいのかわかりかねていた。そんな時に一人で部屋にいながら、夏の終わりの建具替えのことを思い出していた。それとなくして最近のすみの様子にたつのはその想いが確信へと変わりつつあった。あの時の赤くなったすみの表情の意味がたつのは今になって急に理解ができてしまった。

 たつのは自身の自分よがりな性格に呆れてしまった。

 風の声に笑われているような思いがした。開けている窓から風が入り込み、机の上に開いたままにしてある本が起き上がるように揺れていた。鳥の声がし、たつのはゆらりと窓を閉め切った。

 影に当たる部屋は夕方くらいにも電気が必要であった。そんな中でただ、影に潜んで、たつのは妹の想いを叶えてあげたいと思っていた。

 離れにいた女中を見ると、たつのはその姿を逃さぬように、目で追いながら、女中が離れから出て行かぬよう、奥の間を通り、たつのは女中に声を掛けた。

「すみの様子はどや?」

「はあ、熱は落ち着いてきてはいてはりすけど、まだ咳出てるそうで」

 その同情するような声色は娘を思っているような感覚を覚えたたつのは女中の表情に目を向けた。少し痩せた頬は元々であったか、すみへの心配からであったか、どうも思い出せずにいた。

 たつのはすみとは違い文化的に目を向ける自分の本質を思った。すみは自然的に目を向けるのであり、それは姉妹の立場の違いによるものなのかと必然のように思った。

「部屋に部屋に長ういても大丈夫やろか?」

「はあ、熱は下がらはったさかい、お嬢様気いつけになられたら」

「そう」

 秋空に目を向けて、たつのは二階へと足を向けた。この静かさとは言えない場所で静けさを必要とする場合、二人の心の閉塞が求められた。それはこの家で育ったものが習得できるものであった。

 すみの部屋の前に行くと、たつのは何故か足音を消したように歩いた。その後ろめたさはなんなのだろうと思い、だが、そこに存在を知らしめるのも違うと感じていた。

「すみ、入るで」

 たつのはすみの返事を待ったが、返答はなかった。寝ているのか、たつのは音を立てず、扉を開けた。すみは布団から起き上がり窓を見て、扉を開けた音に気付き、たつのを見た。

「なんや、起きてるやないか」

「ぼおっと窓の外を眺めとってん。姉さんの声には気づいとったかもしれへんけど、その声に夢のようなものを思うとってたわ。かんにんえ」

 まだ眠気にやられているのか、どうも、ぼんやりとした声で話していた。

 たつのは夢心地でいる今であればすみに確信をついたことを言えるのではと思った。

「ええんやけど、あんた、あてに自分の手届かへんものをあて持ってるて言うてたな。それは想い人があてならすぐに手に入るって皮肉みたいなこと言うとったん?」

 すみはたつのの顔色を伺うものが見えた。それが

不安の驚きに白くなっていく様があった。

「怒ってるわけちゃうんよ。佐伯があてと恋人になる思てるんやろう?」

 すみは何も言わなかった。たつのはその顔を覗き込み、真実を追求した。

「ほんまのこと言うたらあては佐伯を想うてはいるけど、佐伯と結婚する気はあらへんわ。西条家の為には家柄のある跡取りを取らなあかんさかい」

 すみの目を見ながらたつのは話していたが、その目が少しずつ、何かを見つめるようなものに変わっていった。

「うちかて、姉さんと西条家を継ぐつもりどす。姉さんがその気やったらうちかて佐伯さんをもらうつもりはあらしまへん」

「その言い方は佐伯に失礼やで。物ちゃうんやさかい」

 たつのが嗜めると、すみははっとして無言になった。すみがここまで感情的になるのも珍しいとたつのは思い、恋というものの、行動力の強さをひしひしと思わせた。

「そやけど、お互いのおんなじ想い人をどっちが、取るなんてフェアとちがうわな。佐伯があてらを取るのかもわからへんし」

 それは最もなことであり、すみは小さな声で頷きながら、同意していた。たつのは廊下に耳を向け、誰もいないことを確認すると、すみに近づき、耳元で

「秘密にしといてな。あんたにだけ言うんやで。うちと佐伯はプラトニックに愛してんねん。そら心のうちで繋がって思てるだけ、それ人に見せることしないつもり。こら口外せんといて欲しいわ」

 すみはたつのの方を向くと、唇が姉の頬に当たりそうになった。それ程の近さで思いの丈を伝えた姉にすみは心を信頼していいのだと思った。

 たつのは小指をすみの顔の前に掲げた。すみの仄かに温かみのある指が絡まり、温和な子供のような妹をたつのは愛おしく感じた。

 たつのは二ヶ月前に見たすみの笑顔が何故こうして記憶から綺麗に葬り、そして甦ったのかと思った。庭に舞い落ちる枯葉がたつのが思う記憶のイメージと重なった。それが初めからそうであるような事を思い、それがいつの間にか、どう言ったものであったか、手探りに触れていたものが遠くに行き、見えなくなっていた。

 幻影に弄ばれているかのような不快感に似ていながら、一種のすっきりとした気持ち良さがあり、してやられたと感心してしまうほどの心持ちが彼女の中を広げていった。

 ほのかに涼しげな風は怒りや不愉快な感情を綺麗に取り去ってどこか空に飛ばしていく。その風に髪を靡かせると、たつのは生まれ変わったように心が無になり、ここからまた新しい自分を築き上げるのだと思った。

 広いとは言えない西条家が戦争を潜り抜けて何十年も残り続けていたようにたつのはこの変わりなき、伝統の美しさを閉ざすことは許されないと誰に言われるでもなく、戒めとして自分自身に問いかけた。

「なあ、すみ。あてはどうにかして、この家を継ぐわ。綺麗事だけやない。汚いことやってなんでもやるわ」

「姉さん、うちもやります」

 すみは体を起こして、姉の手を握った。その握られた感覚が妹のものでなく、一人の女性の力強さと優しげな温かみが備わっていた。悲しい程にすみはもう少女から逃げ出そうとしているのだとたつのは思った。その手を握られたままたつのはしばらく呆然とすみを見続けるだけであった。気がついた時にはそれがどのくらいの時間が経っていたのかはたつのにはわかりかねた。ただ、すみは手を握り続けているだけであった。

 短い時間のようでもあり、長時間のようでもあった。それが不明瞭なだけにすみになんて言ったらいいのかたつのは言葉を浮かべ、その間に握っている手を優しく握り返したりしていた。

「おおきに」

 気の抜けたような声であった。ただ、すみは笑いもせずに聞いていた。

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