湿った季節
庭の床にも落ち葉が広がり、色褪せた紅葉がまた風に揺られ庭に着いた。
すみは母の目を盗み、窓からその様子を眺めていた。しかし、不意に咳が出て、その咳が庭から通り、一階に響くのを予感し、すぐに布団に潜った。
時代祭が終わった次の週にすみは風邪を引いた。医者に診てもらうまでもない熱であり、しばらくは部屋の中で安静にしていた。時間を持て余したすみは買ったばかりである本に読み耽っていたが、時期に全て読み終わり、することといえば窓の外を眺めるか、下から聞こえる作業の音に耳を傾けるくらいしかなかった。
不規則に響く、物音はすみの耳を楽しくさせるか、不快にさせるかのどちらかであった。
本棚に並ぶ、堀辰雄や蘆花の本を眺め、その本の顔ともいうべき色使いについて、すみは本の中身を想像しながら、その優しげなイメージを重ね合わせていた。それがぴったりと当てはまるものもあれば、すみのイメージとはずれているものもあった。だが、それが自分以外の思うイメージの一つなのだと思うと、孤独を感じられずにはいられなくなるが、その表面以外のことを知れた喜びは病状のすみには子供のように嬉しくもあった。
いつもは自分の腰の位置の窓が今は高く聳え立っていた。外に出ることも今のままでは難しいのだと、その目にしたものと心持ちが重なり、鎖に縛られたような不自由と寂しさが交互にすみの情を突き、このまま死んでいく悲しさに変わる不安に狩られた。
堀の本を読んでいて、死に向かう寂しさと残された希望について、すみは少しずつその実感が強くなっていくのを感じた。そんなはずはないことをわかってはいるのに、全ては気持ちの落ち込みのせいなのだと客観的には思えるはずであるが、どうも、その気持ちの中に溶け込んでしまう。
眠りにもつけず、時間を無駄に過ごしながら、そのことが自己嫌悪となり、泣きたいのに涙も出ず、薄情になったものだと思い、その目を空に向け、重い憂鬱を時々、体全体に受け止め、その潰れたやるせなさにまた悶々と同じことを考えていた。
姉のたつのがすみの部屋に来たのは午後の三時を過ぎた頃であった。
「薬、買うてきたわ」
「おおきに、姉さん」
たつのは薬が入った鞄を手に持ち、それを机に置くと、すみの頭元に腰を下ろした。すみはたつのの姿を見上げ、しなやかに落ちるような髪が印象的に思えた。
「具合はどや?」
「まだ咳は出るみたい。少ししんどい」
すみはそう言っている際にも咳をした。それがたつのに怪訝な表情にさせた。
「大丈夫やで姉さん。お母さんもお医者さんに見せる程とちがうって言うとったし」
「そうかいな」
たつのは自身の手を一度、すみの頭に当てようとした。ただ、何を思ったかその手はすみの頭に行くことはなかった。
「前の家の子、あんたが風邪を引いたて聞いて、心配しとったで。」
たつのは鞄の中から、桃色の折り鶴を取り出した。
「これ渡してくれって頼まれてな。ほんまは千羽鶴を作るらしかったんやけど、これで勘弁って」
たつのはそう話してる途中から、すみが笑い出したのに気が付いた。
すみはその折鶴を手に取り、少し眺めると、それを枕元に置いた。それを横目に姉の姿を見た。
「あんたが羨ましいわ。あてはどうも子供苦手なせいか、子供に好かれにくいらしいから。すみは子供好きやさかい、その気持ちが知れてるんやろうな」
姉の表情は言葉とは真逆に寂しげなものが見えた。すみは言葉には出さずいるが、そのたつのの気持ちが手に触れるようだった。
姉の目のえくぼの影が薄く輝き、白い肌が透けるように見えた。その妹の思う姉への美しさは相手を思う気持ちから来ていることもすみは熟知していた。その二つが合わさるとより一層の心地の良い尊いものに変わる。
「うちは姉さんが羨ましいわ。うちには手の届かへん存在やし、姉さんの全てが愛おしゅう思えて、それがうちにあらへんものとわかってるさかい。求めてまうねん」
「なんやそれ」
たつのが手をゆっくりと床伝いに動かし、指が畳に相反し、虫の音のような音が響いた。
「あてはそないに尊敬されるような人とちがうで。一体何そないに求めんねん」
すみは心の内を声にすることは避けた。たつのの表情が幾らか深く伺うにその様子が伝わってしまったように思えたが、その内に秘めたものは恐らくその表情からは知られてないように思えた。
「恐らくわからへんやろう思うで。そればっかりはうちと姉さんは思いのたけがちゃうようやさかい」
たつのは無言でそれを聞き入れ、しばらく考え事をしているようで、その目は上を向いていた。
「これ以上はだめやわ。お互いが意地になっとる。子供の喧嘩じゃあらへんのやろうし、あては御暇するわ」
すみが何か物を言う前にたつのは駆け出したと錯覚するように目の前から消えてしまった。すみはしばらくその場から顔を上げたまま動かず、やがて、疲れたように頭を枕に倒れこませ、外の物音に耳を向けた。ただ、その衝撃からか、耳鳴りが始まり、その物音は思えば思うほど強くなっていった。