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1.ミカ



フィルクス王国南西部に位置する小さな村、アベス。そこで俺は生まれ育った。一言で説明すると何も無い田舎。農業や畜産で生計を立てている者が多く、こじんまりとした村であり村人同士の絆はたいそう深い。王都からかなり離れた位置にある村なことから、情報が伝わるのがたいそう遅く、さらに王国を揺るがす一大事、と呼ばれるような大きな事柄しか伝わってこず、フィルクス王国出身と言われればそうだがそこまで重要視していないのが率直な感想であった。



麦の穂が風に揺れ鳥や虫、はたまた遠くから聞こえる牛の声が耳に届く。俺は舗装されていないガタガタとした道を慣れたように歩いていく。太陽は照りつけじわじわと暑い。まだ太陽が昇ってからそれほど時間は経っていないが、太陽を遮るものがひとつもないこの道では汗をかくのは致し方ないことであった。



紙袋には最低限のパンと水が入っており、それを片手で持ち歩く。この時間帯にこの荷物を持って歩く。それは俺が十年も前から続けていることだ。なぜこんなことを続けているのかは今となっては分からない。だがまだ小さかった俺はやらなければならないと、そう思ってしまったのだろう。謎の罪悪感が俺を支配していたのだ。



「おぉ、ダリス!」

突然声を掛けられる。



「ランドリューおじさん。おはよう、今日も早いね」

「ははっ、まぁこれしかやることがないからな」



大きなクワを片手に持ち上げたおじさんはそう答えた。白い歯がキラリと輝き、農作業をする上で自然に付いたであろう筋肉を惜しげも無く見せびらかしている。しかしそんなおじさんだが、世間話を幾度か繰り返した後少しばかりか声を落としこう言ってくる。



「しっかし、お前もよくやるよなぁ。村長に命じられたからってそんな毎日行かなくってもいいだろ?ほら、あの女」

ランドリューおじさんが紙袋を見てそう答える。どこか憎らしいように俺の目的地である家を一瞬ちらりと見つめて。



「いや、でも何かあったら取り返しのつかないことになるかもしれないし」



その言葉とともに俺はグレーの世界へと迷い込む。口がなんだか異様に乾き、胸がズキンと痛んだ。



「だが、これまで何も無かったわけだろぉ?村長だってもしかしたらと思ってお前に指示したわけだし」

「でももしみんなに何かあったらって思うと俺は後悔の念が残ると思う。だから行かしてくれない?」

「はぁー、ったく!お前はほんと良い奴だな!!こんな息子俺も欲しかったよ!!」



頭の中で「俺は冒険者になる!!」といってこの村から出ていった息子のことを思い出しているのだろう。俺の横へと移動し肩を組んだおじさんはガハハっと豪快に笑った。



「でも気をつけろよ?いつあいつが牙を向いてくるか分からない。神に嫌われた分際でここまで生き延びちまうんだから」



肩を組んだ状態で顔を近づけてきたおじさんは声をさらに落とし、俺に忠告する。



「大丈夫だって。あいつは身体も弱ってるし、万が一の場合に備えて手足を拘束してるじゃないか。それに家の鍵も俺が持ってるし、何も恐れることはないよ」

「……それならいいんだが」



安心させるようにおじさんの背中を軽く叩き笑顔を見せる。



「だが奴は人間とは思えないほどの容貌なんだろ?本当に気をつけろよ?」

「あー!もう分かったって!!もう行くから!!」



何度言っても心配が耐えないランドリューおじさんを振り切って俺は歩を再開した。後ろから苦笑気味の声が聞こえ、じゃあまた!!と声が聞こえる。俺はそれに後ろを振り返ることなく手を挙げて対応した。



別れてから約十分後。あれだけ太陽が輝いていた村から少し離れた森の中を俺は歩いていた。魔の森と呼ばれるこの森は入ると呪われるという言い伝えがあり、俺以外は足を踏み入れようともしない。俺の身長を優に越すおどろおどろしい木の幹が行き場を無くすかのように遮り、風によって揺れた木の枝がなにか呪文を唱えているかのように囁いている。俺はその慣れた道を軽快に進み、暫くすると少し開けた場所にボロボロの家がポツンと建っていた。ドアへと近づき鍵を回す。何故か耳に残る鍵音を耳に反響させ、家の中へと入っていった。



木目調の床。埃まみれの一室。キッチンもダイニングもない。ただ部屋には体の疲れは取れないだろう薄っぺらいベッドだけがあり、カーテンから僅かに漏れる太陽光があればどれほど良かっただろうか。鬱蒼とした木だけが姿を垣間見せ、薄暗いこの一室は人を避ける傾向がある。



俺はいつものようにカーテンを半分ほど開け、換気のために窓を開ける。それだけでも僅かに見える埃が外へと排出されるのだから、どれほど部屋が汚れているのかは検討につくであろう。なにか掃除用具でもあれば話は別だが、そのようなものを用意することは出来なかった。村のみんなからするとそれらの行為は許されるものではないらしい。俺はこの十年慣れ親しんだ背景を背に、ベッド脇へと移動し眠っている人物の肩を優しく叩く。



「おいミカ。朝だぞ、起きろ」



その声とともに瞼がぴくぴくと動き出した。髪は長く、何日も風呂に入っていないからか清潔感はない。身体が弱いせいか顔色もたいそう悪い。食事を十分に取れていないからか体重は俺の半分以下であろう。起き上がれる程の余裕はあるが、手足を鎖に繋がれ動くことも出来ない。この何も無い部屋で監禁され一生を過ごし、そして俺はそれをずっと見続ける。



完全に目が覚めたようだ。しばらく待つと俺と目線が合い、フワッと笑みをこぼす。真っ黒な瞳に光が差し込んだ。そんな微笑みに俺は謎の動悸を感じてしまう。表情に出さないように口角をぎゅっと結びつけ、視線を自然に離す。するとミカはゆっくりと上半身を起き上がらせてジャラジャラと奏でる鎖を器用に扱い俺の方へと顔を上げてくる。



また、目が合った。黒い瞳が俺を信頼しているかのようにキラキラと輝く。



──俺と目が合ったこの人物は誰からも忌み嫌われるそんな存在なのだろうか。

──こんな劣悪な環境に閉じ込められ続けるような重罪を起こしただろうか。

──ただの黒い瞳はそれほどまでに恐れないといけないものなのだろうか。



「お、はよう…ダリス」

「あぁ、おはようミカ。今日の調子はどうだ?あぁそうだ、水」

「あ…りがとう、今日はそんなにしんどくはないかな」



会話はできる。いや、そんなこと出会った時から知っている。村のみんなのように体力はなかったが、それでも優しく人のことを気遣うことが出来る、そんな子であった。仲睦まじい夫婦の元に産まれ、ガーベラのようにふわりと笑うそんな子だった。



容貌もそりゃ身体を洗っていないからか汚れは目立つが異形の形をしている、といったことは決してない。噂だけが独り歩きをし、ミカと関わりを持っていない村のみんながあれやこれやと大袈裟に言っているだけのこと。俺の目の前には無情にも神に愛されることがなかった一人の黒い瞳をもった女の子がいるのみ。



「本当に体調は大丈夫か?何かあったらすぐに言うんだぞ」

「うん、大丈夫。何かあったら言うね」

「そう言って何度も倒れたこと、俺は忘れてねぇーぞ?」

「いやーそれは…」



ミカは目を逸らし、話を無かったことにしようとする。そしてこの問答は毎日の日課に組み入れられてかなりの時間が経った。



何も変わらない日常。二人だけの心安らぐ時間。誰の目を気にすることなく話すことが出来る唯一の居場所。



……ここから連れ出して二人で旅をしようか。そう思うことが何度もある。俺たちのことを誰も知らない遠い街でゆっくりと人生を歩んでいく。二人で森の中にある一軒家を借り畑で野菜を育て、兎などを狩る。たまには街に出て買い物を楽しむのもいいだろう。正体がバレてはいけないため変装をすることになるが、それでも今の状況よりかは圧倒的に良い。ミカのためにもこんな村、早く出て幸せな人生を送ってほしい。



……しかし俺は行動に移すことはしない。いや、出来ない。ミカには幸せになってほしいのに、俺の保身がそれを邪魔をする。気持ちには嘘をつきたくないのに、俺の身体は動くことを知らない。ただ無能であることを自覚し、毎日食糧を届けることしか出来ない。



俺は何がしたい?どう思われたい?ミカにも村のみんなにも嫌われない方法をなぜ探す?どう足掻いてもどちらかを捨てないといけない状況であることは明白だ。そして常識的に考えればミカを守るという考えは信じられるものでは無い。だが俺は普通じゃない。俺が異端であることはとっくの昔に分かっている。



無意識にミカの方へと手をゆっくりと伸ばしていく。このまま二人で遠くに行こう。鎖の鍵は俺が持っている。魔の森には誰も近寄ることはないし、俺が消えたと分かるのはかなり後のことだろう。もしかしたら俺を探しに誰かが探しに来るかもしれない。だが辺鄙な村で村の外に出たこともないような村人が大半だ。見つけられるとは到底思えない。だから大丈夫。何も心配することはない。大丈…



村のみんなの顔を思い出す。そしてそれと同時にもう少しでミカに触れそうになっていた手を止める。血が出そうになるほどの力を込めて拳を握りしめ、そっと手を下ろした。無意識に歯ぎしりをする。顔はとても怖い表情になっているだろう。不甲斐なさと後悔と優柔不断。どれをとっても俺の心をイラつかせるには十分であった。



「いつも……ごめんね……」



そんな俺の様子を見たのか、悲しそうにミカが俺に言ってくる。気を遣わせてしまった。俺は慌てて暗かった表情を消し去り、口角を無理にでも上げる。



「なんでミカが謝ってるんだよ!俺がしたくてやってる事だ!」

「うん、でも……」

「でもは無しだ。俺が……俺がお前をいつか連れ出す!だから!だから……」

「う、うん。分かった。…………待ってるね」



そうミカが呟いた。そしてふわりと優しく笑みを浮かべる。



俺はミカの両手を強く握りしめ膝を床につけ、祈りを捧げるように額にミカの両手をくっつける。無意識に手が震え、覚悟の無さをさらに自覚する。



いつかは覚悟を決めないといけない。

どちらかを選びどちらかを捨てる。



自然と目を閉じる。そうしないと俺の無力さが身に染みてしまうから。暗い、暗い海の底へと引きずり込まれる感覚。ただひたすらに思考し、解決策をひたすらに考える。



……突然俺の手に力が込められた気がした。ばっ、と勢いよく顔を上げるとミカが恥ずかしそうにこちらを見ながら、恥ずかしそうに笑ったのが見える。



あっ────



そっか、そうだよな……

……そうだよ



俺は一度深呼吸し、気持ちを落ち着かせた。そして瞬きとは言えないほど、ゆっくりと時間をかけて瞼を閉じ、そしてゆっくりと瞼を開く。



目の前にはミカの姿。

柔らかく笑うミカの姿。



視線があい、俺は強く意志を固める。この笑顔を見るために俺は覚悟を決めたんだろ?



ミカを救う。ただそれだけを考えていればいい。この理不尽な状況から一刻も早く抜け出すために。



だってここにいるのはただ《神の祝福》を受けることが出来なかったただの女の子なのだから。








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