イラリオンの寝言
「なろうラジオ大賞6」参加作品。
お題は「寝言」。1,000字。
「共感の粉」を使う、魔術治療師とその弟子のお話です。
わが師の寝言ほど奇妙なものはない。
「ジラールはおるか」
と、私の名前を呼ぶ。
「ここにおります」
答えても、まだ眠りのなかにいる。
「ジラールはおるか」
二度目に呼ぶときは、本当に目覚めたのである。
かつて師のイラリオンは、磁気治療の名人だった。
たとえば武人が刀傷を負ったとき、かつ、その傷を与えた刃物が手もとにあるときが、治療師の出番である。けが人の傷口ではなく、傷を与えた刃物のほうに、共感の粉をふりかける。たちまち刃物は、ものを断つという性質の反作用の力を怪我人に伝播し、傷口は塞がった。
師には八人の弟子がいて、共感の粉の秘法伝受を目論んでいた。相伝はただ一人とされたが、私以外の弟子たちは、受け継いだ知識を教えあう約束をしていたようだ。
施術の性質上、主な仕事場は戦場だった。上級士官の集まる本営に随行するため、常に危険にさらされていたわけではないが、流れ矢や投石が身をかすめることもあれば、昼夜分かたぬ行軍となることもあった。最年少で非力な私はいつも足手まといになり、雑用や食事の世話に追われていた。
南の湖畔の戦場で、わが王の軍勢が苦戦を強いられたときのことである。泥に半身を埋めた、あるいはなかば水に浸った味方の死者たちが散在する沼沢地を、我々は退却した。
ふとイラリオン師の足が止まる。師はある死体の前で膝から崩れ落ちると、天を仰いで慟哭した。死者は師の双子の兄だった。しばし祈りのことばをつぶやいていた師は、あろうことか雑嚢から取り出した貴重な共感の粉を死者にぶちまけると、その場で気を失ってしまった。
その戦以来、師は磁気治療を廃業した。故郷の山小屋に隠棲し、ときおり畑を耕したり、湖に網を投げたりと、気ままな暮らしをはじめた。師の身代を空にするほどの報酬が分与されると、弟子たちはあっさりと去って行った。
私が師のそばに残ったのは、天涯孤独の身で他に生きる術を知らなかったからである。そしてなんとなく、この人を父のように思っていた。
その師は、いま死の床にある。ここには終油を授ける神父もいなければ、私以外に最期を看取る人もいない。共感の粉の秘密も消え去ろうとしている。
夜明近くに、師の魂は事切れた。
と……。
「ジラールはおるか」
一度閉じた目蓋が、ふたたび開いた。
「兄が天寿を全うしたようだ」
「えっ」
「何を驚いておる。教えたではないか。共感の粉は、それが傷つけたものに、その反作用の性質を伝播するのだと」