8、晩餐とリゼの秘密
晩餐の話に一度戻ります。
「貴方が不在の晩餐の話に戻ります。それはメインディッシュを食べ終えた時でした」
ダージリンはティーカップをテーブルに置くと、再び語り始めた。
『レディ・セーブル。貴方のターンです』
リゼは水を一口飲んだ。
『分かりましたわ。お話の続きは私の部屋で』
すかさず、ダージリンが穏やかにたしなめる。
『レディ。婚姻前の女性の部屋に男は入る事ができません』
『もちろんそう。でも例外だってありますわ』
皿が片付けられ、執事がダージリンの前にデザートのジャムを挟んだパイを置いた。リゼは皿が置かれる前にダージリンに向けて言った。
『今夜、私の部屋でデザートを食べられますか?』
皿がデザートナイフに当たり、わずかに鳴った。執事が素早く皿とナイフの位置を直す。ダージリンは執事に視線を向けて、詫びる執事に手で許しを与え、視線をリゼに向けた。
(何です?……デザート……?)
その言葉の意味は男性が『ベッド・ティーを淹れたい』と言うのと同じ意味を持つと理解した。誘いを断るなら優雅に断らねばならない。ダージリンは皿に視線を落とすとジャムが挟まれたパイがある。
ジャムといえば……ダージリンは探りを入れる。
『それは、チェリージャムのパイですか?』
暗に男性との経験があるかと逆に問い返す。やや品位に欠けるが、姉へのめくらましに使われたのだから許してもらわねばならない。
リゼはデザートナイフを置いて、言い切った。
『いいえ、ストロベリージャムのパイよ』
側に控えていた執事の姿勢が一瞬揺れた。使用人は主人の色恋沙汰に触れてはならない。それが淑女であればなおさらである。もちろん客であるダージリンも無闇に相手が誰かは踏み込めないが。
姿勢を取り直して立ち去る執事を見送ってから、ダージリンは目の前のデザートに視線を落とした。
『ベルガモットは……ストロベリーでも好むと思いますか?』
相手に問うた事は自分も答える。それがダージリンの信条だった。ただし彼も動揺して返事には複数の意味が含まれてしまった。
一つ、姉は妹の恋愛を知っているのか? 二つ、姉は純潔を重んじるのか? 三つ、自分が経験済みでも姉は受け入れるか……聡いリゼ・セーブルならそのくらいの意味がある事を理解するはずた。
『好まないわ』
再びリゼははっきりと言い切った。
そこまで言い切れるなら何故、関係を持ったのかなどと無粋なことは問わない。ダージリンは恋は瞬く間に始まり、情熱が一瞬で燃え上がるのを彼は良く理解している。それは苺が陽の光ですぐに色づくように明らかな事だ。
ダージリンは紅い視線だけで、リゼに話の続きを促した。
『姉は伯爵家を継いでから領地の仕事一筋だったの。社交界からの誘いは最近始めたばかり。つまり恋に疎い姉よ。だから困っている』
ダージリンはデザートナイフを思わず握りしめた。付き合い出した頃からベルガモットは真面目で奥手だとは感じていたが……。
(私は珍しく初動対応を、誤ったかもしれませんね……)
もし真面目で奥手なベルガモットに、甘んじてリゼとの口付けを自分が受け入れたと思われてしまったなら、嫌われる原因となりうるリスクが高い。
だからと言って、目の前にいるリゼに怒りをぶつけるのは紳士の行いとして相応しくない。あの場で最善の注意を払えなかった自分の落ち度である。
そして目の前のリゼもそれは同じ。
『それで、咄嗟にあんな事をしたのですか?』
『そうでもしなければ、いずれ明るみに出てしまうもの』
『時間の問題だと思いますが、お姉さんに正直に話をされてはどうです』
ダージリンは彼女の髪に挿してある真珠の髪飾りを見つめていた。妹想いの姉に思いを馳せた。真面目だがけして話がわからぬ相手ではない。
リゼは首を振った。
『姉は両親亡き後、女伯爵としてずっと頑張ってきたの。領地の運営、屋敷の管理、領民の揉め事、全部担っていたわ。なのに私は遊んでいただけ……そんな姉を裏切ったのよ?』
(自責の念、ですか……)
セーブル家の不幸は付き合い始めてしばらくした頃にベルガモットから聞いていた。その為に結婚を前提にした付き合いに慎重な事を理解し、デートでもダージリンはかなり自制してきた。
『寂しかったと言ってみては?』
『姉を責めたくはない!』
(責めるも何も、それ以上の事を貴方はしていたのですが)
頭痛を感じ、ダージリンはこめかみを押さえた。つくづく女性は自分の見たい部分しか見ない癖がある。だがその癖のお陰で黒真珠が爆発的に売れたので、女性を責める事はできない。
沈黙に痺れをきかせてリゼが口を開いた。
『ダージリン様お願い、私に協力して。そうしなければ私だって……』
リゼが再びデザートナイフだけ握りしめた。ダージリンは鋭い声が食堂に響いた。
『レディ。貴方のお姉様を天涯孤独にしてはなりません。……私に案があります。お時間を下さい』
少し安堵した表情でリゼがナイフを戻す。女性もまた自分と同じく目的の為には手段を選ばないことをダージリンは身に染みて理解した。
(厄介ですね……婚約者の愛しい妹をその気にさせ、死にたくなるほど悩ます元凶を拝んでやるとしましょう)
ダージリンは沸き立つ怒りを胸の中に沈め、チェリージャムのパイを頬張った。
※
話を聞いていたベルガモットはたまらず叫んだ。
「ダージリン! 私はストロベリーパイもチェリーパイも好きよ……貴方とティーサロンを何度か尋ねた時に注文していたでしょう? 私の好みすら忘れたわけ?」
ダージリンが深くため息をつき、二人の間で視線を泳がせている執事のアッサムへ手招きした。
「君は黙って、紅茶のおかわりを注いでもらえますか?」
アッサムが頷き、ダージリンが飲み干したティーカップに紅茶を注ぐ。
「ダージリン。さっきから貴方の話は私を焦らしてばかりよ。一体いつになったら終わるの?」
「マイ・レディ。まずは、貴方の好みを忘れる私ではありません。リゼと話したのは比喩ですよ」
ベルガモットも紅茶を飲み、おかわりをアッサムに催促して続けた。
「比喩? 貴方が夕食後リゼの部屋を訪ね、デザートを頬張った言う話でしょ!」
ダージリンは明け透けな淑女の言い方に眉をひそめ、念のため確認する。
「どういう意味か、お分かりですよね?」
「だからリゼの部屋でデザートをおかわりして、その後にリゼの部屋で過ごしたって事?」
ダージリンは整った額に手を当て、執事のアッサムへ視線をやる。執事しか置かれていないセーブル家ではベルガモットの仕事を補佐するのはアッサムの役割だ。
「君の主人は本当に仕事しかしていないんですね?どれだけ主人を仕事漬けにしてきたんです?」
ベルガモットの顔が険しくなる。自分の家に仕える執事を擁護する事は主人として当たり前の行為だった。
「彼は貴方と違って、何も悪くないわ。この家には欠かせない優秀な執事よ」
ダージリンが紅い瞳でするどくベルガモットを見る。そしてゆっくりと微笑みを作った。
「言いましたね。その言葉を待っていた。ようやく種明かしができます」
「は? どういうこと?」
眉をひそめるベルガモットに、澄ました顔でダージリンは続けた。
「リゼのお腹の子は、アッサムの子供です」
「ベルガモット様、大変申し訳ありません!」
耐えられえなくなったアッサムも叫び、床に手をつけようとするのをダージリンが手で制した。
「君は主人の言葉を忘れたのですか?『優秀な執事』と言われたのですよ。ベルガモットの評価を覆すような素振りは私が許しません」
唖然としたベルガモットが声を絞りだす。
「………な、なぜ貴方が私の執事に命令するの?」
「それは私が貴方の夫となり、彼が私の執事になるからですよ」
「どういうこと?」
「では、もう少しだけ種明かしの物語させて下さい。この物語は初めから『私達の愛を確かめ合う物語』なのですから」
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