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3、悩みの種

 婚約破棄からひと月が過ぎた。遠くで甘い声が響いている。


(また、だ………またリゼの声……)


 深夜、静まり返った屋敷に声が響く。ベルガモットはベッドのクッションで耳を覆った。曾祖父から受け継いだ屋敷は壁が薄く、ベッドが軋む音すら聞こえてきそうだ。


 その日の朝、食堂へ行くと大きなダイニングテーブルの端に座り、何食わぬ顔でダージリンがモーニングティーを飲んでいた。リゼの姿はない。


「レディ・セーブル。おはようございます」

「………おはよう。マスカテル卿」


 ベルガモットは家名をあえて強く言ったのだが、相手は眉を動かす気配もなく涼しい顔で言葉を続けた。


「お久しぶりですね。このひと月毎朝を紅茶をここで頂いていますが、一人で飲む紅茶ほど寂しいものはありません」

「リゼとベットの上でお飲みになられたら?」

「レディ・セーブル。この家の主人は貴方だ。貴方に紅茶をリゼの寝室へ運べと言うほど、私は愚かではありませんよ」

「紅茶を運ぶのは使用人でしょう。執事のアッサムに毎朝でも紅茶を運ばせますので……」


 ダージリンがカップを上げてベルガモットの言葉をさえぎった。


「アッサムと言う、あの執事は随分若いですよね」


「……亡くなった両親の執事ウィントンの息子ですの。ウィントンは両親と共に亡くなったので、息子が継いだのです」

「なるぼと。貴方が頼りにするはずです」

「お話を逸らしたおつもりなのでしょうけど、朝の一杯はリゼの部屋で飲んでやったらどうかしら」

「いいえ。美味しい紅茶が無駄になる。リゼは昼まで寝ていますから」


(そうでしょうね。あんなに毎晩………)


 ベルガモットはティーカップの持ち手を強く握った。自然とダージリンの着崩したシャツに目が行くが、彼は気にしない様子で続ける。

 

「レディ・セーブル。貴方の目が私より赤い。眠れないのですか?」

「誰かさん達のおかげでね。少しはご自宅にお戻りになられたら?お店の事もあるでしょうに」


 ダージリンの口元がわずかに緩んだ。


「店は信頼できる者に任せてあります。私は午後に顔を時々出すだけでいい。午前中はゆっくり貴方と語らう時間はあります」

「私よりも、リゼと結婚式の事を語ったら?」

「リゼは今、深く眠っています。貴方と結婚式について話がしたい」


 ベルガモットはティーカップをソーサーの上に下ろした。乱暴に置いて心の内を悟られないよう、細心の注意を払った。


「何かしら?」


「結婚式は以前に貴方が考えた通りに行ってよろしいですか?リゼの事だ。何でも貴方と同じようにしたがるでしょう?」


「私の理想を全て奪うおつもり?全く同じにするなんてオリジナリティがないのね」


「奪う? 私の気持ちは貴方に奪われていますよ。以前差し上げた真珠のネックレスがリゼのドレッサーから出てきたのはなぜでしょう?」


「……リゼの方が可愛いし、似合うからよ」


(本当はリゼが泣きすがって、仕方なく貸していたのよ)


「貴方は自分の美しさを過小評価しすぎていませんか?黒真珠は貴方の手元に?」

「あれだけはリゼに渡さないわ。リゼには似合わない」


 ダージリンは口元を緩ませて、ティーカップを持ち上げ紅茶を飲み、カップを置いた。


「レディ。私の審美眼が間違っていなくて良かったです」

「あら、宝石商としての腕前を自画自賛なさってるの?」

「違いますよ。男としての審美眼です」

「どちらにしても自画自賛じゃない」

「……まぁ、そうですね。哀れな男という物は自分の眼しか頼れないので」

 

(哀れな男? どういうつもりなの!)


ベルガモットは腹立ちを隠すために咳払いをした。女主人として客の立場であるダージリンに強く言い返すのは相応しくない。


「今朝は要件があって食堂に来たのよ。庭園のコテージを改装することにしたわ」

「何のために?」

「新しく寝室を作るの」

「リゼが思い出の場所だから立ち入るなと言っていましたが?」

「そう。十歳の時に誕生日パーティをコテージでしたの。あの子にとって両親との思い出の場所。私も普段は近づかない」

「なるほど。それで私にも近づくなと言ったわけですね。しかし、リゼの思い出の場所を貴方の寝室に改装するのは何故です?」

「ご自分の胸に手を当てて聞いてみられては?」


 ダージリンは言われた通り、片手を着崩したシャツの間から、たくましい胸に当てた。滑らかな褐色の肌があらわになっても彼は気にする様子がなく、むしろベルガモットの視線を誘っているようでもあった。

 思わずベルガモットは注視していた視線を逸らした。


「……リゼの声は聞こえていますか?」

「この屋敷は曽祖父の代から建つ屋敷ですからね。少し古びているのよ」

「リゼの声を聞いて貴方はどう思いましたか?」


(か、感想をわたくしに求めるの?)


 ベルガモットは勢いよく椅子を引いて立ち上がった。物陰に控えていた侍女が慌てて椅子を支える。


「要件は以上よ。朝食は自室で摂ります。失礼するわ」


 ダージリンが立ち去るベルガモットをじっと見る。彼は口元に手を当て、片方の眉を僅かに上げて何か思案していた。余裕ぶったその姿にベルガモットは顔を赤らめ、肩を怒らせて立ち去った。




 ベルガモットは猛然と仕事に勤しむ事にした。女伯爵として、領地の視察、貴族からの茶会の誘い、領民達の調停、時間は目まぐるしく過ぎた。

 公爵家からの誘いを受けて夜会へ出かけ、新しい幸せを見つける努力もしている。


(さらにリゼの結婚式の準備もあるわ)


 月日はあっという間に経っていくが、毎晩『あの声』に悩まされる。もちろんコテージの改装も順調に進んではいる。一度、妹から苦情はあったが。


「お姉様、コテージに寝室に改装していると聞きましたわ。ダージリン様は確かに爵位が低いですけれど、コテージに追いやるおつもり?」


 執務室の戸を勢いよく開けたリゼは眉をひそめ、姉のベルガモットに向かって、まくし立てた。


「別に……私がゆっくり休みたい時に使うだけよ」


「ひどい。まるで私達がいたらゆっくり休めないみたいな言い方。ダージリン様の生まれは公爵家の次男よ。屋敷の客間に泊らせたって良いでしょ?」


「もちろん。それに他意はないわ。ただし昼間にも甘い声を出すのは控えて欲しいけど」


 リゼが顔を赤らめ、両手で顔を隠した。


「まさか!……聞き耳を立てているの?」

「……聞こえるだけよ。聞きたくないからコテージに寝室と執務室を作るの」


 両手を下ろしたリゼが上目遣いをしながら問う。


「……お姉様、最近私に対して冷たくない?……食事もダージリン様と一緒に食べようとされないし……」

「仲の良い貴方達の会話を邪魔しては悪いから、執務室で食べているわ」

「わ、私が意地悪してるみたいに言うのね!」

「貴方達の事を考えてしているのよ!……今だって結婚式に必要な物を書き出している」

「ふ、不備があるといけないから、ダージリン様にも見てもらうわ!」


「不備?……私は最前を尽くしてるのよ。あなたの騒ぎが無ければダージリンだって譲らなかった!」


 リゼが雷に打たれたような顔をする。


「ダージリン様の事をそんなに想ってるのね……」


 リゼは何か言い淀み、首を振ってつぶやいた。


「コテージは思い出の場所でもある。だけど誰も立ち寄らないあの場所は私にはなくてはならない大切な場所だったの。何の相談もなく使うなんて……早くしなくちゃね」


 リゼはそう言って俯くと踵を返し、足早に執務室を後にした。夜中に甘い声がいっそう激しくなった。

お読み頂きありあがとうございます。

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