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2、恋に落ちた瞬間

 ベルガモットは夢を見ていた。

 ある日、侍女と共に馬車を降り、石畳の大通り歩いている。紳士淑女が行き交う中、上質なコートに身を包み、一人の男が挨拶をしてきた。


『レディ・セーブル。私が勧めた髪飾りはお気に召しませんでしたか?貴方の艶やかな髪に真珠を留めればビーナスにも勝りますよ』


 彼は真珠の髪飾りを購入した店のオーナーだった。ダージリン・マスカテル男爵。ベルガモットよりも二つ年上の長身の体格の良い男。低い声が心地よく響く。


『ごきげんよう。マスカテル卿。真珠は愛する妹へ贈り物にしました。妹はプラチナブロンドなの。真珠の輝きも映えますわ』


『レディ。ダージリンで構いませんよ。ご家族への贈り物を私の店で選んで頂けて大変光栄です。それにとてもお優しい方だ。優しい貴方へ美味しいティーサロンをご紹介したいのですが、この後のご予定は?』


 店で会ったときのハンサムな印象と紳士な振る舞い。黒真珠で財を成し、伯爵家に匹敵する富豪となり独立して自分の店をもつ成功者。しかし成功を奢る素振りがない。


 ベルガモットは彼自身の商才で爵位を掴み取った姿に少し興味を持った。


『少しの間でしたら構いませんわ』

『ありがとうございます。マイ・レディ』

『マイ・レディだなんて、まだそんな仲では……』

『私はこの紅い瞳で未来を知る事ができるのです』


 ダージリンが微笑んだ。彼の頬に魅力的なえくぼができた。


『……ご冗談がお上手ね』

『冗談かどうかはお茶を飲みながら考えましょう。馬車を待たせています。どうぞこちらへ』


 ベルガモットは侍女に目配せして帰らせ、ダージリンが差し出した革手袋に手をかけた。


 上流階級の貴族にも負けぬエスコートでベルガモットは豪勢な馬車に案内された。伯爵家の馬車にも劣らない乗り心地だった。


 馬車は大通りに面したティーサロンの前で停車した。ダージリンはベルガモットを優雅にエスコートして馬車から下ろし、サロンの一番奥、人目がつかないよう観葉植物で区切ったテーブルに案内した。


 給仕がテーブルへ紅茶をセットし、一礼して立ち去る。ダージリンがポットを手に取り無駄のない動作でカップに紅茶を淹れた。その様があまりにも優雅だったので、ベルガモットはその一挙一動を固唾を飲んで見つめていた。


 互いに紅茶を一口飲むと、ダージリンが切り出した。


『一つ考えたのですが、やはり貴方にも特別な髪飾りが必要だと思いませんか?』

『まぁ、お商売が上手ね』

『買わせるのではありません。これは私からの贈り物です』


 ダージリンはジャケットの胸ポケットから手のひらサイズの寄木細工の箱を取り出し、テーブルクロスの上に置いた。


 ベルガモットは周到に準備されている事を少し警戒した。道で偶然に会ったのに、あまりにもスマートだった。


(誠実なようで、割と遊び人なのかしら)


『今日は偶然にお会いしたのに、貴方はいつでも贈り物をポケットに忍ばせていらっしゃるの?』

『いいえ。偶然にお会いできなくとも、貴方がもう一度私の店を尋ねる事は明らかでしたから』


 ダージリンの紅い目が細められた。


『紅い目で未来を知れるから?』

『いいえ、マイ・レディ。私が貴方に恋をしているからです。来店されなければ、私から伺います』


『……またご冗談を』

『本気ですよ。箱を開けてもらえませんか』


『開けたら貴方のお気持ちを受け取る事になるわよね?』

『髪留めは古来より相手の髪に挿してこそ意味をなすのです。箱を開けるくらい、問題ありません』


 涼しい表情でダージリンは言い切り、小箱の蓋をさりげなく外した。流行の黒真珠の髪飾りだった。

 黒く光る真珠が五つ連なり、自分で買った真珠の髪飾りの三倍以上する価値あるものだ。


『立派な黒真珠だわ』

『貴方のダークブロンドにも映えます』

『試したくとも鏡がないから無理よ』


 ダージリンが愉快そうに微笑む。


『私の瞳を鏡の代わりにして下さい』

『貴方の紅い瞳には映らないでしょ?』


『ならば、これを……』


 ダージリンは再びジャケットから懐中時計より一回り大きい手鏡を取り出した。銀細工の蓋をスライドさせ、鏡に鼻筋の通った魅力的な自分の横顔をベルガモットに見えるように映した。


『ずいぶん用意が良いのね』


 口では少したしなめながらも、ベルガモットは頬が緩むのを止められなかった。真剣な表情でダージリンが続けた。


『レディ。誤解がないように言いますが、私は宝石商です。手鏡は常に持ち歩いています。ご婦人が帽子に髪留めを引っ掛けて外されることがよくありますから』

『そう。ご婦人の髪留めをよく直していらっしゃるの?』

『私は鏡を差し出すだけです。でも貴方が嫌がるなら、この鏡をここで割りましょう』


 ダージリンが手首を曲げて、手鏡を割る素振りを見せる。彼の袖口の下からセンスの良いカフスボタンが顔をのぞかせた。


『待って。そこまでは言っていないわ』

『ではこの鏡を持って』


 ベルガモットが渡された鏡を手に収めると、ダージリンが席から立ち上がり、ベルガモットの横に立った。


『貴方の髪に触れるのを許して下さいますか?』

『もう髪飾りを手にしていらっしゃるわ』

『愚問をお許し下さい。確かめたかったのです。マイ・レディ』

『……良いわよ。付けてみて』

『失礼』


 ダージリンが髪飾りを手に取り、ベルガモットの耳の少し上、ダークブロンドの編み込みへ優雅に挿した。


『ほら。貴方のダークブロンドが黒真珠でよく映える。これで貴方は私のビーナスになりましたね』


『ほ、褒めても何もださないわよ』


 手鏡に映るベルガモットの頰がわずかに赤くなった。ダージリンが身を屈め、ベルガモットの耳元で一段と低い声でささやいた。


『そのうち出したくなりますよ……甘い声を』



 ベルガモットは胸が締め付けられて、ベッドの中で目を覚ました。まだ夜は明けていない。

 冷静に考えればあの出会いはよく出来すぎていた。

 黒真珠だって宝石を売り込ために鏡と一緒に常備していたとしてもおかしくはない。

 女伯爵の両頬を涙がつたう。


「遊び人だと……思いたくはなかったわ」 


 涙を拭う。ベルガモットは眠れぬ夜を過ごした。


お読み頂きありあがとうございます。

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