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1、男爵と執事

 ダージリンが初めてベルガモット・セーブルの屋敷に招かれたのは一年前だった。

 ネイビーの上質なスーツに身を包み、瞳と同じ深紅のタイを身につけている。


『ダージリン・マスカテル様、お初にお目にかかります。当家執事、アッサム・デンビーと申します』


 恭しく頭を垂れた金髪は整髪料で清潔にセットされている。背丈は長身でダージリンとほぼ同じ。伝統的なセーブル家に相応しいクラシックスーツ。革靴は天井のシャンデリアが映るほど磨かれていた。


 アッサムが頭を上げる。頬骨が整った顔立ちを引き立て、優美な眉が上品さを添える。執事の服を身につけなければ貴族と間違えられてもおかしくないほど、完璧だった。さらにその瞳が見開かれ、ダージリンは息を呑んだ。

 

 その瞳はエメラルドの宝石だった。


 物静かなアッサムの視線はダージリンを注視していたが、不躾な感じは無に等しい。


『君の他に執事か従者はいるのですか?』


 執事は一瞬だけ目を見開いた。貴族が使用人に向かって丁寧な言葉遣いをするのは稀だった。


『当家の男性使用人は私とコックと御者だけで、後はメイドでまかなっております』

『そうですか。失礼ですが、君の歳を聞いても?』

『今年で二十二歳になります』


(彼は有能ですね)


 ダージリンは的確な返答、姿勢よく背景に徹する五歳年下の執事を評価した。その姿は美術館の彫像と呼ぶ方がふさわしい。


『若いですね。セーブル家に仕えて何年です?』

『見習いから含めれば十年です』

『なるほど』


 ダージリンよりも目の前の執事の方がベルガモットと過ごした時間は長い。

 恋人のベルガモットはメイドと身支度を整えている最中で、応接室は執事と二人きりだった。


『今日、ベルガモットと婚約を結ぶつもりです』


 縄張り意識が無意識に働き、ダージリンはそう口にした。貴族が執事に牽制を放つのは不自然だが、そうさせる魅力がこの執事にはあった。エメラルドの宝石が細められた。


『ありがとうございます。ベルガモット様はそういったご縁に恵まれなかったので』


 アッサムは臆せずに紅茶を淹れてダージリンの前にティーカップを置いた。香りからダージリンは飲まずに完璧に紅茶が淹れてある事を理解した。

 無駄のない動きと言葉。将来、彼を自分の部下にできることを誇りに思いながら紅茶を味わう。



 いま、アッサムは一年前と同じ場所で完璧な紅茶を出した相手と向き合っていた。

 応接室から飛び出た主人に託された証書は目の前のローテーブルに置いてある。

 男爵であり、主客のダージリンに「座りなさい」と命じられたので、アッサムはソファーに座している。ダージリンは証書をみて微笑んだ。


「君は実に有能な執事です。主人より目敏いのですからね」


 ダージリンの紅い瞳がルビーより妖しく光った。言葉遣いは一年前と変わらずに丁寧だが、その瞳は野心に満ちている。


「欲しいものは全て手に入れます。君も私に協力しますね?」


 執事のアッサムは息を呑んだ。口調こそ丁寧だったが、声には絶対な「服従」を誓わせる響きがあった。

 ダージリンが提案した「服従」はアッサムの心に火を灯そうとしている。相手は男爵で商人。慎重にならなければならない。


「マスカテル卿。私はあくまでセーブル家の執事です。貴方の執事ではありません」


 ダージリンが口の端を引きつらせる。目は笑っているが怒りを抑えているのは明らかだった。


「君は将来、私の執事になると決まっています。この提案はセーブル家の全員のために行われます」


 男爵はテーブルの上の証書を指差した。言葉は丁寧だが傲慢な男だとアッサムは感じた。


「セーブル家の主人をあざむくのですか?」

「君には言われたくありません。それに君は私に協力します」


 自分が言い切った言葉は現実となる。これはダージリンが宝石商の仕事で見出した法則だ。それでもアッサムは視線を泳がせて迷いを見せた。


「恐ろしい方だ。使用人を脅すのですか?」

「脅す? なら君は被害者だと主人に言えますか? むしろ君は男を見せる必要があると思いますよ」


 アッサムは息を呑みダージリンを見つめた。

 エキゾチックな眉と褐色の肌、紅い瞳の貴公子。見向きもされなかった黒真珠に価値を与え、社交界に売り込んだ男。

 巧みな言葉づかいで財を築き、男爵位を自力で手にした成功者。

 

 丁寧な言葉遣いとは裏腹に、獲物を追い込む黒豹のように彼は獰猛だと理解する。その獰猛な男が自分の獲物を狙っている。


(俺が大切なひとを守らなくては……)


 セーブル家の執事アッサムがダージリン・マスカテル男爵の手の内に落ちた瞬間だった。

お読み頂きありあがとうございます。

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